第4話 結局は……?

 えりなは、それから少しして、再度駅前の喫茶店で、あゆみと会った。

「久しぶり」

 約束をしていたわけではないので、そんな口調になったのだが、お互いにそろそろ会いたいと思っていたのか、その言葉には感情が篭っていた。

「最近、忙しかったんですか?」

とえりなが聞くと、

「ええ、えりなさんが心理学を専攻しているということで、私も心理学に興味を持って、心理学の本とかを少し読んでみました」

 えりなは、その言葉に感激した。

「まあ、そうだったんですね。私のことを気にしてくれていた証拠だと思うと嬉しいです」

 と答えたが、その答えには普通なら嫌味にも聞こえてきそうなのだが、あゆみにはそんな思いはまったくなかった。

 それはきっとえりなの言い方が、相手に嫌味を感じさせないほど、自然だったということなのだろう。

「心理学って面白いですよね。最初は難しい本を読んでみようと思ったんですが、結構難しくて、少し別の観点から見てみようと思っていたら、夢について書いてある本が見つかったので、それを少し読んでいました」

 何という偶然だろう。

 えりなが夢についていろいろと考えている間、あゆみの方でも夢に興味を持っていたなんて、先ほど感じた感激が間違いでなかったことを、えりなは感じていた。

「心理学って難しく考えるから難しくなるんでしょうね。まずは、一つ気になるキーワードを見つけて、それが題材になっている小説などを読むことから始めるというのも、いいかも知れませんね。大学で心理学を専攻していても、教授によっては、難しいテキストを使うわけではなく、小説を題材にした講義を進めてくれる人もいます。そんな時は、他の難しい授業の中で憩いを感じさせるように思えてきて、目の前にオアシスがあるかのように感じることもありますよ」

「大げさですね」

「ええ、確かに大げさかも知れませんけど、心理学自体が大げさな学問だって思うと、納得も行きますよ」

「心理学は大げさな学問なんですね。私などは心理学というと、地味で静かな学問に思えますよ」

 とあゆみがいうと、えりなも少しむきになっているのか、

「そうですね。でも、地味で静かなものほど、大げさに感じられるものではないかと思うんですが、あゆみさんは違う考えなんでしょうか?」

「そんなことはないですよ。この感覚の相違は、最初から心理学を専攻しようと思って真面目に向き合っている人と、私のように、興味本位で向き合う人との違いなのかも知れませんね。それに私は心理学に興味を持ったのは、私が研究している電子工学に繋がるところがどこかにあるのではないかと思ったのも事実なんです。そういう意味では、同じ興味を持つにも角度が違えばまったく違ったものが見えてくるものなのかも知れませんね」

 というあゆみの横顔には、

――大人のオンナ――

 の雰囲気が感じられた。

――この間ここで会ったあゆみとは少し違う――

 どこが違うのかハッキリとは分からない。

 少なくとも心理学に興味を持って心理学を少し齧ってみた雰囲気があるからなのか、やはり大人を感じさせるという意味で、雰囲気が違っているのだろう。

「夢というのは、すぐに忘れていくものだって私は思っていたんだけど、本当にそうなのかしらね?」

 とあゆみが切り出した。

「ちょうど、私もそのことが気になっていたのよ」

 えりなは、ちょうど同じことを考えていたあゆみに対して、半分嬉しい思いを持ちながら、半分は怖いと思った。

――まるで自分の心の中を見透かされているようだわ――

 と感じたからだ。

「あゆみさんは、それを本を読んでいて感じたの?」

「ええ、その本はいろいろなことを私に教えてくれたような気がするの。少しオカルトっぽい小説だったんだけど、主人公が私たちと同世代の女の子だというのが、最初に私の興味をそそったの」

 確かに、同年代の同姓が主人公だとすると、自分が主人公になったかのように読み進むこともできれば、自分に主人公を置き換えてみることもできる。いろいろな見方ができることから、えりなも同じ立場だったら、同じようにその本に興味を持ったかも知れない。

「その本の主人公は大学生なの?」

「いいえ、高校を卒業して社会人になったという設定だったわ」

「そうなんですね」

 えりなとは立場が違っているようだ。

 そう思うと、えりなは自分に主人公になったつもりで読むというよりも、敢えて自分なら主人公に自分を重ねてみる方を選んだのではないかと思った。

「彼女はよく夢を見るようで、しかもその夢と言うのがいつも自分が子供の頃の夢なんだそうです。小学生の頃の夢が一番多いようで、しかも、見る夢もいつもパターンが同じだって書いてました」

「それは興味がありますね」

 えりなは、次第にあゆみの話に引き込まれていった。

「学校に行くと、皆は楽しそうに遊んでいるんだけど、誰も自分のことに気づかない。どうしてなのか分からなかったんだけど、トイレに行って鏡を見ると、そこにいるのは社会人になっている自分なんだそうです。その姿を見て、自分が社会人であり、これが夢の世界だって気がつくんだけど、夢から覚めようという意識はなかったそうです。それよりも、このまま夢の世界を楽しみたいという思いの方が強く、どうせ夢なんだから、それまで感じたことのない思いを抱ければいいと思っていたようです」

「その気持ち、私何となく分かる気がするわ」

「そうでしょう? 私も分かる気がするんですよ。それで本を読みながら自分のことを思い出してみると、確かに私も昔の夢をよく見るんだけど、その時、まわりの人が皆現在の大人になっていて、自分だけが子供であり、まわりから取り残された気分になっていることが多いんですよね」

 その言葉を聞いて、えりなも自分の夢を思い出した。

「私も同じ気持ちになることありますよ。でも、逆に自分が大人で、まわりが子供時代の友達だという夢を見たことがあります。その時は、自分だけが先に進んでいて、それを嬉しく感じることはないんですよ。逆に飛び越えてしまった時間がどんなものだったのか、それが悔しく思えるんですよね。ひょっとして本当はちゃんと過ごしてきた時間なのかも知れないのに、それを覚えていないというのは、悔しさと寂しさが交差する何とも気味の悪い気分になっているんですよ」

 と、えりなは自分の意見を述べた。

 しかし、そう口では言いながら、

――本当にそうなのかしら?

 と感じた。

 あゆみの手前、そう言ったが、本当に自分が考えていることが口から出てきているのか、少し疑問だった。

「あゆみさんは、いつも自分が取り残されたと思っているようですけど、逆のパターンの夢も見たことがあって、それを覚えていないだけではないかと感じたことはないんですか?」

 と言われたあゆみは、少し考えたが、すぐに結論は出たようで、

「いいえ、考えたこともないと思います」

 と一刀両断にあゆみは答えた。

 しかし、えりなはその返答が一刀両断であっただけに、余計にその言葉に信憑性が感じられなかった。一瞬間があって答えたのだから、その間にどれほど頭が回転したのか分からないが、一刀両断であったということはないはずだ。

 迷いの時間は長ければ長いほど、たくさんのことを考えたとは限らない。むしろ一つのことを何度も何度も考え直して、結論が出ないまま、結局は自分が納得できるかできないかというビジョンが自分の結論になるのではないか。

「他には、その小説で何か気になることありました?」

 とえりなが聞くと、

「ええ、その小説では、テーマがいくつかあったようなんですが、私の中で一番気になったのは、夢を共有できるのではないかということでした」

「夢の共有ですか?」

「ええ」

 えりなは、夢の共有というのは、昔から考えていた。

「それは、自分の夢に他の誰かが入り込んでいるのではないかという、そういう意味での共有ですか?」

「ええ、そうです。私の夢にいつも同じ人が入り込んでいるんじゃないかって時々思うんです。その人が誰なのか私には分からなかったんですが、その本では、一つの仮説を組み立てていました。それはまるで結論でもあるかのように説得力のあるもので、私もその意見に酸性なんですよ」

「というと?」

「その人というのは、実はもう一人の自分だっていうんです。その人は夢の中では見つけることができない人で、客観的に見ている自分なんじゃないかって、その本は書いているんですよ」

「なるほど」

 えりなはその話を聞いて、自分を振り返っていた。

 そして、自分が考えていることをゆっくりと語り始めた。

「私の場合、もう一人の自分を感じることができるのよ。その人は夢の外にいるの。つまりは夢を見ている自分なのね。だから夢の中では意識することができても、夢から覚めると忘れてしまう。それが夢の宿命のように思うの。でも、時々もう一人の自分はやけにリアルに感じられることがあるの。そんな自分は自分であって自分ではないという雰囲気を醸し出していることで、怖くなるのよね。怖い夢というのは、目が覚めてからも忘れることはないの。だから私にとっての怖い夢の印象として、もう一人の自分が夢に出てきた時が、一番怖いと思っているのよ」

 えりなは、正直に感じていることを答えた。

 しかし、この思いは絶えず頭の中にあるように思えたが、実際にその思いがいつも正面に出ているかというとそんなことはない。むしろ、忘れてしまっている中にあったことのように思えるくらいだ。

 何かひょんなことで思い出すことがある中に、この思いがあるのではないかとえりなは感じていた。

「私もたまに夢の中でもう一人の自分を感じることがあるんだけど、そんな時は遠くから見られているように感じるの。それも自分よりも高い場所からね。それで気になって視線の先にある上の方を見つめるんだけど、そこにあるのは空だけで、とても人が存在できる場所ではないのよ」

「それは私も感じるわ」

 といって、この間感じた箱庭のイメージを思い出しながら、あゆみに話した。

「夢の中じゃないのかも知れないわね。夢を見ている潜在意識が外から見せているものだと思うと、納得もいくわ」

 とあゆみがいうと、

「あゆみさんは、どうして夢を見ると思います?」

「夢というのが潜在意識のなせる業だと聞いたことがあるけど、もしそうであるなら、潜在意識には限界があって、それがえりなさんgは言った箱庭のようなものであるとするならば、私たちの夢の中での大きさは、不変なものだって思うのよ。ただ、大きさが一緒というわけではなく、夢の中の自分は小さく、夢を見ている自分だけが大きいのではないかという思いね」

 とあゆみは答えた。

「私は夢というのは、目が覚める前の数秒で見るものだって以前に聞いた話には無性に信憑性が感じられて、頭の中で結構大きくなって存在しているって感じなのよ」

「その話はこの本にも載っていたわ。だから、夢は覚えていることができないんだって結論付けていたわ」

「結論付けるには、少し薄い気がするんだけど、でも、目が覚める数秒前くらいに見ていたとするのは分かる気がする。目が覚めるにしたがって忘れていく夢を、時々忘れたくないと思っている時もあるの。そんな時に限って、目覚めはパッチリなのよ。わざと夢を見ていたということを感じさせないようにしているのではないかって感じさせるようなのよ」

 というえりなの話に、

「私もそうではないかと思うんだけど、どこかえりなさんと少し考え方が違っているような気がする。これはずっとニアミスを繰り返しているんだけど、決して交わることの無い交差点を描いているような気がするわ」

 というあゆみの意見も、えりなは無視することができなかった。

「夢って、結局、永遠の謎の部分が含まれているので、必要以上に夢を研究しない方が、本当はいいのかも知れないって思うのよ」

「それは私も同じ、えりなさんとは平行線の部分もあるけど、おおむね同じような考え方で二人の意見は推移しそうな気がするの。だからこそ、お互いに意見をすり合わせるのも悪いことではないんじゃないかしら?」

「私は夢の共有を信じているんですよ、人に話すと、そんなことはないって一蹴されそうな気がするので、話はしないんですが、私は夢の共有というのもありではないかと思っているんです」

「夢の共有というと?」

「夢というのは、皆自分の世界だけのもので、他の人が夢に出てきても、それは夢を見ている本人が作り出した架空の世界の人間なので、その行動は、本人が考えていることではなくても、無意識に感じていることだったりすると思っているんでしょうね、私もずっとそう思ってきたんですが、果たしてそうなんでしょうか? 普段から疑問に感じたことがあれば、徹底的に考えてみる方なので、考えているうちに発想が二転三転したりするんですよ。でもたいていは同じところに戻ってきて、最初と同じことを考えていたりするんですけどね」

 と言って、苦笑いをしていた。

 えりなはその話を聞いて、いたちごっこを繰り返している自分を想像していた。

――なるほど、彼女の話にも一理あるわ。夢はその人の潜在意識が見せるものだって考えると、そこに他人が介在する余地なんてないからだ――

 と考えていた。

 だが、夢から覚める間に夢の内容を忘れていくという発想には直接的に結びつかない気がした、ただ感じることとして、夢の世界と現実世界では次元が違うということだけであった。それぞれに次元が違えば、そこに結界のようなものがあり、共有できないものを感じさせる。それが夜と昼の世界のように、決して重なることのないものを感じていた。

 昼と夜とでは、明らかに違う。時間的に交わるはずがないので、当然のことなのだが、その間に夕方が存在していて、夕方にはグレーな雰囲気があり、いつの間にか沈んでいた西日が、あっという間に夜の帳を下しているイメージだったのだ。

 その間には夕凪という時間がある。

 夕凪というのは、それまで吹いていた風がまったく止む時間帯で、その時間帯というのは、そんなに長くはない。ハッキリと意識したことはないが、三十分もないことだろう。

 またえりなは、夕凪という時間に対して、

――人によって、感じる時間の長さが違っているのではないか?

 と感じていた。

 この思いは夢から覚める時に似ている。

 夢から覚める間というのは、ボーっとしていて、忘れていく夢を感じている時もあれば、気が付けば目が覚めていて、その日に夢を見たのかどうかなど、考えていない時である。

 そんな時は、

――今日は夢とかは見ていないんだ――

 と思うだけで、深く考えたりはしない。

 しかし、それは本当だろうか?

 夢というのは毎日見ているもので、夢を見たという意識が少しでもなければ、夢は見ていないと当たり前のように感じるものだと思っている。

 えりなは、他の人よりも深く、夢の世界のことや、現実世界との結界、あるいは、目が覚める間に忘れてしまうという「生理現象」について考えていると思っていた。

 ただ、それは他の人と話をしないからそう思っているだけで、自分よりも深く考えている人がいても不思議ではないとも感じていた、

 時々、夢から覚める時に、

――忘れかけている夢を、忘れないようにしたい――

 と感じるようになっていた。

 夢を忘れないという感覚は、忘れたくないからなのか、それとも、忘れてしまってはいけないと思っているからなのか、ハッキリとは分からない。

 そんな時に夢から覚める時の感覚を、夕凪の時間と重ねあわせて考えるようになったのは、偶然だったのかも知れない。

 えりなは、夕方信号を見て、夕凪の時間を発想した。その発想までには、いくつかの段階を踏んでいたのが印象的だった。

 それは歩行者用の信号ではなく、車専用の信号の方である。つまり赤黄青の信号機を見た時であった。

 車専用の信号機というのは、赤から青の変わる時は、いきなり青に変わるが、青から赤に変わるまでの間には、黄色い信号が影響している。

 もっとも歩行者用の信号は、点滅があるので、それが黄色信号の役割を示しているのであり、同じようなものではある。

 青から赤に変わる間に、警告として黄色い信号があるのだろうが、えりなは、単純な発想として、

――青から赤に変わる時には黄色い信号というのがあるのに、なぜ赤から青に変わるのに黄色が存在しないのだろう?

 と考えていた。

 本当は単純な発想をしているのは、何も考えずに黄色い信号を警告用だと分かっている方なのだろうが、えりなは、そこに不思議な疑問を感じた、いわゆる感じなくてもいい、

――余計な発想――

 なのである。

 信号の赤い色に比べて、青い色はあまりにも地味である。その中間にあるのが黄色い色であり、赤い色にはかなわないが、青い色とは比較にならないほど明るいものだ。そう思っていると、黄色になった時間は、本当に短いものだが、ずっと見つめていたい気がしていたのだ。

 夕凪の時間帯も同じようなものである。

 意識して感じようとしても、夕凪の時間というのは、どこからどこまでなのか、本当に感じることのできる人など存在するのだろうか。じっと夕凪を感じていると、気が付けば夜のとばりが下りているものなのではないだろうか。

 夜のとばりが下りてから、真っ暗になるまでには本当は少し時間があるのかも知れない。しかし、えりなは夕凪の時間が終われば、そこから先は明かりはあるものの、襲ってくるのが暗闇だと思っていた。

 暗闇には恐怖を感じる。

 しかし、夕凪という時間帯を意識するようになると、夜の暗闇がそんなに怖くなくなってきた。もっとも、他の人に、

「夜の暗闇に恐怖を感じたことあった?」

 と聞くと、

「私はなかったわ」

 という答えが結構な確率で返ってきた。

 どうしてなのだろうと考えていたが、その原因が夕凪になるということを、最近えりなは気が付いた。

――夕凪の時間を意識して、夕凪という時間が恐怖であるということに気が付くと、それまで怖いと思っていた夜の暗闇がそんなに怖いとは思わなくなってきた――

 というのが理由である。

 えりなは自分が夕凪という時間を意識していることを誰にも知られたくなかった。知られてしまうと、

「何を余計なことを考えているの」

 と、罵声に近いものを浴びせられる気がしたからだ。

 もっとも、それが罵声でないとして、小声で言われた方が、ひょっとすると恐怖に感じるかも知れない。

 信号機の黄色の存在は、夕凪の時間のように、グレーな存在だ。誰も黄色が青から赤に変わる時に存在しているのに、逆で存在していないことを不思議に思わないのと同じではないかと感じていた。

 夕凪というのは、意識すればするほど、神秘的なものだという発想を、たぶん感じた人は皆思っていることではないだろうか。そのイメージが夢の世界にも繋がってくるなど、誰が想像できるだろう。

 信号機の色を見ると、もう一つ感じることがあった。それは、

――夜と昼とで感じる色に違いがある――

 という思いである。

 黄色にはそれほどの違いは感じないが、青や赤には露骨に感じる。

 ハッキリといえば、夜の方が鮮明に見えて、昼の方が曖昧な色合いに感じるということである。

 夜には赤い色も青い色も、その色を最大限に生かすことのできる時間帯であり、昼間では赤も青も色としては曖昧であり、特に青などは、昼間は緑に見えているのに、夜は真っ青という違いを感じる。

 実際的なことを考えると空気に含まれている粒子が、昼間には邪魔をしてハッキリとした色合いにさせないのか、それとも畜舎日光が目の錯覚を誘うのか、そのどちらともに言えることなのではないかと思えた。

――じゃあ、夕凪の時間はどっちなんだろう?

 と思ったが、そのどちらでもないような気がした。

 しかし、夕凪の時間の存在を考えれば、夜にハッキリと見えるのも理屈としてはありえることではないかと、えりなは感じていた。

 夕凪の時間帯は、昼間に蓄積された疲れが一気に噴き出してくる時間だ。暑かった日であっても、夕方になれば、かなり気温も下がってくる。しかも、それまで吹いていた気持ちよかった風がやんでしまう時間ではないか。風がやんでしまったことを意識しているわけでもないので、疲れが癒されると思っているが、実際にはそんなことはない。感じないだけに、余計な疲れが蓄積されるのだ。

 だから、夕凪の時間帯というのは、空腹になる時間である。

――夕方になるからお腹が空くんだ――

 と思っていたが、あながちそれだけではないように思えてきた。

 夕凪の時間帯はなぜか汗が噴き出してくる。風がないだけに、余計に噴き出した汗を吸い込むことがっできずに、身体から流れ出すような感覚に陥る。それが疲れを誘うのであって、感じた疲れは、夜まで引っ張るので、そのために夕凪の時間を意識することがない理由に繋がっているのかも知れない。

 夕凪の時間を過ぎると訪れる夜の世界。えりなは、それを目が覚めた時だと思うようになった。実際には朝なのに、夕方から夜を思い浮かべるというのは、これほど奇抜な発想もないだろう。それだけに、

――こんな発想を思い浮かぶ人はいないだろうな――

 と感じ、夢と現実の狭間を夕凪の時間に結びつけて考えるなど、自分だけではないかと考えるのだ。

 信号から夕凪の発想へのステップアップな発想は、昔子供の頃に聞いた、

「わらしべ長者」

 のお話を想像させた。

 あのお話は、確かある男が神様からのお告げで、

「最初に掴んだものを大切にしなさい」

 と言われて、それを大切に持っていると、あとから物々交換を重ねていくうちに、どんどん高価なものに変わって行って、将来男は幸福になったというそういうお話ではなかったか。

 ハッキリとした順序や交換したアイテムまでは記憶にないが、このおとぎ話が印象的だったことだけは覚えている。

「このお話は、外国にも類似するお話があってね」

 というのを教えてくれた人がいた。

 そう思うと、どんなに離れていて交流がなくても、人間であれば、考えていることにそれほどの大差はないと思えてきた。

――それとも、本当は交流がないと思っているだけで、実際には交流があったのかしら――

 とも考えられたが、それよりも、人間の発想の方に信憑性が感じられ、えりなは自分の最初に感じた考えを、ずっと信じてきた。

 おとぎ話と聞くと、桃太郎や浦島太郎のような話を思い浮かべる、ここで出てきた「わらしべ長者」の話を思い浮かべる人は少ないだろう。

 しかし、わらしべ長者と聞くと、皆それぞれに考えがあるようで、

「ステップアップというお話は、一番夢を見せてくれそうだわ」

 という人が多かった。

 えりなは、おとぎ話と聞くと、真っ先にわらしべ長者を思い浮かべた。

「それは、えりなの願望が表に出ている証拠なんじゃないのかな?」

 と、友達に言われたことがあったが、まさしくその通りなのかも知れない。

 ただ、自分にはそんなに欲望が深いという意識はなかった。どちらかというと、

――欲は深くない方だ――

 と思っていた。

 えりなにとって、自分が、

――いたちごっこを繰り返している――

 と感じている時点で、自分がわらしべ長者のようになれるという思いはなかった。

――そんなにうまく行ったら、誰も苦労しないわよ――

 と、少し拗ねた感覚を抱いているほどだった。

 えりなにとって、いたちごっこのような性格は、

――避けて通れない運命のようなものだ――

 という意識だったのである。

 人には、定めのようなものがあり、それは表に出ているものと、性格のように内に籠めているものとがあると、えりなは思っている。この「いたちごっこ」という発想も、その一つだと思っている。

 ただ、定めというものはその人にたくさんあるわけではなく、表に出るものと内面的な性格と、それぞれ一つなのではないかと思っている。しかも、それぞれに関係性があって、他の人には理解できないことでも、自分には分かるものだと思っている。

 夢の共有という発想を口にしたあゆみの話を吟味しながら聞いていた。そうするといろいろな派生した考えが浮かんできて、それが「わらしべ長者」のお話を思い起こさせる。えりなにとって「わらしべ長者」は、「いたちごっこ」が内面であるなら、こちらは表に出ているものだという意識が生まれてきたのだった。

 えりなは最近夢の中で、よくあゆみが出てくるような気がする。ただ、今から思えば、――あゆみが自分の夢に出てきたのは、あゆみと知り合う前たったのではないか?

 と思うようになっていた。

 しかし、もしそうであるなら、最初にあゆみに出会った時、

――どこかで会ったことがあるような気がする――

 と、少しでも感じるはずだった。

 気がついていなかったのであれば、後になって、

――あゆみと出会っていたのは、最初が夢の中だったのではないか?

 などという発想も生まれてこなかったに違いない。

 そう思うと、夢と現実との間に少しでも時間が経ってしまうと、その間の溝はさらに深まってしまい、どちらも遠い過去に見えてしまうことで、距離感がマヒしてくるような錯覚と同じものを感じてしまうことだろう。

 夢に出てくるあゆみと、そして自分とでは。なぜか立場が違っていた。立場というのは専攻している学問が違うという意味で、つまりはえりなが電子工学を専攻していて、あゆみが心理学を勉強しているというものだった。

 場所はいつもの駅前の喫茶店。考えてみれば、二人はあの場所でしか面識がなかった。そのまま二人で大学に通学したり、どこかに出かけたりするということはなかったのだ。

 それなのに、お互いの意識はかなり強いものだった。少なくともえりなは、夢に見るくらいなので、意識が強くても当然だと思っている。ただ、あゆみを夢に見ることは、

――自意識過剰が原因なのではないか?

 と思うようになっていたが、その信憑性は皆無に等しかった。

 だが、最近の夢で自分とあゆみとが専攻しているものが入れ違っていることで、自意識過剰という思いを感じるようになったのだと、後追いで感じるようになっていた。

 えりなは、電子工学などまったく知るはずもないのに、口から勝手に電子工学の話が出てくる。あゆみの方も、心理学の話を違和感なく話している。ただ、お互いに相手の話している理屈が手に取るように分かるようで、現実の世界ではそれぞれに自分が専攻している学問なのだから分かるのは当たり前というもので、そう思うことが、いつの間にかこの間考えていた、

――夢の共有――

 という発想に結びついているのだろう。

 最近思い出した中学時代の夢といい、あゆみとの間に共有しているという思いを抱いた夢の発想であったり、えりなは最近の自分が夢に対して造詣が深いことを感じていた。

「夢とは潜在意識が見せるもの」

 つまりは、忘れられない思いやトラウマが、夢となって現れるという意味では、井戸の近くにいた少年を見て見ぬふりをしてしまったという意識が忘れられないトラウマと残っていたと考えるのは当然であろう。

 えりなは最近、

――あゆみと出会うのがどうして駅前の喫茶店だけなのか?

 ということを気にしていた。

 駅前の喫茶店から大学までの道、その途中にあるペットショップと、えりなが夢に見るのは、つまりは夢を見たとして忘れずに覚えているのは、決まって駅を降りてから、大学までの道での出来事だけだった。

――実に狭い範囲での夢の世界。夢には限界があるということかしら?

 と思うようになっていた。

 えりなが電子工学を、そしてあゆみが心理学を語っている時、話している内容が手に取るように分かっている。なぜなら、それは現実ではそれぞれ自分の世界だからである。そういう意味で、見ているのが夢であるということを確定させる発想になったのも頷けるというものだ。

 ただ、お互いに自分が研究している内容と少し違う発想を持っていることに、少しずつ気付いてきた。

 もう一つ不思議に感じたのは、

――いくら夢の中とはいえ、あゆみの気持ちまで分かるというのだろう?

 という思いだった。

 それが夢の共有という発想に結びついたことでもあったし、それよりも、お互いに鏡を見ているかのように感じたことから、夢を支配しているえりなには、全体が見えていたのではないかと思えた。

 ただ、えりなは、あゆみの言葉に急に我に返っていた。

 その言葉は、えりなが最初から思っていたことなのかも知れないが、それを認めたくない自分がいたのも事実である。

 あゆみの言葉は、

「結局は、これはあなたの夢なの。私はあなたの鏡であって、夢の共有なんてありえない。目を覚ましなさい」

 というものだった。

 ハッとしたえりなは、その瞬間、自分の夢から覚めていくのを感じた。

――認めたくないーー

 という思いが目が覚めようとしているえりなを包んだ。

 夢はそんなえりなの思いを知ってか知らずか、勝手に覚めていく。

――これって、忘れられないトラウマであり、さらには、無意識なトラウマなんじゃないかしら?

 過去から背負ってきた矛盾しているかのように思えるトラウマに、えりなは、またしても夢の限界を感じた。

 えりなは完全に夢から覚めていた。その時に覚えている内容は中途半端なもの。今まで忘れられなかった夢とも違う意識が、えりなの中にはあった。

――結局、私はいたちごっこを繰り返しているんだわ――

 という諦めのような境地に陥っていた。

 この思いを感じた時、走馬灯のように、夢の中の記憶が駆け巡っている。

――駅前のペットショップで見たハツカネズミ。中学の時に見て見ぬふりをしてしまった井戸のそばにいた少年。駅前の喫茶店で出会ったあゆみとの心理学と電子工学の話。そして、夢の共有の発想……

 そのすべてを想像しながら目を瞑ると、そこにはシャッフルが起こり、何がとまるのか、えりなには想像がつくような気がしていた。

「ハツカネズミ」

 そう呟くと、自分は結局、わらしべ効果を受けることはできない、いたちごっこを繰り返しているだけの人間に思えて仕方がない。

――夢の共有――

 やはり、永遠のテーマでしかないのだろう……。


                 (  完  )

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いたちごっこ 森本 晃次 @kakku

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