お久しぶりの、蛇とカエル


 夕食と湯浴みを終え、部屋着の楽なワンピースに着替え、もう後は寝るだけ! の態勢を整えた私は、ユリシーズの部屋の扉をノックした。

 

「おっまえ……いくらなんでも無防備すぎるぞ。ガゼボ行くか」

「外、寒いもん」

「火魔法してやる」

「カエルに火は禁物ですぅ」

「ぶふ。認めんのかよ、カエルちゃん」

「ゲロゲーロ」

「……鳴き声変わったな?」

「あ。ゲコゲコ!」

「くくくく、訂正すんなよ……くくくく」


 暖かい季節は終わりを告げ、エーデルブラート侯爵領に来て初めての寒い季節がやってこようとしている。自然が豊かなこの場所は、最も寒い時には雪も降るらしい。


 ユリシーズは、私とくだらないやり取りをしながら、部屋に設置されている暖炉にほんの少しだけまきをくべ、火を入れてくれた。

 ユリシーズはカウチソファ、私は一人掛けの椅子に分かれて座る。膝にはブランケット。ローテーブルの上には、ホットワインとホットミルクと、チーズ。


「遠くない?」

「なら、押し倒していいか?」

「ぎょわ!」

「くく。それも久しぶりだな」

「ふふ」

「そうか……あまりにも会話ができていなかったな……」


 こうしてふたりで話すのは、本当に久しぶりに思える。


「リスはさ。ずっとひとりでバリバリ働いてきて、それが当たり前だったよね」

「ああ。俺には、家族と暮らした経験自体がないと言っても過言ではない」


 魔力があると分かるや否や、魔法学校の寮に入れられ。

 魔法の脅威が判明すると、侯爵の地位につける代わりに辺境の地で結界の番をさせられ。

 

 ――よくグレなかったよね、と思ったけど、よく考えたらほとんどグレてたね!


「誰かと暮らし、会話をし、ましてや愛するなどと。考えたこともなかった」

「愛するなんて、照れる!」

「茶化すな」


 ホットワインのグラスを傾けるユリシーズの横顔は、暖炉の火の光を浴びて揺れているように見える。


「うん……なんとなくね、分かってたよ。危ないことや嫌なことから、遠ざけてくれていたんでしょう?」

「ああ」


 大魔法使いという、ある意味王国最強の存在であるにも関わらず、獣人王国の騎士団長を護衛につけるなど。王子の友人であることを差し引いても、大層な出来事だ。

 

 しかもそれを『抑止』と言ったのを覚えている。

 

 獣人王国の首都でも宮殿でも、あちこちで様々な気遣いをされた。

 それでも起こってしまったあの子猫獣人の事件は、のほほんと侯爵邸で暮らしてきた私にとって、初めて『命の危険』にさらされた出来事。この世界では命は簡単に奪われるのだと、肌で感じることになった。


「もちろん、話せないことも当然あるでしょう。毎日帰ってきて、が無理なのも分かってる。でも」

「……」

なのが、すごく、辛かった」

「!」


 椅子の上でひとり、私はブランケットごと膝を抱える。


「大切にすることと、鳥籠に入れることとは、違うよ」


 絶句したユリシーズが、こちらを見ている気配はするけれど、目を合わせる勇気はない。


「うまく、言えないけど。ワガママかもしれないけど。せめて今、リスが何をしていて、楽しいのか苦しいのかぐらいは、知っていたいよ。……家族として」


 それから私は、意を決して顔を上げた。


「リスは嫌かもしれないけど、前世の話をさせて」

「聞く」


 ユリシーズはグラスをことりとテーブルに置き、カウチソファの背もたれに片肘を乗せ、足を組みながらこめかみに手を添える。たったそれだけの仕草で、私の心臓は早鐘を打った。本当はあの腕の中に収まりたい。愛しい匂いに包まれたい。


「……あのね、私、前世でも婚期を逃がしかけててね。ほとんど勢いで結婚したの。そしたらその相手が……」


 言葉を選びながら説明をしていくうちに、ユリシーズのこめかみにぼこりと大きな青筋が浮いた。


「要約すると、甲斐性のないくせに束縛するようなカスみたいな男が、セラの尊厳を言葉の暴力で潰しに潰しまくっていたわけだな。前世ということはそいつはもう死んでいるのか。チッ……目の前に引きずり出せたらひき肉にしてやったものを」

「ひっ」


 

 ひ・き・に・く・ですっ!

 いやいや、危うく旦那様が殺人犯になるとこだった!

 


「やっと腑に落ちた。いつもどこか自信がないように感じていたのは、それだけ人格否定の記憶があるからか」

「うん……別人だって分かってはいるんだけど。だからリスや、周りの人々の言葉が信じられないとかではないの」

「ならば、どうしたら良い」

「え」

「セラの希望はなんだ。どうしたら、鳥籠などではなく、自由に生きられる? 俺にとってセラが何よりも大切な存在だと実感することができる?」


 ――ああ。この人はやっぱり、本当に優しい人。

 

「私ね、リスとほんとの夫婦になりたい」

「結婚は、したぞ」

「そうじゃなくて。私が思う夫婦ってね、共有することなんじゃないかなって」

「共有」

「うん。情報も感情も、体調も希望も、嫌なことも好きなことも」

「楽しいことも、ムカつくこともか」

「そう。美味しいご飯も不味い料理も、失敗しちゃった実験も。怒って、喜んで、笑って、泣く。リスと、ずっとそうやって生きていきたい」

「セラ」

「ん?」

「……抱きしめていいか」


 返事の代わりに、私は椅子を蹴る勢いで飛び上がって、腕の中に飛び込んだ。ソファの上に足を投げ出して、ユリシーズのみぞおちに鼻を埋める。力強く、抱き締められた。


「リス、大好き」

「俺もだ」

「ふっふ」

「なんだよ」

「ほら、首都で観光してた時に、サユキ嬢にものすごい理詰めで攻めていったリス、思い出したの」

「あのヒス猫、本気でムカついたからな。雷落としてやろうかと思った」


 それ、比喩じゃなくて物理のやつだね!


「その時ね、さりげなく大切な妻とか言うし、絶対脅しじゃなくて本気の抗議文送っただろうし」

「? 当然だろ」

「めっちゃくちゃ愛を感じたの! 口が緩む緩む! 危うくだらしない顔になるところだったー」


 ユリシーズは、キョトンとした後真顔になった。


「……おい、そんなこと言うな」

「なんで」

「恥ずい」

「今更!?」

「あー……やべぇな……あー」


 仰け反って、ガシガシ頭をかいているユリシーズは、初めて見た!


 その、少し無精髭が生えた顎の先に、チュッと軽くキスをする。


「てめ」

「安心したら、眠くなっちゃった。添い寝して欲しいなー」

「あ? 煽っておいて、お預けかよ」

「はい。妻を放置した罰です」


 ぶつくさ言われている間に、私は寝てしまったらしい。


 翌朝、ものすごく不機嫌なユリシーズに起こされて、しかも――


「寝癖と寝相。やべぇぞ、カエルちゃん」


 って、皆に言いふらされた。恥ずかしすぎる!

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