むしろ楽園なんですが
部屋を整え終わった私は、まずは中庭にあるガゼボでお茶をすることにした。もちろん、一人で。
心を落ち着けるのと、冷静に現実を受け入れる時間が必要だから(式もしないのに嫁に来たので、実感が全然ない)。
エーデルブラート侯爵邸には広い庭があるが、ほとんど手入れがされておらず草ボーボーである。花壇もどこが境目なのか分からないぐらいで、このガゼボはあきらかに
森の奥ということもあるが、敷地内(といっても把握できないぐらいに広い)は魔法で誰も入れないようになっているらしく、そうそう人も雇えないのだとか。「王国の馬車を引き入れたのは数年ぶりでした」と執事のリニが笑って教えてくれた。
なら、生活物資はどうしているかと言うと――
「あー! 噂の奥様?」
のしのしとこちらに歩いてくる、大きな
「うわあ!」
私が驚きの声を上げると、背後でまた「ちっ」とミンケの舌打ちが聞こえた。
注意をすべきだけど、でも獣人だしなあと迷う間に、ホワイトタイガーは遠慮なくずんずん近づいてくる。
好奇心でキラキラ光っている瞳は、サファイヤブルー。日の光の下で、白い毛並みと一緒にきらめいているのが、とても綺麗だ。
「はじめまして!」
元気な挨拶ののち、にひ! と顔全体で笑う彼は、ネアカに違いない。そう感じるぐらい、警戒心を抱かせない明るい表情だ。虎なのに。
「ごきげんよう。わたくし、セレーナと申しますの」
立ち上がって簡易のカーテシーをすると、彼は目を細めて鼻をひくひくさせた。
「ご丁寧にどうも! ぼくは、ディーデ」
「ディーデ?」
「うん。呼びづらいだろう? ディーでいいよ!」
「ふふ、ディー」
「食料、持ってきたんだ。お邪魔するね!」
「はい。お願いいたしますわ」
ラーゲル王国と獣人王国ナートゥラとの国境に建てられたこの館には、こうして獣人たちが頻繁に出入りしている代わりに、人間の使用人は皆無だ。
ディーデが両肩に食料のたっぷり入った木箱を乗せて軽々と運ぶのを「すご!」と感心しながら眺めていると、脇に控えているミンケから、何か言いたそうな空気が流れてきた。
「どうしたの? ミンケ」
「あの……」
「遠慮せず、言って?」
「奥様は、獣人を
――なるほど。
ラーゲル王国では悲しいかな、人間至上主義がまかり通っている。
獣人王国からの商人を断固として受け入れず、一握りの魔法使いの権勢でもって王国を維持しているのが実情だ。それを憂いて、父のアウリス・カールソン侯爵が隣国との国交樹立を進言しても、なしのつぶて。
だが年々、作物の収穫高は目減りしている――人口が増えて作付けも増え、土地を使いすぎているのだ。
「むしろ好きよ! だってもふもふなんだもん。触りたい!」
「え」
「でもミンケ触ったら怒るでしょ? 猫ちゃんて、慣れるまで時間かかるもんね」
「っ、猫では、ありません!」
――へ!?
「え!? じゃあ、なになに? なになに!」
思わず素になって、テーブルから身を乗り出して聞くと。
「……ットです」
「え? ごめん聞こえなかった」
「サーバルキャット、です!」
――うおおおおお! 超絶
「ごめん!!」
「はい?」
「そりゃあ、人になつかないわけだよね!」
一般家庭では飼えないし、子供のうちから
「わたくし、詳しくなくて。苦手なものとかあったら、教えて?」
「っ、何を企んでいるのか知りませんが。あたしを
ぷいっとされちゃった。
――でも悪いけど、可愛いしかない。だって尻尾がぴーんと立って、つんとした横顔が美人で。
「かんわいい~」
「は?」
「企みなんてないわよ? このまま見張ってもらって構わないわ」
ただ、じわじわとテンションが上がるのを隠せない私を(だってサーバルキャットだよ!)まるで変態みたいに見るのは、やめて欲しい。
「はあ。お茶の後は何をされますか」
どうやら本当に見張りらしい。そりゃそうだわ、と私は心の中で頷く。だってユリシーズは――
ドン!
大きな音がしてその方向を見やると、空中に突然現れた光る魔法陣にぶつかって落ちていく、鳥の魔獣の姿があった。
「ぎょわ!」
「心配ご無用です。あの程度、結界だけで問題ないので」
この王国全体を守る、結界師でもあるのだから。
「あ、じゃあ、お散歩してもいい?」
ミンケは目をぱちくりさせた後、アハッと笑う。
「あれを見ても散歩ですか。豪胆なご夫人ですね」
――笑顔も、可愛かった。
◇ ◇ ◇
とにかく鬱蒼としているので、私はいつも家で作業をする格好――肌触りの良い綿の長袖シャツに黒いサロペット(エプロン付きズボン)、丈夫な革のロングブーツと大きな麦わら帽子――に着替えた。
また、ミンケが呆れている。
「なんですかそれ」
「作業服」
「……はあ」
――だって日焼けは嫌だし草で皮膚切れるし、虫刺されとかも怖いじゃん?
呆れないでよね! の気持ちを込めて抗議の目を向けると、
「ええと、どちらまで行かれますか」
誤魔化された。
「なんかここ、かすかに道があるじゃない? どこまで続いているのかなって」
庭から続く小道は、簡易な木の柵(といってもほぼ草で埋まっている)を超えてどこかへ通じている。
「かしこまりました。では前を歩きますので、ついてきてください」
メイド服のまま颯爽と歩きだすミンケに、黙って従う。
草をかき分け歩くと、まだそれほど暑くない気候だというのに、少し汗をかいた。
「……変な人ですね」
「え? 今、変って言った!?」
「はい。あたしがこのまま、暗殺してしまうとは思わないのですか」
私は、ぴたりと足を止める。
「暗殺……」
ミンケが、私の視線の先で振り向き、じっと冷ややかな顔で立っている。
「得にならないからしないと思う」
「得?」
「だってユリシーズ様、三十歳になるまでに結婚しなかったら、強制的に誰かを送るって国王陛下から言われてたわけでしょう? で、もうすぐ三十歳」
「ええ」
「今どき、白い結婚を受け入れる家は少ないし」
貴族にとって子孫を増やすことは、いわば使命のようなものなのだ。私には幸い、出来の良い腹違いの弟がいる。
「魔法のことを理解して、獣人差別をしない人。この王国にいるかしら?」
「はあ。まいりました」
「やったー!」
ミンケがまた前を向いて歩きだす。
「あたしは、すごく耳が良いですよ」
「うん? じゃあ大きな音は立てない方が良いね」
「……その心音で、嘘をついているかどうかも分かります。お気を付けを」
ごきゅん、と大きく唾を飲むと、にやりとミンケが笑う。
「さ、着きましたよ」
「え!? うわあ!」
私は、思わず走り出した。
目の前に突如として、濃い青色の巨大な湖が現れたからだ。
「すっごーーーーーい!」
「この湖があるから、草木がたくさん育つのです」
周囲を見渡すと、青々と茂る木々、羽根を広げて優雅に飛ぶ色鮮やかな鳥たち。さー、と崖上から流れ込む滝には虹が出来ている。
そこここで、小さな動物たちが食事をしているのも目に入った。豊かな森と、湖。マイナスイオンたっぷりの、素晴らしい景色だ。
「どうしよう、ミンケ」
「なんです?」
「歌いたい!」
「……は?」
――大自然を目の前にすると心が解放されて、歌いたくならない? なるよね? ね? ね?
「あ、音はダメか……我慢する!」
「ぶふ。どうぞ。離れておきますので」
「! やったあ!」
それから私は、喉が枯れるまで歌いに歌いまくって(J-POPからアニソンまで)、ミンケに「そんなガラガラになるまで……戻ったらはちみつ湯をご用意しましょう」と呆れられた。
今日一日で何回呆れたのかな!? と帰り道で聞いたら――また、呆れられた。
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お読み頂き、ありがとうございました。
サーバルキャットって、土の中の獲物の音を聞いて狩りができるぐらい、耳が良いそうですよ。
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