こんなに惨めなのに
センパイに抱かれた。
その事実だけで、夢心地。
まだ身体がふわふわしていて、なんだか現実味が湧かない。
薄暗い部屋で、センパイに抱きしめられながら、まぶたを閉じた。
私の重たい髪を梳くように撫でる手が気持ちよくて、一層距離を詰めるために強く抱き締める。
「苦しいよ、川越」
センパイは笑いながらそう言って、ぽんぽんと私の背中を優しく叩いた。
気持ちいい。
情事の余韻と緩い倦怠感に、まだ身体が支配されていて、上手く動かなくて。
それがもどかしいのに、こうしてセンパイがそばにいることで、こんなにも満たされている。
「ねえ、夏だから風邪は引かないかもだけどね、ずっとそのままだと、さすがに……」
センパイの指が、私の背中を、背骨をなぞる。
思わず背が丸まって、強くセンパイの制服を握ってしまって。
そんな私の反応に、センパイは楽しそうに吐息を漏らす。
「まだ足りない?」
「足りないって言ったら、まだしてくれるんですか?」
「えー……疲れた」
「なんですか、それ」
まぶたを開いてセンパイの顔を見上げるとセンパイは、私に初めて向けるカオで、私を見ていた。
いつもの真顔とは違う。
いたずらっ子のような笑みでもなく、困ったような笑みでもなく。
まるで妹ちゃんに向けるような、優しい笑み。
私もつられて笑みを浮かべていたはずなのに、視界がぼやける。
そんなカオを、私に向けないでほしい。
そんなこと言えないけれど、抗議のしようもないけれど。
「なんで泣くの?」
「わかん、な……なんでって、私も……」
こんな面倒くさい女を前にしてなお、センパイの声は変わらず優しい。
そんなだから無駄にモテるんだと、思うのだけれど。
同時に、そんなあなたが好きなんだと、叫びたくなる。
自己嫌悪。
「仕方ないなぁ」
笑みの混じった囁きが私の耳を溶かして、それからすぐ、頬に唇が降りてくる。
そのままその唇は鼻に、唇に、首筋に。
その柔らかさに、ひとつひとつの優しさに、私の身体は過剰なほどの反応を返す。
今日が初めてだからとか、慣れてないからとか、それだけじゃなくて。
大好きだって、嬉しいって、そういうの全部丸出しで、恥ずかしい。
「痛かったら、言ってね」
センパイは掠れた声でそう言って、私の中に入ってくる。
私にそれを拒めるはずもないし、私が拒まないとわかっているからセンパイはそうする。
私が声を上げるとセンパイは指の動きを変える。
性格の悪さを隠そうともしない、私を啼かせるためだけの動きに変わる。
そうして私を虐めあげて、最後には一番高い所まで連れていく。
ああ、ダメだ。
溺れてしまう。
こんなに幸せなのに、涙が止まらない。
「愛言、可愛いよ」
何度目かわからない、なんでもないようなそんなセリフが。
吐息と一緒に私の耳から入り、脳を揺さぶっていく。
こんなの、知らない。
知りたくなかった。
こんなに惨めなのに、気持ちいいなんて。
結局、私はあの後二度果てた。
ぼやけた視界の隅で、センパイはティッシュで指を拭いて、そのティッシュをポケットにしまう。
「動ける?」
無理です、と言おうとして。
声が全然出ないことに気付いて、首を横に振った。
センパイはまた妹ちゃんに向けるような笑みを浮かべて、私の髪を撫でる。
私の髪は汗で湿っていて、元から重たいのに、更に重たくなっているだろう。
「そろそろ帰るよ、遅くなってもアレだし。妹も心配しちゃうし」
ああ、もう終わるんだ。
今日はもう、終わってしまうんだ。
それはなんだか、寂しいな。
立ち上がろうとするセンパイのスカートの裾を、つまんで引いてみる。
身体は疲れ果てているはずなのに、その手の動きは、いつもと変わらないような、普通の動きだった。
どれだけ必死なの、私。
「………………ダメだよ、川越。これ以上は、ダメだ」
センパイはもういつも通りのセンパイで、真顔で、首を横に振る。
眉を下げることもしない、笑みを浮かべることもしない。
冷たいなぁ、と思ったり。
「私はやっぱり、彼女にはなれませんか……」
私の掠れた小さな問いかけに、センパイは応えてくれない。
代わりに覆い被さるようにして、私の上に乗ってくる。
センパイの長い髪が私の頬をくすぐってきて、センパイの顔を見ようと思ったら目を塞がれる。
また、何かを間違えたのかもしれない。
私が小さく声をあげたのを咎めるように、センパイの唇が降りてくる。
唇を塞がれたと思えば、舌が唇を割って侵入してきて、私は身体を跳ねさせる。
前歯の付け根を舐られ、反射的に口を開けば、舌は更に深く入って来る。
絡め取られる、舌も、息も、声も。
こんな誤魔化しのためのキスで、私は悦んでいる。
ああ、本当に、惨めだ。
数秒か、数十秒か、それくらいの時間が過ぎて。
センパイは私から離れていく。
「今日はここまで、かな。またあしたね、川越」
「…………はい、センパイ」
センパイは、今私が立てないことをわかっている。
だから見送りには行かない。
センパイはカバンからペットボトルのミネラルウォーターを取りだして、私の横に置いた。
「水分補給は、しっかりね」
それだけ言って、センパイは部屋から出ていく。
静かに扉を閉めて、静かに階段を降りていく。
私は耳に届く微かな足音を聞きながら、ペットボトルの口をひねる。
開いている。
飲みかけの、ミネラルウォーター。
家のドアが開いて、閉まる音。
なんだかその水を飲む気じゃなくなって、口をしめて、ベッドの下に落とした。
鈍い着地音を立てたペットボトルは、音を聞くに転がって壁にでもぶつかったらしい。
足元に蹴飛ばしていたブランケットを被って、眠ることにする。
疼いて仕方ない下腹部に支配されないように、祈りながら。
またあした、と言ってくれたセンパイに。
また明日、ちゃんと会うために。
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