ナノの森

松葉

単話


「この辺りがいいかな」

 男は、深い森の中に一人立っていた。

 ここは、伏見山脈の麓の樹海。

 溶岩の作った凹凸のある地形と他の木を苗床にして成長する特殊な木々の影響で、少しでも立ち入ればあっという間に報告感覚を失う奇妙な森だ。


 それは衛星通信が発達した現代でも決してオーバーな表現ではなく、特殊な木々の発する化学物質が電磁機器の機能を低下させ、使用不可能にしてしまう。


 男のスマホも例外ではなく、『圏外』の文字が表示されている。


 別名、『不死見の森』と呼ばれるこの森は自殺の名所としても有名だ。

 この森が自殺の名所となった理由は、大きく3つ。

 1つ目は、一度入り込むと脱出することがほぼ不可能なこの森の特異性だ。外から誰かが止めに来ることはないし、何よりも入り込んだ時点で後戻りは出来ないため、未練をきっぱりと捨てることが出来る。

 2つ目は、通信機器も使えないため、死後誰かに発見されるということがまずない。ひっそりと死に、野生動物の餌として処理されるのだ。まさに、自然に還ることが出来る。


 だが、最大の理由は3つ目、この天国のような景観だ。


 この伏見樹海は、決して不気味な森ではない。

 この特異性がなければ、完全に大勢の観光客で賑わう程の美しい森である。

 特殊な木々は、様々なものを養分として取り組む。様々な物質を成長の過程で取り込む為、様々な色をした木が存在している。


 青い木に、黄色い木。

 中には、木の葉が黄金色に光輝くものもあり、樹海の外では決して見ることの出来ない貴重な植物ばかりだ。

 

 今、男が立っている場所は、その中でも格別に美しかった。


 金色に輝く草。

 これ以上ないほどの立派な幹と枝。

 そして、燃えるように赤い葉を携えた木々達。


(よし、ここならいいな……)


 少し開けた美しいスペース。

 前任者のものか、その中央に位置する大きな木の枝の丁度いい位置に首をひっかける用のロープが取り付けられている。


 自宅で練習した時は、それはもう何度となくロープが切れた。

 頑丈で分厚いロープを、解けないようにしっかりと結びつけるのは至難の業だ。この大変な作業が既に完了しているというだけで、気持ちが楽になる。


 これから死のうとしているのに、楽になるとは何とも変な感じだが……。

 

 持って来た台をセットし、持って来た荷物を整える。

 意味がないことではあるが、服装も正装だし、髪も切ってきている。

 こういう意味のないことに拘るのが、今回の結果を招いたということは自分が一番わかっている。

 

 だが、これが自分なのだから仕方がない。


 目を閉じ、ふぅっと息を吐く。


ロープの輪っかを首に通すと、あの綱引きの縄を掴んだ様な独特の感覚を首筋に感じる。

「よしっ」

 目を開け、台を蹴ろうとしたその時だった。


 そんな自分の姿を、興味津々に見つめる瞳があった。

「う、うわっ!」

 驚きのあまり、台を蹴飛ばしてしまう。


「ぐっ……、わっ!」

 ググっと縄が首を絞めたと思ったのも束の間、ロープが劣化していたのか千切れてしまった。


 ドンっという大きな音を立てて、男の身体が地面に落下した。


「いてて……、あっ!」

 

 男は、瞳の方へ眼を向けた。

 そこには、小学生くらいの子供が、折れた木の幹に腰かけて座っていた。


 幽霊か? いや?

 人間の少女に見えるが、圧倒的に異なる点が一か所。

 それは、まさに動物のモノとみられる大きな耳が頭に生えていた。


「き、君は?」

 その少女は、キョロキョロと辺りを見渡す。

「い、いや、君の事だよ。そこに座っている君」

「わたしのこと?」

「そ、そう。そこで何をしてるの?」

「わたしはいつも通りだよ。ここで座って日向ぼっこ。たまに観察」


 いつも通り、ということはやはり人ではないのだろうか?

 自然に話してしまったが、言葉が分かることにも驚きだ。


「君は人? 何で言葉がわかるの?」

「人って種類のこと? わからないよ、呼ばれたことないから。みんなはナノって呼ぶけど」


 ナノと名乗るのそのケモノ耳の少女は、特に驚きもせず、逃げようともしなかった。

「ナノは、ここで何をしているの?」

「さっきも言ったじゃん。観察。あー、でもダメか……」

「え?」


 男は振り返ると、持って来た台の足がひどく折れてしまっていた。

 落下した時、もろに台に乗りそのまま破壊してしまったらしい。


「うああ……」


 別に、台が無くても自殺は出来る。

 しかし、その準備が、台がないと難しいのだ。


 ナノは、つまらなそうに溜息をついた。

 男の方だって、道具が壊れたので今日は諦めましたなんて言えるわけがない。

 何より、この森に入った以上、もう出られないのだ。

 かといって、餓死なんて辛すぎる。


 男はダメ元で、この森の住人らしきナノに尋ねた。


「ねえ、ナノ。この森で、同じようなところはないかな? 深い谷とか、登れるような高い木とか」

「あー、あるにはあるけど……」

 ナノは、渋々立ち上がり、ついてこいとジェスチャーをした。


 男は慌てて荷物を背負うと、ナノの後を追った。


「はぁ、はぁ……。速い……」

 ナノの身のこなしは軽く、まさに猫そのものだった。

 きっと彼女は猫族に違いない。


 自分が人生に絶望していなければ、彼女のことをネタに一儲けするとか考えるのだろうが、今の自分に野心は一片もない。


 今はただ、死に場所を求めてナノの後をついていくだけだ。


「ついたよ」

 ナノがどうぞと言わんばかりに大きな葉っぱをどけると、そこには巨大な谷があった。


 これなら、落ちれば確実に死ねる。

「おお、これならピッタリだ。ありが……」

「うーん、やっぱダメかもー」

「え、なんで? こんな谷、誰も助からないよ」

「んー」


 ナノは、なぜか気難しい顔をしていた。

 が、そんなこと男には関係のないことだ。


「じゃあ、ありがとう」

 男はさっきの広場と同様に荷物をまとめると、満を持して谷に飛び込んだ。


 が……、


「いてっ! いって!」

 何もなかったところに飛び込んだはずが、谷の所々に枝を張っている木々に引っかかり続け、見事無傷で谷の底に落下した。


「な、なんで……」

 谷の上部を見上げると、ナノが荷物をもって飛び降りてくるところだった。

 そして当然ながら、ナノも無傷で降りてきた。


「ナノ、ここは?」

「わからないけど、動物たちも何でも落っこちて壊れたの見たことない。だから、ダメだと思った」


 これは、不思議としか言いようがない。

 枝も頑丈でいて、しなやかであり、まるで命を支えるために生えているかのようだった。


 しかし、まだ諦める訳にはいかない。

「ナノ、他にどこかないの?!」

「うーん、あるにはあるけど……」

「連れてってくれ」


 やっぱりナノは、乗り気でないようだった。

 

 その後、男とナノは、樹海の中にある色々なスポットを回った。


 大きな川やケモノの巣、腐臭のする化学物質が滞留する沼地など色んな場所へいったが、とうとう死ぬことは出来なかった。


「なんだこの樹海は……」


 男の足は、もうボロボロのクタクタだった。

 だが、何時しか『死』ということをすっかり忘れてしまっていた。


「ここが、最後! もう終わり!」


 もうすっかり夜も更け、辺りは真っ暗になっていた。

 ナノは、樹海内の大きな湖に連れてきた。


「うっわぁ……」

 男は、思わず声を出した。


 確かに、大きな湖だ。

 この湖に入れば、おぼれられるかもしれない。


 しかし、目の前の光景はそんな邪悪な考えを吹き飛ばすほどのモノだった。




 満開の星空、それを映す鏡のような湖、その光に照らされ摩訶不思議な光を発する木々。


 男は景色に見とれ、立ち尽くした。


 今日一日、この樹海の様々な景色を見た。

 自然の大きさや厳しさ、そして何より優しさに触れた。


 ちっぽけな自分が馬鹿らしくなり、雄大な自然の様に多くを受け入れれば、変わるのではないか……。


「あのさ、ナノ……」

 男がナノを見ると、ナノは寝息を立てて眠っていた。


「連れまわしちゃったもんね。ごめん」

 男は、自分の服をナノにかけると、眠りについた。



 翌朝、男はナノにあることを告げた。


 それは、『この樹海で死ぬことは止めた』ということ。


 ナノは、ひどくがっかりした表情を浮かべていたが、ナノが紹介してくれた綺麗な自然を汚したくなかった。


「じゃあ、外まで送るよ」

 ナノはご飯といって木の実を数個男に渡すと、どこかに向かって歩き始めた。


 北に、南に、東に、西に。


 ナノがどこにどう向かったのか、全く分からなかった。


「ついたよ。後はここを真っすぐ行って」

 

 男の耳にも、はっきりと聞き取れる車の音。

 もう道路が近い証拠だ。


「すごい、この樹海から出られるなんて」

「ん……、もういいかな?」


 ナノは、すっかり男に興味を失った表情をしていた。

 男は、何やら申し訳なくなり、速やかにその場を後にした。


 ナノにとって、男は名残惜しくもなんともないのだ。

 ただ、『死』というものを観察できる対象でしかない。


 しかし、ナノは自分を救ってくれたことに変わりはない。


 男は、出口に向かって歩を歩めながら、『死』というものを意識しつつ、『生』を受け入れる覚悟もしていた。

 出口に近付くころになると、男の考えは変わっていた。


(もう少し、生きてみよう)


 あの壮観な光景を、もう一度見たい。

 ナノにまた会えるか分からないけど、ちゃんとお礼を言いたい。


 そう思いつつ、森から出た。


 男の持っていた電話が鳴る。

「おい! クズ! お前今どこにいるんだよ! 会社サボりやがって!」

「あ、えっと……。すいません、どこかわかりません! 自分でも何でここにいるのか……」

「ああん? 馬鹿なこと言ってないで早く来い! 未達なのにいい度胸だよなあ」

「未達! すいません、でも必ずやります! 見ててください!」

「……言うじゃねえか。その言葉、待ってたよ。よし、さっさと出社しろ。作戦練るぞ!」

「はい!」


 男は、電話を切ると、考える。


(あれ、何でここにいるんだっけ……。でも、何だろう。ものすごい開放感があるんだよなあ……)


「ま、いっか」

 男は、通りかかった車を全力で呼び止め、そのまま街へ戻っていった。






「んー、また観察出来なかったなあ。なんでかなあ……。みんな止めちゃう」

 森の中、ナノは例の木にロープを括り付け、また木の幹に腰かけた。


「今度は、観察できるといいなっ♪」

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ナノの森 松葉 @matsuba_hellen

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