孤独な嫁入り
「こ、ここ……?」
ガタゴトと、とんでもなく跳ねる馬車に揺られること、丸一日。
王都から出発してようやく辿り着いた
急いで手鏡を見て身だしなみを整え、そろりと降り立った私ことセレーナ・カールソン侯爵令嬢は、キョロキョロと辺りを見回す。未だ家人は、誰も出てくる気配がない。
「ひええ、くっら!」
屋敷の周りは木々が自由に生えていて、伸びた枝を落としている様子もなく、あらゆる窓に木陰を作っている。
そのレンガ造りの壁は苔や
思わず独り言をいってしまうのは、許して欲しい。だって私、こんな長旅初めてだったし? 足腰ガタガタだし! この家の人、だーれも出てきてくれないし!
心の中で悪態をついている間にも、
「ではお嬢、あっしはこれで」
御者台に飛び乗り、鮮やかに馬車をぐるりと方向転換させる。容赦ないな!
「ひーん。これが侯爵令嬢の嫁入りだなんて……!」
でも、これが『条件』だったのだから、仕方がない。
私はそう諦めて顔を上げ――意を決してドアノッカーを自分でごんごん、と叩いてみる。と――
――キイィ
いくらも経たず、玄関扉が両開きに大きく開かれた。
緊張もそうだけれど、
「お待ち申し上げておりました、セレーナ・カールソン様」
声を掛けられたので、恐る恐る顔を上げると――
「えっ、獣人っ!?」
思わず大きな声で言ってしまった。取り繕う余裕もなかったのは、まさか獣人が出てくるとは思ってもいなかったから。
執事服姿の彼は、私より少しだけ背が高い、琥珀色の瞳の中年男性。白髪混じりの黒髪の上になんと黒い三角の耳がある。つまり、半獣人だ。
その後ろに控えるメイド服姿の女性は、薄茶色の短毛に黒い斑点模様がある猫のような見た目で、こちらは獣人。さほど背の高くない私よりも小柄で、真っ黒な瞳と目が合うと軽くお辞儀をされた。
「おほん。わたくし、こちらで執事をしております『リニ』と申します。この者は、奥様付きメイドになる『ミンケ』。お見知りおきくださいませ」
執事はさすが、私の無礼を華麗にスルーしてくれたが、「ちっ」という小さな舌打ちを発したのは、メイドの方だ。
怒らせちゃったよね、と一歩を踏み出せないでいると
「旦那様がお待ちでございます。こちらへどうぞ」
執事が言葉で背中を押してくれる。
「ありがとうリニ。あの! 貴方はなんの獣人さんか、聞いても良いかしら?」
だが私はどうしても気になったので、ここで思い切って聞いてみることにした。最初に無礼を働いたんだから、もう勢いで! の気持ちだ。
するとリニが、目をぱちくりと瞬く。
「……ジャガーですが」
「ジャガー! か、カッコ良いっ! 教えてくれてありがとう。あの、荷物はこのままでも大丈夫かしら?」
「ええ、はい、あとで家のものが中へ入れましょう」
「よかった。私一人だったから、どうしようと思っていたの。助かるわ」
「いえ。……その他なにかございますでしょうか」
「ううん。足を止めちゃって、ごめんなさい。案内よろしくね」
――ふっと笑ったリニの顔は自然で、尻尾がゆらゆら揺れていた。
コンコンコン。
「旦那様。セレーナ様が到着されました」
「入れ」
黒く塗られた重厚な扉は、エーデルブラート侯爵の執務室だそうだ。
屋敷に入った私は、前が執事のリニ、後ろがメイドのミンケに挟まれる形でここまでやってきた。
玄関ホールから、赤い
「どうぞ」
リニに開けられた扉の中から、微かにミモザの香りが漂ってくる。
「失礼いたします」
私はすぐに目を伏せ、体の前に手を組み、しずしずと入室した。
貴方に敵意はありません。どうか私を受け入れてください、の意思表示だ。
手元に目を落とすと、髪色に合わせた淡い水色のアフタヌーンドレスの、ささやかなパニエが少し沈んでいる。整え忘れたことに今気づいて、少し落ち込む。
「よお」
が。
嫁いできた女性に対して、開口一番がそれかい! と瞬間で苛立って目を上げると、うず高く色々な書物や雑貨が積まれた執務机があった。
家主の姿が、見えない。
声は右の方からしていたな? と思い直して首をめぐらせると――天井まである大きな本棚の前にその姿を見つけることができた。
黒いローブをゆったりと身に着けている、大魔法使いことユリシーズ・エーデルブラート侯爵、その人だ。
「よく来たな、強欲」
「ユリシーズ様。『セレーナ』でございます。ごきげんよう」
カーテシーを行うと、ユリシーズからは
「ふっ。蛇侯爵に嫁ぐとは、なかなかの物好きだな。強欲令嬢というだけはある」
――まだ呼ぶか! しつこい! 性格悪い!
「楽にしろ」
顔を上げて真正面からユリシーズに向き直ると、その左頬から首、恐らく胸にまで走る黒い
その迫力に私は息を呑み、それからふーっと吐く。
「この度は、事実無根ではあるものの、不本意な二つ名が付いてしまったわたくしめのような者を
「よろしく頼む。俺も欲しいものは何が何でも手に入れる、強欲な
――っとに! 口が悪すぎる!
「あともう一度でもわたくしを強欲とお呼びになったなら、一生口聞きませんが」
「!」
――あ、驚いてる。
「くく。分かった、からかいすぎたな。セレーナ」
「! はい。まずはお部屋を整えさせて頂いても、宜しいでしょうか」
「……好きにしろ。下がっていいぞ」
「ありがたく存じます」
そうして執務室から下がって、与えられた自室で一息ついた私の脳裏には、
「王子との結婚は絶対嫌だったから別に良いけど……まさか蛇侯爵とはね~」
父はユリシーズに、私が異世界転生者で魔法持ちであるが、届け出てはいないことを話していたそうだ。
この世界に、ごく
なぜなら、この世界にない知識でもって王国に『脅威』をもたらすと信じられているからだ。
そうしたくはなかった、と語ったところ――理解する、と返って来たそうだ。
「性格に難ありって噂だったけど、文句言ったらあっさり引き下がったな……てことは、話は通じる……ひょっとして口が悪いだけかな?」
ヒルダからの訴えを
それに対してエーデルブラート侯爵は「派手なものは好まない」「白い結婚で良い」「警備上、カールソン家の者は付けられない」という条件を提示し、私は身ひとつでここへやってきたわけだけれど、今のところ文句はない。
郷に入っては郷に従えだし、身の回りのことは一通り自分でできる(貴族はメイドに任せないといけないから、任せてただけ)。
「はあー! 緊張したー!」
ぼすんと仰向けにベッドへダイブすると、短いノック音の後に入って来たメイドのミンケが
「奥様。何かお手伝いすることは……何してるんです?」
ベッド脇から私を見下ろしながら、呆れた声を出す。
「ミンケ」
「はい」
「わたくしが返事をするまでは、部屋に入ってはダメよ?」
「ちっ……わかりました」
ツン、と顔をそらされた。
獣人との暮らしは初めてですっごく楽しみだし、メイドの教育とか色々やり甲斐ありそう!
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