第8話 時計塔の街4

 祭りの日。


 午前十時になる頃。

 人々は街路の網目を通って規則正しく大広場に列を成して移動し始めた。役職の違いあれど様々な者達が年の差による知・体力を補い合いながら今日の為に準備をしてきた。

「いよいよか……」

 当日は時計塔を中心として周囲に点在する広場のそれぞれに集まり、正午にかけて合図となる音を時計塔が発する。皆各広場からそれを見上げて待つ。

 明日美も主にここ数日でよく関わってきた人々と一緒に広場の一つまで移動してきた。談笑しながら待つ人々の楽し気な声が忙しなく湧いてくる只中。広場や街路に展開し列を成す屋台が、盛り上がりを街の端から端まで伝えてくれそうだ。

 屋台などを見ると、食べ物だけでなく絵画や学生の陶器なども展示されている。きっと自分の学校みたく、嫌々やってくる自由研究の如きものでないのだろうなという気がする明日美。日々の時間と出会いを新たに見出し続ける同い年位の和気あいあいが思い浮かばされる。

 本番が迫った今の時間帯、どんな事が始まるのだろうと明日美は落ち着かなげに辺りに注意を払っている。


 正午間際。その役割の人が広場に設置された高台に昇り、この時期に咲く花びらをバッと空に向かって蒔き上げた。


 皆色とりどりの花達が宙に舞う。

 さあ――、祭りの始まりだ。そう人々が息を飲む。



 と、思ったその時。


 ゴオオオン、ゴオオン……。


 明日美の耳朶を打った音がある。集まってきた人々の耳穴から脳へ入り心理を揺らした。音の源は街の中心にある時計塔。そこから発せられる街人にとっていつもの馴染み深い音だ。

 いつも通りの音。

 が、明日美と離れた場所で立つラントは楽し気な皆とは対極の面持ちを浮かべて立っていた。明日美は祭りとはどんな事をするのだろう、何をすればいいのだろうと辺りを見回す。

 ……。……。

やがて鐘の音が止んで。再度辺りを伺うも人々に動きは無い。発声は無く人々が無機質な壁になったみたいに。鐘が鳴って数分が経って明日美は気が付いた。


 …………。

 ……。




 ――街人は静止していた。





「え……」

 明日美は違和感が自分の体を満たすのが解った。


 ……街人は時計塔の周囲に点在する広場にそれぞれ集まり、各々そびえ立つ街のシンボルたる時計塔を見上げている。立ったまま、両手を下げて、畏敬の念を抱くかのように。

 その姿勢のままの人々は確固たる精神的不動を思わせた。頭髪なびかせる風を気にすることも無く人々は時計塔を見上げ続けている。感慨は無く発音無く、沈黙がその一帯を中心に何処までも広がっていた事に気が付いた感覚を覚える明日美。

 そんな彼女はこの辺りで只一人意識的に動いて止まない人だ。それ故に明日美は周囲に呼びかけた。だが返事は無い。こちらを見向く事も無い。ゆすってみる。応答無し。

 足に根が生えたみたく人々は街のシンボルに面を向けたまま凝固している。それも皆でだ。


 ――明日美は走った。

 一人自由に動けるのが自分だけという生まれて初めての意識に、例え難い戸惑いと高揚感を十二分に覚えながら。

(何が、どうなってるの)

 他の人が集まっているであろう別の広場に行ってみても同じ。皆場所は違えど時計塔を見上げて静止している。赤子すら声を発さない。


 ――。

 誰も、誰も居ないのか。動ける人間は?

 皆どうしてしまったんだ。


 そう両腕を構えながら何かと対峙せんとする構えのまま只管左右を見回し右往左往する。そんな彼女の耳に――誰かの立てる足音が聞こえた。半ば動乱気味だった明日美の心は一拍遅れてその足音の源に関心を逆立てた。

 反射的に振り向けばそこには。


「やっぱりあんたは動けるのか」

 青年整備士ラントが立っていた。祭りが始まる少し前まで動いて話す人間に対して何とも思わないのが普通だったのに、僅かな静止時間を経験しただけで今は驚きに身を固くしてしまう。彼はそんな明日美の様子を慮ったのか、彼女が今まで見た事の無い綻んだ表情を作って向けた。

「同じ余所者同士、動けるのは街に同化しきれていないって事だからな。幸か不幸かは置いておくとしてさ」

「      」

 そう半笑いで両手を見せてくるラント。そんな彼は明日美以外で動ける人。明日美はその様な存在を認識した事で自然と彼に向かって駆け出していた。



 ――……人々の時が無機質を思わせる固まり方をした。規則正しい流動を体現していた彼彼女らを視界に入れつつ。二人はそこらのベンチに並んで腰かけて話しを始めた。

「何から話すか……」

 ラントは正面を向いている。何年も住んでいる街で、人々が自活の無い人形の如く群を成している光景をその目に映しているはず。だが彼は明日美程の動揺を見せていない。明日美はそんな彼の横顔を注視し説明を待つ。

「毎年この時期になると人々は止まってしまうんだ」

「どうして」

 ラントは顔を上に向けて方向を示した。それを目測で追えばやはり一際背の高い街のシンボル足る時計塔に行き当たる。

「あれはネアで出来ているんだよ」

「ネアって文献で読んだけど人の意志に応じて形を変えるっているモノ?」

 ラントは一瞬明日美に視線を送ったが答える。

「そうだ」

 並んで座っている二人は正面に視線を戻し異様な光景を目の当たりにする。明日美は時計塔と目の前で可笑しなことになっている街人を結び付けて考察。

(時計塔の音がなってから止まったから、あそこからの音が人々を止めた? ……でもその時計塔を作ったのはここの人じゃないの)

 ラントが街の歴史と共に解き明かしていく。

「昔何も無い広大な空き地だったこの場所に、最初に時計塔が建てられる事になったんだ」



 ――……。

 どの様な場所を作り、どんなニーズに答え、自他抱える無意識の理想をどう体現していくかが問題なのはいつの時代でもそうだろうがこの街以前もそれが議論されていたらしい。

 昔人々の様々な考えが行き交いまとまらなかったその時期に、ある一つの意見が時間をかけて響き渡った。


 ――人々は朝起きて昼に活性化し夜に沈静する。これは皆変わりようが無い、そこでだ。皆この時間に沿って議論する時とそうでない時をしっかり分けよう。皆自分の思う街づくりはあれど、どの道一朝一夕で成るモノじゃない。まずは集まった皆で共同生活をしてみよう。


 皆それで意見の食い違いが解決するとは思わなかったが、意見の平行線が続く現状他に手立てが無いのでそうした。どんな議論をしても腹は空くし、各々理想とする街づくりには人手が必要である。まずは時間をかけて周囲の者達を説得していこうと当時の皆が暫定した。

 何かを成すには多くの他者の協力が必要不可欠な為、その他人に対して最低限の生体の維持は施そうとしたのだ。義理とはいえ相互扶助が広まり、リズムを合わせ他人をある程度気遣い自他共に意見を広く周知させようという動きを繰り返していると。


 人々はいつの間にか同じリズムで活きる身近な人々を助けるのが自然になりつつ。どの様な街にするか議論は続いていたが、当時の雰囲気と体制を維持するのが目的になってきた。


 最低限の生活を互いに送れる様にするだけで、議論は続いていた為目新しい独創性のある店などは無かった。共同生活の場の上には特別なモノは建っていないといえたが、代わりに人々の心の水面下では皆と同じリズムで活きようという意識が沈殿していた。

 なので議論の際言葉は変わりなくとも、発言者達の動機は変化し。

「こういう場所を作りたい」

 と言ってもそれは己の独創性を示し顕示欲を満たしたいだけでなく、馴染み深い他者の為になる独創性を示したいという形に変わったのだった。


 ……。




彼は締めくくる様に一際真剣な色を付けて口語した。

 ――時計塔の一成分であるネアは、街人から発せられる共同意識に反応する事で街人の意識に応じた形に変わった。皆違い合う事があっても時間は同じだ、なあに焦る事は無い、時間が経てば解決するさという人々の意識に応じて性質を変える時計塔……。

 長い間街人のシンボルとしての自覚があるのか定かでないが、只一つ言える事がある。


「どれほど立派にそびえ立っていても人の作った物なんだ。……いつかは壊れる。そして時計塔が止まる事で、ネアを通じてその時計塔の時と一心同体になっていた街人達の時も止まる」



 ――……。

 史実を語ってきたラントが口を止める。言葉を切った彼の横顔から明日美は視線を外し、今までの話を反芻する。相手が沈黙したままこちらの理解を待ってくれているのを感じながら、要所を抜き出そうとして返す。

「その、昔の人は競争相手と暮らしていく内に愛着が湧いて今の街を作ったんだ。それから時計塔を作って……あれ」

 明日美は自分で喋っていて矛盾に気が付いた。

「確か時計塔が先に出来たんだよね? じゃあ時計塔に込められたネアの方から人の意識に作用する事で今の街になったという事は無い?」

「その辺は意見が分かれる所でな」

 ラントは中天に輝く太陽を見上げた。明日美は目を細めながら倣う。時の止まった街世界を只管見下ろし続ける陽光源は止まったりしないのだろうかと思ったが、祭りの開始時期から少し動いている気がするので天体や自然には影響しないのだなと解釈した。明日美の頬を撫でていく微風もその証とした。

「周囲の街人は自分達の意志でネアを反応させたのか。それとも初期に時計塔が出来上がった頃には既に周囲の人間に影響をもたらしていて、その結果人々が同じ時間・リズムに合わせて生きようと考えたか」

 もしかすると時計塔創設者の意志を初期から汲んでいたネアが、自身と共にある時計塔に働きかけて性質を変えたのではという考察は街中にあったらしく……意見が分かれたという事の様。


 起因は創設者か、その他の人か。その辺の史実は精緻に伝わっていないのだ、とラントは言った。

 だが……あの塔がもしも人を引き寄せ、どんな人種も考察の違いもお構いなしに。自身の秒針のリズムに取り込める力を持っているなら、厳かで恐ろしい。

「……」

 明日美は時計塔に視線を向ける。

 和の輪広がり一体感ある街のシンボル。今までそう見ていたが今は違う。この街で生きとし生ける者全てのリズムを担い管理する畏怖の象徴と解釈してしまった。明日美は身がすくみ緊張気味の無心でシンボルを暫く見上げ続けた。



 ラントの一通りの説明を受けても心の底から納得出来ず。状況受け入れがたい明日美は固まった表情のまま特に何処に向かう訳でも無くラントと二人で歩いていた。ふと、よく見る人物がやはり立ったままで静止しているのに明日美は遭遇した。

「……セ」

 セルタ、という名前が口から出せず。不思議な世界にやってきて初めて人間らしい会話をした相手が造り物だったかの様に捉えてしまう。何処かしら信じ、依存していた対象がもぬけの空だった心象。

 彼女はいつもの役所務めの装いでなく、女性らしい華やかな私服に身を包んでいる。直立していて苦楽も無い悟った如き面持である。僅かに肩が上下している事からして無意識に呼吸は成されていると見える。が、内部まではわからない。

 目を凝らして爪先から頭の天辺まで注視する明日美。そんな彼女を見てラントが作業ズボンのポケットから何かを取り出した。仕事で使うであろう鋭利な刃物だ。数本所持している中のそれは新品の様で汚れが無い。

「え」

 得物を見て思考が固まる明日美を横目に、ラントは小型の刃物を持ったままセルタに近付いて言う……。

「アスミ。何となくわかるぞ、彼女や街の人々が機械仕掛けの造り物で人間でないのではと疑っているんだろ。だったら彼女らはあんたと同じく、血の流れる心ある存在だと証明してやる」

 どうやらラントは明日美の考えを読み、自分の好きな街人達の名誉を守ろうとしているらしい。彼が持つ刃物で腕の表皮一部に切り線を入れて血がにじむのを人の証しとしてみせようと言い放つ。彼の持つ刃物が光るのを見て明日美は思わず手を伸ばして止めた――が。

「安心してくれ。ほんの少しの切り傷だ。俺が、彼女らが止まっているからといって街の人を深く傷つける訳がない。何ならそういう自分の街人への敬愛をもここで示してみたい」

 自分より体の大きな男性が刃物を持ちながら、この街の人間への誠意を見せたいというシチュエーション。真っすぐに照射される彼の視線を受けて、明日美は刃物でざわついた心を鎮め何とか頷いた。

 そしてラントは宣言通り事を行った。

 結果は。


 セルタの腕から僅かに真紅のモノが滲む。

 鼻を近づけると――血の匂いがした……。




 ――。

「え? もう街人は止まったままなのかって?」

 明日美とラントは歩いている。ラントが歩みを止めぬまま明日美の問いかけに返事をする。

 実際にシンボルの針と共に止まった街人が植物みたく林々とする街の中を詳しく歩いてみようという事になり。二人並んでラントが一歩明日美より先導する形で進行している。その中途、祭り初見である明日美が至極湧き出る当然の問いを発したのだ。

 明日美は余所者ほやほやだがラントは街に住んで年月が経っている。たった一人で生きていくのだろうかと、相手を慮るみたく上目遣いになって聞いたのだ。ラントは相手に向きかけていた視線を正面に戻し、表情の起こりを鎮めた。ふっと一息半笑いを洩らして言った。

「まあな。何もしなけりゃね」

「貴方が高い所に気をつけろと言ったのは、立ったまま止まる人達が風であおられて階下に落ちないように……?」

「そ」

「健康に気を使ってるのは、貴方に何かあったら止まった街の人はどうしようもないからだったんだ」

「……ふっ。そうさ。高所を注意すりゃ風物詩みたいにからかわれるし。健康マニアとか言わるし。全く、人の気も知らねえでっ。俺に何かあったらお前らはどうするんだよ!」

 って言ってやりたいんだよ……、と彼は泣き言染みた台詞を言うが尻すぼみになる。

 ――。微風が傍の立ち木を揺らし、地に仰臥する金色の葉をからかう様に転がす。


「この事は街人さんに伝えなかったの?」

「何人かには伝えた……。が、言っても信じず。映像に残して見せたら、時期的に偶然人に作用しただけだと軽く受け流すばかりだった。時間という共通の常識がある限り何があっても大丈夫だという心理が働いているんだろう」

「それが仇になってる、と返すのは街人さんを傷つけるよね」

「想像に難くないな。皆承諾しないだろうがこの街を出れば時計塔との同化からは解脱出来るかもしれない……以前の様な生活は送れなくなるかもしれないが」

 ラントはそこで頭を振った。前を向いて改めて無言で歩き進むことを意識する。聞かずとも何処へ行くかは予想が付いた。そして前行く彼の姿を一歩後ろから見て追いかけて、明日美は彼の気持ちも慮れそうだった。

(競争よりも分かち合うここの人達を、真相を伝えず見守っていこうと決めたんだな)

 彼の生涯、その際まで。



 明日美とラントは時計塔に着いた。

 何もしなければ止まったままと、経験則みたく言っていた事からして街の時間が静止したのは今回が初めてでは無く再起の方法も見出しているらしい。現況の問題と思える場所に連れられてきたが、同時に問題を解決する糸口にもなると思わせるラントの素振り。

「まあ……こうするのが実際に正しいのかどうかは、やる度いつも思うんだがな」

 そういうラントはどんどんと時計塔内部の奥へと進んでいく。その中途明日美は内部構造を只管見回した。

 ――。

 深淵な知識を以て造り上げた機械仕掛けの城の様相。物理法則を丁重に扱い、地上の物質で法則を顕現した場所。複雑な機構が巨人みたく立ち尽くし、荘厳な金物光りする縦長の機微の塊と言えそうなモノが塔内を巡っている。

 無数の歯車が確実な動力を生み出し、細長の金属が他所へやり取りと力を伝える仕組みが大雑把に伺える。

 硬質な部品同士のこすれ合い、お互いを意識し合う密なる緊迫が張り詰めているのだと一見出来る。多くの小さな働きをまとめあげ、一つの大きな時計塔にするという均衡のとれた仕組みになっている……。



 単純にこの塔の時計を動かすだけの仕組みではなく、塔周囲の時計と連動するそれも含まれていそうだ。更に言えば、創設者が大きな時計と人の心を結び付ける音や周波などを発する事が出来る構造を作ったというなら――時計一つを動かすだけにしては大がかりな仕組みの外観とは思わない。

 何をどういじるのか、どの様な働きを担っているのか。皆目見当もつかない明日美。

 ラントは特に迷わず歩み寄り何かしらの作業をした後、一つのレバーの前に立つ。


「このレバーを引けば街人は時を取り戻すだろう」

 レバーが引かれる音が時計塔の一室に浮かんだ。


 ……。

 …………。




 ――――そして街に再び時が満ちる。

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