小さい女だ
川越の家を出て、帰路に着く。
スクランブルまで約10分、スクランブルから家まで、5分。
歩きながら、なんであんなことをしたんだろう、と、一瞬考えて。
バカバカしくなってその思考を放り投げた。
アレは八つ当たりだ。
それも最低な形での暴力性の発露だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
川越には悪いことをしたと思うけれど、それを謝罪することも出来ないし。
ならば、私は最悪の人間だと、自分を責めることすらも出来ない。
帰り道、指のにおいを嗅いでみる。
据えたにおいに、眉間にシワが寄った。
帰ったらまず手を洗おう、と心に決める。
なんだかなぁ、と独りごちてみて。
そんな言葉では何も変わらないことに溜息をついてみたり。
川越の気持ちは、私の想像を軽く超えていた。
私に告白をしてきた時の川越は、あそこまでじゃなかった気がするのだけれど。
それでも今の川越があそこまで私を想っているのならば。
その変化に気付いていなかったこの数ヶ月の私は、本当に取り返しのつかないことをしていたのだと思う。
その結果がコレなのだから、笑い話にもならない。
川越は私のそばからいなくなるだろうか。
それとも私が、川越と気まずくなって距離を取ったりしてしまうだろうか。
「それは、嫌だな」
想像したら、陰鬱な気分になってきて。
けれどそんな言葉や気持ちとは裏腹に、口角は上がる。
自嘲。
今更そんなコトを考えて何になるというのだろう。
しっかりヤることはヤってしまったのだから、なるようにしかならないのだ。
家に着いて、洗面所へ。
手をしっかり、これでもかと言うほどキレイに洗って、自分の部屋へ上がろうとして。
途中、階段を登り始める前に妹に声をかけられる。
「お姉ちゃんおかえり……怖い顔してる」
「そう?」
「何かあった?」
「まあ、色々とね」
何も無かった、とは言えなかった。
無かったことには出来ないし、何も無かったと言うのは、川越に対する裏切りのように思えた。
小さい女だ、私って奴は。
「お話、聞こうか?」
「大丈夫だよ、ご飯食べて寝たら元通りだから、多分」
妹は夕飯の準備をしていたのだろう、私の応えに不満そうにしながらも、キッチンへ戻っていく。
その深追いしてこない感じが、今は心地良かった。
甘やかされてるなぁ、私。
自分の部屋に入って、カバンを机の上に適当に置いた。
課題が出てるし、やらなきゃなんだけど。
そんな気分にはなれなくて、制服のままベッドに飛び乗った。
呻き声を上げたくなって、そんなコトを出来るような身分じゃないと気付く。
ジメジメした気分。
自罰的にならざるを得ない。
このまま寝てしまおうか、そう考えて。
実際に、私の意識は深く沈んでいった。
次に目を覚ましたのは、早朝だった。
いつも起きる時間の2時間前、寝たのが2時間どころでなく早かったのを考えると、寝すぎたと言える。
身体全体が重いし、軽く頭痛もある。
寝過ぎと、水分不足。
制服のまま眠ってしまったことを理解するのに少し時間を要して、カバンを持って部屋を出る。
階段を降りて、カバンを玄関に置き、キッチンへ。
冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出して、グラスに注いで飲み干した。
冷たくて、喉が絞まるのを感じる。
不快だったけれど、もう一杯飲んで、麦茶を冷蔵庫にしまった。
冷蔵庫に小鉢と片手鍋があるのを見つけて、取り出してみる。
中を見てみると、鍋には味噌汁、小鉢には副菜らしきもの。
見えにくい奥の方にあった皿を引き出してみると、焼き魚。
恐らく全て昨日の夕飯、私の分。
「しまったなぁ」
全て温め直して、食べて、皿を水につけて家を出た。
時間はいつも妹が起き出してくる時間のほんの少し前だ。
夕飯をすっぽかしてしまった手前もあるし。
何より妹と顔を合わせると、昨日のことについて聞かれたりしそうなのもあって、それが気まずくて顔を合わせないことにした。
妹は私より早起きだから、ゆっくりしているとすぐに顔を合わせることになってしまう。
イヤホンをつけて、学校へ向かう。
今日は「Scars on Broadway」の「Dictator」を垂れ流している。
何も考えたくない時のうるさいロックは思考のノイズになって心地良い。
登校時間は相変わらず嫌いだけれど、いつもより早い時間というのもあって、人並みにも変化がある。
いつもより学生服を着ている人が多い気がした。
スクランブルの辺りまできて、足が止まる。
たくさんの学生服の中で、一際私の目を引く学生服がいたから。
重たくてまとめるのが大変そうな長い黒髪、本を読むために伏せた横顔。
静かだけれどどこかおぼつかない足取り。
…………川越だ。
「川越……」
思わず声を掛けようとしてしまってから、片手で自分の口を塞ぐ。
昨日の今日で、どんな顔をして会えばいいのだろう。
けれどそんな私の不安を知ってか知らずか、バッチリと聞こえていたらしい川越は、顔を上げてあちこちへと目線をさまよわせ。
最後にこちらへと振り返り。
そして目が合えば、本で口元を隠し、目だけでにこり、と笑ったのだった。
王子様と文学少女 茉莉花茶 @jassmiiiiin
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