第4話 堂々巡りと袋小路

 絵画にいそしみながら、大学生になった頃には、つかさはまた小説を書くようになっていた。

 晴美も、あれから小説を書けるようになったらしく、別々の大学に進んだこともあってなかなか会うこともなくなったが、つかさの中で晴美を意識していた。

 だが、晴美の方では、つかさのことをそれほど意識しているわけではなかった。

 大学というとこと、晴美が思っていたよりも、結構楽しいところで、毎日が明るい自分を表に出すことのできるバラ色の世界だと思うようになっていた。

 一日前のことがかなり遠い過去のように思えている。それだけ毎日毎日を漠然と過ごしているようなのだが、その中身は濃いものだという錯覚をしていた。

 大学時代の毎日は、高校時代までとはかなり違っていた。高校時代までは人が近くに寄ってきただけでも避けてしまうような、精神的には引きこもったような性格だったと思っていたが、大学に入ると、自分からまわりの人に話しかけられるようになっていた。

――ひょっとして、自分の中でこういう自分を羨ましく感じていたのかも知れない――

 人と話ができる人を羨ましく思っていたというわけではない。

 気の知れた相手以外と話をすることは、煩わしい以外の何者でもないと思っていた。だがそれが錯覚であることにある日気がついた。それは大学に入って最初に友達になった人の影響が大きかったのだ。

 その人は最初近づいてくるなり、

「こんにちは、あなたは趣味で小説を書いているんですか?」

 と唐突に聞いてきた。

 あっけに取られている晴美を見て、

「やっぱりそうなんですね。私も実は密かに小説を書いているんですよ。まあ、小説といっても、日記に毛の生えたような感じなんですけどね。でも、それだけに今までは恥ずかしくて誰にもいえなかったんですよ。それに自分のまわりに小説を書いているような人はいなかったようですしね。大学に入ればいろいろな人がいると思っていたので、いつかは同じ趣味の人を見つけることができると思っていましたけど、こんなに早く見つけることができて光栄ですよ」

 と言ってくれた。

 その人は名前を欅瑞穂と言った。どうして瑞穂に晴美が小説を書いているということが分かったのかというと、

「勘なのよ。根拠があるわけではないので、何とも言えないんだけど、あなたを見た時、小説を書いている姿が目に浮かんできたの。だから思わず声を掛けてしまったのね。本当は恥ずかしくて人に声を掛けることなどできる方ではないんだけど、たまに急に度胸が据わることがあるの。おかしいでしょう?」

 と瑞穂は言った。

 晴美は瑞穂を見ながら、

「そんなことはないと思うわ。でも、よく声を掛けてくれたって思うわ。私も最近やっと人に声を掛けることができるようになったんだけど、一度度胸がつくと、どうして今まで人に声を掛けられなかったのかって思うくらいなの」

 という晴美に対して、

「私の場合は、よく周りから、『二重人格なところがある』と言われるけど、私はそれを皮肉だと思いながらも別に気にはしていないの。それどころか、『多重人格よ』と答えるほどなのよ」

 と瑞穂が答える。

――それこそ、皮肉なんじゃないの?

 と心の中で呟いたが、

――彼女にとっての皮肉って何なのかしらね?

 とも思うのだった。

 皮肉と分かっていて意地を張っていないことが、皮肉を気にしていないというのは乱暴な考え方なのかも知れない。

「でも、時々大胆になれるというのは、私には羨ましい気がするわ。今の私はきっとまわりから見ると軽薄に見えるかも知れないと思うのよ。でも、それを悪いことだと思えないほど、大学に入ってからの毎日に楽しさを感じるし、余計なことを考えないようにしようと思うのよ」

 という晴美に対して、

「それだけあなたは、まわりが明るく見えているのよね。逆に言えば、これまでの生活に明るさがほとんどなかったということの裏返しなのかも知れないわね」

 と瑞穂は答えた。

「でもね、自分の書いている小説は、自分の感情が変わっていくのが分かっているのに、書いている内容は前と一緒なの。もちろん、自分の作風というのが凝り固まってしまっていることで、まわりの環境の変化に左右されないというのは当然おことなのかも知れないけど、もっといろいろな小説を書けるようになりたいというのが本音なのよ」

 晴美の小説は完全に春日博人の作風を模倣していた。晴美本人としては、

――これは私オリジナルの小説なのよ――

 と思っているが、晴美の作品を読んだことのある人で、春日博人の作品も読んだことがある人は、

――作風がソックリだわ――

 と感じることだろう。

 高校時代までは、つかさにだけは見せていたが、他の人にはとても見せられないと思った。それは小説を書いていることを知られることが恥ずかしいといううよりも、作風について何かを言われることを恐れていたのだ。

 ただ、つかさも晴美の小説を読んで、作風が似ているのは分かっているだろう。実際に何度か言われたことがあった。

「さすがにいつも春日博人の作品を読み込んでいるだけのことはあるわね」

 と言われていたが、なぜかつかさに言われても、気になることはなかった。

 もし、他の人から同じセリフを言われると、ショックから小説を書けなくなるかも知れないと思ったほどだ。だが、大学に入ってから知り合った瑞穂にもつかさのようにハッキリと言われたとしても、ショックを感じないのではないかと思われた。

 つかさと瑞穂は別に似た性格というわけでもない。むしろ似たところはなかなか見つからないような気がした。しかし、晴美の中では、自分との相性という意味では、つかさが相手の時と、瑞穂が相手の時とでは、どちらとも言えないほどに相性がバッチリのように思えてならなかった。

「瑞穂ちゃんも小説を書いているんだったら、一度読み合いっこしませんか?」

 という晴美の申し出に、

「ええ、いいわよ。ただ私の作品は日記に毛の生えたようなものなので、退屈かも知れないけどね」

 と瑞穂は言った。

 お互いに自分の小説をプリントアウトして、交換し合った。このようにしてネットや出版物以外で人が書いた小説を読むのは初めてだった。つかさが小説を書くようになった頃は、お互いに受験勉強もあって、なかなか会うこともなかったからであった。つかさが小説を書き始めたことは知っていたし、読んでみたいという意識もあったが、機会に恵まれることもなく、お互いに別々の大学に進学したのだった。

 瑞穂の小説を読んで、

――誰かの作風に似ている気がするわ――

 と感じたが、それが誰なのかすぐにはピンと来なかった。

 晴美は一番好きな小説家として春日博人を筆頭として、大学に入ってから、本を結構読むようになった。中学の頃までのように、文章を途中で飛ばしてセリフだけを読むような読み方をしなくなったからだ。

 大学というところは、自分を明るい性格にしてくれたのと同時に、気持ちに余裕を持たせてくれた。人生で一番自由な時間を満喫できて、いろいろ許される時間であるということも精神的な余裕に繋がったのだろう。

 ネット小説だけではなく、本屋で文庫本もたくさん買って、毎日少しずつではあるが読むようにしている。

 しかし、一定以上の時間、本を読むことはしなかった。その理由として、

――自分の作品が荒れてしまうから――

 というのが本音だった。

 作品が荒れるというのは、少し乱暴な言い方だが、人の作品が影響を及ぼすのが怖かった。せっかくオリジナルな作品を人の作品で汚されたくないという思いだったのだ。

 他の人なら、

「プロの作品を読んで、いいところを真似して書けるようになれるのなら、それでもいい」

 というかも知れない。

 しかし、晴美にはそれが許せなかった。あくまでも自分オリジナルな作風でなければいけないと思っていて、人の模倣などと言われるのが、一番の屈辱だと思っていた。

 ただ、そう感じるようになったのは、大学に入ってからだった。高校時代までは、人の作品に似てしまっても、それでも書けるようになれるのならそれでもいいと思っていた。それこそ、

――他人と同じでは嫌だ――

 と感じている晴美らしいのだが、大学に入って、初めてそのことを思い知った。

 それも気持ちに余裕を持てるようになったからなのか、その時間、自分を見つめなおす時間に使っているように感じる晴美だった。

 瑞穂の作品は、

――何も隠すところのない作品―-

 のように感じた。

 あけっぴろげなところが潔く、

――潔い作品?

 そう考えると、喉元まで出掛かっているその作家の名前が出てこないことがじれったいと思いながらも、

――何となくだけど、思い出さない方がいいような気がする――

 とも感じられた。

 複雑な感情が重複している感覚に、頭の中で何かの音楽が鳴っているのを感じた。

 昔聞いたことのある音楽で、オールディーズとでもいうべきスタンダードな曲だった。

――何なんだろう?

 こちらの方が気になっていた。

――ひょっとすると、その作家の作品を読んでいた時、よく聞いた音楽なのかも知れない――

 思い出せそうで思い出せない憤りを感じてはいたが、頭に残ったこの音楽が、

「思い出す必要なんてないのよ」

 と言ってくれているようだった。

 数日経ってから、それぞれ相手の小説を読んだので、それぞれに原稿を返すことになった。

「どうだった?」

 と最初に聞いたのは、晴美の方だった。

「なかなか面白い作品だと思ったわ。少し難しいようなところもあったけど、言いたいことは伝わってきたわ。私も読みながら情景が浮かんでくるようで、読みやすかったというのが印象だったわ」

 と瑞穂が言ってくれた。

「そう言ってくれると嬉しいわ。小説を書いている時って、本当に集中しているからなのか、時間が経つのもあっという間なのよ。まるで相対性理論のようね」

 というと、

「そうね。浦島太郎の玉手箱のようね。ひょっとすると、その間だけ、別の次元に行っているかも知れないって思うくらいなのよ」

 と言っていた。

「瑞穂さんの作品も新鮮な感じがしたわ。読んでいるうちに、昔懐かしい音楽が、耳元で響いているような気がしてきて、読んでいて時間の感覚がマヒしてくるくらいに感じられたわ」

 と晴美がいうと、

「それは褒め言葉と思って受け取ればいいのかしら?」

 という瑞穂に対し、

「もちろん、そうよ。今の言葉が何かの皮肉のように聞こえたというの?」

 表現は少しきつめだが、気持ち的にはそんなに挑戦的なものではなく、思ったことを言っただけだという思いが晴美には強かった。

 瑞穂もそれを分かっているようで、

「ありがとう。私は小学生の頃、ずっとピアノをやっていたので、音楽の話をされると、少し複雑な気がするの」

「どうして?」

「小説を書くようになってから、ピアノをやめたからなのよ。本当は十分両立はできると思ったんだけど、私の中での両立はなぜかありえないと感じたのだ。だから、まわりは私がピアノをどうしてやめるのか分からない。もったいないといってくれたんだけど、私はきっぱりとやめたのよ」

「ピアノが嫌いになったというわけではなく?」

「ええ、もちろん。でも、本当は小説を書くようになってからやめたわけではなく、小説を書けるようになってからやめたというべきかしらね」

「じゃあ、小学生の頃、小説を書こうと思っていたというの?」

「ええ、思っていたんだけど、どうしても書けなかった。書けそうな気はしていたの。だから書けるようになるには、何かのきっかけが必要だって思ったの。でも、これがピアノとは関係のないところだったんだけどね」

 と瑞穂は言った。

「私は絵画をやっているんだけど、今は絵画も両立したいと思っているの。瑞穂さんとは逆に、絵画をやめてしまうと、小説も書けなくなってしまうような気がしてですね」

 と晴美は言ったが、それは半分本心で、半分は気になっているところだった。

 晴美の表情からそのことを悟ったのか、

「大丈夫ですよ。絵画との両立はできると思いますよ」

「どうしてですか?」

「私は絵画はあまり興味があるわけではないんですが、以前に高校から美術鑑賞に行ったんですが、その時に美術館の館長さんが最初に説明してくれたんですが、その人の話が印象的だったんです」

「どういうお話だったんですか?」

「その館長さんも、以前は絵を描いていたらしく、二科展にも何度か入賞したことがあるような絵描きさんだったんです。その人が自分の経験からということで話をしてくれたんですが、『絵画って、目の前にあることを忠実に描き出すのではなく、時には大胆に省略することも大切なんです』って言われていたんです」

 という瑞穂の話を聞いて、

「私もその言葉、どこで聞いたのか忘れましたけど、印象的な話だったと思って記憶していたんです。今から思えば、私が絵を自分なりに描けるようになったきっかけになったお話だったのではないかって思っているんです」

「そうだったんですね。絵描きの人というのは、それぞれ個性があるんでしょうが、人と違う感覚で描いていると感じながらも、共通の認識を持っているのかも知れませんね」

 と瑞穂がいうと、

「小説もそうなのかも知れません。もちろん、大胆に省略することが小説に必要不可欠なことだとは言いませんけど、小説を書いている人の間で、無意識な暗黙の了解のようなものが存在しているんじゃないかって思っています」

 と晴美が答えた。

 自分で答えていながら、

――この考えは私の考えというよりも、つかさの考え方に似ているのかも知れないわ。私はいつの間にかつかさに影響を受けていて、一緒にいなくても、その影響力に変わりはないんじゃないかしら?

 と感じていた。

 目の前にいる瑞穂と話しながら、いつの間にかつかさを思い出しているということは、目の前の瑞穂とつかさが似通っているところがあると感じているのだろう。だが、話をしている分には、つかさとは考え方は違っているようで、

――どこに共通性があるのだろう?

 と感じるようになった。

 つかさのことは定期的に思い出していた。それも一定間隔で思い出しているようだ。朝目が覚めた時、昼間の午後零時頃、そして夕方の日が暮れる時間に決まってお腹が減ってくるような感覚で、条件反射のようなものではないかとさえ思えた。一日に三度も思い出すわけではないが、人を思い出すにあたって、頻度的には結構いhンパンなものではないだろうか。

 ただ、思い出すと言っても、いつも同じことを思い出していた。しかも、いつも同じことを思い出すくせに、思い出した時の感覚は新鮮なものだった。

 晴美がつかさのことで最近思い出すこととしては、同じ日を繰り返していることを話した日のことだった。

「同じ日を繰り返すって、一言で言えば、怖い感じがするのよね」

 と言ったのはつかさだった。

 その言葉はあまりにも漠然としていて、質問しないではいられない。

「怖いの意味がよく分からないんだけど?」

 と晴美がいうと、

「晴美は、同じ日を繰り返していると聞くと、どう感じる?」

「うーん、午前零時を過ぎると、いきなり二十四時間を遡るということでしょう? ということは、私はメビウスの輪というのを思い出してしまうわ」

 と晴美がいうと、つかさは少し興奮しているようだった。

 それでも、冷静を装って、

「メビウスの輪? あの異次元世界を証明できると考えられている輪のことね?」

「ええ、あの捻じれに何かを感じるんです」

「メビウスの輪というのは、輪の中心に線を引っ張って、一度だけしか捻じっていないのに、その線が重なる状況ということを言うんじゃなかったかしら? 正直ハッキリと言い切れる自信はないんだけど、意識としてはそんな感じだったわ」

 と晴美は言った。

「私もおおむね、そういう感覚だったと認識しているわ。でも、それがどうして同じ日を繰り返していることへの意識に繋がるの?」

「同じ日を繰り返しているっていうけど、ある一定の時間になると、自分の感覚だけが一日をまたいでいるのに、状況は二十四時間前と同じってことよね。だから、もう一度同じ二十四時間をまったく同じ感覚で過ごして、また日をまたぐと二十四時間状況が戻ってしまうことになるのよね」

「ええ」

「でも、そこでいろいろな発想が浮かんでくるの。たとえば、同じ日を繰り返していると思った最初って、何がきっかけだったのかとかね。今まで毎日を確実に消化していって、ある日突然に目の前に現れた結界が一日をまたぐことを許さなくなる。小説としては可能にも思えるんだけど、これを読者に納得させるのは、困難だと思うの。いくらフィクションだと言っても、本当にフィクションだと思わせると、読む人はいなくなるんじゃないかって感じるの」

「確かにそうでしょうね。面白くない上に、恐怖だけが煽られてしまう小説なんて、私なら読みたいとは思わないわ」

 とつかさは言った。

「でも、そんな小説でもきっと読む人はたくさんいると思うのね。それはきっと、読者の中で、自分も同じような感覚に陥ったことがあるように思うからなのかも知れないって私は思うの。それは夢の中で感じたことなのかも知れないけど、元々夢というのは潜在意識が見せるものなので、感じたということには変わらないの。逆に夢で見たということは、それだけ潜在意識の中で印象的に感じられていることじゃないのかしらね」

「晴美さんの発想は面白いですね。実は私も少し違うけど同じ日を繰り返しているということで気になることがあるのよ」

「それはどういうことなんですか?」

「一日は二十四時間でしょう? そして一日をまたぐタイミングというのは午前零時ということになる。でもそれって誰が決めたことなんでしょうね? あくまでも人間社会のことであって、同じ日を繰り返しているとすれば、午前零時を回ってから急に二十四時間を遡るんでしょう? しょせんは限界のあることで、人間の発想の域を超えるものではないと思うの」

 とつかさがいうと、

「なるほどですね。私も実は同じことを考えていたんですよ。午前零時が一日の境目だって誰が決めたのかってね」

 という晴美に対して、

「さっきの夢の話もそうなんだけど、夢と同じ感覚で人間が作り出した妄想だとすると、そこには戦時意識が働いていると思うのよ。夢をいるというのは、誰もが認識していることなので、誰も疑ったりはしないけど、ひょっとすると同じ日を繰り返している人も中にはいて、誰にも言えずに悩んでいるのかも知れないわね」

 とつかさは答えた。

「ということは、突然同じ日を繰り返し始めた人は、同じ日を繰り返し始めるまで一緒の時間を過ごしてきた人と、そこでお別れになるわけですよね。でも、翌日から急にその人がいなければ、おかしいと思うはずでしょう? でも、誰もいなくなるわけではない。それを思うと、その人は一日先の世界にも存在しているということになるのよね」

 しかし、つかさは別の考え方も持っているようだった。

「それも考え方としてありなのかも知れないけど、私は逆に一日をまたいでその人がいないということを意識していないように思うの」

「どういうこと?」

「その人が一日をまたげなかった時点で、またいだ人たちの記憶の中から消去されてしまうという考え方ね」

 というつかさの話に、晴美はゾッとするものを感じた。

「人の記憶から消えてしまうということ?」

「ええ、そう。奇抜な考えなのは分かっているけど、先の世界に存在しているという考えとあまり遜色ないように思えるの」

 とつかさは言った。

「でもね、私の考え方は、SF小説などでよく書かれているものとしての『パラレルワールド』を彷彿させる考えではないかって思うの」

「パラレルワールドというと、今こうやっている次の瞬間には無限の可能性が広がっていて、その一つを縫うように生きている自分たちが決まった道を歩んでいるだけという考え方になるのかしら?」

「一概にはそう言い切れないと思うんだけど、無理のない発想だと思うの。そういう意味では、二十四時間を遡るというのも、一つのパラレルワールドの可能性として十分にありえるんじゃないかって思うんだけどね」

 と晴美は言った。

 実は、このパラレルワールドという考え方、晴美が好きな小説家である春日博人がよく使うカテゴリーであった。

――パラレルワールドというと、SFばかりを想像してしまうけど、それ以外のジャンルでもカテゴリーとしては使えるのかも知れないわ――

 と、春日博人の作品を読みながら晴美は感じていた。

 春日博人の作品を思い出してみると、同じ日を繰り返しているとはハッキリとは書いていないが、それを思わせるような登場人物が出てくる作品があった。

――人によっては、まったく気付かなかったり、別の印象を与えられるような発想を抱くかも知れないわ――

 と感じた。

 その時晴美の中で感じたものとして、サッチャー効果という言葉を思い出した。

 一枚の絵があり、普通に見た印象と、上下逆さまにして見た時、まったく違うものが見えてくるというものである。錯覚という括りで捉えることができるのだろうが、そこにSFチックな印象を感じるのは、晴美だけではないかも知れない。

 メビウスの輪にしても、同じ錯覚だと考えると、そこに結界という限界の存在を無視できないような気がしてきた。

――同じ日を繰り返している人の存在を認めるのなら、もう一人の自分の存在を認めないわけにもいかない――

 こう思ったのが、さっき晴美の言った、

「その人は一日先の世界にも存在しているということになるのよね」

 ということに繋がってくる。

――自分の前と後ろに鏡を置いて、永遠に写り続ける自分を見続けているようだわ――

 と感じた。

 このままいけば、そこから無限にいろいろな発想が生まれてくるように感じた晴美だったが、いったん考え始めると、そこから抜けられなくなってしまうのを感じた。

――袋小路――

 そう思うと、かごの中で丸い輪の中を走り続けるハツカネズミを思い起こさせてしまった。

 この思いも実は春日博人の小説の中で見たことで、サッチャー効果からの発想は、まさに春日博人の小説を模倣しているかのような発想だった。

――発想だけなら、別にかまわない――

 それを文章にして作品にしてしまうと、オリジナルではないと思うので、それは晴美にとってのNGだった。

 しかし、この抱いてしまった発想を誰にも言わないのは自分の中で消化することのできない内容なので、つかさに吐き出した。

 その話を聞いてつかさは、

「なるほど、晴美の発想は、すでに自分の結界に凌駕されているような感覚になってしまったということね」

 と言った。

「どういうことなの?」

「晴美は春日博人だけではなく、小説を読む時、自分が書くならどう書くだろうって想像しながら書いているように思うの。発想が止まらないのは、そのためなんだと思うわ。でも、それは春日博人という小説家の常とう手段なのかも知れないわね。マインドコントロールとまではいかないけど、影響がかなり強くなる。でも、あなたにはその影響を受け入れないための結界があって、その結界が自分の考えを凌駕しているんだって思いの。だから、春日博人の作品に陶酔しているんだけど、自分独自の考えも持つことができるんだって思うわ」

「それは褒め言葉?」

「どちらともいえないわね。ただ、それが晴美なのよ。自分で分かっておく必要はあると思うわ」

 というつかさの言葉が印象的だった。

 晴美はその時の話をここまで記憶している。その後会話をしたのだろうが、意識としては残っていない。瑞穂と話をしながら、つかさを思い出していたが、瑞穂との会話がぎこちなくなったというわけではない。まるでつかさのことを思い出している間、晴美の中で時間が止まってしまったかのようだった。

「私、小説を書いてみようと思うの」

 と、晴美は瑞穂に話した。

 もちろん、この気持ちを誰にも明かしたことはなかった。そもそも、晴美はすでに誰にも言わず、少しだけ小説の真似事のようなことをしていた。文章を書いてみては自分で打ち消している。

「それはいいかも知れないわね。実は私も少しだけ書いてみたりはしているんだけど、もちろん、誰にも見せたことはないんだけどね」

 と瑞穂は言った。

「そうなんだ。私たち、やっぱり似た者同士なのかも知れないわね。そう思うと、私たちが知り合ったのは偶然なんかじゃないと思うの」

 と晴美が言うと、

「でもね。私は少し違う考えを持っているの」

「というと?」

「小説を書きたいと思っている人は私たちの想像をはるかに超える数の人がいると思うの。ひょっとすると、ほとんどの人が死ぬまでに一度は小説を書いてみたいって思うんじゃないかってね」

「言われてみれば、マンガと小説のどちらを読む人が多いかというと、圧倒的にマンガを読む人が多いと思うんだけど、マンガを描いてみたいと思う人よりも、小説を書いてみたいと思う人の方が多いような気がしていたわ」

 と晴美がいうと、

「そうでしょう? マンガは確かに表現としては文章よりも膨らみを感じるんだけど、でも、どこか皆似たり寄ったりの気がするの。確かに絵のタッチは皆それぞれ違っているんだけど、基本部分は皆同じなのよね。小説にはそういう基本部分がない。確かに起承転結はあるけど、それはマンガにだってあるでしょう? 小説はマンガにはないオリジナリティを感じさせるのよ」

 と、瑞穂が言った。

「そうよね」

「それにね。小説というのは、文章の固まりというだけで、生真面目さを感じさせるのよ。マンガのように子供向けというわけではない何かを感じさせる。文章だけだから想像力を豊かにさせるだけではないものを感じるの」

 と瑞穂は言った。

「マンガでは描くことのできないものを文章では描けるという意味なの?」

「私はそう思ってる。そう思っているからこそ、文章を書けるようになれるんだって思うの」

「それは自己顕示欲の強さにも繋がるのかしら?」

「自己顕示欲とは、自分の存在をまわりに示したいと思うことよね? 確かに自己顕示欲の強さは必要よ。でも、どうして自己顕示欲が必要なのかというところが見解の分かれるところだと思うの」

「というと?」

「私は、小説を書いていて、自分の殻に閉じこもって書いているつもりなの。それって別に自分を表に出したいとか、存在を知ってもらいたいとかいう発想ではないのよね。同じ文章を書くにしても、日記だったり作文だったりというのは、主人公は自分であって、自分中心に描かれているの。だから、誰にでも書こうと思えば書けるのよね。私はそれでは嫌なの。誰にもできないオリジナルなものを私自身で作りたい。これが小説を書いてみたいと思った理由なのよ」

 という瑞穂の話に、

「ジレンマのようなものを抱えているということかしら?」

 と晴美がいうと、

「ジレンマ……。一言で言えばそういうことになるのかも知れないわね。人と一緒では嫌だという気持ちは自己顕示欲の表れなんだけど、自分中心に書くことはできないという意味ではジレンマね」

「どうして自己中心ではダメなの?」

「だってそれだったら、ノンフィクションになっちゃうでしょう? 私はあくまでもフィクションを書きたいのよ。自分と似た主人公であっても構わないけど、自分だと思って書くことだけはできないと思っているのよね」

「でも書いていると、知らず知らずのうちに、自分を描いていることになってこないの?」

「ええ、そうなって来そうになることもあるわ。だからそういう時はいったん書くのをやめるの」

「それで冷静になれるの?」

「いいえ、逆よ。それ以上進めても自分の納得の行く作品が書けるわけがないから、不本意なんだけど、書くのをやめる。せっかくそこまで書いてきた作品をなかったものにするというのは結構精神的にはきついものよ」

「そうなんでしょうね」

「だって、小説を書けるようになりたいと思った時って、最初どんなに満足の行く作品でなくても、とりあえず最後まで書けるようになるのが一番だって思っていたから、自分の最初の目標と、達成後の目標とでは、自分の理念を変えなければいけないというジレンマ、それこそ、小説を書く上での大きな関門の一つなんじゃないかしらって今では思っているのよ」

「どうしてそんなにフィクションにこだわるの?」

「私が小説を書けるようになってからの目標は、いかに自分を納得させる小説が書けるかということだったのよ。だから、小説家書けるようになってから、私は他の人の小説を読まなくなった。人の真似になってしまうことが怖かったのよ。マンガとかを見ていると、時々似たタッチの作品をよく見かけるでしょう? ストーリーも似たような感じよね。まるで盗作でもしているんじゃないかって思えるほどの作品に、私は身の毛がよだつほど嫌悪を感じるのよ」

「小説には二次小説としてオマージュ、リスペクトなどのジャンルがあるようだけど、私には理解できないの」

「すべてを一括りにはできないと思うけど、私もオリジナリティのある作品に仕上げたいと思っているの」

「そうなのよ。私は自分が納得できないと書けないのよ。ノンフィクションも私にとっては、二次小説と同じランクに入るの。だから他の人を認めることはできても、自分を認めることができないの」

「私はそこまで凝り固まった考えではないと思うけど、私もひょっとすると、小説を書けるようになった時、瑞穂さんと同じように感じるようになるかも知れないわね」

 晴美と瑞穂は、そんな話をしていたのを、つかさは知るわけもなかった。

 つかさも自分で独自に小説を書いていたが、その作法はどうしても誰かに似てきているようで気に入らなかった。それが誰なのか、自分では分かっているつもりだったが、認めることはできない。

――竹下かなえ――

 どうしても、この名前が頭から消えない。

――私は小説を書きながら、堂々巡りを繰り返しているように思えてならない――

 と感じた時、思い出すのが晴美とした、

――同じ日を繰り返しているという話――

 だったのだ。

 竹下かなえの小説を読んでいると、その奥に春日博人の影を感じずにはいられない。彼の作風をそのまま写しているように思えてくるのだが、それだけではない何かを感じた。

 最近になって、やっとその理由に気がついた。

――竹下かなえの小説には、自虐性があるんだわ――

 春日博人の作品にも自虐性はあるが、竹下かなえの自虐性とは違っていた。

 どこが違うのかを考えていたが、竹下かなえの作品にある自虐は、ジレンマを含んだ自虐であった。

――人の真似をしたくないと思いながら、いつの間にか人真似になってしまっている自分に対しての自虐なんだ――

 と感じた。

 竹下かなえという小説家は、知る人ぞ知るというべきなのか、あまり知られていない小説家だった。

 彼女が表舞台に出た時期というのは、それほど長いものではなかった。一年くらいの間に数冊ほど書店に並べられていたが、いつの間にか消えていた。

 あっという間に消えていく小説家というのは珍しくないが、つかさにはその期間が長いわけでもなく、短いわけでもない。しかしちょうどいいというわけでもない、どこか中途半端な時期だったと思った。

 晴美もつかさももちろん知らなかったが、竹下かなえの正体は瑞穂だった。そう思うと、晴美が感じた瑞穂への思いと、つかさが感じた竹下かなえへの思いとがリンクしているのではないか。

 瑞穂は自分が竹下かなえであるということを過去のこととして記憶の奥に封印しておきたかった。なぜなら、自分の自虐的な性格が、読者にも影響を与えることが分かったからだ。小説を書いている時には気付かなかったが、いったん書くのをやめてしまうと、そのことに気付き始めた。

 晴美とつかさは大学に入学するまでに、いろいろな話をして、お互いを分かり合ってきた。そして自分が先に進むために必要なことを分かってきたつもりだったが、大学に入ってお互いに別々の道を歩み始めたことで、余計にお互いの進む道が分かってきたようだ。

 晴美は瑞穂の影響を受け、つかさは竹下かなえの影響を受けた。

 お互いに似た時期に小説家としてデビューできたのだが、この二人、まったくもって作風が似ていた。

 だが、そのことを読者には分からない。なぜなら、晴美の小説を好きな人は、つかさの小説を読まないし、逆につかさの小説が好きな人は、晴美を読まない。作風は似ていても、読者層を同じにはできなかった。

 専門家も、好き嫌いで言えば、二人とも好きな人も二人ともを嫌いな人もいなかった。必ずどちらかを推していたのだ。

 それはまるで晴美の小説が「堂々巡り」であるならば、つかさの作品が「袋小路」というイメージとでも言うべきであろうか。二人で一人というわけではない。どちらかが存在していれば、どちらかは存在できない。

 二人は、

「表裏めぐり」

 とでもいうべき関係ではないだろうか……。


                  (  完  )

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表裏めぐり 森本 晃次 @kakku

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