第2話 限定と限界
「ところでね」
晴美は、急に考え込むようにして、少し間をおいて、一言言った。
「えっ?」
「つかさは、釘谷真由という作家を知ってる?」
急に晴美が別の作家の名前を口にしたので、つかさは一瞬何が起こったのか分からないという表情になり、きょとんとしていた。別に大げさに驚いているわけではなかったが、晴美には違和感があった。つかさの取る態度に、こんな雰囲気は今までに感じられなかったからである。
「聞いたことはないわ」
「そうでしょうね。まだ作家としてデビューしているわけではないので、本屋に並んでいるというわけではないからね」
「どういうことなの?」
「十年くらい前から注目されるようになってきたネット小説サイトに投稿している作家さんなんだけどね。私はこの作家の作風が好きなのよ」
「へえ、珍しい。晴美は春日博人一択じゃないの?」
「ええ、文庫になったものでは彼一択なんだけど、最近ネット小説も気になって読むようになってから、この人の作品に興味を持ったの」
「どんな作家さんなの?」
「春日博人の作品をずっと読んできた人間なら分かるかも知れないんだけど、彼の作風を模倣しているところがあるのよね。でも、ジャンルも違っているし、普通に読んでいるだけでは彼を模倣しているように感じることはないと思うのよ」
「そうなんだ」
つかさはこの話に興味がないのか、返事は生返事だった。
小説を書きたいと思っている人は、昔から結構いただろう。
二十年くらい前までは、大手の出版社が主催する文学賞や文学新人賞に応募して入選でもしなければ、本を出したり作家になるなどできなかった。直接出版社に原稿を持ち込む人もいただろうが、そのほとんどは読まれもせずに、ゴミ箱行きというのが、大方のルートだった。
しかし、そんな状況に一筋の光明をもたらしたかのように現れたのが、いわゆる、
「自費出版系の出版社」
だったのだ。
この話は、学校で国語の先生に聞いた話だったが、先生は昔本気で作家を目指してかなりの作品を書いたという。今でこそ国語の先生に甘んじているが、作家を目指していた時期が、
「私の一番輝いていた時期だったかも知れないね」
と言って、苦笑いをしていた顔が印象的だった。
つかさは、この先生に興味があり、先生の話を聞くのが好きだった。もちろん、男女の仲で興味があるわけではなく、先生の考え方に興味を持っていたのだ。中学時代で一番好きだったのがこの先生だったと言っても過言ではない。
ここから先は、その先生が感じたと言って話してくれた事実だった。
作家になりたい人の夢を叶えるための救世主として登場した時は、作家になりたいと考えている人には機会を与えてくれる場所としてありがたがられていたことだろう。
作家になるには、一番の方法としての、
「有名出版社の文学賞に入選すること」
であるが、応募しても、結果だけしか分からない。
しかも、その結果というのは、合否だけであって、どこが悪いのか、批評などまったく返ってこない。
それは当たり前のことである。何百、何千という応募作品に対して、一つ一つ批評して返していれば、人も時間もまったく足りない。入試などであれば、テストの内容とその答えが公表され、自分で自己採点ができるというものだが、応募作品に対しての自己評価は、まったく意味をなさない。自分の作品が端にも棒にも掛からないほどのひどいものだったのか、それとも、あと一歩で合格できたのかすら分からないのだ。
それはテストのように、成否の二択ではなく、どこがどのように悪いのか、あるいは優れているのか、結果として残っていない。
有名出版社の新人賞などで一次審査には、応募要項に載っている審査員はまったく関与していない。いわゆる、
「下読みのプロ」
と呼ばれる、よく分からない連中にランダムに応募作品は振り分けられ、彼らの独断で一次審査の合否が決まる。
そのほとんどは、文法的に体裁が整っていないとか、次の審査に挙げるには貧弱に見える作品を通さないという程度のことで、落とされるのだ。
ひょっとすると、落選した作品の中には最終選考に残れば、入選できた作品もあったかも知れない。それを思うと、一次審査で落選させられた方はたまったものではない。
しかも、その理由はまったく分からない。独断と偏見で落とされたと思っている人も少なくないだろう。
何とも理不尽なやり方に、業を煮やしている人もいるかも知れないが、それが作家になるために通らなければいけない道だとすれば、作家になるには、実力だけではなく、運も必要だということを思い知らされることになる。
では、出版社に直接持ち込む場合はどうだろうか?
編集部に入れてもらえて、作品を受け取ってもらえるだけまだマシなのかも知れないが、作品の運命は、そこから先、受け取ってもらえない場合と同じだった。
「いや、もっと悲惨かも知れない」
受け取ってもらえなければ、自分で大切に仕舞い込めばいいだけだが、なまじ受け取ってもらえたとすると、面談が終わった後、瞬殺でゴミ箱行きの運命だ。
以前、テレビドラマで作家を目指している人の話を診たことがあるが、彼が持ち込んだ作品は、すぐにゴミ箱行きだった。
――こんなこと、テレビで放送してもいいのか?
と感じたほどだったが、それが現実。事実として認識しておかなければいけないことだった。
そんな作家になりたいと思っている人には、超えなければいけないハードルは、実力だけではないことを、ほとんどの人が思い知ることになっただろう。
しかし、そんなところに現れたのが、自費出版系の会社だった。
彼らは、新聞や冊子に、
「本を出しませんか?」
という謳い文句を掲載し、作家になりたい人の目に留まるようにした。
内容は、
「原稿をお送りください。我が社のスタッフが丁寧に読ませていただき、ランクをつけて批評を交えてお返事いたします。ランクというのは、非常に素晴らしい作品なので、我が社が全面サポートを約束し、費用もすべて我が社持ちです。これを企画出版と申します。また作品としては素晴らしいのですが、企画出版に至るまでにはもう少しのランクが必要なので、出版社と作家様とで費用を出し合い、出版社が製本や宣伝までをサポートいたします。これを協力出版と申します。そして、最後はそのどちらにも当たらない作品として、作家様が執筆の記念に、身近な方に読んでいただく程度の本を我が社が製本します。ただ、この場合は、全額作家様ご負担となります。いわゆる昔からある自費出版というものですね」
というものだった。
このような自費出版社系の会社はいくつかあり、一種の時代を作ろうとしていた。
実際に、作家になりたいと思っている人はたくさんいて、これまでの新人賞入選や持ち込み原稿のハードルの高さに、自らおおっぴらに、
「作家になりたい」
などと口にできる人がいなかった。
しかし、自費出版社系の会社が増えてくると、これまで眠らせていた原稿を、たくさんの人が出版社に原稿を送るようになる。
そして、出版社側の言い分通り、作品には批評を沿えて、ランク付けをして送り返してくれた。
ランクは協力出版で、見積もりがそこには書かれていた。金額的には大体のことが書かれているだけで、具体的なことは書いていない。出版を前向きに考えるのであれば、さらに具体的な提案をすると、そこには書かれていた。
だが、作家にとって、そんなことはどうでもいいことだった。実際に作品を読んだ人がどのような内容の批評をしてくれているかということに興味があったのだ。
内容を見ると、最初の方では、具体的な例を示して、褒めてくれている。だが、最後の方では、辛口批評もやはり同じように具体的な事例で示してくれていた。
実はこれがありがたいのだ。
――褒めてばかりでは信憑性に欠ける。やはり辛口もなければ、本当に公平な目で見てくれているのか疑問に感じる。もし褒めてばかりしかいなかったら、相手はお金を出させるためだけに批評を書いているとしか思えない――
と感じた。
作家になりたい人の心をくすぐるような絶妙なやり方は、社会現象にまでなっていたのではないかと思えた。
ちょうどその時期というのは、世の中がバブルが弾けて、仕事人間だった人に時間ができた頃だった。リストラの嵐が吹き荒れて、仕事に何も求められなくなった人が、余暇や自由な時間をいかに楽しむかが、生きていくために必要になってきた。
もちろん、仕事人間だった人が急に生活態度を変えるのは難しいことで、無理をすると身体に変調をきたしてしまうことも多くあった。原因不明の病気になった人や、精神的に少し不安定になる人も多くいて、社会全体が変わってしまったことを誰もが認識せざるおえなかった時期だった。
そんな時期だからこそ、それまで文章を書いたこともない人が俄かで文章を書き始める。中には本当にひどい人もいただろう。文学新人賞に応募してくる人の中には、文章の切れ目で段落を作るために、一文字下げて書くという基本中の基本もできていない人が思ったよりも多かったりするという話も聞いた。
――そんな連中と自分は、同じように一次審査にも通らないんだから、話にならない――
と、自虐的にもなったという。
しかし、自費出版社から返ってきた批評は、自分が考えもつかなった観点で褒めてくれたり、悪いところを指摘してくれたりしていた。
――こういうのを待っていたんだ――
以前から、文章講座の通信教育というのはあったが、その場合でなければ批評など返ってくることもなかった。しかし、お金も掛かるし、果たして自分の望むような批評なのかどうか、甚だ疑問もあった。
先生は、それまで書き溜めた作品を吟味しなおし、自分の中で納得の行っている作品を選んで、自費出版へ送り続けた。
出版社はいくつもあるので、作品も複数送れる。それぞれに批評もありがたかったが、ただランクはすべて協力出版だった。
何作品も送り続けているので、出版社ごとに自分の担当という人が出版社内で決まっていた。
そのうちの一社の担当者とは、電話でも話をしていた。その出版社は、この業界でもパイオニアで、最初に立ち上げた会社だったという。他の会社は二番煎じで、やはりパイオニアの会社が一番信用できると思うようになっていた。
その担当者が、五作品目を送った時に連絡してきて、
「そろそろ、真剣に出版をお考えいただけませんか?」
と言ってきた。
見積もりを見ると、百万円単位の出費が必要になっているようで、いくらなんでも、そんなお金、どこにあるわけもなかった。
元々、批評がほしくて原稿を送っていたのだが、毎回似たような批評を返してくることで、次第にこちらも少し苛立つようになってきた。そこへ出版社側もこちらがなかなかなびかないことに業を煮やしてくるのだから、衝突することも否めなかっただろう。
相手の勧めに、
「いあ、僕はあくまでも企画出版を目指しますので」
と言って、やわらかくいうと、相手も次第に必死になってきて、
「今までは私の力であなたの作品を推してきましたが、それももう限界です。今のうちに出版をお考えいただかないと、協力出版の話も立ち消えになりますよ」
と言ってきた。
――それが、こいつらのやり方か?
と、相手の本音が垣間見えてきたが、それでも穏やかに、
「いえ、やはり企画出版を目指して」
というと、相手は完全にキレたのだろう。
「そんなことは不可能ですよ。今の出版業界というのは、難しいんですよ。企画出版なんてものは、名前の知れた人でなければ百パーセントありえません。たとえば、芸能人かあるいは犯罪者でなければ無理なんです」
完全に相手も本性を現した。
こうなってくれば、こちらも容赦しない。
「そうですか。分かりました。もうおたくとはこれまでですね。他の出棺者当たります」
というと、相手は電話口で舌打ちをした。
「そうですか。でもどこに出しても同じことですよ。時間の無駄です」
完全に上から目線の舌打ちだったことが分かった。
先生は怒りを抑えながら、
「さようなら」
と一言言って、その出版社とはそれきりになった。
他の出版社にも原稿は送ってみたが、完全にやる気をなくしていたので、もう原稿を送ることもなくなってしまった。
自費出版社系の会社の運命が決したのは、それから二年ほどだったのことだった。
彼ら自費出版系の会社というのは、いわゆる自転車操業だった。お金の使い道とすれば、まずは出版に興味のある人を募るための宣伝、広告費である。雑誌や新聞に公告を載せ、作品を発表したい人の興味をそそる。その宣伝文句は、
「本を出しませんか?」
というものだった。
アマチュア作家にとって、プロの小説家になるのはもちろんのこと、自分の本を本屋に並べたいという気持ちが強いのは当たり前だ。以前は小説家になってから本屋に本を並べるというやり方が主流だったが、自費出版系の出版社では、先に本を出して、プロを目指すという今までになかったもう一つの道を開拓したという意味で、作家になりたいと思っている人の気持ちを揺さぶったのだ。
彼らは、今まで小説家を目指している人にとっての難関だと思われていた部分をことごとく打ち破ったかのように見えた。
持ち込み原稿にしても、新人賞投稿にしても、作品を提示しても、結果が不合格なのは分かっている。しかし、不合格なら不合格で、どこが悪いのか分からなかったことが苛立ちを覚えさせた。苛立ちは不安からくるもので、その不安を自費出版社系の会社は解消してくれた。
彼らの批評は的を得ていた。営業の人はかなり小説を読み込んできたか、あるいは、自分たちも小説家を目指していたのかも知れない。ひょっとすると目指している途中だという人もいるかも知れないが、彼らにはそれ以外に、
「本を作らせないといけない」
という使命を帯びているので、本来の新鮮な気持ちを失ってしまったのだろう。
それを思うと、以前電話で喧嘩別れした営業の人を思い出した。彼を許す気にはならないが、同情の余地がないわけではない。ただ、彼らとしても、作家の担当や、応募原稿を読まなければいけないという多種に渡る仕事をこなさなければいけないので大変だろう。
お金の使い方としては、そんな彼らの人件費も当然かなりのものに違いない。
作家を目指している人がどれほどいるのか分からないが、かなりの人が毎日のように原稿を寄せてきているのは間違いないだろう。出版社主催のコンクールも行われていて、応募原稿の数が半端ではなく、有名出版社の新人賞応募とはケタ違いだった。それでもすべてに批評とランクをつけて返信しているのだから、かなりの人が重労働に動員されていることに間違いはないだろう。
さらに、ある出版社の中には多角経営として、自分たちの会社から出版した本を陳列し、そこをカフェのようにして経営しているところがあった。本を自由に喫茶で読むことができるというコンセプトだが、あまり流行っていなかったが、そこで執筆活動も自由だった。先生はそこで執筆に勤しんだという。
「どうせ作家になったり本を出すというのが、この制度では難しいと分かったんだから、せっかくだから利用するだけ利用させてもらおうと思ったのさ」
と言って笑っていた。
「そうですよ。恨みつらみを晴らせばいいんですよ」
とつかさは言った。
先生は苦笑いをしていたが、その表情には悟りのようなものがあり、余計なことを考えないようになったようだ。
そして、その時に気付いたのは、
「本を出すというのは、印刷代も紙代もいるし、印刷会社への支払いもいる。でもそれだけじゃないんだよ。一つは本を出せば本屋に置いてもらうという必要がある。毎日何十冊と新刊が発行されているのに、無名の作家の、しかも自費出版関係の出版社の本など、どこの本屋が置くというのだろう。万が一にも置かれたとしても、一日か二日で他の人の本を置くことになり、返品されるのがオチなんだよ」
「そうなんですね」
「それで本というのは、ロットが決まっていて、もちろん見積もりにもそれは書いているんだけどね、一千部とかの単位になるんだよ。ということは作るだけ作って、どこにも置くことができず、在庫として抱えることになる。そうなると、それなりの大きな倉庫も必要になるし、一度作った本を簡単に廃版にもできない。そうなると、倉庫代もバカにならないのさ」
「それでよくやっていけますよね?」
「やっていけないから、本を作りたいと思っている人をたくさん抱え込んで、本を作らせる。そうしないと即つぶれてしまうからね」
「それってまるで血を流しながら走っているようなものじゃないですか?」
「そうなんだよ。だから自転車操業だっていうんだ。走り続けないとそこで終わってしまう。しかし、走らせることはそのまま破滅を招くことにしかならないんだよ」
つかさはその言葉が印象的だった。
その後、出版社の一つは本を出した人から訴えられたらしい。
「本屋に一定期間置いているという約束だったのに、どこの本屋にも置いていない」
というのが理由だった。
そのうちに一人だったのが数人になり、集団訴訟のような形になって、出版社はあっけなく敗訴となる。
「これが彼らの末路でね。一社が倒産すれば、他の会社も連鎖的に倒産の憂き目を見ることになったんだ。結局は最後に一番大きなところが残ったというだけなんだけど、この話には続きがあってね」
「どういうことなんですか?」
「その生き残った出版社というのは、僕が最初に応募したところで、営業の人と喧嘩別れしたところだったんだ。でもそこが問題で、ネットの中で、他の出版社が瞑れたのは、この会社が裏で手をまわしたからだという話もあったんだ」
「まあ、じゃあリークしたということ?」
「そういうことになるね。独り勝ちを目指したんだろうけど、やはり僕の思った通り、やり方が汚いよね。でも、それでよく分かった。しょせんブームに乗っかって新しいことをしようとするとやっかみを招いたり、ブームの中で無理が通らなくなることがあり、それが露呈すると、ブームはあっという間に去ってしまうんじゃないかってね。今のネットでの小説サイトというのも一種のブームなのかも知れないけど、とりあえず無料ということで被害はないと思うんだ。ただ気になるのは一般公開するので、不特定多数の人が見るので、盗作などの問題が起こるかも知れないという懸念はあるけどね」
「そうですね。でも、先生は投稿しているんでしょう?」
「ああ、してるよ。僕はいまさら小説家への夢が残っているわけではない。ただ死ぬまでに一度でいいから本が出せれば幸せだなと思う程度なんだ。せっかく先生として頑張れるんだから、その中で小説を書くという趣味、いや、趣味以上プロ未満とでもいうべきか、この位置が心地よいと思っているんだよ」
「きっと先生はいい経験をしたんでしょうね」
とつかさがいうと、先生は少し考えたが、
「そうだね。そういうことにしておこう」
と言って、その話はそこで終わった。
つかさは、その話を思い出しながら、晴美のいう釘谷真由という作家の話を聞こうと思っていた。
「釘谷真由という作家ね。どうも私の身近にいるような気がするの」
と晴美が言った。
その言葉を聞いて、つかさはドキッとしたが、その様子を相手に悟られないようにしようと感じた。
晴美という女の子は、つかさが感じているよりも実際には勘のいい女の子で、相手のいうことからいろいろ想像して、意外とそのほとんどが的を得ていることが多かったりする。しかも、その様子を相手に悟られないようにするのもうまいので、つかさにはまだまだ晴美の分からないところがあるようだった。
これはつかさにも言えることで、晴美の知らないつかさが存在しているのは事実だった。ただ、それは晴美に限ったことではない。誰もつかさの本当の姿を知る人はいなかった。
「その釘谷真由という作家はどんな作家さんなの?」
とつかさが聞いた。
「私が最初に見たのは、ある無料投稿サイトだったんだけど、そこはランキングをつけていて、いつも上位にいたのよね」
と晴美が話し始めた。
「ええ」
「ジャンルはバラバラで、恋愛ものもあればサスペンスもある。ホラーやミステリーもあるんだけど、一貫しているところがどこかにあったのよ」
「どこにあったの?」
つかさは興味深げに聞いてみた。
「彼女の作品は、いつも舞台はこじんまりとしているのよ。最初は小さなところから徐々に広がっていくんだけど、最後もそれほど広がりを見せないような感覚ね。だから登場人物も少ないし、時系列もそんなに長くないのよ。でも、彼女はあくまでもフィクションにこだわっていると思ったのね」
「というと?」
「舞台が限られているということは、それだけ焦点が定まっているように思えたの。他の人の作品を見ると、結構広範囲の世界を描いていて。最後には収拾がつかなくなっている作品も少なくないのを見ると、彼女の素晴らしさは焦点が定まっているところにあるんじゃないかって感じたの。確かに彼女の作品には一定の流れがあって、人によってはワンパターンに見えるかも知れないけど、私にはその中でも微妙に違っている部分が、彼女のバリエーションの豊かさに感じられたの。そこで彼女の作品が春日博人に似ていると感じたのは、彼の作品が連作の短編集になっていて、数珠つなぎのような雰囲気に、彼女の小説が感じられて、興味を持ったというわけなの。彼女本人が本当に春日博人を意識しているのかどうか分からないけど、模倣のように思えたのは私だけなのかしらね?」
「でもフィクションなんでしょう?」
「ええ、フィクションにこだわっているように思えるの。どうしてそう思うのか分からないんだけど、彼女にはノンフィクションが書ける気がしないと言えばいいのかしら?」
そんな晴美の話を聞いて、
――意外と的を得ているのかも知れないわ――
と、本当は言いたいことがあるのを喉の奥に呑みこむようにしてつかさは言葉を発することを我慢していた。
「フィクションって、架空という意味だと思うんだけど、晴美の話を聞いていると、それだけではないような気がするわ」
とつかさがいうと、晴美は少し驚いたように、
「うん、私もそう思う。自分の経験をモチーフにして書く想像は、フィクションだものね。私がもし小説を書くとして、フィクションを書こうと思ったら、まずは自分の経験を思い出しながら書こうとするかも知れない。だって、何もないところから新しいものを生み出すのは難しいことだし、きっかけというものが物事には必要だとするならば、自分の経験は大きなトリガーになると思うの。トリガーが経験上のことなら、それはもはやノンフィクションではないと思うのよ」
と言った。
「それが、晴美がその釘谷真由という作家を好きになった理由なのね?」
「ええ、そう。そして彼女の小説を読んでいると、私も共感できるところがたくさんあるの。だからさっき、自分の身近にいるような気がするって言ったのよね」
と晴美が言ったのを聞いて、
「なるほど、それならよく分かるわ」
とつかさが答えた。
晴美という女の子は、先に結論から話してしまうという癖を持っている。
元々文章を読むのが苦手、いや億劫だと言っていたのだから、その頃から晴美が結論を急ぎたい性格だということは分かっていた気がした。
「晴美って分かりやすいんだか、分かりにくいんだか分からないわ」
とつかさは苦笑いをしたが、その苦笑いには安堵の様子が含まれていたことを、晴美は気付いていただろうか?
「ねえ、つかさ。私、小説を書いてみたいって最近思うんだけど、どうかしらね?」
と言われて、少しビックリした。
「いいんじゃないかって思うんだけど、いったいどんな小説を書いてみたいと思うの?」
「今は漠然としているんだけど、とにかく文章を書いてみたいというのは前から思っていたことなのよ。でもどうしても気が散ってしまったりして、なかなか進まない。それに文章を膨らませるということへの何か壁のようなものがあって、どうにも進まないのはそれが原因じゃないかって思うの」
つかさは晴美を直視した。
「無理だと思っているうちは無理なんじゃないかって私は思うわよ」
つかさは自分がかなり冷淡な言い方をしているということに気付きながら、敢えて口にした。
「ええ、分かっているつもりなんだけど、書いてみたいという衝動もかなりのものがあるのよ」
哀願にも近い表情をしている晴美に、
「それは分かるけどね。だったら堅苦しいことを考えるんじゃなく、写生する気持ちになればいいんじゃない? まずは目の前にあることを忠実に文章にしてみるというところからやってみればいい」
とつかさがいうと、
「それができないのよ」
「どうして?」
「釘谷真由の作品を見たからだと思うんだけど、目の前のことを書くということはノンフィクションでしょう? 私にはノンフィクションを描くということができないの」
「どういうこと?」
「他の人には分からないと思うんだけど、罪悪感のようなものがあるのね」
「それをどうして私に?」
「つかさなら、私の気持ちが分かってくれると思ったからなのよ」
と、晴美はニンマリと微笑んで、そう言った。
晴美が小説を書けるようになったのは、それから少ししてのことだった。書きたいという気持ちが強いことはつかさにも分かっている。かといってつかさがアドバイスをして書けるようになるのであれば、こんなに簡単なことはない。
「小説、書けるようになった?」
と聞くと、
「うーん」
と、曖昧な返事しかしない晴美だったが、その曖昧さが次第に自信に繋がっているのではないかと感じたのも、まんざら錯覚でもなかった。
「私ね。最近文章が書けるような気がしてきたの」
「へえ、それはすごいじゃない」
「ええ、以前につかさに言われたように写生すればいいんだって思うとね、何となく書けるんじゃないかって思って、いろいろやってみたの」
「たとえば?」
「最初は、普通にいつものように自分の机の上に原稿用紙を置いて、書いてみたんだけど、文章が数行書けただけで、そのあとが続かないの。続かないというよりも、そこで完結してしまったって感じかしら?」
「それは分かる気がするわ」
「どうして?」
「だって、晴美は以前から言っていたじゃない。文章を読むのも結論を先に知りたくなって、セリフだけを読んでしまうって、だから、自分で書こうとしても、結局結論を先に書きたい一心で、数行で完結してしまうのよ」
「それは分かっているんだけど、やっぱり読み方が足りないということなのかって思ったわ」
「それは違う気がするわ」
「ええ、そうなの。私もそれは違うって思った。でも、最初なんだから何でも手探りでしょう? 感じたことをそのまま書くだけではなくって、膨らませて書こうと思うと、今の私の技量じゃ無理だって思うのよね。それで文章作法の本だったり、他の人の作品だったりを読みこむことが一番の近道だって思ったのよね」
「でも、その近道という発想そのものが、今までの結論を急ぐという思いに繋がっているのよね。だから考え方を一度どこかでリセットして、一歩下がって見てみるのもいいのかも知れないわ」
とつかさが言った。
「確かにそうなのよ。だから私も小説を書いているという状況が、構えてしまっていると思うと、見方を変えるしかないと思うようになったの」
「それで?」
「まず最初に考えたのは、環境が悪いんじゃないかって思ったのよね」
「自分の部屋ですることが?」
「ええ、つい気が散ってしまって、音楽を聴いてみたり、テレビを見てしまったりしているのよ。それも無意識にね。気分転換のつもりだと思うと、無意識であっても、仕方のないことだと思ったんだけど、やっぱり無意識の行動って、どこか怪しいわよね」
晴美の言葉に、つかさも思い当たるところがあった。
つかさは、よく夢を見る。その内容はいつも覚えていないのだが、つかさは覚えていないことに関して、
――夢は無意識のうちに見るものだから、覚えていないんだわ――
と感じていた。
ただ、つかさが最近多く見たと感じている夢は曖昧だが、記憶の奥に残っているような気がした。
その思いが、晴美と話をしているうちによみがえってくる。晴美の話を聞きながら、時々上の空になって、
「つかさ、ちゃんと聞いてくれてる?」
と言われて、
「あ、ええ」
と自分でも恥ずかしいような返事しかできないことも往々にしてあったりした。
そんな時、つかさは自分の世界に入り込んでいる。夢を思い出して、うっとりとしているのだが、それは自分の夢が叶ったと思っている瞬間だった。
その頃のつかさは、晴美には言っていなかったが、小説を書くのが趣味だった。それまでは、
「私は絵を描けるようになりたいわ」
と言っていた。
晴美は自分が芸術的なことにはまったく縁がないと思っていたので、つかさのその言葉を聞いてもスルーしていた。
最近になって小説を書きたくなったのがどうしてなのか、晴美にはピンと来なかった。本を読むのも億劫だったくせに、どうして小説を書きたいなどと大それたことを考えたのか、その時の自分が、
――自分でありながら自分ではない――
と思えてならなかったのだ。
そんな晴美をつかさは分かっているつもりだった。
「小説を書きたいと思えば、写生している気分になればいいわ」
というアドバイスをしたもの、晴美の気持ちが分かったからだ。
あくまでも自分の経験から話をしているだけで、晴美に対してアドバイスできるだけの経験があることをつかさはホッとした気分で感じていた。
つかさは、自分で書いた小説を無料サイトで実は公開していた。このことは誰にも言っていない。もちろん、晴美にも明かすつもりはなかった。むしろ晴美にだけは今のところ知られたくないと思っていたが、もしまわりに公開できると思えるようになった時、一番最初に話をしたいと思うのも晴美だったのだ。
つかさは自分の夢を曖昧にしか覚えていないが、実はその夢の内容というのが、自分の作品が一定の評価を受け、小説をネット販売できるくらいにまでなった時の妄想だった。
つかさは、有頂天になっていた。それまで恥ずかしくて、小説を書いているなど誰にも明かしていなかったが、
――これでようやく公表できる――
と思ったことが嬉しかったのだ。
しかも、その思いを一番最初に話せる相手が晴美であることに、つかさの有頂天も最高潮だった。
「ねえ、晴美。私実は小説を書いていて、それがやっと日の目を見ることになったのよ」
というと、
「それはよかったわね」
という晴美の返事が返ってきた。
ここまでは想像していた通りだが、晴美は全然喜んでくれている様子はなかった。
「どうしたの? 晴美」
と言って、つかさは晴美の顔を覗き込む。
今までであれば、相手に何かを尋ねる時、顔を覗き込むような大げさなことをしたことのないつかさだったが、自分ではその時、大げさでもなんでもないと思っていた。
覗きこまれた晴美の方は、つかさの顔が近づくと反射的に顔を背ける素振りをした。
――どうしてなの?
つかさは、急に不安になり、晴美の顔の前から自分の顔を遠ざけた。
いつもの距離で晴美を覗き込むと、そこにはつかさの見たことのない何とも言えない表情の晴美がいた。苦虫を噛み潰したような表情に、まるで額から汗が滲んでいるかのように見えるその表情は、心なしか紅潮していた。
「大丈夫?」
思わず聞いてしまったが、すぐに、
――しまった――
と感じた。
今までのつかさだったら、そんなことを言うはずがなく、自分でもどうしてしまったのかと自分に対して不安を感じる。つかさの態度は明らかに、上から目線だったのだ。
しかも、上から目線であることを自覚しながらも、その行動を抑止できなかった自分が信じられない。
さらに、信じられないと思いながらも、まだ上から目線でいることをやめない自分がいることも分かっていたのだ。
――不安以外にも何かの感情があって、不安に感じる以前に、不安を凌駕できる何かが自分の感情に存在したんだわ――
と、そこまで分かっていた。
――要するに、最終的に自分は自分なんだわ――
と思った。
相手が自分に対してどんな感情を抱いていたとしても、その感情が自分にどれほどの不安を与えたかとしても、それを凌駕できるだけの自分を納得させられるものを自分の気持ちの中枢にはあったのだ。
それが、小説を完成させることができて、しかも、その作品が一般的に評価されたという事実だったのだ。
この事実はつかさにとって、自分が自分らしくいられるための現実であった。それを一般的に夢というのだろう。夢に向かって進んでいる時の自分に満足していて、がんばっている自分が満足している自分を納得させることができる。だから、夢を達成した時はどんなに有頂天になってもいいし、他に不安があっても、すべてを凌駕できるだけの達成感が自分の自信として根付いているのだと感じたのだ。
その思いが夢の中で一つになり、不安が凌駕されたことを感じると、その瞬間、夢から覚めたようだった。
「夢って、どうしていつも肝心なところで覚めてしまうのかしらね?」
と言っていたのは晴美だったが、その言葉をつかさはその時ハッキリと同感できたと感じたのだ。
「夢って、本当は覚えているんだけど、忘れたつもりになって、実は記憶の奥に封印されているんじゃないかしら?」
と、確かつかさは晴美の質問に、そう感じたような気がする。その言葉に対して晴美がどのように答えたのか、つかさの記憶にはなぜか残っていなかった。
――ひょっとすると、この会話自体が夢の中での出来事だったんじゃないかしら?
とつかさは思い、思わず笑ってしまいようになるのを感じた。
夢の中で夢の話をしているというのも面白いものだ。
以前、どこかでマトリョーシカ人形の話を聞いたことがあった。
マトリョーシカ人形というのは、
「胴体の部分で上下に分割でき、その中には一回り小さい人形が入っている。これが何回か繰り返され、人形の中からまた人形が出てくる入れ子構造になっている。入れ子にするため腕は無く、胴体とやや細い頭部からなる筒状の構造である。5-6重程度の多重式である場合が多い」
とネットで調べるとそう書かれていた。どうやら、ロシアの女性の名前からの命名らしい。
入れ子とも呼ばれているようだが、要するに、一つのものの中に同じ少し小さなものが入っていて、それがどんどん小さくなって格納されている様子のようだ。この話を思い出していると、つかさは急に鏡を想像した。
自分の左右に同じ大きさで等間隔に鏡を置き、そこに写っている自分が、永遠に写り続ける現象であった。
ただ、これも一説には、
――無限ではない――
と解釈されているという。
この場合の左右の鏡を「合わせ鏡」というらしい。
ただ無限に見えるのは、
――限りなくゼロに近いが、決してゼロになることはない――
という数学の理論からであろうが、無限とゼロとが同意語であるという発想が本当であればという条件つきであろう。
つかさは時々自分の中で一つの仮説がいろいろ発展していって、無限ループになることに気付き、ハッとして我に返るが、この合わせ鏡の理論も無限ループと同じだと考えれば、必ずどこかに節目があって、無限に近づけないようにしていると考えれば、無限ではないという発想の方が、はるかに的を得ているように思えてくる。
つかさは、自分の発想が、そのまま想像力となって、その発想を文章にしないと気が済まないと思うようになっていた。
最初は小説とは無縁の発想をメモ程度に書いていたのだが、それがいつの間にか「ネタ帳」のようになり、誰にも見せない秘蔵のものとなった。
人に見られたくないという思いもあってか、走り書きがひどくなった。自分ですら後で見て、分かりにくい字を書いていた。
「最近、あなた字が汚くなったわね」
と言われることもあったが、
「パソコンを使って書くから、手書きはひどいものなのよ」
と、他の人も言いそうな言い訳をしていたが、本当のところは違っていた。
――私のSFやオカルト的な発想って、結構多岐にわたっていて、面白いものが多いわ――
と感じていた。
それも子供の頃に祖母に読んでもらったおとぎ話を考えているうちに、そんな発想になったのかも知れない。特に浦島太郎の話などは興味深く、それ以外のおとぎ話と一緒に考えることで、発想はいくらでも膨れ上がってきたのだ。他の人も浦島太郎の話にはいろいろ考えるところがあるだろうが、それだけを見ていてはできるはずのない発想を、他のおとぎ話をリンクさせることで達成したつかさは、自分が小説を書けるかも知れないと感じた最初のきっかけになったのだった。
浦島太郎の話などを子供の頃に聞いた時に感じたのは、
――何て怖い話なんだ――
というものだった。
普通の人なら、おじいさんになってしまったことを、最初に怖いと思うのだろうが、つかさの発想は違っていた。
そのことを晴美に話すと、
「そこ?」
と、苦笑いをされる。
まるで、ギャグではないかと思われたのではないだろうか。
「私が最初に感じた怖いと思った発想はね。浦島太郎がカメを助けるでしょう? その後にカメの背中に乗って竜宮城へ行くという話を聞いた時に、どうして息苦しくならなかったのかしらって思ったの。自分で想像してみると、息苦しくなっちゃって、それが怖く感じたのよ」
と話した。
苦笑いをして半分呆れていた晴美だったが、すぐに真顔になり、
「確かにそうよね。私も想像してみると、息苦しく感じられたわ」
と言って、真剣な顔になった。
「それこそが子供の発想なんだって私は思ったけど、私がおかしいのかしらね?」
とつかさが言うと、
「そんなことはないわ。何を感じるかというのはその人の自由、それを規制することはできない。だから、そのことについて他人がとやかくいうことはできない」
と晴美も言った。
「とやかくは言えないかも知れないけど、内心ではバカにしている人が多いんでしょうね」
「そうかも知れないわね。でも、それこそ滑稽というもので、自分に発想力がないということを自分から暴露しているようなものなんじゃないかしら? 私はそんな人には心の貧しさを感じるわ」
と晴美が言うと、
「確かにそうね。自分のことを分からない人に、感受性なんてあるはずないものね」
とつかさも応じた。
「おとぎ話をそうやって自分に置き換えて聞いていた子供がどれほどいるかというのも興味深いものよね。少なくとも私にはそんな発想はなかった。でも、今一緒に話している相手であるつかさにはその発想があった。つまりはここだけの話であれば、一対一なのでどちらが多いとは言えないのよ。でも、つかさのような人が少ないと考えるのはどうしてなのかしらね? 皆誰も口にしないけど、余計な発想は誰もしないというのが暗黙の了解のようになっているのかも知れないわね」
という晴美の話を聞いて、
「私は、それが人間なんじゃないかって思うの。本能という言葉で片づけられないものなのかも知れないけど、ずっと受け継がれてきたのは遺伝子によるものなんじゃないかしら?」」
「遺伝子という発想までくると、話が逸れてしまいそうな気がするけど、さっきの確率の話からすれば、つかさのその発想もまんざらでもないような気がするわ」
晴美はそう言って、また何かを考えているようだった。
「でも、どうしておとぎ話って、絵本になって、大人が子供にしてあげる話になってしまったのかしらね? 話としては格言的なものがあって、幼児教育にはふさわしいのかも知れないけど、大人になって読んでみれば、また違った発想が生まれてくるものだと思うの。大人になってからおとぎ話の話をする人なんて、なかなかいないでしょう」
「こうやって何かのきっかけでもなければ確かにないかも知れないわね。でも、大人になっておとぎ話をする時は、往々にして二つのパターンに分かれるんじゃないかしら?」
と晴美がいうので、
「どういうこと?」
とつかさが訊ねると、
「大人というのは、大人になるにしたがって、常識というものが身についてきていると思うでしょう。その常識というのは子供の頃の発想を打ち消すようなもので、次第に考えが限られてくる。つまり限定されていくということなんじゃないかって私は思うの」
と、晴美が言ったが、つかさは少し怪訝な表情になった。
つかさも晴美もお互いに普段は気を遣いながら話をしているので、相手の話に怪訝さを感じたとしても、あまり表情を変えなかったが、この時のつかさは明らかに怪訝な表情になった。
「うーん、私は少し違うかな?」
「というと?」
「私はね。今の晴美の発想の中にあった限定という言葉に引っかかったの。限定されるというと、まるで周りから制限されているかのように聞こえるでしょう? でも私の発想は違うの。限定されているんじゃなくって、自分から限界を感じているからなんじゃないかって思うのよ」
「限界を感じるって、無意識に?」
「ええ、そう。私もこうやって改まって話をしなければ、そんな限界を感じているなんて発想を思いつくことはないわ。でも、一度発想してしまうと、そこはすべてが自分の世界。誰何人たりともその人の発想を制限することなどできないというのが私の考えかな? だから制限されているわけではなく、無意識なのかも知れないけど、限界を感じているという思いに至ったのよね」
とつかさが言った。
「実は私も最初はつかさと同じ発想だったのよ。でも、浦島太郎の話を今つかさとしてね、さっきの怖いと思う発想をいまさらながらにカメの背中に乗って海に入って、竜宮城に行った時、どうして苦しくなかったのかっていう感じたのも、思い出して初めて感じることもあったような気がするの」
「つかさは、ひょっとしてそのことを私に話したのは、私に知ってもらいたいという発想とは別に自分の中で何かを確かめたいと感じたのかも知れないわね」
と晴美が言ったが、
――その通りかも知れない――
とつかさは感じた。
「限定と限界って、言葉はなんとなく似ているように感じるんだけど、それはまったく逆の立場から同じものを見ているように感じるのは私だけなのかしら?」
とつかさがいうと、
「そんなことはないと思うわ。私はその発想に、『加算法と減算法』という発想が結びついた気がするもの」
「というと?」
「たとえばさっきの一対一なんだけど、ゼロからの加算法と、百からの減算法とではどっちが先に行き着くかということを考えると、どっちなんだろう? って思っちゃうのよね」
「晴美はどう思うの?」
「私は、加算法の方が早い気がするの。まわりに余計なものが何もない状態から積み重ねていくので、スピードは一定だと思うの。でも減算法だったら、途中までは一気に行くかも知れないけど、ある時点になると、途中で我に返ったようになって少しそこで停滞してしまう。そんな状態を少しずつ繰り返しながら近づいていくので、最終的には加算法の方が早いんじゃないかって思うのよ」
と晴美は言った。
「そうね、それは私も減算法の方が遅いと思うんだけど、私は晴美とは少し発想が違っているわ」
というと、
「将棋の盤があるでしょう?」
いきなり話が飛躍した気がしたが、遠いところから結論を見出すのがうまい晴美の性格を分かっているので、つかさは黙って聞いていた。
「将棋盤で一番の隙のない布陣というのがどういう布陣なのかというと、一番最初に並べた時だっていうの。一手指すごとにそこに隙が生まれる。これこそが減算法なんじゃないかって思うの。隙を作りながらいかに相手を攻略するかというkとね」
という晴美の意見に、
「攻撃力と防御力のすべてを百としたなら、攻撃力を増やすということは防御力を減らすということになると考えると、そのお話には信憑性を感じるわね。ただあくまでも攻撃力と防御力を百と考えた時ね」
とつかさが答えた。
「そうなのよ。それこどが、相互関係に限界があるということなんじゃないかしら? これだって無意識に誰もが所有しているもので、本能だって思えなくもないでしょう?」
と晴美が言った。
「なんとなく話が堂々巡りを繰り返していない?」
つかさは何かを感じたようだが、それを決して相手に悟られようとはしない。
それは自分の中での自信に今一つ結びついていないからで、信憑性のないことを公表しようと思わない感覚は、つかさの中で強い性格として根付いているようだった。
浦島太郎のお話の中で感じた怖いと思うエピソードにしても、独特の発想を持っていた。こんな発想にまともに付き合ってくれる人はそうはいないとつかさ自身も感じていた。
――やっぱり晴美しかいないんだわ――
と、晴美が親友だということを誇りにさえ感じているほどだった。
晴美の方も同じようなことを考えていた。
晴美はつかさに対して劣等感に近いものを感じていた。時々自分がどうやってもつかさには敵わないと思っているふしがあった。しかし、そのことを間違ってもつかさに悟られることがないようにしないといけないと思っている。なぜなら悟られてしまうと、その時点で嫌われてしまうのではないかと思っているからであった。
だが、つかさにはそんな晴美の気持ちをすべてではないが分かっていた。分かっていて、敢えて知らないふりをしている。つかさの方としても、自分が悟っているということを晴美に悟られると、自分の方が嫌われると思っているからだ。
つまり、二人とも相手に対して余計な気を遣っているのだが、そこにニアミスが生じている。それをうまい具合にすれ違っていることが、二人の間に信頼関係を生むことになり、いい関係を気付いているのだろう。
それが露骨になってしまうことを二人は一番嫌っている。お互いに気を遣っているところをまわりに見せることほど醜い行為はないと二人はそれぞれに感じていた。
たとえば、喫茶店などにおばさん連中が屯していることがあるが、まわりの迷惑を顧みずに大声でわめき散らしているような、どこにでもある光景のことである。
ひとしきり大声で話すことに満足したのか、それとも飽きてきたのか、いよいよお開きという時のことである。
レジに向かったおばさん連中は、それぞれに、
「今日は私が払うわよ」
「いいえ、奥様、そんなことはいけませんわ。私がお支払いします」
と言って、そんなところで無意味な意地の張り合いをしているのを時々見かけることがあるが、これほど醜いものはないと思っている。
――どっちだっていいじゃない。今日は自分が払うから、次回はお願いねってどちらかが言えば済むことじゃない――
と感じた。
それができないのは、あくまでもその場での自分の優位性を示したいだけだ。おばさんたちに次回なんてない。それが相手だけに対してのことなのか、それともまわりにも感じさせたいという思うがあるからなのか、やはりまわりにもそう思わせたいという感覚になっているからだろう。
――要するに完璧ではないと嫌なんだわ――
と感じた。
この思いは晴美よりもつかさの方に多いかも知れない。なぜなら、つかさは子供の頃から一人が多かったからだ。確かに晴美の家に遊びに行って寂しい思いはしなかったが、下手をすると晴美に対して劣等感を抱いても仕方のない立場にあった。
しかし、つかさは劣等感を感じることはなかった。それは自分が劣等感を感じてはいけないという思いが強かったというよりも、自尊心が自分で考えているよりも強かったからなのかも知れない。
劣等感を凌駕できるほどの自尊心はなかなか持つことができない。自尊心が表に出るとロクなことにならないというのもよく言われることだが、劣等感を凌駕できる自尊心は悪いことではない。むしろその自尊心がその人の長所にもなるからだ。。
自尊心というものを悪く言う人もいれば、発想を転換することによって、いい方に解釈する人もいる。
「長所と短所は紙一重」
と言われることがある。
人によっては長所が短所になってみたり、短所が長所になってみたりする。それは相手によって違うのだろうが、つかさにとっての自尊心はどうなのだろう?
自尊心と気が強いというのは関連性があるのだろうか?
晴美にはそのどちらも同じようなものに思えていた。しかし、つかさとすれば自尊心と気が強いというのは違っているように思えていた。少なくとも自尊心というのは、
――自分が納得できることに自信を持つことだ――
と思っている。
つかさは自尊心を長所だと思っている。そして気が強い部分も自分では分かっていたが、気の強さは短所だと思っている。
長所と短所を考えた時、
「短所と直そうとするよりも、長所を伸ばそうとする方がポジティブに思える」
と言っていたのも確か国語の先生ではなかったか。
つかさは先生のことを尊敬していた。男性として好きだという感情はなかったが、少なくとも尊敬に値する人だという意識が強く、男性に対して初めて抱いた感覚だったが、恋愛感情ではないことは自覚していた。
長所と短所を考えた時、思い浮かんできた発想が、加算法と減算法だった。
加算法は何もないところから伸ばしていくもので、短所を直していこうという発想に近いような気がしていた。逆に減算法は、完璧なものから少しずつ削っていく考え方なので、長所にたどり着くための発想に思えていた。
つかさは長所を伸ばしたいと思っているので、最初に減算法で長所にたどり着き、そこから加算法を用いて、いかに完璧に近づけるかという発想だった。
小説を書いていく中でこの発想が一番難しく、減算法よりも加算法が自分の考え方だと思っていたので、減算法を先に考えるというのは難しかった。
ただ発想として、完璧なものと、ゼロのものとが、本当に存在しえるのかどうかが疑問だった。
完璧というのは誰がどういう基準で判断するのかを考えると、
――しょせん人間の考えることなので、完璧などありえない――
と思っている。
では、ゼロに対しての発想はどうだろう?
――限りなくゼロに近い――
という言葉を聞いたことがあるが、それはあくまでも限りなく近いであり、ゼロではない。
ゼロというのは、何を掛けてもゼロでしかない。そんな概念は数学上でしかありえないのではないかと思っていた。人間の発想する範囲内でゼロはありえないという発想に行き着けば、完璧もありえないという発想にも行き着くことができる。そこに生まれてくる発想が、
――限界と限定――
なのだろうと思った。
限界というのは、これ以上の上は難しいというもので、限界の存というのはそのまま、
――完璧はありえない――
といえるのではないか。
限定というのは、存在しているものを、限って一定のものとするのであるから、ゼロの発想を打ち消しているかのように感じられた。限定とゼロの発想には無理があるが、結界という発想と一緒に考えれば無理がないように思えた。
この発想がいずれ二人の間に交差点を作り、お互いを理解しあうことになるのだった。
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