第9話 時計塔の街5

 そして街に再び時が満ちる。


 ――初めの内は変化が見られない。沈黙の広場。風がどれほど衣服をはためかせようとも棒立ちの硬直ばかりであった人々。しかし遠く離れた場所でとあるレバーが引かれて数分経てば。


 ……っ。

 ……ん。

 ――あ。


 各々寝起きの如く徐々に覚醒していく。時という概念から離れた世界にでも行きかけていたのだろうか。街人の意識が浮上し、肉体を再起動させていく。彼彼女らの目にはハイライトが。


 まもなく合流した明日美にとっては信じがたい事に、まるで何事もなかったかのように街人は祭りの続きを始めた。斉唱、歌うたい、前回の祭りから時間をかけて編み出した作品や食品を展示・販売する屋台が時計塔を中心として各所で展開。

「――――っ」

 明日美は目に見える人々誰一人として、静止していたという自覚ある振る舞いを見せぬ事でたまらず問いかけた。


 ――先程まで止まっていましたよね?

 ――?

 ――ついさっきです。貴方は何をしていましたか?

 ――ずっとここにいたけど普通に祭りを楽しもうとしていたよ。

 ――……! じゃ、じゃあ祭りが始まったのは丁度正午です。今は午後二時位、貴方はこの二時間どこで何をしていましたか?

 ――ああ、祭りの度に奇妙な空白時間があるんだ。何だろう、日々の時間のリズムから解放された感覚がある。気が付くと時間が経っていた感じかな。その間は特に行動らしい行動はしていないと思うさ。


 聞いて回り振り返らせた街人皆がその様な事を返した。多少言葉遣いや性格による違いはあるものの、返答に大差は無かった。瞑想などで日々の仕事や五感から離れる事をしていると体感時間の変化を如実に経験するらしいが――。それを明日美も元居た世界で知識として知っていたのでそれを当てはめるしかなかった。

 街人はあまりにも何事も無かったかの様に手や足を使い口を動かして祭りのやり取りをし始める。広場の一つの中央辺りに立って顔の向きを一定させず立ち尽くした明日美を特に気にすることも無く。


 街は、人は二時間ぶりに時を取り戻した。

 ――半信半疑だった明日美、街人全員は推定二千人は居そうだ。それを一人の整備士が機械を通じてとはいえ、再起させてみせたのだから明日美は驚いた。時計の針と一心同体する人々。ずっと前からこうだったのか。止まっては動いて止まっては動いて……止まって。

 ずっと繰り返していたのか。これからも繰り返すのか。明日美はそこをラントに問う。

「俺にとってこんな事が始まったのは十年前からだ」


 ――、――、――。


 ラントは自らの過去を思い出しつつ吟味して語る。

 彼の出生は別の場所であり。

 芸術品や精緻な機構などの創作が盛んだったそう。昔ネアを駆使して感情や法則を思いのまま顕現させて見せた時代を憧憬していたからだとか。

 そことは離れた所にある時計の塔の噂は流れてきて。

 思う様になる。その機構を解き明かしたい、大きな街の多くの人々を虜にするその機構を。


 ――ラントがアルダンテに到着し、街中の機械を修理しながら時計塔の観察をする日々が始まる。それが一年になろうとする頃には大体の構造が把握出来た。自分にも同じモノが造れるだろうか……と考えていた、が。

 それどころでは無くなる。

 ラントにとって初めての祭りの日がやってきたのだ。

「皆と一緒にリズム良く生活するのも楽しいけど俺は皆が慕う時計塔そのものに興味が湧いたから。それに携わる事を選んだんだ」

彼は塔内を回って機構を把握して、ああこうなってるんだなと……街の人々と共に動き続けるんだなと思った。それで済めば良かった。でも実際は違った。ある年ある月ある日ある時に、いきなり人が止まってしまうものだから。


「初めは何か可笑しな夢でも見ているんじゃないかと思ったよ。だってついさっきまで普通にしていた人々が全員止まるんだぜ? お前らどうしちまったんだよ、動いてくれよ、何かのドッキリか。――……どんなに喚いても俺一人に沈黙が集まってくる気がして居ても立ってもいられなかったさ」

 彼は時計塔の構造そのものに興味を持ち、細部まで意を汲んでみようと見つめた。そして巨大な時計組織を盲信するのでなく間近でその仕組みを冷静に捉える。人の出入りの少ない冷然と機械音が聞こえてきそうな塔の内部にて数式を解く気持ち。

その時間が多く街の一体感を味わうのは普通の街人よりもずっと少なかったろう――。

 ラントは自分だけが当時動けていた理由をそう推測する。


 ――、――、――。



 何たる偶然。長きに渡って動いていた時計塔が構造上、止まる時期に彼がやってきたのだ。

 本来そのまま止まらせるしかないその基本構造。それに彼独自の手を加える。何とか動くもやはり時計塔全体の意向を変える事は出来ず、もって一年の延長が限界らしい。


 賑やかな街祭りの裏に潜んで飛び出してきた衝撃。

 人々の穏やかな静止。活かすか逝かすか。


 ……明日美はその時のラントの様子が、心境が、想像しやすかった。初見ならば驚愕の一言だったろう。人情や生理的なモノを超越し機械的な姿勢が一致する街の中。

 やはり天体はお構いなしに動いており。あちこちで湧く街中の嬌声を風で流し。賑やかな様相が続く街路が、沈みゆく日で淡く照らされそして暗くなっていく。

 意識が溶けて一つになったあの二時間の事など素知らぬという風に、街人は暗くなると同時に後片付けを行う。心の空白といえるあの時間帯があったはずなのに、街人は自覚無しに時計塔の起動と同時に活きだす。


 ボイドタイムを露骨に実感した心境であるラントと明日美の二人は、再起動直後のギャップを心身に残しながら祭りに興じる人々を眺めていた。何も知らぬ無垢な振る舞いに見えて仕方がない。それは彼女も同じだった。

「あら、どうしたのかしら……? こんな所に絆創膏が」

 セルタがたまたま近くを通りがかり、祭りに付随する業務をこなしている最中ふとそんな台詞を零したのが明日美の耳に届いた。異なる世界にやってきたであろう自分と最初に会話をした人間、新たなステージに適応しようと自分が頼みの綱にした人間。

 依存の対象が実体を失った事で転倒する如き感覚を覚えた明日美だった。




 人の死活が制御されるこの街の秘密を経験した明日美。余所者の自分にも大した警戒心もなく共同生活を勧めてくれた人々。何処かも解らぬ世界にやってきた中での、人情味溢れる彼彼女らと接してきたここ数日の日々が思い起こされる。

 平和と健全な街の裏側に、人知を超えたシステムの存在を想起させる。この場所の日常が仮初めであると知り、機械的な冷たさをひしひしと明日美は心で捉えた。




 





 侘しさ。








 

 

 ……。

 仮住まいに戻った明日美。ベッドで天井を見上げ、シーツの感触を味わいながらこれからを考える。

 ラントに対し思いつくまま問い詰めた空白の二時間。そこからによれば、ロビーにも居たが自分の様な旅人は長期間滞在した後でなくとも時計塔の影響を受けて止まってしまう様だ。今回明日美が止まらなかったのは明日美自身の深層心理がこの街の理念にそぐわないからだろうとラントは推察していた。

 ……どうする、と明日美は自身の心に問いを落としこんで返事の反響を待つ如き心地で居た。仮宿にしては清潔でお洒落な内装の天井を見ているだけで、ここの人々が活きた美的感覚を持っている事が伺える。……それでもお構いなく静止してしまう。

(この街は良い所だ。良い所だ……だけど)




 一夜を明かして――翌日。


「行くのか」

「うん、今まで関わった人々にはご挨拶してきた。貴方にもお世話になった。……有難う、街の事話してくれて」

 荷物をまとめた明日美は例の列車のホーム前に立っていた。来た時と変わらず無人だ。

 今は真昼。中天の陽塊が燦々としている。街人はいつもの日常を過ごしているがその活気もここまでは届きにくい。

 午前中を出立の挨拶に費やした明日美。最後にラントに会いに行き街を出る事を伝えた。その場で無言で頷いた彼だったが、どうやら明日美を見送りに来たらしい。

 ラントは少し先にある列車の停車場所の方向を見やる。

「昨日、あんたが言っていた。文献でネアを読んだのだと。まるでそうして初めて知識を得たかのように。それを聞いてこことは違う世界からやって来たんじゃないかという印象を受けた」

 明日美は初めて自分の出自を肯定する事にした。こうまで差異のある世界なのかと何処か可笑しくなったのか微笑を浮かべてゆっくり頷く。元居た世界を言の葉にしようとしたが、簡潔にしか出来なかった。

「ここの皆、物の性質を変えるネアの事を何ら不思議に思わないみたいだけど……私の居た世界にはネアというモノは無いの。少なくとも誰もそれと出会っていない状態。もし明るみになったら世界が一変しそう」

「……そうか。そういう場所もあるんだな」

「うん。どっちがいいのかわからないけど」

「? この辺り一帯の人が止まってしまう力を持ったネアなんだぞ。そんな存在と無縁で馴染み深い世界の方がいいと思うんじゃ」

 明日美はホームの階段を少し登り、今は来ていない列車が停まる位置が見えやすい様にした。そしてそこから来た道を辿って見透かす様に自分の元居た場所を想像する。

「私の居たトコ、人の意識が周囲に作用するとか皆で団結してより良い在り方を目指して進むとか――そういったコト頻繁にはない印象。普遍的に非化学とは一線を画し、人命よりも経済を優先する傾向が目につくの」


 ……貧困、学歴の壁、外交摩擦。

 明日美がニュースを通じて知ったり、日々の強制的な座学の経験を基にするとそんな台詞を舌がこねて口から流れる。


 ホームの周囲は無風。近くに設置された時計の秒針が、二人の沈黙の間を縫って移動してきた。


 ――。

 ラントは明日美の視線を追う様に遠目になる。彼女自身が辛く評するこことは別の世界を思い浮かべようとする。が、上手く行かず手ぬぐいを巻いた頭部をさする。

「じゃあ、かといってだ。ここで暮らし続けるという選択はしないんだろ」

 明日美は小さく、しかし確かに頷いた。

「素敵な街だと思う。けど、ここで時計と一緒に止まってしまうのは私じゃない」

 それほど大きくは無いその声が、明日美の活きて進もうという意志を直感させるものだった。

 耳で聞いたラントは少女の心に、火の芯が点いている光景をイメージした。少女を迎えるみたく何処からともなく音も無く、ホームの停車位置に列車が滑ってきたが。それに乗って進行の際の様々な向かい風にも、彼女に点いている火は揺れても容易く消えはしないだろうと何となくラントは思った。



 ――、――。

 何となくここに来れば不思議な列車は来るのではないかという安易な考えの通りになった。列車は明日美の目の前にやってきて停車し出入口まで開いている。誰も降りてこず、乗るのは自分一人だけだ。

 スッと鞄の紐を握りしめて一歩列車の中へ進もうとするとラントが呼び止めた。

「アスミ、これを持っていくといい」

 そういってラントから手渡されたのは一つの時計だ。首にぶらさげも手首にも巻ける仕様のそれである。列車に関わってからというものの、スマホの時計は機能せずに時間の把握に困っていた所。ここは喜んで受け取る気持ち以外に無い。

 が、やはり違う世界の代物。それ故に特殊な機能をラントの口から聞ける。

「アスミ、これは定められた対象にどれほどの時間が経過しているかを計測して表示してくれるモノなんだ」

 彼曰く傍に持っていれば明日美を持ち主と認識して――。今、立花明日美という存在が何歳何か月何日何時間何分何秒なのか教えてくれるモノらしい。この機能は素晴らしいと思った。

 おそらくレールらしいレールの上を走らないこの不思議な列車の事だ。次に行き着く先ではこことは全く違う時間帯になっている事は容易に想像出来る。

 それならば指針となるのは体内時計だ。要は自分自身のリズムが大事なのだ。それをもたらしてくれる旅道中の杖を手に入れた気分で頼もしい。パッと顔を綻ばせてラントを見る。

「有難うっ! 時計が欲しかったんだ」

「ここに留まる俺には時計は不足せずだ。あんたの旅の力にしてやってくれ」

「でも大事なモノじゃないの? この世界の事だからそれ故の詳しい構造とか経緯は聞かないけど」

「おそらくは時計塔の創設者が造ったモノではないか、と言い伝えられている。持ち主が転々とする内に機能が明らかになってきたが、結局は時計塔があればいいという理由で手放されてきたんだ」


 時計に関する説明をするラントの目には熱がこもっていた。機械いじりと苦楽を分かち合う街の人が好きなのだろうと明日美は見受けた。それならば互いがこれから進む方向をはっきりと出来ている。――微笑とお礼を残して明日美は今度こそ、列車に歩み乗り込んだ。


 彼女という一人の乗客を乗せてまもなく列車の扉は閉まった。開閉の境界を隔てて立って向かい合っていたラントの全身が扉の窓越しになる。急に彼が見送りに浮かべている微笑が寂しいモノに見えた。だがそれは明日美自身の気のせいなのだろうと思う事にした。

 彼はたった一人で街の真実を抱えて生きていくのだからそう見えたのだ。彼は時を管理する事を自ら選んでいる。


 ――今も変わらず街の中央に建つ、時の塔を残し。列車は音も無く動き出してラントもホームも窓越しでかき消えた。



「――ふう」

 何となく同じ列車なのではないかと思われる車内を見回し、シートの上に荷物を置いて隣に腰を沈める。

 時間の概念から解放されれば人の人生観は悪くないモノに一変するだろう……それでも尊い共同意識で活きるあの人々が創り出す美しい営みを、終わりにしたくはないという彼の気持ちも想像出来る。


 ……。

 どちらが正解なのか、或いはどれが正解なのか。考えあぐねていたがやがてそれを止めると……車内に冷静な沈黙が満ちている事に気が付いた。


 動いているのに、動いていないかに見える車内の光景に何とも言葉に出来ず目を伏せ微笑と共に体を緩ませ背を預けた。

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