第10話 風と便りの街

 どの位時間が経っただろう。



 宵闇の中を音も無く疾走する列車の中。車窓の向こうを駆け抜けるみたく去っていく光点に注意を払う者は今は居ない。

「――、――」

 この列車の只一人の乗客である彼女は、現在列車備え付けの寝室で横たわる。車内は暑くも寒くも無い気温であるが、寝る時の癖というか常識で乗客は布団を被る。一つの街を巡ってからどれほど経っているか、指針といえば腹具合が挙げられそうだ。

 次の未知なる場所に着く前に体力を温存しようと思ったのか、無意識に車内のベッドに沈んでいる。……が、そろそろその意識は浮上し始めた。

――。

「……」

 唯一の乗客、立花明日美はまぶたを薄く持ち上げた。特に夢らしい夢は無く、ぐっすりと眠れたらしい。目覚めもスッキリしている方だ。寝室の天井、スタンドライト含めて照明は消してあった。が、それでもブラインドの隙間などから窓の向こうを横切る星の如き光が車内を薄明るくする事が度々ある。

「んー」

 少し体を動かして傍に置いていた、貰いたての懐中時計を手に持ち顔の前に持ってくる。


 ……一見して十二もの数字を針が巡っている普通の時計だ。体を横たわらせたまま明日美がじっと意識していると――只物でない時計であるという証左を目の当たりに出来る。


【16年 〇か月 〇日 〇分 〇秒……】


 懐中時計の文字盤から、スウッとホログラムの如く膨張してきた面。そこに表示されているデータは明日美が生まれてからどれ程の時間が経ったのかを示すもの。明日美が寝る前に確認した時のデータと比べるとどうやら八時間近く寝ていたらしい。

 これを貰った街から離れ再度乗車し、割とすぐに時間を確認したのも覚えている。その時のデータと比べると……。

「もう一日経ったんだ」

 という事が知れた明日美。やはり生体故に時間の感覚は必須。自然と起きようという気になってくる。次の街に着いていようがいまいがとにかく起きよう、車内での過ごし方なんて探せば幾らでもあるさと考える。

 むくりと起き上がり寝床から出る。多少乱れたそこを整え、自らの服装もそうする。といっても学校の制服以外に着れそうなモノが無い。故にそれを身に着け車内の鏡に前に立って微調整していると、彼女の中で可笑しさがこみあげてくる。

 無理もない。学校という常識を教わる場所とは心理的にかけ離れた、未知なる場所に向かうのに制服という出で立ちは可笑しな違和感で一杯になる。



 ――。

 鞄を持って寝室を後にする。リビングの様に感じ始めている、ロングシートが伸びる車両に足を踏み入れた。左右の車窓をサッと見て、宇宙空間みたく暗闇が窓に貼り付いているのを確認する。

 明日美が以前書いたフルネームは、自ら動き出してからというもの動きが安定せず。アルダンテに滞在中は大抵明日美の鞄内にて、まとめられたホースの如く大人しく寝ている様だった。主が日中働いて戻ってきても寝たきりの様相だった。

 たまに仮宿の自室を徘徊していたが基本大人しかったので出立まで放っておいた。

 ……そんな自分自身の分身とも言えるそれは、ロングシートの明日美がいつも座る辺りでとぐろを巻いたホースの様な姿を見せていた。


(まだ着かないか、さて)

 何をして時間を潰そうか考え始めるも、その必要は無い事になった。

「っ!?」

 思わず明日美は手で視界を遮った。


 パッと、暗闇だった車外の光景が明るいブルーになったのだ。海の中にでも突っ込んだのかと一瞬うろたえたが、少しするとどうやら機嫌の良い天候を車内から拝めている状況だと気が付いた。

「わあ、快晴」

 そう、快晴。中天に浮かぶ太陽が、雲一つない青空を満遍なく照らしている最中に出くわしたのだ。ではそんな天晴な天気の下には何があるか。列車はまだ動いている最中である……が徐々に速度が緩んでいく様な感覚がしないでもない明日美。

 あちこちの窓から情報を早く得ようと、はやる気持ちを抑えられずに顔を全方位に向ける。そうしているととある地点に列車が停まる。片側の窓には石やコンクリートと思しきそれで構築された下車スペースがある。


 どうやら何処ぞの駅に到着したらしい。明日美が寝起きにしてはシャッキリとなり、背筋は伸び気味に肩は盛り上がる。

(今度は、今度は何処に着いたのだろう)

 開いた列車の扉の前に駆け寄り、そこから顔を突き出して辺りの様子を伺うと……どうも以前の駅のホームでは無い様だ。そして駅がある所といえばやはり人は居て、そこの人は寄り合って何かしらの営みを構築しているもの。


 新たな街。

 そう思うと気持ちが弾む。一息吸い込んで早速一歩前へ――、としようとしたが。

 きゅう。

 何処からかそんな音が聞こえた。丁度彼女の中腹辺り。

「~~よ、よし。食べ物に恵まれるとは限らないし腹をこしらえてからさ」

 何となく明日美の都合を待ってくれているのではないかとして、開いたままの扉から背を向けキッチンに向けて小走りになった。



 ――。

 改めて準備を整えてホームに降り立てば。

 ――――!

「わあっ」

 突風が吹いてきた。開幕早々来訪者を迎えるかの如き風は明日美の前髪を派手に攫いあげようとする如く、走り去っていく。潮気を残して。

 ……派手な開幕気分とは対の如く、特に明日美を出迎える人々などは居ない無人の状況。

 何となく足の裏から返ってくる地盤の踏みごたえを確かめながら、ホーム内を右往左往する。屋根があり、椅子があり、看板あれど何も貼られていない。どっちに行けば出口なのだろうと立ち止まって考えていると、視界の横を白い物体が横切った。

「!」

 はっとなって思わず前のめりになる。白い物体は軽やかにホームの床を跳ねて転がるように移動していく。初めは白い動物、ウサギなどの動きではないかと思ったがどうやら違う。そして個体はそれだけでないみたいだ。

 とある方向から薄く、軽々とした外観のそれは新しく明日美の前の地面スレスレを横切ろうとする。

 それにサッと駆け寄ってしゃがみ手で捉えてみれば。


「これは……紙?」

 何と書いてあるのか、A4サイズのそれを広げて見てみるが……インクらしき紙面のモノが乱れていて内容を判じられない。少しそれを、それが舞って来た理由を考えてみたがやめる。

 スッと立ち上がり、紙が飛んできた方向を見据える。

(論より証拠。一か所に留まって考察に閉じこもってる場合じゃないって)

 明日美は鞄を肩に改めてかけ直し、ホームの出口らしき場所に辺りをつけて進んでいった。



 ――。

 駅を出た明日美は主に視界上部をまさぐっていた。が、見えるモノは只管青空の一言。高いそびえ立つ建物は一見して無さそうだ。だったら、と視線を下にしてみれば……建造物らしき四角い物体が遠目に見える。

「……」

 好奇が明日美の心臓の中から強くノックしている。獲物を見つけたハンターみたく目は開き気味で、やはり前のめりになってしまう。呼吸は忘れ気味に。

「…………っ」

 綺麗に舗装されているとは言い難い道を進む。左右は背は短いが分厚い雑草が所々賑わう様に生えており、多少起伏のある土むき出しの路に足を少し取られそうになる。それでも奥行きに向かって伸びているその上を往く。

 往く――、と。

 四角い建造物が連なって幾つも確認出来る位置に来れば、一つの看板が自然と目につく。看板は情報! この場所の! という風に結び付けて小走りに距離を詰める。先程の紙の内容が解らなかったので読めるか心配になったが問題なく読めた。

 ――。


【風と便りの街 シーリス】


 と、書いてあるのが解る。

「シーリス……」

 明日美は看板から目を離し、少し遠い前方に展開されているシーリスの外観を目に入れる。

 白めの建物。アルダンテの様に暗色気味で重厚な建物達と比べると、視界的にも軽やかさだけでなく明るさも感じる。この時点で明日美は列車の中に居た時の杞憂を忘れていた。

 次に行き着く街にもネアがあるのだろうか、と。


 ……。

 街の境界を何となく想像で踏む。顔を上げれば白生地に青のペイントを自由に入れた壁の住居が立っている。形状もかっちり真四角という訳でなくある程度遊び部分みたくデコボコだったり、家屋が姿勢を崩している印象を受けた。

 固めで白い足元は一応舗装されている様だが、きっちり整備されているという評価は合わない。意味の無い所で段差があったりする。 

 住居と住居の間に挟まれた道を前に、手に汗かく明日美。上を見上げればやはりまっさらな青空。吸い込まれそうで気持ちの良さそうな天蓋は、上に向かって飛び込みたくなる。そんな空の下にこの辺りの建屋は色がマッチしていて実に開放的な心象になれる。


 気持ち明るくなれそうなここにて、どんな営みがあるのだろうと俄然興味が湧く。

 早めにこの街の情報が欲しいが、街人の姿を視認出来ない。

「……人、居ないのかな。今昼っぽいし仕事に出かけてるとか」

 明日美は住居、建屋に囲まれた路を進み入り始め。視界左右の扉から人が飛び出して来たらどうしようかと、余所者なりの緊張をも感じ始めた。進み始めて数分後。

 ――。

 緩やかなカーブを描く道で向こう側から人が歩いてきたのだ。陽当たりの良さそうなこの場所故に肌が日焼け気味であり、黒髪の坊主頭である。眉が少し濃く、少しぽってりした唇、真四角に開いた両目が付いた顔と鉢合わせた。

「っ!」

 明日美は思わず反射的に肩を緊張させ固まってしまう。が、そんな彼女とは対照的に真向いの人は明日美を見ても特に歩みを止めず表情も平坦だ。そして明日美とすれ違うという所になって立ち止まって話しかけてきた。近くで見ると三十前後の男性と判じられ、服装は黄色のポロシャツとジーパンらしき出で立ち。

「ああ、どうしたんだ?」

「あ、はい。あの」

「ああ、どっかからか流れついたんだな。向こうで集配やってるから見に行ってこいべ」

 立てた親指を自分がやってきた方向に向ける彼。一人で納得して一人で喋って一人で切り上げて先を行ってしまう。その人は明日美を特に警戒する事も無かったが、代わりに親身になってくれそうではなかった。彼は両手をブラブラさせながら路を歩く。

 後方から、つまり彼を見送る明日美の真横から白い紙が平行で飛んできた。そのまま紙が彼を追い抜こうとする際に、背を見せていた筈の彼が極自然な動作で紙を手でサッと捉えた。明日美からはわかりにくいが、紙面を見ている様であり。それによってどんな感想を彼が抱いているのかは現時点では想像も難しい事だった。


 ――。

(向こうで集配やっているから、と言われたがどう進めばいいのやら。セルタさんは親切だったのに)

 と少し不満気味だったが、代わりに緊張感は解けた。あの彼が明日美を邪険にしなかったという事は、他の街人も大差は無いだろうという算段が心に生まれた。そして道も大して迷わなかった、何故なら住居に囲まれた一本道を抜ければ彼の仄めかしていたであろう場所に辿り着けたからだ。




 ――――わあっ!


 明日美の感嘆はかき消された。

 広大な青空を受け止めるかの様な広々としたスペース。白めの舗装がされたそこに、大小様々な荷物が置かれ。その間を縫う様に人々が行ったり来たり。何かで騒ぎ、その活気を辺りに轟かせる光景が広がっていたが……それが明日美の声をかき消したという訳でない。


 その光景を包む更なる光景が広がっていた。

 天の青に負けぬ位の。群青の水面。


 大海の、圧倒的存在が座していた。


 その大海原をいつからか駆け巡って止まない、風の分厚い束が明日美の声をかき消した上、何処ぞに吹き飛ばしたのだ。縦横無尽に街を巡るであろう風の音を聞いていると、地図が無くとも街の広がりが想像出来る。

 ……その音が止むと、興奮気味になりつつも一部落ち着いた心の部分が状況を推察し決定付けた。

 ここは島の上の街なのだと。




 ――。

 草原、時計塔と来て次は島の上の街。どんな所なのだろうと体感してみようと意気込む明日美。目の前、港の如き場所の人だかりに向けて彼女が歩き出す。

 彼女の背後で……とめどなく何処かからか風に乗ってやってくる幾枚もの紙達。伺い知れぬ内容をその身に乗せて街の中を泳いでいった。

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ネアの旅 宣野行男 @sennoyukio

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