底は闇

家猫のノラ

第1話

「藤野くん、このニュースは知っているかい?」

学食のカレーを頬張っている最中、先輩に声をかけられた。手と口は止めずに顔だけ上げると先輩は新聞の見出しをこちらに向けた。

『観光用潜水艦引き上げ成功』

「あー、行方不明になったのは知っていましたが、見つかったのは今知りました。ギリギリ間に合ってよかったですねー」

観光用潜水艦が行方不明になった事件は昨日のお茶の間を少しだけざわつかせた。その時は酸素は残り24時間と絶望的に報じられていたが、朝の新聞に載っているということは無くなる前に救出されたのだろう。よかった。よかった。

「まあ酸素は間に合っていたんだけどもね」

僕の言葉は何一つ不自然でないはずなのに、先輩の返答はすごく含みのある言い方だ。気持ち悪い。なんだろう。

「藤野くん、よく見てみなさい」

先程の記事を押し付けられた。危うくカレーに入ってしまうところだったと文句を言おうとしたら、先輩は顎に手を当て、深く考え始めてしまった。先輩はこうなると何も聞いちゃくれない。仕方がない。吐息を吐いて、右手でスプーン、左で新聞を持つ。

カチャン。

「藤野くん、発見された時既に乗客は全員死んでいたんだよ」

カレールーの溶けきっていないざらつきが喉をなでる。

「死因は窒息だ」

熱くなった体が一気に冷えて寒い。

「だけど酸素は充分に残っていた」

牛乳を取る手が滑る。

「途中から吸う人がいなくなったのだから当たり前だね」

残ったのは酸素と遺体と争った形跡。

先輩は椅子から立ち上がり、丁寧に戻した。

「藤野くん、これは海の底よりずっと深い、人間の闇だよ」


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底は闇 家猫のノラ @ienekononora0116

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