其の終 お辞儀様

 あれから言ったどれくらいの日にちがたっただろう。一か月くらいは経ったか?


 そう思い私はカレンダーを見ると前回の取材から、まだ1週間とちょっとしか経っていないことがわかる。あの駅で出会った怪異におびえる日々が、私の中から時間感覚を奪ってゆく。


 次第に衰弱していくのを感じながら何もできずにいる私は、机の上に置かれている手帳を見つめながらため息を吐いた。


 私はこれまで、怪異に巻き込まれないように細心の注意を心掛けていた。だが私は結局、怪異に巻き込まれてしまった。


  私は手元に置いてある手帳を見ながら、これまでの出来事を振り返っていた。この不気味な街で私はこれまで、一体いくつもの異談を取材してきたか。


 初めて取材をしたのは今から30年も前になる。まだ十代だった私はどこからか湧き上がる未知への渇望を満たすかのように、この街の怪異を調べ回っていた。


 そこまで考えて私は、ふと自分が何故こういったことに興味を持つようになったのか? という疑問が頭の中生まれる。今年で齢45歳の私が初めて見聞きした怪異はなんであったか。


 たしか初めて興味を持つようになったのは......お見送り。


 そうだ、地元で行われていた”お見送り”という祭事が、怪異に興味を持つようになったきっかけであった。


 何故私は今までこの事を忘れていたのか。


 今の私のように時間の感覚がおかしくなる、あの不気味で一度みたら忘れられないはずの、あの祭事をなぜ思い出せずにいたのか。


 私は自分の中にある、言い知れぬ不安に目を背けながら立ち上がる。


「一度......行ってみるか」


 私の異談に興味を持つようになった原点。そしておそらくは、私の中にある最も根深い闇へと足を踏み入れた。



 あれから数日が経ち私は、自らの地元へと帰ってきた。実家は両親が亡くなってからすぐに取り壊してしまったので今は存在しない。


 だがそこは問題ないだろう。どうせここにいるのは、今日だけだなのだから。


 まずはじめに行く場所は、すでに決まっている。おじぎ神社と呼ばれる地元で有名な心霊スポットだ。


 ただ心霊スポットといっても神主も住んでいれば、昼なんかは参拝客もちらほ見かける至って普通の神社だ。


では何故その神社に向かうのか?


 理由は単純明快だ。その神社は今回の目的である"お見送り"の、スタート地点であるからだ。私はさっそく記憶を頼りに、おじぎ神社へと車を動かした。


 車で移動して十数分が経ち住宅街へ入る。そしてそのまま暫く進むと、住宅街の途中に見覚えのある"小さな山らしきモノ"が見えてきた。


 今回の目的でである神社は、この小さな山の上に建っているため、車は一旦近くのコインパーキングに止めた。それから徒歩で小さな山に設置されている階段まで移動した。


「昔と変わらないな......」


 私はそうつぶやきながら階段を上っていく。途中で近くの高校の野球部らしき子供たちが、階段を上り下りをしている。きっと部活のトレーニングで借りているのだろう。


 そんな子供たちにあいさつをされながら、2分ほど登っていると、ようやく鳥居が見えてきた。私が小さいときに見た時よりも、かなり劣化した雰囲気の鳥居が目に入る。どうやら手入れなどはあまりされていないようだ。


 そんなことを考えているとようやく階段を登り切った。息を切らす私の横を高校生たちが、元気よく駆蹴上がっては下るを繰り返している。途中あまりの疲労っぷりに心配もされたが、何とか登り切れて私は一安心する。


 私は記憶の中の神社と今の神社を見比べながら、進んでいくと何処かから声がかかる。その声のする方に顔を向けると、そこには見知らぬ顔の男性が神主の格好で歩いてきた。


「参拝ですか?」


 男は私の顔を見るなり、端的に質問をしてきた。特段隠すこともないので、その質問に私は正直に答える。


「いえ、こちらの”マサジさん”という名の神主に用がありまして」


 私がそこまで言うと男は、申し訳無さそうな顔で謝罪をしてきた。


「ああ、ご友人の方でしたか。申し訳ありませんが、先代は数年前に亡くなってしまったのです」


「そうだったんですか......」


 そうか確かにマサジさんは、昔会った時点で50歳は過ぎていた。あれから30年も経つのだ、少し不謹慎だが亡くなっていても不思議ではないか。


 私は肩を落としその場を去ろうとしたが、そこで今代の神主であろう男に呼び止められる。


「先代……いえ、父に何か用だったのでしょうか」


「ええ、お見送りという祭事について聞きたいことがありまして......」


 お見送りという単語を聞いた神主は少し考え事をするそぶりを見せ、しばらくすると何かを決心したかのように話し出す。


「自分が知る限りでよろしければ、お見送りに関してお話ししましょうか?」


「本当ですか!?」


 これは渡りに船の様な提案だ。もう諦めるしかないかと思っていたが、どうやらマサジさんの息子から”お見送り”について聞くことが出来るらしい。


「ただ自分も"お見送り"に関しては、あまり詳しいわけではないので、知りたいことをすべてお教えできるかはわかりません......それでもよろしいですか?」


「ええ、もちろんです!! おっと、自己紹介がまだでしたね。私は秋野と申します。ホラー作家をやっているものです」


「秋野さんですか。私は神田ユウタ、といいます。なるほど作家先生でしたか。ここでは暑いでしょうから、母屋でお話いたしますね」


 そう言うと神田さんは、炎天下の境内から神社の裏にある母屋へと案内してくれた。そして母屋に入ると、客室らしき部屋のテーブルを挟んで、お互い向かい合って座る。


「それでは、どこからお話しましょうか」


「そうですね。私が知っていることは、本当に少しだけです。お見送りにお辞儀様という役職があること。お見送りの最中はお辞儀様を見ないように、頭を下げなければいけないという事くらいですかね?」


「それ以外は知らないということですか?」


 神田さんは少し意外そうな顔で聞いてきたが、私は知らないものを知ってると偽っても、仕方がないので正直に話す。


「ええ、ずっと昔ですが。小さい頃に参加したような気はするのです。ですがいまいち内容は覚えていないんですよね」


 唯一覚えているのは、お辞儀様に関連すること。それから息が詰まるような、それでいて異様に長く感じるような感覚だけ。それ以外はあまり思い出すことが出来ない。


「わかりました。これなら最初からすべて話す方が早いかもしれないですね」


 そう言うと神田さんはお見送りについて話し始めた。



 まずはそうですね。この"お見送り"がどういうものなのかを、説明しましょうか。


 この"お見送り"とはこの神社で、昔から行っている供養なのです。

 

 何を供養しているのか? これまで数多くの怪異を取材されている秋野さんなら、薄々気がついているのではないですか?


 そうです。この街に潜む怪異……簡単に言うと怨霊の類を供養しているのです。


 何故供養しているのかですか?


 これも簡単なことです。この街はなぜだか、他の街に比べて怪異の数が多い。もしそれを放って置くと、怪異がこの街に蔓延ってしまうからです。


 ここまではこの"お見送り"をやる理由についてお話しましたが、次は手順についてです。


 まず"お見送り"には大きく分けて3つの儀式がが存在します。


 まず1つ目は、禊の儀です。これは神社にある井戸から湧き水を汲み取り、その水で体を清める儀式です。


 2つ目は、鎮魂の儀です。これは特定の家系に属する人が、周囲を取り巻く怨霊を舞で鎮める儀式です。


3つ目は、見送の儀です。これは秋野さんも知っているものですね。"お辞儀様"と呼ばれる役職の人が、この儀式の終着地点に向けて鎮めた怨霊を導く儀式です。


 1つ目と2つ目の儀式は比較的どこでもやっているようなものなので、珍しいことはありません。ですが3つ目の"見送の儀"はこの神社以外で、やっているところは私も知りません。


以上が手順になります。


今と昔で変わっているところですか?


 私がここに住み始めたのは今から15年ほど前ですが、そのときには既に今の形で祭事を執り行っていましたね。


 ああ、そう言えば。先代から聞いたことなので、実際はどうであったか定かではありませんが……昔は2つ目の儀式の際に小さな祭りごとをしていたらしいです。


 そうですね。夜店のようなものだと思います。


 それ以外は別段変わったことはないのではないですかね。先代からも特に何も聞いたことはありませんので。


ええ、では話を戻しますね。


 それで3つ目の儀式の話なのですが、行先は特定のルートを通って、今は"神奈市"と合併されてなくなってしまった、"旧かんなき村"と呼ばれる村に向かいます。そしてその村こそが、この儀式の終着地点でもあるのです。


 その村がどこにあるのかですか?


 ……申し訳ありませんが、それを教えることは出来ません。理由は儀式の役職の人の安全を守るためです。最近では色んな宗教が増えてきましたから、どうしてもこの儀式にも難色を示す方が増えてきているのです。


 非常に難儀なものですがこれも時代の移ろいだと、諦めなければいけない部分があるのかもしれません。そういうことなので、場所を教えることは出来ないのです。


 ええ、他になにかあるのであれば……お辞儀様の名前の由来ですか?


 これは儀式の内容に由来するものなんですよ。それでは詳しく説明しますね。


 "お辞儀様"はこの儀式の役職の一つです。基本的に街の人で選ばれた方がお辞儀様の衣装を着て、ただ目的地まで従者と一緒に歩いていくだけというモノです。


 この目的地に行く際は特定のルートを通ります。この時近くに居た住民は"お辞儀様"をみないように、頭を下に向けなければなりません。この姿がお辞儀をして送り出すように見えることから、役職の方を"お辞儀様"と呼ぶようになったんです。


 呼ぶようになったというのは、それまでは役職に名前がなかったからなんです。じっさい"舞を踊る役職"には、今も名称がありませんから。


 "お辞儀様"を決める基準ですか? これは私ではなく役所が決めていることなので、わかりかねますが特に深い理由などは無いのではないですかね。年齢や性別は毎回違うみたいですので。


 強いてなにか有ったかと言うなら、昔"お辞儀様"になった子供が学校で、モテはやされた事があったじゃないですか。特別なにか有ったのは、それくらいだと思います。



「私が知るのはこのくらいですかね?」


 神田さんはそう言うと、一回咳払いをしながら、チラチラとこちらを見ている。


……まあ、取材に報酬は付き物だろう。私は懐から財布を取り出し、心ばかりのお礼を渡す。


「いやー申し訳ありませんね。今どき賽銭をしてくれる方は稀なのです。神社の維持管理や祭事と出費で、懐がさみしくなるばかりですし」


 そう言いながら苦笑いを浮かべる神田さん。苦笑いを浮かべたいのはこちらでは有るが、非常に有意義な時間を過ごせたのでここは我慢だ。


「いえ、神田さんに色々教えていただけたので、私も助かりました。何かありましたら今後ともよろしくお願いします」


 私はそう言うと、一度立ち上がり変える支度を始める。すると再度、神田さんがわざとらしく咳払いをする。


 私は少しうんざりしながらも、態度には出さないよう努めながら神田さんの方を向く。神田さんは少し何かを考えるような素振りをして、まるで誰にもバレない様に注意しながら呟き声を出す。


「あー……そう言えば今この街の南西の山道では、綺麗な山間の景色が見れたっけな」


「……ありがとうございます」


 神田さんのわざとらしい呟きに、少し笑いそうになったが私は素直に感謝を伝えた。すると神田さんは少し申し訳無さそうにまた呟き声を出す。


「いえ、ただの独り言ですから、気にしないでください」


 その言葉を最後に神田さんは、母屋の奥へと入っていった。それを確認し支度を終えた私は、直ぐに神社を後にした。


 神社を出た私は一度役所へ向かう事にした。理由はお辞儀様を決めるのは役所であると、神田さんが言っていたからだ。


 まあ、恐らくは知らぬ存ぜぬで門前払いだろうが、試してみる勝ち価値はある。もしかしたら面白いものが聞けるかもしれない。


 そうして私は車に戻ると役所に向けて移動した。


 結論から言うと、予想通りの門前払いだ。それどころか役所では、そのような祭事の執り行いを認可していないと言ってきた。


 そんな事はあり得るのだろうか? 一度図書館に行きパソコンで情報を調べてみると、確かに道路などで祭事を行う際は役所の認可が必要なことが書かれていた。


 "お見送り"はむかし夜店などもやっていたようなので、役所に届け出を出していないということはないと思うのだが。


 まあ、私も専門家ではない。もしかしたらそういったものに抵触していないこともあり得るのか。私はそう自分に言い聞かせながら役所を後にした。


「さあて。後3時間もすれば日がくれてくる。急いで旧かんなき村に向かおう」


 探すのは良いがどうしたものか。南西の山と言っても幾つも道がある。一つ一つ潰していくとなると時間がいくら合っても足りない。


「ちょっと待てよ? そう言えば"お辞儀様"は俺の家の近くを通ってたな」


 私は今一度自分の記憶を辿る。昔見たあの不思議な光景を思い浮かべる。皆が"お辞儀様"に頭を下げている光景。そしてそのまま皆を横切りずっと真っすぐ歩いていく光景。


 そこまで思い出すと私は、一度考えるのをやめた。


「なんだ。そういうことか」


 なんでこんな事を忘れていたんだ。今思うと神田さんが、何故あそこまで親身に対応してくれてたのかがわかった。


「……行かなくちゃ」


 私はこれまでの出来事を自分のノートに書き記すと、それを助手席に置き車から降りた。


 あの時の続きを始めなくてはならない。きっと手遅れかもしれないが、それでもせめて私以外の街のみんなだけは許してもらえる様に……


 記憶を辿るように私は、おぼつかない足取りで南西へと……あの村へと向かった。

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