獣人王国からの使者



 あまりにも衝撃的な事実が多すぎて、興奮して眠れない私は散歩でもしようと、ナイトドレスにロングガウンを羽織るラフな格好で外に出てみる。


 もう首元は覆わなくていいので、タートルネック部分は外してある(さすがに寝るときは息苦しいから、外せるようになっていた)。

 ユリシーズに打ち明けたことで、ミンケたちにも告げたら、なんと拍子抜けするぐらいにあっさりと受け入れられた。

 

「奥様……私なぞ、この通り耳と尻尾が生えておりますよ」とリニは微笑み、

「これからはお着替えもお風呂もお手伝いしますね」とミンケは面倒くさそうに言い、

「はわー。南方のお魚に似てますだね! 白身で脂が乗っててうまいんですだよ」とノエルは目を輝かせていた(ユリシーズがさすがにデコピンしていた)。

 

 悩み事って案外こんなものかもしれないな、と思ったけれど、感情が消化しきれないのか頭が冴えてしまっている。



 さくさくと草を踏みしめながら、中庭へ向かう。

 冷たい夜風が、火照る身体を柔らかく撫でていき、頭上には青々とした月が出ている。

 その冷え冷えとした輝きに見惚みとれながら歩いていると


「なんだ。眠れねえのか?」

 

 ガゼボには、先客が居た。

 

「リス様も?」

「おう。もう様も敬語もいらねえよ。酒でも一緒に飲むか?」


 手にはワインのボトルと、グラス。

 お酒はあまり得意じゃないけれど、眠れないし少しだけ頂こうと頷いた。


「うん。少しだけ」

「グラス一個しかねえけど」

「ふふ。いーよ、そんなの」

「お。いいなその喋り方」

「そう?」


 月明かりを反射して、ユリシーズの緑の目が輝いて見える。

 

「ん」

 

 グラスに少しだけ注いで渡してくれる。それだけで、私の心臓は早鐘を打った。

 よくよく考えたら、貴族女性が夜男性とふたりきりということは、あれがそれでこうなるってことがオーケーってことで……

 

「ぶふ。お前また余計なことグルグル考えてるだろ」

「ぎょわっ」

「心配すんな。なんもしねえよ、カエルちゃん」


 ぶみ、と鼻の頭を指で挟まれた。痛い。


「……ゲコゲコ」

「ぶふふ」


 

 これは、白い結婚だ。頭では分かっている。でも、私の気持ちはとっくに……

 

 

 辛い。苦い。流し込みたい。


 

 私はごくごくと赤ワインを一気に飲み干して、おかわりをねだった。ユリシーズが止めるのを振り切って、何度も何度も飲み干した。そうして、最後にはどうやら寝た


 

 というのも、気づいたら日は昇っていて、しかも自分の部屋のベッドの上。頭はガンガンするし眩暈めまいはするし、体調が最悪なことになり、ミンケが呆れた顔で薬湯を持ってきてくれた。そして冷えた目で、一言一句違わずあるじの伝言を告げる。


「今日一日寝とけ、ベッドから出るな。罰として回復魔法はしてやらん。何もするなよ。これは命令だ、だそうです」

「ひーん!」


 

 どうしよう! 何にも覚えてない! もう飲まない! もう絶対、お酒は飲まない!

 

 


 ◇ ◇ ◇




 そうして落ち込みつつベッドでゴロゴロしていたら、調理人のノエルがミルク粥を持ってきてくれた。

 (ちなみに調理人が侯爵夫人の私室に入るのは、本来ならばありえないことだが、ユリシーズも私も気にしていない。)

 

「奥様、もうお昼ですだ。食べられそうなら食べるだよー」

「ノエル、ありがと……ミンケは?」

「えっと、なんか、獣人のお客様が来てますだよ」

「獣人のお客様って、ディーデ以外でってこと?」

「ディーさんと、おっきくて怖そうな二人だっただよ。白い狼と白い熊だっただ」


 

 白い狼と、白い熊だとお!

 もっふもふやないかーーーーいっ!

 見たい! 見たい!


 

 と考えていたら、ノエルが

「奥様が絶対見たいって騒ぐから、縛ってでも部屋から出すなって言われてるだ」

 あわれみの目線を先に向けていた。


「ぐぬぬぬ」

「さすが旦那様ですだ。さ、食べるだよ」

「……ふぁい」


 ノエルが作ってくれたミルク粥は、パンをミルクで煮込んではちみつを加えてある。甘くて美味しい。

 ふーふー冷ましつつ、はふはふ食べていたら……コンコン、とノック音が鳴った。


「はい、どうぞ?」

「奥様、すみません」


 入ってきたのは、ミンケだ。


「どうしたの?」

「体調の悪いところ申し訳ありませんが、着替えて来客対応を頂きたいとのことです」

「えっ? 会わせないんじゃなかったの?」

「状況が変わったようです」

「分かったわ」


 一応フォーマル対応ということで、実家から持ってきたシンプルな淡いピンク色のアフタヌーンドレスに着替える。

 ミンケが手早く髪をまとめてくれ、肩にはショールを巻いた。


「……いいですか。くれぐれも落ち着いてくださいね」

「分かってるわミンケ。でももし我慢できなかったらどうしよう」

「ちっ。知りませんよ」

「つーめーたーいー」


 などと話しながら、応接室に下りてきた。

 私が嫁入りしてから、急きょ玄関ホールからすぐの広い部屋を当てがったわけだが(ユリシーズは客なんて来ないぞと言い張っていた)、念のためと整えておいて本当に良かったと思う。


 ミンケがノックをすると「入れ」とユリシーズの声がし、私は開かれた扉の中へと目線を下げてゆっくり入っていく。


「やあ、セラちゃん」


 声を掛けられて目を上げると、ディーデが椅子に座ったまま笑顔で手を挙げて迎えてくれていた。

 その背後には、騎士服を身に着け帯剣した大きな白い狼と、白い熊が立っている。ふたりとも、きりっと勇ましい。


「ごきげんよう、ディー」


 白いもふもふが、三人もいるこの状況。

 踊り出しそうなのを必死で我慢して、簡易のカーテシーをすると、ユリシーズが自身の隣に腰かけるよう促した。


「……具合の悪いところすまん。ちょっと相談事だ」

「とんでもございませんわ」


 この雰囲気から、ディーデがただの庶民ではないことを一瞬で察知した私は、『外交』を意識した振る舞いをする。

 するとなぜか、ユリシーズは上機嫌になった。

 

「さすが俺の嫁だな」

「え?」

「すぐに場の状況を読み、対応する。大したものだ」

「まあ! うふふ。嬉しいですわ」

「ノロケてるー」

「ディーデ。悪いが、この通り俺たちは本物の夫婦だぞ」

 


 は!? なに言っちゃってんですかもう! ししし心臓がっ!


 

「えー。でもまだ白い結婚だよね? 匂いで分かるよ!」


 

 ちょ! この虎、デリカシー皆無かいむかっ!!

 

 

 今までディーデを、ネアカでのんびりしたいい奴だと思っていたけど。この場で撤回する! 私はこの世で一番、無神経が大嫌いだ!(前世で夫にこっぴどくやられてきたから。)


 ユリシーズも、さすがに眉間に盛大なしわを寄せている。


「すまないセレーナ。ちょっとディーデは世間知らずで無邪気すぎる奴だから、今だけは許してやってくれ。二度目はやっとく。な?」


 ディーデの背後で狼と熊も激しく頷いているので、とりあえずは怒りの矛を収める。


「獣人王国ナートゥラが、俺のかせが外れたのを察知してな。正式にラーゲルと国交をと言ってきている。で、親善大使に寄越してきたのがそこの三人だ」

「……人間たちが獣人をさげすんでいることを知っていてもなお、仲良くしたいというのは理解ができません。何が目的ですか」

「ふっ。セラ。奴らは力はあるが、技術力がない。生活の魔道具が欲しいんだよ」


 白い狼が、口を開いてもよいか目で聞いてきたので、ユリシーズを見上げると彼も頷いた。

 凛として所作も綺麗な彼は、明らかに貴族出身であると分かる。


「侯爵閣下のおっしゃる通りです。我々は、原始的な生活を脱したい。そのために、人間の技術や道具を仕入れたいのです」

「見返りは?」

「我が国は、農産物が豊富ですし労働力も多い。国交が樹立できれば結界も不要に」

「そんな急には」

「まあ待て、セラ。そんな交渉事は王宮の偉そうな役人に任せりゃいい」

「! 差し出がましい発言、ご容赦くださいませ」


 ユリシーズが愉快そうに肩を揺らす。


「いい。色々思うことはあるけどよ。これ、時代の転換期だと思わねえか? おもしれえ」

「リス様!」


 確かに、その通りだ。

 大魔法使いが呪縛から解き放たれ、新たな国との交流がはじまる――

 

「ふんぞり返った国王も、外を見ねえからそんなことになるのさ。だから、奴らを今度の夜会に連れて行こうと思う」

「!!」


 王子の、婚約者お披露目夜会。

 エーデルブラート侯爵夫妻として、出席予定だ。


「どう思う?」

「行きましょう! まずは根回しを。父にも要請いたします」

「頼む。カールソンの力がいる」

「はい!」

「わあ、ありがとー!」



 ――でもディーデのさっきの発言は、絶対許さんけどな!

 

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