第3話 絵画と小説
絵を描きたいと思っていたつかさだったが、その趣味も続けていた。描くといってもイラストのようなデッサンだったり、鉛筆画のようなものがほとんどだった。
中学二年生のある日、新聞広告で見つけたイラストの懸賞に応募すると、佳作で入選した。応募総数はそれほど多くなかったので、自分が受賞したということをあまりまわりに公表することを控えていたが、学校の美術の先生がそのことを知っていて、
「この前、入選したそうだな。どうだい、美術部に入って、絵を描いてみないか?」
と誘われたことがあった。
つかさは、絵を描くのは趣味だったが、美術部に入ってまで続けていこうとまでは考えていなかったので、
「ごめんなさい。今はそこまでは考えていません」
と、丁重にお断りした。
本当は美術部に所属してもいいという気持ちは心の中の半分くらいはあったのだが、どうせ入部するなら自分からと思っていたので、お断りをしたのだった。
勧められて入部すると、自分の中で、
――自分は、相手の望まれて入ったんだ――
という気持ちが強くなり、いざ壁にぶつかった時、
――いつでもやめていいんだ――
と思うに違いないと感じていた。
そう思ってやめることをつかさは良しとしなかった。それは自分の意思によるものではなく、まわりの環境に左右されることだと思ったからだ。望まれて入部すると、どうしても驕りが生まれる。そのことを自分でどこかで戒めた気分でいないと、いつまでも自分が望まれていると思い込んでしまい、まわりの環境が変わった時に、自分の中で対応できなくなってしまうだろう。
つかさはそこまで考えてはいなかったが、結局、突き詰めれば同じっところに着地する。そういう意味ではつかさの考え方は、先見の明のようなものを感じさせるものだった。
入部しなかったことで、つかさが懸賞に入賞したことは、つかさと家族と、美術の先生しか知らなかった。親友である晴美にもそのことは言わなかったのだが、正直にいえばむしろ、一番知られたくなかったのは、晴美だったのだ。
どうして知られたくなかったのかというと、恥ずかしいという思いがあったのも事実だが、それ以上に親友である晴美に必要以上な劣等感を持たれることが嫌だった。劣等感は次第に鬱陶しくなり、お互いの関係を次第に距離のあるものにしてしまいそうに感じたからだ。
ただ、実際にはそれまでの二人の関係は近すぎた。近すぎるために見えないものもあったのだが、そのことに違和感がなかったので、二人にとってこの関係が一番だと思っていた。
だが、
「親しき仲にも礼儀あり」
という言葉があるように、一度ぎこちなくなると、本当に相手が他人だという意識をいまさらながらに持つことによって、お互いがボタンを掛け違うことになってしまうのだ。
つかさは絵を描いてはいたが、小説を書きたいという思いも消えていなかった。実際に小説も書いていたし、どちらかというと、絵画よりも小説の方に興味を持つようになっていた。
その一番の理由は、
――私は何もないところから創造していくのが好きなんだ――
と感じていたからだ。
絵画は確かに真っ白い図画用紙だったり、キャンバスの上に自分で自由に創作できるものだが、実際には目の前のものを忠実に描き出すことが絵画だと思っていた。それはイラストにしてのデッサンにしても同じで、イメージして描くところまではさすがに行っていなかった。
イラストの懸賞は確かにイメージキャラクターのようなものだったので、創作には違いなかったが、自分の中で納得できる「創造」とは少し違っていた。
もし他の人にこのあたりの話をしたとすれば、
「何が違うの?」
と言われるのがオチに違いない。
ただ、相手が晴美だったら少しは違うことは分かっていた。お互いに考えていることを言い合って、そこから何かが生まれてくるのだろうが、つかさはこの話を晴美にする気はなかった。
もし話をしていたとすれば、きっと会話に花が咲いたに違いない。しかし、その結果がどうなるかと想像すると、つかさにとってありがたい結果にはならないように思えてならなかった。その思いに怖さを感じ、
――一番知られたくない相手は晴美なんだ――
と感じるようになったのだ。
親友に対して秘密を持つというのはいかがなものかと思うのだが、一番身近な人間にほど知られたくないと思っていることもあるだろう。本当の自分を自分なりに納得していることを、身近な人に違う自分を看破されることで崩されるのが一番怖いと思っている。
人によっては、親友なのだから、自分にとって悪いことをするなどありえないと思っている人もいるかも知れない。しかしそれはあまりにも自分本位の考えで、相手が何を考えているのかを考えきれない人が感じる発想でしかないのではないだろうか。
つかさはそんな自分の思いを相手に悟られたくないという思いから、自分の中に結界を作ってしまった。晴美にもその意識はあるようで、
――つかさは時々自分の殻に閉じこもることがあるんだわ――
と感じていた。
ただ、つかさも晴美に対して同じことを感じていて、晴美に感じているのは、
――何かを怖がっているようだ――
という思いだった。
だが、それは自分のことであり、晴美は別に怖がっているわけではない。結界を作ってしまったことで、まわりが見えていると思っているつかさには、怖がっているのが相手だと思ったのだ。目の前にある鏡を鏡として意識できていないからだった。
そういえば、晴美が好きだといっていた春日博人の小説に、
「自分を写す鏡」
という話があった。
その小説は、主人公は自分で、主人公中心の話なのだが、いつの間にか他人事のように話をしているかのような文体になっていた。
もちろん、その意図は作家本人にあり、他人事のように書いているのは、鏡を見ている自分が本当は鏡だという意識もないまま描いているので、まわりの人間のような意識で話が作られている。結界だと思っていた壁が実は自分の鏡だと感じた時、主人公は自分を納得させることができなくなったことを自覚し、まわりが主人公を病院に連れていった時、すでに意識不明だったという。
その後主人公がどうなったのか? それはまわりからしか見ることができず、気がついた主人公は目の前にいる人すべてが自分にしか見えなくなっていたというオチだったのだ。
春日博人が何を言いたいのか、晴美には分からなかったが、つかさには何となく分かった気がした。
――きっと主人公は、自分を納得させることができなかったから、こんな風になったんだわ。自分を納得させることができれば、目の前にあるのが鏡だと気付いたはずなのに――
と考えていた。
晴美とこの小説の話をしたことがあったが、晴美はつかさが感じているほど深くは考えていなかった。しかし、かなり深いところまで感じているのは事実のようで、
――ひょっとすると、晴美が考えているところまでが、普通の人の限界なのかも知れないわ――
と感じた。
晴美とつかさの考え方の深さの違いは、限定と限界をどこまで感じることができるのかということになるんだろう。晴美は限定と限界の考え方までは行き着いていやようだが、つかさの考える加算法と減算法という発想にまでたどり着いていなかった。その違いがかなり深さに大きな違いをもたらしたのではないだろうか。
春日博人という作家がどういう小説家なのか二人には分からない。しかし、晴美とつかさの二人の発想を結びつけているのは、春日博人という作家の存在が大きいことに間違いはないだろう。
「春日博人って作家は、本当に幻想的な発想をするよね」
と晴美は言っていたが、晴美の言っている、
「幻想的」
という言葉の示す意味は、晴美とつかさの間で違った発想を持っているかのようだった。
つかさの中での幻想的な発想というと、あくまでも架空のものであり、想像するものでしかなかった。しかし、晴美の考え方は、幻想的なものの中には架空のものばかりではなく、実際に自分たちが接することのできるものがあると信じている。その発想が創造になるのだろう。
つかさの中では、幻想は感じるものであり、作り出すものではないという発想だ。だから幻想小説を読むことができるのだが、晴美の場合は幻想小説を架空として読むことができないので、現象小説を読むことはなかった。
だが、晴美が読める幻想小説を書いているのは春日博人だけだった。晴美の中では、
――彼が書いているのが私にとっての幻想小説なんだ――
と思っていた。
晴美はノンフィクションはほとんど読まない。読むとすれば歴史小説くらいであるが、それ以外の小説はフィクションばかりだった。これは春日博人も例外ではなく、彼の小説もそのすべてはフィクションだった。だが、晴美は彼の幻想小説の中には架空の話で片付けられない何かがあるように思えた。それが何かは自分でもハッキリと分からないが、その発想は子供の頃に祖母が読んでくれた絵本のおとぎ話に由来しているように思えてならない。
「おとぎ話も、幻想小説のようなものよね」
とつかさがいうと、
「まさにその通りよね。でも、幻想小説なら格言的なものをもっと暈かして書いてくれている方がいいような気がするわ」
と晴美が言った。
以前、浦島太郎の話をした時は、少し話が逸れてしまったが、思い出したようにまた浦島太郎の話を始めたのは、つかさの方だった。
「浦島太郎に限らずなんだけど、おとぎ話というのは、知られている話の続編があって、意外と知られている話のラストとまったく違ったものだったりするらしいんだけど、それは知ってた」
「ええ、知ってるわ。明治時代の教育制度を確立する時に、おとぎ話のラストをどうするかというのも検討されたらしいのよ。だから、おとぎ話は子供相手の教訓で終わるようになっているんだけど、実際には怖い話だったりして、教育にはそぐわないものがあるらしいのよね」
「浦島太郎なんかもそうらしいの」
「私は浦島太郎尾最後の話を知らないので、よく分からないんだけど、つかさは知ってるの?」
「ええ、浦島太郎のお話というと、よく知られているのは、竜宮城から帰ってくると、自分の知っている人が誰もいない世界になっていて、乙姫様からもらった玉手箱を開けると、そこから白い煙が出てきて、おじいさんになってしまったってお話でしょう? 普通はそこまでよね」
「そうだと私も思っているわ」
と晴美がいうと、つかさは少し優越感に浸っているようだった。
別におとぎ話のラストを知っているからと言って優越感に浸るようなことではない。そのことは一番つかさが分かっているはずだ。しかし、それでも優越感に浸るということは、知っていることで何か新しい情報をもたらしてくれることを予感させられるのではないかと晴美は感じていた。
「でも、それだとお話が中途半端じゃないかって思わない?」
とつかさに言われて、今まで誰にも話したことがなかったが、晴美も何ともラストが釈然としない思いでいたことを、話し始めた。
「ええ、そうなのよ。このお話って、浦島太郎がカメを助けたところから始まるのよね。つまりはいいことをして、カメからお礼だと言われて竜宮城へ連れて行ってもらったのよね」
「そうなのよ。だから、本当ならハッピーエンドでなければいけないはずなのに、どうして最後はおじいさんになったという中途半端なところで終わっているのかって思うよね」
「ええ、ハッピーエンドでもない、中途半端な終わり方なのよ。私は子供の頃はこの疑問は自分だけだって思っていたんだけど、実際には結構いるみたいなのよね。もっとも、このことで誰かと話をしたことはないわ。こんなに深いところまでお話できる相手というとつかさだけになるのよね」
「確かにそうね。誰もが一度は感じたかも知れないことなんだけど、そのことを誰も話題にしない。話題にすることがタブーであるかのように思われているのって不思議よね」
つかさがそういうと、
「どこかで、何かの力が働いたのかしら?」
と、晴美も何かを感じたようだ。
「実はね。その力というのが、明治政府の文部省だったようなのよ」
「というと?」
「本当はラストまで書けばよかったんでしょうけど、明治政府によって、そのように中途半端で終わるように仕向けられたという話が伝わっているわ。本当かどうか分からないけど」
「どうしてなの? 本当ならいいことをしたんだから報われるはずなのに、どうして最後はおじいさんになってしまったという話で終わっているの? これがおとぎ話というのであれば、本当に中途半端よね」
と晴美は言った。
「カメを助けたというところがクローズアップされているけど、着目点としては、玉手箱を開けないでという乙姫との約束を破ってしまったことで、浦島太郎は戒めを受けたというのがこのお話のラストに結びついているという説が有力だったりするのよ」
「要するにこのお話には定説はないということ?」
「確かにそうね。御伽草子や万葉集などに同じようなお話があるんだけど、実際にはいろいろ違っているようなの。地方に伝わっているお話もそれぞれで違っているしね。おとぎ話なんてものは、案外そんなものなのかも知れないわね」
というつかさの話に、
「私はもう一つ感じることがあるの」
と晴美がいう。
「どういうことなの?」
「浦島太郎は、カメの背中に乗って竜宮城へ行くでしょう? その間の数日間は、今までのことを忘れて夢のような時間を過ごしたって書いてあるけど、それは俗世間を忘れて、自分ひとりで勝手な時間を過ごしたということにもなるのよね。目の前の快楽に溺れ、仕事や家族を忘れて、長時間滞在してしまったことへの戒めという考え方もあるの。たった数日だったということだけど、それは浦島太郎の錯覚であり、自分のいいように考えたことが、本当の時間をマヒさせる原因になってしまった。本当は玉手箱を開けることで老人になってしまったんじゃなくって、玉手箱なんて関係なく、必然的に老人になったのではないかと思うと、何となくだけど納得がいくような気がするの」
と晴美は言った。
「教訓にしては、結構きついお話よね」
「そうなのよ。だから、本当はここで終わりではないと思うのが普通なんじゃないかしら?」
「その通り」
「つかさはラストを知っているのよね?」
「ええ、ただそれは御伽草子に書かれている話というだけで、他にも説はあるのでそのつもりで聞いてほしいんだけど」
「分かったわ」
「浦島太郎が、自分の世界に戻ると、そこは七百年経った後だったというの。元々浦島太郎が元の世界に戻ったのも、急に我に返って自分の世界に帰りたいといったからなんだろうけど、まさか七百年も経っているなど思ってもみなかったでしょうね。もちろん、自分を知っている人も、自分が知っている人も誰もいない世界。玉手箱を開けてみたくなった気持ちも分からなくはないわ」
「それで?」
「浦島太郎が白髪のおじいさんになって、七百年の時が過ぎた。本当だったら、人間の寿命から考えると、白骨化していても仕方がない状態なのに白髪のおじいさんにとどまった。つまりはまだ寿命を迎えていないということよね」
「ええ」
「ここからが続編なんだけど、浦島太郎はそこで鶴になったというの。鶴というと千年生きるといわれているので、まだ三百年の寿命がある。そこで、乙姫様が現れて、乙姫様はカメになっていた。そこで二人は結婚し、ハッピーエンドを迎えたというお話なんだそうよ」
「そうなのね」
「ただ、これには諸説あって、いろいろ言われているのでどれが正しいのか分からない。でも、一番の定説と言われているお話が今の話なんだけど、私はそれでもどこかしっくりこないものを感じるのよ」
「確かにそうね。教訓という意味では、ラストまで書いてしまった方が曖昧になってしまって、何が言いたいのか分からなくなってしまいそうだわ」
「このお話が、いいことをした人への報酬的なお話なのか、それともしてはいけないことをしたことでの戒めなのか、ハッキリとしないことよね。そういう意味では、浦島太郎が老人になったところで終わらせた方が、おとぎ話としては成立するように思えるの。してはいけないといわれたことをして、最後にハッピーエンドで終わらなかったお話って結構あるからね」
「その通りね。鶴の恩返しにしてもそうだし、外国の童話にも同じような戒めのお話があるわよね」
「私が知っている中で印象的なのは、聖書の中に出てくる『ソドムの村』のお話が印象的だわ。以前、映画で見たんだけど、この世の地獄と言われるほど、治安の悪いソドムの村に嫌悪を感じた神様が、善人を助けて、悪人だけを残して、村ごと破壊するというお話だったんだけど、善人を助けて村から逃げる時、決して後ろを振り向いてはいけないという言葉を聞いていながら、轟音が響いたことで善人が振り向いてしまい、そのまま石になってしまったというお話なんだけど、これも戒めのお話なんでしょう。でも、振り返ったのは、自分が今まで住んでいたところが異常事態になっているのを我慢できずに振り向いたということで、人間としては当然の行動なんでしょう。それでも、どうして振り向いてはいけないといちいち念を押しておいたのか、まるで弱い人間の気持ちを煽って、弄んでいるかのようにも感じるの。きっと、神という存在が人間の考えを凌駕しているということを言いたかったのかも知れないけど、戒めというのは人間に対してではなく、神ありきの人間への戒めなのよね」
とつかさは言った。
「浦島太郎のお話も、そういうところから来ているのかも知れないわね」
「ええ、だから私は浦島太郎のお話には、どこか宗教的な戒めが含まれているように思うの。そこに時間軸の歪みを感じさせる相対性理論が絡んでいるので、余計に神秘的に思わせるのでしょうね」
つかさの話を聞いて、晴美は頷いた。
「幻想的なお話だったはずなのに、ラストを聞いてしまうと、どこか俗世間にまみれたお話に感じられて、せっかくの大スペクタクルが小さくまとまってしまうように感じられるのはどうしてなのかしらね?」
「七百年という時間が分かった時点で、鶴とカメのお話に凝縮されてしまうと思うからなのかしら?」
とつかさがいうと、
「そうね。考えてみれば、連続ドラマを見ていて、途中のその週の終わり方によって、話の続きが待ち遠しいと思って、一週間が長く感じるくらいのお話でも、最終回を迎えて、大団円を迎えたはずなのに、どこか終わってしまうと、納得がいかないと思うこともあるの。それはきっと、ラストがうまく嵌ってしまった時に感じることなのかも知れないわ」
「こじんまりと収まってしまったことで、満足感が中途半端に終わってしまったと感じるんでしょうね」
「私もそう思う。浦島太郎のお話は、時間をあっという間に通り過ぎてしまったことで、辻褄を合わせようとすることからの大団円。私が思うに、この終わらせ方が中途半端な中でも一番釈然としているものなんじゃないかって感じるの」
と晴美が言った。
つかさは晴美にこの話を振ったのは、こんな結論をもたらすためではなかったはずなのだが、それまで感じていた自分の疑問をぶつけることで、何か新しい発想が生まれるのではないかと感じたが、晴美の発想は、自分が望んでいたことをはるかに凌駕しているように思えた。
――晴美に話をしてみてよかったわ――
と、決して自分が望んだこととは違った結論になったことを、ここまでよかったと感じられるなど、想像もしていなかった。
「私は、おとぎ話への発想に、他の人の想像とは違ったものを感じていると思っているんだけど、それはきっと春日博人という作家の小説を読んでいたことが影響しているんだって思っているの。そして、もっと深く考えようとすると。今度はもっと狭い範囲でこのお話を考えるようになると思っているの。そこに何があるのかというと、俗世間に立ち返った上での話を考えるからではないかと思うのよ」
と晴美は言った。
――春日博人という作家の作品が、晴美と私とでは見え方はまったく違っているのかも知れない――
と感じ、晴美が何を考えているのか、もっと知りたいと思うつかさだった。
つかさにとっておとぎ話とは、小説を書きたくなる発想に結びつくには少し時間が掛かった。なぜか小説を書くよりも、最初に感じたのは絵を描くことだった。
それも、単なる写生ではない。イメージしたことを絵に描くというもので、将来的には幻想的な絵を描きたいと思うのだった。
幻想的な絵というと、イメージとしては春日博人の小説だった。彼の作品は晴美にはどう写っているのか分からないが、つかさにとっては、愛憎絵図を思わせるドロドロとしたものだった。そこには人間の欲がふんだんに散りばめられていて、恥ずかしいなどという感情を抱いてしまうと、
――最後まで読むことはできないんじゃないかしら?
と感じるほどだった。
そんな春日博人の作品を晴美は溺愛している。どう見ても大人の小説で、中学生が読むと赤面を隠せないほどの話だった。
「春日博人の作品は難しいんだけどね。読み込めば読み込むほど味が出るのよ。だから私は同じ話を何度も読み返しているわ」
と晴美は言っていた。
――そういえば、晴美には同じことを繰り返すという習性のようなものがあったわ――
ということを、つかさは感じていた。
晴美と仲良くなり始めた頃、
「私ね。いつもテレビを録画して見るんだけど、同じ番組を何度も見る癖があるの。だから、ドラマなんかだと、セリフもほとんど覚えていたりするのよ。でも何度も繰り返して見るのはドラマだけではなく、バラエティ番組も多いのよ。バラエティ番組の時は、ただ時間をやり過ごしたい時に流しているの。静か過ぎると時間がなかなか経ってくれないからね」
と言っていた。
その話を最初つかさは理解できなかった。
「ただ時間をやり過ごしたいというのは、無駄に時間を浪費したいということなの?」
と聞くと、
「そういうわけではなくってね。贅沢な時間を過ごしたい時というのが、一日の中には存在しているのよ。一日は二十四時間と決まっているでしょう? それを均等に過ごしていると、どうしても時間を持て余ることがあると思うのよね。だから、持て余した時間を私は贅沢に過ごしたいと思っているのよ」
という晴美の話につかさは少し違和感があった。
少し考えてからの返事となったが、
「何も一日という単位を節目にしなくても、ただの通過点として考えられないの?」
と聞くと、
「そうなのよ。確かに一日という単位を必要以上に意識することなどないと思うんだけど、私には一日という単位がどうしても気になるの」
「どうして?」
「つかさは、一日を繰り返しているという発想を持ったことない?」
晴美が急におかしなことを言い出したと思った。
「私にはなかったと思うわ。ただ、一度ドラマを見た時、同じ日を繰り返しているというようなホラーものの話を見たことがあったのは記憶している。でも、言われたから思い出しただけであって、自分の意識の中でそんなに重要なものではなかったのは間違いないわ」
とつかさは言った。
「そうよね。私も同じ番組を見ていたと思うの。確かにつかさの言うとおり、普通ならただのドラマとして気にすることもないと思うんだけど、私はその夜に、同じ日を繰り返している夢を見たの。その夢は目が覚めてからも覚えていて、ただ、ラストは記憶にないのよね。それと同時に、その時一緒に、テレビで見たはずのラストシーンも私の記憶から消えていたの。これって不思議な感覚でしょう? それからというもの、私の中で一日という単位はどうしても気にしなければいけないものになったのよ」
と、晴美が答えた。
「そうね。確かに晴美の発想もありなのかも知れないわね。私も一日、一週間、一ヶ月、一年という単位について考えることもあるからね」
と少しつかさは晴美の話を自分の発想に持っていくかのような話し方になった。
「どういうこと?」
「晴美は同じ日を繰り返すというのもありだって発想なんでしょうけど、私はその発想を否定も肯定もしないのよ。でも、私はその話を聞いて自分の中で感じたのが、今言った単位への思いが人と同じなのかどうか、考えたことがあるわ」
「つかさって、他の人のことなんか気にしていないと思っていたけど、一応気にしているのね?」
と、晴美は皮肉をこめたつもりで言ったが、つかさには通じていないようだった。
つかさは構わず話を続ける。
「一がつく日付に対しての考え方なんだけど、たとえば一日一日と一週間を考えた時、一日一日があっという間に過ぎたと感じている時、一週間が結構長かったように感じるのよ。逆に一日一日が長かったと思った時に限って、一週間があっという間に過ぎたと思うことが多いの」
「多いのということは、いつもいつもそのどちからではないということなのね?」
「ええ、私が気になった時はそのどちらかなんだけど、気にならない時というのは、きっと同じ期間の感覚なんだって思うの」
「それぞれに何か共通性のようなものはあるの?」
「ハッキリとは分かっていないんだけど、小学生の頃は、毎日があっという間だった気がするんだけど、一年単位で考えると、結構長かったように思うの。でも逆に中学生になった今は、一日一日がかなり時間が経っているように思うんだけど、一週間単位で考えると、あっという間のような気がするのよね。きっと楽しいと思っている時が後者で、あまり毎日が楽しくなくて漠然と過ごしている時が前者だったんじゃないかって私は思っているの」
というつかさの話に対して、晴美は話を聞きながら考えていた。
――何ともいえないかな?
と思いながら、どう話を返していいのか考えていた。
「確かにつかさのいうように、私も一日という単位とそれ以上の期間の単位を比べると、結構長さに矛盾を感じることがあったような気がするわ。でも、それも今という時点から見た過去の話であって、今から考えれば、最初に感じた時と、その一年後と言っても同じくらい前のことだって感じがするから、そう思うのかも知れないわね」
「でも、それだったら、一年という期間が短く感じられるように思うんだけど?」
「それは人それぞれ、きっと改まって思い返した時、自分の中で余計な想像や妄想が生まれてきて、長かったように感じるのかも知れないわね」
「でも、私は昔と今とでは性格的なものや基本的な考え方は変わっていないと思うんだけど」
とつかさがいうと、
「でも、成長はしているでしょう? その成長の度合いが自分の感じているスピードと違っていれば、今から見た過去のそれぞれの地点というのは、差があって不思議はないんじゃないかしら?」
という晴美の意見を聞いて、
「そうね。でもその話を考えていると、以前に話をしたおとぎ話の浦島太郎のお話を彷彿させる気がしてきたわ」
晴美はそれを聞いて少し苦笑いをした。
「そうね。でも、それは私とつかさが話題にしていることに何かの共通点がある証拠なんじゃないかしら? 意識はしていないけど、どこかで発想を結びつけようという意識があって、偶然のようだけど、お互いに発想を絡めながら話を組み立てているから、どこかで接点が見つかるのかも知れないわね」
晴美の話は以前は漠然としたものが多かったのだが、つかさと話すようになって、どこか理屈っぽくなったように晴美自身も感じていたが、こんな話をする相手はつかさだけなので、それはそれで問題がないと思った。
「ところで、晴美のいう同じ日を繰り返すという発想なんだけど、私も同じように夢を見たような気がしたの」
というつかさの話に、
「それは漠然としてしか覚えていないということ?」
という晴美だったが、
「いいえ、そうじゃないの。今晴美に言われるまで、そんな夢を見ていたなんてこと完全に忘れていたの。晴美の話を聞いて、夢を見ていたということを思い出したんだけど、いったん思い出してみると、今度はどんどん思い出せてきそうで、記憶の奥が自分でもどうなっているのか、不思議に感じるくらいだったわ」
「じゃあ、つかさはその時の夢を結構覚えていたということなの?」
「ええ、晴美のように目が覚めるにしたがって私も夢を忘れたんじゃないかって思うの。でも晴美のように、見たことは覚えていて、その内容を忘れているというわけではなくって、完全に見たという事実すら忘れてしまっていたのよね」
「その夢っていつ頃だったんだろう?」
という晴美の言葉に、
「たぶん、半年くらい前だったんじゃないかって思うの?」
「えっ? そこまで思い出せるの? 私は夢を見たという意識は覚えているんだけど、それがいつだったのかということは、今となっては完全に分からなくなってしまっているのよ。それこそ、一日一日があっという間で一週間が長いと思う間隔なのか、それとも一日一日が長いと思っているけど、一週間があっという間だったと感じているのか、その期間を過ぎてしまうと、完全にどちらも果てになってしまったかのように、いつだったのかなど意識の外に置かれた気がしているの」
と晴美は言った。
「私もそうなのよ。夢を見たことは覚えていても、それがいつだったのかなんて、分かるはずはないと思っているの。でもこの夢に関しては半年ほど前だったという自分の中だけなんだけど、ハッキリとした意識があるの。どうしてなのか説明できないけど、しいて言えば、その夢の中に晴美が出てきたからなんじゃないかって思っているの」
「私がその夢の中に出てきたというの? でも、つかさはその夢の内容を覚えていないんでしょう?」
「ええ、覚えていないけど、つかさが私の夢を見ていたという意識はあるの。しかも、そのつかさは別の世界から私の夢を見ていて、話しかけてもこちらの声なんか聞こえるはずもない。まるで抜け殻のような印象だったわ」
とつかさが言うと、
「何だか怖いわ」
晴美は自分が、
――つかさのいうような人間だったら――
と考えたが、すぐに恐怖以外には何も感じられないと思った。
「その夢、私も同じ時に見ていたのかしらね?」
というと、
「お互いに夢を共有していたということなのかしら?」
と晴美は面白い発想を口にした。
つかさが晴美と親友になったのは、晴美にはこういういきなりの面白い発想を口にするからだった。元々は晴美と自分が結構似たような発想をしているということを話していて気付いたことからの仲なのだが、つかさにとって、それだけでは親友とまで言える相手として認めることはできなかった。
「私は他の人と同じでは嫌なのよ」
と晴美が言った一言もつかさの心を打ったのだが、最終的な決定打になったのは、晴美のいきなりの面白い発想だったのだ。
「夢の共有というのは面白い発想よね。確かに自分の夢は他の人とはまったく関係のないところで見るものだって思い込んでいるけど、それを信じて疑わない根拠がどこにあるのかなんて、考えたこともなかったわ」
とつかさが言った。
「そうよね。私も夢というものに関しては、いろいろ考えるところがあるの。つかさも自分の確固たる意見を持っているということはウスウス気付いていたんだけど、こうやって面と向かって話ができる日が来るとは思ってもいなかったわ」
「そうなんだ。でも私も同じように感じていて、晴美も夢に関して独自の考えがあると思っていたの、他の人とはできないような話をできるのが私にとっての晴美だって思っていrうので、私は近い将来、夢についての話ができる日が必ず来ると思っていたの」
つかさのこの考えは結構信憑性があった。
だが、つかさは最初晴美の意見を聞くだけ聞いて、自分の意見を言うというシチュエーションを思い浮かべていたが、果たしてそうなるのだろうか? 自分でもよく分からなかった。
夢の共有についても、つかさは独自の考え方を持っていた。
――こんな話題を出すと、皆に引かれてしまうわ――
ということで、中学に入るまでは誰にも話していなかったが、自分と何となく感性が合っているように感じる晴美には何でも話ができた。
晴美も夢の共有に関しては自分なりの考えがあるようで、話をしていて時間の感覚がマヒしてくるのを感じたくらいだった。
「夢を見ている時って、どんな時間なんだと思う?」
と、晴美の方から質問してきた。
しかし、その内容はあまりにも漠然としていたので、一瞬、何を答えていいのか分からなかった。
「えっ、どういうこと?」
「私はね。夢というのは、目が覚める寸前の数秒に見るものだって思っているの。まあ、これは誰かの小説の受け売りなんだけどね」
「その話は私も聞いたことがあるわ。私も同じ考えなんだけどね」
「夢を見ている時というのは、どんなに不思議なことでも信じられるでしょう? 目が覚めるにしたがって夢を忘れていくことが多いんだけど、そんな時は夢で見た内容を忘れないようにしたいと思っている瞬間があって、その時、あれは本当に夢だったんだって思うの。初めて信じられないことを見ていることに気付くからなのね」
という晴美の話に、
「うーん、私も夢についてはいろいろ考えるところがあるけど、そこまで考えたことはなかったわ。でも今晴美の話を聞いていると、私も何だか同じような発想になっている瞬間があるような気がしてきたわ」
「きっと、誰もが思っているんだろうけど、それがあまりにも一瞬のために、意識する暇を与えてくれないのかも知れないわね」
晴美はそう言って、少し考えていた。
その間つかさは、晴美をじっと見ていたが、次に口を開いたのは、つかさの方だった。
「晴美は誰かと夢を共有しているという意識を持ったことあった?」
「夢の共有というと、誰かが自分の夢に出てきたり、自分が他人の夢に入り込んだりということ?」
「ええ、そういう発想でもいいと思うわ。要するに、お互いに自分の夢だと思って見ているけど、本当はそれぞれで同じ夢を見ているというイメージかしらね?」
というつかさの話に、
「私はそれは少し無理があるんじゃないかって思っているの。夢というのは、見ている本人の勝手な妄想が見せるものでしょう? そこに他人が入り込めば、入り込んだ人には違和感があるはずで、そう考えると夢の共有はありえないんじゃないかって思うの」
と晴美は自分の意見を述べた。
「確かにそうなんだけど、私は少し違った意見を持っているの。夢というのは確かにその人の潜在意識が見せるものだと思うのね。だから晴美のいうように、自分の夢の主人公は自分でなければ違和感があるというのも分かる気がするの。でも本当に人間は自分が主人公でなければいけないという潜在意識を持っているのかしら? 私はそこに疑問を感じるの」
とつかさは言った。
「確かに、集団の中には自分を目立たないような位置に置いている人もいるわ。でもそれは現実世界を生き抜くためのもので、潜在意識の中では、自分中心の世界を思い描いているのが人間なんじゃないかって思うのよ」
という晴美の意見を、少しため息交じりで聞いていたつかさは、
「そうかしら? それこそ人間の傲慢さを表に出した考えなんじゃないかって私は思うの。誰もが表に出たいと思うことが、すべての人間に言える潜在意識だとすると、自分が見る夢はすべていい夢でなければいけないような気がするわ。もっとも夢は潜在意識が見せるものだという前提が違っていれば別なんだけど、晴美はそのあたりはどう考えているの?」
「私もつかさと夢を見せるのが潜在意識だという考えに賛成だわ。もっと言えば、潜在意識だけが夢に繋がるものだとすら思っているくらいよ。ただ、潜在意識の中にも余計な感情が含まれているという考えがあってもおかしくないような気がするの。さっきのつかさの話を聞いていると、潜在意識はその人そのものであって、潜在意識を否定することはその人自身を否定することになるような気がするんだけど?」
「そうね。潜在意識の中に余計な感情が含まれていないといえないことは私にも分かるの。でも、夢を見せる潜在意識の中には余計な感情はないというのが私の意見なのよ」
「つまりつかさの意見としては、潜在意識のすべてが夢を見せる前提ではないということになるのね」
「ええ、そうなるかしら?」
このあたりで、つかさと晴美の意見が相違しまい、それ以上の夢に対しての談義は、どんどん離れていくのではないかとお互いに感じていたようだった。
「でも、夢というのは、覚えている夢と忘れてしまう夢があって、覚えている夢というのは怖い夢が多く、忘れてしまう夢というのは、楽しい夢が多いという気がするわ」
と晴美がいうと、
「ええ、その通りだわ。私もその意見には賛成。そしてね、忘れてしまう楽しい夢というのも完全に忘れているわけではなくって、ちょうどいいところで終わってしまったという意識だけが残っているの。だから、逆にいえば、下手に覚えていると、最後まで見れなかったことが未練となって残ってしまいそうな気がして、そういう意味では忘れてくれてありがたいとも言えるんじゃないかって私は思うの」
とつかさが言った。
さっきまで夢に対しての考えが交錯していたことで、意見を戦わせることで、お互いの信頼関係に亀裂を生じさせる危険があったのを、晴美の一言が解消してくれたかのようだった。
――そういえば、今までも晴美の一言で喧嘩にならずに済んだことが何度かあったわね――
とつかさは思い出し、思わずニヤニヤしてしまいそうになってしまった。
その様子を晴美も分かったようで、
「どうしたのよ」
と聞かれたので、
「ううん、何でもない」
と答えた。
お互いに亀裂が入りかけたことなどまったく感知していなかったかのように、二人とも爽やかな表情になっていた。
「夢ってさ、目が覚めていく時、ボーっとしている間に忘れていくでしょう? 夢を忘れていくために、ボーっとしている時間が存在するんだって考えるのはおかしいかしら?」
と晴美が言った。
実はつかさも同じようなことを考えたことがあったが、あまりにも幼稚な考えに思えて、すぐに自分で否定した。一度否定してしまうと、もう二度と同じことで考えようとすることはないつかさにとって、その発想は忘却の彼方ともいうべき、遠い過去に思えたのだ。
「私も考えたことがあったけど、もう考えたことがあったことすら忘れてしまっていたわ」
とつかさがいうと、
「それって、幼稚な考えだからでしょう?」
と言われて、つかさはドキッとした。
――まさか晴美に自分の考えを看破されるなんて――
今までお互いに他の人には話せないようなマイナーでカルトな話をたくさんしてきたが、晴美に自分の考えを看破されたことはなかった。
それがつかさにとっての自負でもあり、晴美に対しての優位性のようなものだと思っていたのに、いきなりの看破でつかさは戸惑ってしまった。
「ええ、確かにそうだったんだけど、どうして晴美はそう感じたの?」
「つかさが、考えたことがあったけど、考えたことを忘れてしまったというのは、自分にとって考えたことを否定して、考えなかったことにしたかったことなのよね。そこに何があるのかを考えると、高貴な考えをいつも示しているつかさにとって、幼稚な考えというのは、否定したいことに値すると思ったからなのよ。でも、本当にそうだったなんて、私もビックリだわ」
と晴美は言った。
考えてみれば、今まで話をしてきて、話題を振ってくるのは晴美の方が多く、その話題に対してアンチな意見を述べるのがつかさだった。最初に振ってきた相手に対し、アンチな意見を通すには、相手に対して優位性を絶えず保っていなければできることではない。
しかも、相手に自分が優位に立っているという意識を持たせたとしても、そこに不快感を与えてはいけないという問題を抱えている。これは、優位に立っているということを相手に悟らせないことよりも難しいのではないかと晴美は思っていた。
つかさは、晴美がそこまで考えているなど、想像もしていなかった。
晴美はいつも自分から話題を振ってくるだけで、つかさのアンチな理論を自分なりに考えて、最後にはうまくまとめることに関して長けていることはつかさにも分かっていたが、それはつかさの優位性にニアミスはあるかも知れないが、うまく触れないところで話を展開できるのは、二人の相性によるものだと考えていた。
実は、晴美も最初はつかさと同じように考えていた。自分が余計なことを考えなければお互いの相性で、話はうまく展開していくと思っていた。最後にうまく結論が生まれるようにすることが自分の役目だと、途中から感じるようになった。つかさも晴美との話の展開が途中から少し変わってきたことに気付いていた。その頃から自分が晴美に対して優位性を持っていることに自信を持つようになり、晴美のまとめを自分が演出していることに満足していたのだ。
それをこの時、晴美は何を思って自分がつかさの考えを看破していることを口にしたのか、つかさは混乱した頭の中で考えていた。
――ここまでくれば、看破されたというよりも、凌駕されているようにしか思えない――
とつかさは思った。
――このままなら、立場が逆転してしまうんじゃないかしら?
とまでつかさは感じたが、晴美にはそんな思いはサラサラなかった。
どちらかというと、
――ここで私がつかさに自分のことを話しておかないと、いずれはこのまま交わることのない平行線を描いてしまうことになる――
というのが、晴美の考えだった。
晴美の中では、つかさと今はお互いの距離が絶妙なことで関係もうまく行っているけど、そのうちにどちらかの吸引力に差が生まれて、引き合っている部分が錯覚を呼ぶことになるかも知れないと感じたのだ。
お互いに離れていくと、それぞれのことを分かっていると思っているだけに、離れたことでお互いに意識し合ってしまい、必要以上に意識することで、永遠に別れることができなくなってしまうように思えたのだ。
もちろん、ずっと別れたくはないという思いはあるが、結局は同じ人間ではないのだ。近い将来、必ずお互いに違う人生を歩み始めることになるだろう。その時に今のまま推移してしまうと、お互いが意識し合いすぎて、せっかくの相性が悪い方に影響してしまい、人生を狂わせることになるかも知れない。
お互いに好みも違えば、考え方も違う。ある意味、お互いに似たところなどまったくないといってもいいだろう。そういう意味でお互いが興味を持ち合い、惹かれて行ったというのが本当の二人のなれ初めだった。
晴美はやっとその頃になって気付き始めたのだが、つかさはまだ気付いていない。おそらくつかさの中で、晴美に対しての優越の気持ちが消えなければ、永久に分かるものではないに違いなかった。
そのことまで晴美は分かってきたようだった。この時点で、お互いの関係に対しての理解度は、完全に逆転していた。
つかさはそのことを怖いと思いながらも認めたくないという一心から、まだ自分に優位性があることを信じて疑わなかった。これが、お互いに意識を歪めることになり、偶然話をした、
「夢の共有」
という発想が、本当に事実として現れてくることになった。
――夢の共有なんて話をしたのは、ただの偶然だったと思っていたけど、ひょっとすると偶然なんかではなく、必然のことだったんじゃないかしら?
と後になって感じたのは晴美だった。
つかさもその後に同じことを感じるのだが、自分にまだ優位性があると思っていたので、晴美はまだそのことに気付いていないと思っていたようだ。そのため、実際に夢を共有したと思っているつかさの方から、この話題に触れることはなかった。
晴美の方も、優位性が自分にあると感じていたので、わざわざつかさに言うことではないと思った。このあたりから、二人の関係がギクシャクし始めたのかも知れない。
晴美が小説を書いてみようと思い始めたのは、高校三年生になってからだった。高校に入った頃は文章を書くのはもちろん、見るのも苦手だった。それなのに中学時代から春日博人の小説だけはよく読んでいた。
「彼の小説は結構難しいのに、どうして晴美はあれだけは読めるのかしらね」
とつかさは言っていたが、つかさの方も同じように文章を読むのが苦手なくせに、愛読できる作家がいたのだった。
その人は竹下かなえという作家で、短編を多く書いている人だった。
作風としてはホラーのようなミステリーのような、奇妙な話が多かった。元々はコミカルな小説を書いていたのだが、途中から急に作風が変わったようで、奇妙な話では第一人者と言われるようになった。
さらに彼女の文章は読んでいて飽きることはない。セリフだけを読み飛ばすことの多かったつかさや晴美にでも読める小説だろうとつかさは感じていた。
しかし晴美は春日博人の小説を愛読している。一度勧めたことがあったが、
「面白いとは思うけど、私には向かないわ」
と何を根拠にそう言ったのか分からなかったが、そう言ってアッサリと読むことを断られた。
――まあいいか――
とつかさも強要はしなかったが、逆に自分だけが読んでいると思うと、なぜか晴美に対しての優位性がよみがえってくるような気がしていた。
竹下かなえの小説を読んでいると、晴美と中学時代に話をしたことを思い出す。結構難しい話をしていたという意識がよみがえってきて、内容は小説とは結びつくものではないが、中学時代に何を考えて晴美と話をしていたのかを思い出すことができたのだ。
竹下かなえの小説の初期はコミカルなものが多いと言ったが、今では本屋にもその頃の小説は置いていない。
「竹下かなえ=コミカルな小説家」
というイメージでデビューしたはずなのに、今では、
「竹下かなえ=大人の小説を書く人」
というイメージが固まっていた。
最近ではライトのベルが主流で、難しい話やオカルト系の小説はあまり表に出てくることがないような気がしていたが、竹下かなえに関しては昔からの根強いファンがいて、結構長い間人気を博している作家でもあった。
だが、それも表に出ているわけではない。
「玄人好みの作家」
というランクの中ではいつもベストスリーには顔を出しているランカーだった。
彼女の小説は、奇妙な話ではあるが、そのほとんどが、
「普通のありきたりの生活を営んでいる人が、ある日突然不思議な世界の扉を開いてしまった」
というコンセプトの小説となっている。
サブカテゴリーが奇妙な話だとすれば、メインカテゴリーは恋愛であったりミステリーであったり、ホラーであったりと、多種にわたっての作品が目立っていた。
彼女の小説が大人の小説と言われるのは、そのところどころで描かれているエロさがあるからだ。その部分だけを取り出せば、
「これって官能小説なの?」
と思われるような部分がところどころに散りばめられている。
しかし、エロい部分も大人の目線だと考えると、小説の中に散りばめられたエッセンスのようなものだといえば、それが大人の香りを意味しているのだろう。彼女自身も、
「私の小説は誰もが、自分に当て嵌めて読めるといってもらえるようなものに仕上がっていれば最高ですね」
と、インタビューで答えていた。
つかさは彼女の描くエロさを、顔を紅潮させながら恥ずかしいと重いながら読んでいた。それは、つかさが本を読む時に、自分が主人公になりきっているような気持ちで読んでいるからだ。
だが、竹下かなえの小説は、いつもいつも自分を主人公に照らし合わせて読めるものではない。逆に違う立場でも読むことができる作風なので、つかさは読み漁ることができたのだろう。
彼女の小説の中に、つかさが気になっている小説があった。それは、自分と同じ人間が数分前にも存在しているという話だった。
主人公は高校生の女の子、彼女は小学生の頃に夢を見たのだが、その夢ではもう一人の自分が出てきて、じっと自分を見つめているという。そのもう一人の自分は自分が見られていることは知らない。こちらを見つめているだけで、なんらアクションを起こそうとはしないのだ。
実に不気味な感じだった。
――自分が自分を見つめている――
見られている自分がそのことを知っているのに、相手は気付かれていることを知らない。まるでこちらを見るだけのために存在しているようではないか。
――もし私があちらの立場の自分だったら、どんな気がするだろう?
そう思うと、鏡を見るのも怖くなった。
ここまでは、小説の中の主人公の話だ。
つかさは主人公の立場になって読んでいるつもりだった。実際にここまでは間違いなく主人公になっていた。
そして、主人公の女の子はその頃からもう一人の自分が存在しているという妄想に駆られ、不安が抜けなくなってしまった。その思いはトラウマとなってしまったが、普段は慣れてきているのか、さほど恐怖を感じなくなっていた。
そのうちに、
――もう一人の自分が存在しているということは、別におかしなことではないんじゃないか?
と考えるようになった。
主人公は、もう一人の自分の存在は誰もが知っていることで、いまさら主人公が気付いただけではないかと思うようになった。それは自分の中にあるトラウマに対しての精一杯の抵抗だったのかも知れない。
もう一人の自分は、自分に対しては非力だが、その自分が困っていることがあれば、陰から助けることができる。自分にとっては実に都合のいい存在なのだが、それを知ってしまうと、その効力がなくなってしまうのではないかと思うようになっていた。
その感覚はおとぎ話の感覚に似ている。
「決して見てはいけない」:
あるいは、
「決して開けてはいけない」
と言われたことをしてしまうと、主人公にとって最悪の結末が待っていることになる。
それが浦島太郎のお話だったり、鶴の恩返しのお話だったりする。ソドムの村の話などは、その最たるものではないだろうか。
晴美と中学時代におとぎ話の話をした時のことを思い出していたが、その時すでにつかさは、竹下かなえのこの小説を読んでいた。その思いからあの時は自分の意見をしっかりと言えたのだと思っている。
また、晴美と話をした中での夢の共有の話や、同じ日を繰り返しているという話も竹下かなえが小説の中で書いていることでもあった。つかさは彼女の小説を思い浮かべながら話をしていたことを思い出し、彼女の小説を何度も読み返しながら、晴美と話をした時のことを思い出していたのだ。
つかさは、同じ本を何度も何度も読み返すことが多かった。同じ番組を何度も見るのを同じ感覚だが、番組と違って小説を読み返すことは、それだけではなく、発想に繋がっていく事実がどこかにあって、それを一緒に思い出すことで、発想を妄想に結び付けていたのだ。
以前、晴美と夢の共有の話や同じ日を繰り返している話をした時に感じた優位性という感覚、それも竹下かなえの小説を読んでいたから感じたものだったのだろう。
晴美も実はつかさと夢の共有や同じ日を繰り返すという話をしている時、春日博人の小説を思い浮かべていた。
晴美が春日博人の小説を好きで読んでいるというのは、その時から分かっていた。晴美も自分と同じように彼の小説を思い浮かべて話をしているのだということも分かっていた。
つかさは春日博人の作品をさほど読んだことはない。一度サラッと読んだことはあったが、その話をすぐに忘れてしまった。それはまるで目が覚めるにしたがって、夢の内容を忘れてしまっているかのような感覚だった。
しかし絶対的な違いは、
――夢の場合は、まだ見ていたいという内容の話を忘れていくのであって、春日博人の作品は、見ていたいと思わないから忘れてしまっていくんだ――
と感じていた。
それほどつかさには彼の作品は心の奥に響くものがないということだろう。だが、最近では少し考えが変わってきた。
――竹下かなえの小説を読んでいることで、春日博人の小説を否定しようとしている自分がいる――
と感じていた。
すると、今度は竹下かなえの小説を読んでいることで、その理屈が分かるような気がしてきた。
――彼女の小説の中に出てくるもう一人の私がいて、彼女はきっと春日博人の作品を自分のこととして吸収しながら読み込むことができるのではないだろうか――
と感じていた。
春日博人という作家について、つかさは否定をしているわけではない。しかし、竹下かなえの小説を読んでいると、彼女の小説の中に春日博人が含まれてしまうように思えてくるのだ。
下手をすると、
――春日博人なんて作家は、本当は存在しないんじゃないか――
とまで考えてしまう。
まるで二人の小説家が同化してしまったかのような錯覚を覚えた。
――別に作風が似ているわけではないのに――
と思うのにである。
だが、別の考えも生まれた。
――もし、最初に春日博人の作品に陶酔した人が、今度は竹下かなえの小説を読めば、どんな気分になるんだろう?
という思いだった。
その条件を満たしている人が、ごく身近にいるではないか、それが晴美であり、つかさは晴美に、
「竹下かなえの小説を読んでみなさいよ」
と言いたい気持ちになっているのも事実だった。
だが、なぜかつかさにはその「勇気」がなかった。
――勇気?
それほど大げさなものではないはずなのに、もし晴美が竹下かなえの小説を読んで、自分の中で竹下かなえの小説を否定する気分になったらどうしようと思うのだった。
もし否定されると、つかさの中では、
――晴美も私と同じような気持ちになれるのね――
ということで、晴美に対しての思いはさらに深まるのだろうが、逆の感情として、
――私が陶酔している竹下かなえを否定されると、今度は私を否定されているような気がする――
と感じた。
これも大げさなことだが、最近もう一人の自分の存在を気にし始めたつかさには、晴美によって竹下かなえを否定されることは、もう一人の自分を否定されるようで、それが怖かったのだ。
これは、今の自分を否定されるよりももっと怖い感覚で、鏡を見た時、そこには写っているはずの自分が写っていないということを示しているような気がするからだった。
ここでつかさの中によみがえってきた感覚は、
――晴美に対しての優位性――
という思いであり、その優位性を持つことができたのも、つかさの中でもう一人の自分の存在を認めている自分を信じているからだと感じていた。
その思いがあるから、つかさが竹下かなえの小説を読んでいるということを誰にも話していない。
それだけでは満足できず、自分があたかも国語や文章が嫌いで、苦手なのだという姿を回りに対して演じていたのだった。
だが、それがウソだということを最初に気付くことになるのは、やはり晴美だった。晴美が一番気付くには近い存在であるということは歴然としてはいたが、皮肉な感じであることも歴然としていた。実に不思議な感情である。
つかさが絵画に目覚めたのは、竹下かなえの小説の影響も大きかった。彼女の作品には絵画を思わせる作品がいくつかあり、彼女のプロフィールを見ると、学生時代には絵を描いていたという話も書かれていた。
彼女の作品で絵画を思わせるものとして、主人公が画家だという人が多かったり、絵画に結びつく発想があったりするのを見てそう感じた。
「絵というのは目の前にあるものを忠実に描くだけではないんだよ。時には思い切って省略することも必要だと思っている。そこにフィクションを描いているという意識があるわけではなく、自分の感性がそう描かせるんだという発想ですね」
というセリフがあり、その言葉がつかさの中で印象的だった。
確かに彼女の小説はたまに、
――これだけの情報で情景をイメージさせるのは難しいんじゃないかしら?
と感じさせるものもあった。
しかし、それはつかさだけが感じることであって、他の人にはそこまで感じることはないと思った。他の人と竹下かなえの小説の話をしても、
「私はそんなことは感じなかったわ」
と言われたので、その時初めてそう感じる自分の方が考えすぎなのではないかと感じた。
最初はどうしてそう感じたのか分からなかったが、よくよく考えてみると、先ほどのセリフと彼女の作風が結びついていることに気付いた。
――なるほど、そういう解釈なんだ――
とつかさは感じたが、同時に、
――私も絵画に向いているんじゃないかしら?
とも思った。
絵画に関しては、小説を書くよりも苦手なことだと思っていた。小説を書くのもいろいろ試行錯誤を繰り返しながら、
――今なら書けるかも知れない――
と思うところまで行き着いた。
しかし、絵画に関しては、小説以上にハードルが高かった。なぜなら越えなければいけない壁がハッキリしていて、そのステップごとに、
――私にできるかしら?
と感じさせるものが多かった。
小説の場合は、独学でもできると思ったが、絵画に関してはきっと独学でできるものではないと分かっていた。学生なのでサークルに所属して、教えてもらうか、絵画教室のようなところに通うかのどちらかなのだろう。つかさは絵画教室に通ってみることにした。
かといって、仰々しくかしこまったようなところは苦手だった。趣味でできればいいという程度のものだったので、気軽に参加できるコミュニティ的なところを望んだ。地域のコミュニティを探していると、ちょうどデッサン教室が市の広報を見ると開催されることがネットに掲載されていたので、さっそくアクセスして確認してみると、
――ここならいいわ――
と思えるところだった。
参加も自由参加で、年齢性別も不問と書かれていたので、安心して通えるところだった。
晴美にも内緒で通った。学校が休みの時に通うことにしたが、親の仕事は休日関係ないので、つかさが昼間絵画教室に通っていても、知られる心配もない。もっとも別に誰かに知られて困るものでもなかったのだが、最初に内緒にしてしまうと、途中で分かってしまうことに恥ずかしさを感じるのではないかという他の人が考えると意味不明な違和感を、つかさは持っていたのだ。
絵画教室には老若男女、さまざまな人がいた。一応名簿のようなものがあるが、自由参加なので、全員が集まることなどほぼありえないと思っていた。
実際に集まってくるのは一日に五、六人程度であろうか。多すぎるわけでもなく少なすぎるわけでもない適度な人数だった。
毎回メンバーは同じだった。人数が前後はするが、毎回会う人は、ほとんど固定していて、二、三回に一度という人もいるにはいた。
年齢的には年上の人ばかりだった。学生はつかさ一人だったが、あまり気にすることもない。それぞれが自由に楽しんでいるだけで、それほど会話があるわけでもなかった。
もし、これがサークルという集団でなければ、何とも寂しい集団に感じるだろう。ただ、同じ趣味の人間が集まって自分なりに楽しんでいるというイメージだが、
――これなら、一人で行動しているのとあまり変わりないわ――
とも感じたが、集団に属しているという感覚は、つかさの中では悪いことではなかった。
「つかさちゃんは、どうしてこのサークルに?」
と、一番年上と思しき男性から話し掛けられた。
年齢的には定年退職後の趣味を楽しんでいるという、悠々自適な生活を営んでいる人に思えたが、表情からは精神的な余裕を感じられたことから、まんざらつかさの想像は、当たらずも遠からじだろうと思わせた。
「元々は小説を読んで、その小説の内容から絵を描いてみたいと思うようになったんです」
というと、
「なるほど、小説も絵画も同じ芸術ですからね」
と言われて、
「その小説の中で気になったフレーズがあったんですが、絵を描くというのは、目の前にあるものを忠実に描くだけではなく、時には大胆に省略して描くことも必要だって書いてあったんですがそのことを確かめたいという気持ちも私にはありましたね」
とつかさが言うと、
「その気持ち分からなくもないです。私が絵を描き始めるようになったのは、二十年くらい前からだったんですよ。その頃の私はまだ社会人で、会社では中間管理職と呼ばれる部類だったんですが、その時にいろいろな悩みを抱えていました。上からの圧や、下からは突き上げを食らうような感じですね。悩みはジレンマに陥って、それを解消するには、どのように矛盾を解決するかということだったんです。理屈では分かっていても、実際にはなかなかうまく行きません。でも、私も雑誌に載っていた絵画についての話を読んで、目からうろこが落ちたような気がしたんですよ。そこには、今あなたの言ったような、大胆な省略という話が書いてあった。私は『これだ』と思ったんです。それから仕事ではかなり気が楽になって、気持ちに余裕が持てたことで、それまで噛み合っていなかった歯車が絡み合うようになったんですね。その余裕ができた気持ちのまま絵画を始めたので、定年退職した今でも、絵画を続けられているんだって思っています」
老人の話には大いに興味をそそられるものがあった。
もちろん、まだ学生であるつかさに、社会人としての悩みや大人の世界が分かるわけもないし、難しいことも考えたくないという気持ちもあった。しかし、この老人はそんなことを分かっていて話をしてくれたのだと思っただけで、
――まずは、この方の気持ちを分かってあげようと思うことが先決なんだわ――
と感じた。
「貴重なご意見ありがとうございます。私はまだまだ子供なので難しいことは分かりませんが、絵画を始めたきっかけが、私が今感じている疑問と結びついていることは分かりました。そう思うと面白いものですね」
というつかさの意見に、
「どうして、そう思うの?」
「だって、私はこの悩みというか疑問は、私だけのものだって思っていたんですよ。でも、こうやって初めてお話した人も同じようなことを考えていたと思うと、こんなことを考えるのは、自分だけではないという思いが浮かんできて、だったらそれが二人だけの考えなのか、それとも絵画を目指す他の人すべてが、口にしないだけで同じ考えなのではないかと考えるのか確かめてみたい気分になりますよね」
「つかさちゃんはどう思うんだい?」
「普通に考えれば、他の人も皆似たような考えを持っていると思えるんですが、私だけお思いとしては、あまり同じ考えの人がたくさんいてほしくないと思っている自分もいるんですよ。おかしいですかね?」
と言ってつかさは苦笑した。
「おかしいということはないと思いますよ。つかさちゃんは、自分が他の人と同じでは嫌だという考えを持っておられるんですよね。だけど、こうやってお話をしていると、同じ考えの人を見つけると嬉しく感じる自分もいる。そんな矛盾を抱えたジレンマを感じているんですよね」
「ええ、そうかも知れません」
「でも私のようなおじいさんから見れば、つかさちゃんの疑問というのは、自分が成長していくうえで、避けては通れない道だって思うんですよ。どうして思春期に反抗期というのがあると思います?」
と聞かれたつかさは、ふいをつかれたような気がしたが、
「世の中に対して、今まで知らなかったことが分かってきた自分が、大人というものの矛盾を分かってくるそんな時、ちょうど成長期で子供から大人への変貌の時期でもあることから、反抗していたくなるんですかね?」
というと、老人はニッコリと笑って、
「そうですよね。確かに今のつかさちゃんの考えは満点にも聞えるでしょう。でも私は少し違う考えを持っているんですよ」
「どういうことですか?」
「大人と子供の間には越えなければならないハードルがあって、そのハードルはひとそれぞれ違っているんですよ。ただ、皆に共通していることが一つだけあるんですが、それはなんだって思いますか?」
と聞かれて、まったく想像もできないつかさは、
「何なんでしょうね?」
と答えると、
「それはね。寂しさということなんですよ。きっと今のつかさちゃんには言い返したいことはたくさんあるんじゃないかって思いますが、では、どう言い返せばいいのか、頭の中で整理できますか?」
と言われて、つかさは考え込んだ。
確かに反論したいのはやまやまなのだが、どう答えていいのか、考えがまとまらない。老人は続けた。
「まとまらないでしょう? それは反論したいことが真理をついていることで、その時点でジレンマという矛盾を感じている証拠なんですよ。だからつかさちゃんには言い返すことができない。そこにまたジレンマが生まれる。つまりは、矛盾の堂々巡りとでもいえばいいんでしょうかね?」
「難しいですね」
とつかさがいうと、
「そうでしょう? すべては矛盾なんですよ。この世は矛盾から成り立っていると考えることもできる。だから、絵画だって目の前のことを忠実に描き出すことが当然なのだという考え方も、その奥に潜んでいる大胆な省略という矛盾を思いつけば、描けないと思っている人も、絵を描けるようになるんだって私は思います」
「じゃあ、あなたもそうやって描けるようになったんですか?」
「もちろん、最初からそんな理屈が分かって描けるようになったわけではないんですよ。私なりに試行錯誤を重ねていました。言葉には信憑性を感じるのに、いざ自分のこととなると思ったようにはできない。つまりは、つかさちゃんと同じように自分の中で、他の人とは嫌だという思いが根っこにあったということなんでしょうね」
「その意識が解消されれば、描けるようになったんですか?」
「いいえ、その逆です。その意識を持つことで、自分の中にジレンマがあることに気付きます。その時考えたのが、『私にとって矛盾の中のどれが一番自分らしいのか』ということでした。そのことに気付くと、おのずと描けるようになったんですよ。何かを始める時には必ずできるようになるためのきっかけというのが必要だと思うんです。そしてそのきっかけを掴むためには、タイミングも必要なんじゃないかとも思っているんですよ」
「タイミング?」
「ええ、闇雲に悩んでいても先には進みません。『押してもダメなら引いてみな』ということわざもあるでしょう? まさにその言葉と同じことなんですが、要するに目線を変えるというのも必要だということですね」
目線を変えるという言葉はよく聞く。この老人は当たり前のことを言っているようなのだが、この人が話していると、当たり前のことでも新鮮に感じられる。それだけつかさはこの老人に何かを委ねたいと思う気持ちになっているようだった。
「なるほど、貴重なご意見ありがとうございます。なんとなくですが、描くことできるような気がしてきました」
「それはよかった。まずは焦らないことです。省略するというのは別に焦って先読みするというわけではないんですよ」
と言われて、
――この言葉、小説を読む自分の最初の戒めだったわ――
と、小説が読めなかった頃の自分を思い出していた。
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