第3話 夢への思い

 えりながいつ夢から覚めたのか分からなかったが、その日の朝も、最近仲良くなったあゆみといつものように喫茶店でモーニングを食べていた。

 以前から夢の話をよくしてくれていたあゆみだったが、話が突飛すぎて、普段はあまり意識することもなく、本当に他人事のように聞くことで、

――ちょっとした面白い話――

 という程度で聞き流していた。

 しかし、その日はえりなも不思議な夢を見たという意識があることで、あゆみの話をまともに聞ける気がしていた。もっとも、この日えりなが見た夢も、いつもと同じように、目が覚めるにしたがって忘れていってしまったようで、ところどころの記憶はあるものの、断片的で話が繋がることはない。

 普段から、そんな夢を見た時は思い出そうとするエネルギーが無駄なものに感じられ、必要以上に思い出したいと思うことはなかったが、その日は、

――思い出す必要がない――

 というよりも、

――思い出したくない――

 という思いが強く、忘れてしまいたいとまでは思わないまでも、断片的な意識を感じないようにすることで、あんるべく普段と変わらない精神状態でいたいと思うのだった。

 そう思っている時点で、夢が尋常でなかったことは分かっている。分かっているだけに思い出す必要のないことだとして、記憶の奥に封印してしまいたかった。それなのに残ってしまった断片を必要以上に封印しようとすると、まるで藪の中にいるヘビをつつくような真似をしているような気がして、意識しないことが一番だと思うようになっていた。

 えりなはその日、目を覚ますと目の前にある天井が落ちてきそうな錯覚に襲われ、思わず身体が硬直してしまったのを感じた。

――このまま金縛りに遭ってしまうのではないか?

 と感じた。

 以前にも怖い夢を見た時、目を覚ました瞬間、目の前にあった天井が落ちてきそうな錯覚に陥り、避けようとして、金縛りに遭ったのを思い出していた。

 金縛りは痛いものではなかったが、動けないこと自体が恐怖で、

――このままずっと身体を動かすことができないのではないか?

 という思いに駆られた。

 さらに次に感じたのは、自分がまだ夢の中にいて、

――このまま夢から覚めなければどうしよう?

 という思いだった。

 夢から覚めることを許さないために、自分の身体が金縛りに遭っているのだと思っていた。その思いはあながち間違いではないと思っている。金縛りは解けたのだが、どうやって解けたのか自分でも分からない。もし、金縛りが解けるからくりが分かってしまえば、その時点で夢だという意識が働き、夢の世界からそのまま抜けられないという思いを、えりなはかなり高い確率で信じていたのだ。

――まったく信憑性のないことなのに――

 という思いを抱いていたのだ。

 その日がいつだったのか、今では思い出せない、一年前だったのか、一か月前だったのか、下手をすれば、一昨日だったのかも知れないと感じるほどだ。

 しかし、昨日おかしな夢を見たということを、将来になって思い出すことがあるとすれば、それがいつだったのかというのを今回よりももっと曖昧に感じるかも知れないと思った。曖昧というのは時期が曖昧というよりも、夢の内容がもっと曖昧であり、昨日のことであっても、まったく覚えていないという感覚に、現実世界でも陥ることを予感させるものではないかとえりなは感じるのだった。

「まるで老人になってしまったようだわ」

 と、今では想像もできない感覚に陥るかも知れないのに、頭の中では、それを怖いことだとは思っていない。

 なぜなら、それは一過性のもので、ある時期がくれば、元に戻ると思っているからだ。その時期というのも、限りなく近い将来で、そんな根拠のない思いを信じている自分が、おかしく感じられるほどだった。

 えりなは、夢の中に出てきた少年の顔は頭の中に残っていた。あどけない顔の中学生くらいの少年だったはずなのに、今から思えば、かなり難しい話をしていたような気がした。そんなことを考えていると、夢の中で聞いた話が断片的であるが思い出されてくるような気がしていた。

「夢の中の世界の彼と、現実世界の私が入れ替わるような話をしていたような気がするわ」

 というのを思い出した。

 それは目が覚める前の寸前のことだったという意識がある。ただ、それが本当に夢から覚める寸前のことだったのかと言われると、ハッキリと言い切れるものではなかった。

「夢というのは、目が覚める寸前の数秒間で見るものだっていう科学者の研究があるらしいわよ」

 という話を以前に友達から聞いたことがあった。

 それを聞いたのは、まだ中学時代のことで、その友達がSFやオカルト的な話に造詣が深かったのを思い出した。

 その頃のえりなは、そんなオカルト的な話に興味があったわけではないが、話を聞いてあげないと、友達ではいられなくなるという観念から、話を聞いていた。

――ひょっとすると、その頃から自分を他人事のように思うようになったのかも知れないわ――

 と思っていた。

 聞きたくもない話を聞かされるというのは、考えただけでも苦痛でしかない。しかし、その頃のえりなは、それほど苦痛ではなかった。

――彼女が楽しそうに話しているんだから、それでいいじゃない――

 と自分に言い聞かせていたような気がする。

 それが、自分を他人事のように感じることとつながっているという感覚は、その頃にはなかったのだ。

 だが、最近になって、友達の話していたことをよく思い出すようになった。聞いていないつもりでもしっかり聞いていたということになる。つまりは、他人事のように聞いていたとしても、その他人は結局自分であり、もう一人の自分というものを他人として作り上げていただけなのかも知れない。えりなは大学生になる頃から、そんな風に思うようになっていた。

 大学三年生になってから、急に自分だけが置いて行かれているような気がしていた。大学に入学してから、大学生として、勉強よりも友達関係や大学生活という今までにはなかった新しく開けた世界に身を投じることで自分が大きな甘えを感じるようになっていることを自覚しながら、それを悪いことではないと思っていた。

 大学三年生になった頃から、次第にまわりが変わり始めた。勉強しなければいけないという思いと、就職に備える気持ちを持つ人が多くなってきた。当然といえば当然なのだが、えりなには、まだその自覚が備わっていない。きっと、自分を他人事のように思うことが災いして、現実逃避に走ってしまう自分を自覚できないでいたからであろう。

 そんなことを考えていると、最近、よく夢を見るようになっていた。もちろん、目が覚めるとその夢がどんな夢だったのか覚えていないことがほとんどだが、たまに覚えている夢もあった。

 そんな夢に限って、ロクな夢ではない。怖い夢であったり、現実を思い知らされるような夢だったりする。そんな時に感じるのは、

「夢というのは、目が覚める寸前の数秒間で見るものだっていう科学者の研究があるらしいわよ」

 と言っていた友達の話だった。

 そう思うと、自分が夢の中で遭遇している世界というのは、自分の中学時代のシチュエーションがほとんどだったような気がする。

 不思議なことである。

 夢のシチュエーションは確かに中学時代のものであるが、えりな自身は大学三年生の今であった。大学三年生で、もうすぐ就職活動を控えていて、それが終われば卒業を迎える。その後には社会人が待っているという意識が頭の中にある中での、シチュエーションが中学時代だという実に歪んだ世界を形成する夢の中だった。

――どうせ、ここは夢の世界なんだわ――

 と夢を見ている自分は感じているのも分かっている。

 しかし、夢の流れに逆らえないでいる自分も感じている。

「夢というのは、潜在意識が見えるものだっていうわよ」

 と、またしても中学時代の友達のセリフが思い出される。

 つまりは、見ている夢は自分の発想がすべての限界だともいえるのだ。

 それなのにえりなの中では、夢の中の世界と夢に出ている自分、そしてそれを他人事のように見ている自分が、それぞれ同じ次元で存在しているということが、信じられなかった。

 夢に限界があるということは、忘れてしまっていると思っている起きてから封印されている記憶の奥にも限界があるということだろう。もし、記憶の奥のスペースに入りきれないほどの夢を見たとすれば、入りきらない部分はどうなってしまうのだろう?

 えりなはそんなことを考えていると、昨日の夢で彼が言っていた。

「あなたは、ハツカネズミがやっているような、いたちごっこを繰り返している」

 という言葉が思い出されてきた。

 いたちごっこという言葉は、最近になってよく聞くような気がしていると思ったが、実際にはそんなに使われる言葉ではない。昔の人ならいざ知らず、今の人たちにいたちごっこという言葉を使って、それがどういう意味なのかというのが、ハッキリと分かるだろうか?

 もっとも、昔の人でも曖昧にしか覚えている人もいないだろう。えりなも自分で説明しろと言われても、ちょっと説明には困難を要するとしか答えられないと思う。それほど曖昧な言葉であって、

――これほど曖昧な言葉もないだろう――

 と思うほであった。

 中学時代の夢を見ながら、最初は、

――懐かしい――

 と思ったが、次の瞬間、

――まるで昨日のことのようだわ――

 と感じた。

 この感覚は今に始まったことではなく、懐かしいことをまるで昨日のことのように思い出すというのは、結構あることのように思えた。

 そこまで考えると、そんな感覚に陥った時というのは、

――それに因果のある夢を、その日の夢に見ていたのではないか?

 と、えりなはふと感じた。

 さらにえりなは、

――夢で見たことというのは、正夢であるかのように、将来において必ず何かのかかわりを持つことになるような気がする――

 とも思うようになっていた。

 この間の夢が中学時代の夢として思い出すことができると感じたことで、

――だから、夢の中に現れた少年が中学生のようだったのかも知れない――

 と思った。

 話の内容から、少なくともえりなと同年代か、あるいは年上に感じられたが、彼の素顔を本当は見ていて、そのままの感覚でいれば、夢の内容すら忘れてしまうような気がしたことで、えりなは敢えて、夢に出てきた男性を中学生のようなイメージで記憶に残しておこうという発想を持ったのかも知れない。

 それは無意識であるのだろうが、無意識であるから、えりなは今でも彼が中学生だったと思っている。

 ただ、その感覚を夢を見せていたと思われる彼が誘導していたとすれば、夢というのはあなどれない存在である。

 夢を見ている人間にそこまで感じさせると、夢の存在意義が損なわれ、その人は夢を見ることができなくなるかも知れない。

 夢というのは、現実逃避の時に必ず必要なものである。そう考えると、夢を見ている人間には決して悟られてはいけないルールやエリアがある。夢を覚えていないように細工するというもの、その手法の一つであろう。ただ、この感覚はえりなの中で少し気付いている部分であるということは、特筆すべきことでもあった。

 えりなは、自分の中学時代を思い出していた。

 思い出したのは、最近まで忘れていたことで、なぜ思い出したのか、何がきっかけだったのか、自分でも分からなかった。

 確かあの時、学校からの帰り、友達と一緒に帰ろうと約束をしていたのだが、えりなは部活が長引いて、遅くなってしまった。

「ごめん、今日は私、遅くなるみたい」

 と言って、友達を先に帰らせた。

 えりなはバスケットボール部に所属していて、大会が近いということもあって、練習にも熱が入っていた。学校から許されている部活の時間ぎりぎりまで練習して、帰りには完全に夜のとばりが降りていた。

 秋の虫が聞こえてくる中を街灯だけを頼りに帰るのだが、途中までは他の部員と同じだったが、途中からは一人になった。慣れた道だとはいえ、中学生の女の子が一人だと心細かったりする。自転車での通学だったので、途中までは自転車を押しながら友達と一緒に帰ってきた。しかし、ここから先は一人なので、誰に遠慮もなく自転車で一気に帰ることができる。

 それでも、その日はなぜか心細かった、風がいつものように吹いておらず、無風だったのも気持ち悪さを引き起こしたのかも知れない。

 風がないと最近雨が降っていなかったにも関わらず、湿気を感じる。身体にまとわりつくような湿気が汗を誘発したのだが、それは部活で疲れた身体には、あまり気持ちのいいものではなかった。少しでも風を感じることができれば風が身体に対して癒しを与えてくれるのが分かるので、風がない時に余計に、普段の風のありがたさが分かるというものだった。

 それだけに自転車を走らせると、身体に当たる空気が心地よかった。かといって、スピードをあげようと無理をすると、せっかくの風にもかかわらず、汗が噴き出してしまうことで、気持ち良さも半減してしまう。

 途中には上り坂があった、急ではないが、緩やかな坂が少し続くエリアがある。自転車お無理に漕いでしまうと、汗が噴き出してくるのは必至だった。

 坂の手前にくると、えりなはあっさりと自転車を降りた。手で押すことを最初から考えていたのだ。

 もっとも、坂を駆け上ることは今までに数回しかない。急いで帰宅しなければいけなかった時で、その時の記憶の中で一番最新だったのは、祖母が亡くなった時だった。

 その日、学校で授業を受けていると、

「おい梅田。急いで職員室まで来てくれないか?」

 と、授業中にもかかわらず、学年主任の先生が扉を開けて入ってきた。

 それには、さすがに授業を受け持っていた先生もビックリしていて、

「何事ですか?」

 と言ったが、

「とにかく、梅田を職員室まで来させてくれ」

 と言った、

 えりなには予感があった。祖母が病気で寝たきりになってから、最近親や親せきが慌ただしくなってきたのが分かっていたからだ。日増しにその雰囲気は切羽詰まってきているようで、えりなは子供心に、

――覚悟しておかなければいけないのかしら?

 と感じていた。

 そんな時に、職員室への呼び出しだ。かなりの確率で、家から連絡があったことは分かっていた。

 職員室に行くと、おじさんが来ていた。

「えりなちゃん、おばあちゃんがいよいよなので、一緒に来てくれないか?」

 と言って、えりなを見た。

 その時のおじさんは、この間までの慌ただしさとは少し違い、少し怖い顔にも感じられたが、その表情に覚悟が感じられるのは、えりなにも分かった。

「ええ、分かりました」

 おじさんは車で来てくれていて、すぐにそのまま家に向かった。

 祖母は、入院をしていない。どうやらもういけないということは本人にも告知されていたらしく、

「死ぬなら自分の家で」

 という本人のたっての願いということで、病院側も臨戦態勢だけは取っていたという。

 家に帰ると、祖母はすでに亡くなっていた。えりなは自分が死に目に会えなかったことよりも、自分のためにおじさんが死に目に会えがなかったことに申し訳なさを感じていた。

――私さえ迎えに来なければ――

 という思いが強く、なぜか祖母の死を聞いても悲しくはならなかった。

 ただ、まわりの人が皆悲しんでいる姿を見ると、

――悲しいことなんだ――

 ということは分かった。

 それでも、通夜、葬儀と儀式が続き、最後に火葬場に向かい、棺桶が火葬される瞬間になると、急に寂しくなった。

――本当に悲しいものなんだ――

 と感じたが、どうしてそれまで感じなかったのか、不思議で仕方がなかった。

 火葬は一時間ほどだったが、悲しいのもそこまでで、家に帰ってくれば、悲しさは消えていた。

――あの思いはなんだったのかしら?

 えりなは、悲しくなかった時間よりも、短い時間であったが悲しくなった自分を哀れに感じたが、その思いの正体は分からなかった。

 学校におじさんが来てから、火葬が終わるまで、あっという間に過ぎた気がした。久しぶりに行った学校では、いつものように授業を受けて、帰りには自転車で帰った。その時に乗った自転車が、

――本当に久しぶりだわ――

 と感じた。

 授業を受けている時は、久しぶりだという感覚はなかったのに、どうしたことなのだろう。

 その日は、なぜか普段と違ったことがしたくて、普段は坂を上る時は自転車を降りるのに、その時は自転車から降りることはなく、助走をつける形で、一気に坂を駆け上がったのだ。

 その時の心境はよく分かっていないが、それで何かが吹っ切れたような気がした。その信教が、も二度と会えない祖母への鎮魂の気持ちだったのか、

――きっとそうに違いない――

 という思いがあるだけだった。

 そんなことを思い出しながら、自転車を手で押して上っているえりなだったが、坂の途中にある家が急に気になった。

 えりなの住んでいる町は、坂の途中にはまだまだ昔の家が残っていて、農業をしている家もあったくらいだ。広い土地に昔の家屋と、新しく増設した家屋が隣り合わせに立っているところもあるくらいだ。

 そんな一軒の家の手前に井戸があるのだが、道からその井戸を見ることができる。

 その家は夜になると、暗いと危ないということなのだろうが、井戸を照らす街灯が立っている。

 えりなは今までその家のことを気にしたことなどなかった。部活で夜のとばりが降りてからの帰宅も時々あったし、同じようなシチュエーションも、その日が初めてではなかったのだ。

 井戸を照らす明かりが、その日はなんとなく気になった。普段よりも少し暗く感じたからで、最初は横目にチラッと見ただけだが、ここまではいつもと同じであった。

 いくら気にしないとはいえ、井戸のところだけ街灯がついていると、無意識にではあるが、チラッとでも見てしまうのは仕方のないことである。

 その日のえりなが普段よりも暗く感じたのは、そこにいつもとは違い、誰か一人、佇んでいる人がいるのを感じたからだ。

 薄暗い中に佇んでいるその姿は、影が大きさを反映させるのか、最初は大きく感じられたが、よく見ると、それほど大きな人ではないのが感じられた。

――子供?

 そう思って見ていると、まだ十歳くらいの男の子ではないか。坊主頭の少年が、井戸を見ながら佇んでいる。これほど恐ろしさを醸し出している雰囲気もないだろう。

――目の錯覚じゃないの?

 と自分の目を疑ったが、見れば見るほど、少年の存在が大きくなっていく一方だった。

 少年は井戸を見ている。井戸から少し離れてはいるが、えりなが少し立ち止まってその様子を見ていたが、彼は井戸に近づこうとはしない。一定の距離を保ちながら前に進もうとも後ろに下がろうともしない。

――いったい何を考えているのかしら?

 井戸を見つめているのは間違いないが、井戸の中を見るわけではない。

 まるで足に根が生えたかのように微動だにしない姿を見ていると、

――瞬きすらしていないように見えるわ――

 実際に顔の表情が見えるわけではないが、この状況を考えただけで、少年が瞬きをしていないという思いが浮かんでくるのだった。

 どれくらいの時間が経ったのだろう?

 えりなは、自分の足にも根が生えてしまったのではないかと思えるほど、足の感覚がなくなっていた。

――このままではまずいわ――

 えりなが考えたのは、少年に気を取られていては、自分がここから一歩も進めなくなるということに気が付いたからだ。

――急いでここから逃げなければ――

 逃げるという表現を初めて思い浮かべた。えりなは、その少年に恐怖を抱いていたことを、いまさらながらに思い知らされた気がした。

 えりなは、少年に取られていた気を取り戻そうとしていた。しかし、すぐには戻ってこない。まるで少年に呪縛を与えられたのではないかと思うことで、少年に気付いてしまったことに後悔した。

 もう、こうなったら、少年のことなどどうでもいい。何とか自分がここから逃れることだけを考えなければいけない立場になった。

 そんなことを考えていると、意識が遠のいていくのを感じた。

――どうしちゃったのかしら?

 逃れたいと思う気持ちとは裏腹に意識が遠のいていく自分の状況に、そのまま流されてもいいとも感じていた。

 えりなは、意識が完全になくなっていた。そして気が付けば、家の布団で寝ていた。

 起き上がって部屋を出ると、台所で母親が家事をしていた。

「あ、えりな大丈夫?」

 口では大丈夫と聞いていたが、別に慌てている様子はなかった。

「私、どうしちゃったの?」

 と聞くと、

「覚えていないの?」

 と言われたので、

「ええ」

 としか答えられなかった。

「あなた、昨日帰ってきて、いきなり玄関先で倒れ込んで、そのまま気を失ったのよ。お医者さんに来てもらったけど、悪いところはないということで、『相当の疲労が溜まっているだろうから休ませてあげなさい』って言われたの。だから無理に起こすことはなく、ずっと寝かせていたのよ」

 と言われて、えりなは反射的に時計を見た。

「五時半を指しているけど、今はいったい?」

「あなたが帰ってきてから、丸一日近く経っているのよ。今は次の日の午後五時半なのよ」

 と言われた。

「そんなに長く?」

「ええ」

 えりなは、昨日(と言われた)のことを思い出していた。

 思い出せるのは、井戸のそばにいた少年のことだった。

――彼はどうなったのだろう?

 と思ったが、その時は自分が気を失ってしまったことで仕方がないと思うしかないと感じていたのだ。

 だが、実際にはそれがトラウマになってしまったようだ。

 何がトラウマなのか、正直分からない。

――少年が、あれからどうなったのか、自分が何とかできなかったことがトラウマなのかしら?

 それとも、

――肝心なところで気を失ってしまったことがトラウマなのかしら?

 そのどちらかなのだろうが、結論は出なかった。

 そんな時、夢に出てきた中学生の男の子、彼がその時の男の子に思えて仕方がない。えりなが今大学生になったのだから、彼は高校生くらいでおかしくないのに、どうして中学生なのか分からないが、えりなの中では、彼が中学生から成長していないというよりも、井戸を見ていた瞬間が実は数年続いて、その間年を取っていないという感覚の方が強く感じられた。

 過去のトラウマが見せたこの間の夢なのかも知れないが、あの時の夢は自分の潜在意識の範囲をはるかに超えていたと思っている。そんな夢を見るということは、それほどトラウマが大きかったと言えるだろうし、ひょっとすると、今がそのトラウマを払拭できるチャンスを迎えているのかも知れないとも思った。

――私は見て見ぬふりをした――

 決してそんなはずはないのに、どうしてそう思ったのか、えりなには分からなかった。

 えりなの夢は変わっている。

――いや、変わっていると思っているのは自分だけで、実際には他の人も同じような感覚の夢を見ているのかも知れないわ――

 と感じたが、もし同じ夢を見ているとして、他の人がえりなのように自分の夢を変わっていると果たして思うかどうか、えりなには想像もつかなかった。

 えりなは、学生時代の夢をよく見る。

 中学時代が多いのだが、高校時代の夢も結構見ていると思う。

――ほとんどが中学時代だと思うのに、高校時代を思うと、結構見ていると思うということは、確率として考えた時、百パーセントを軽く超えているような気がする――

 と感じていた。

 それは、少し考えると理解できた気がする。

――一度の夢に、中学時代も高校時代も一緒に見ていれば、夢の回数に対しては百パーセントを超えても理屈的にはおかしくない――

 と思ったのだ。

 理解はできても、納得できるかどうかは別問題だ。えりなは自分で理解することができないでいた。

 さらにもう一つ考えているのは、

――夢の中ではいくつもの時代を凌駕できるのかも知れない――

 と思うことだ。

 ただ、それもいくつものパターンがあるわけではなく、パターンは決まっている。それも夢に限界があると考えるゆえんなのかも知れない。

 えりながよく見る中学時代の夢であるが、えりながいつものように学校に行くと、自分は中学生なのだが、なぜか友達は成長していて、大学生だったり、社会人だったりする。つまり現実世界の皆になっているのだ。

 そして、えりなは鏡で見ると、自分も成長した大学生のえりななのに、制服を着ると、中学生に変わってしまう。制服の魔力とでもいうのか、制服を着ていると大学生の自分が想像できないことからの妄想なのかも知れない。

 学校に行くと、知らない友達ばかりだった。しかし、相手はえりなのことを知っている。

「梅田さん、ちゃんと宿題やってきた?」

 と、知らない女の子が友達のように寄ってきてそう言った。

「えっ、今日宿題あったんだっけ?」

 とビックリすると、

「もう、えりなはいつもそうなんだから。大丈夫なの?」

 と、これも知らない女の子から馴れ馴れしく声を掛けられた。

 しかし、彼女の言っていることは本当だった。えりなは中学時代、よく宿題を忘れていった。しかも、宿題があるのを分かっていてやらなかったわけではなく、宿題が出ていたことすら覚えていないのだ。ノートを見ると、確かに宿題をしなければいけないと書いてある。だが、えりなは自分がそれを書いたという記憶がいつもないのだ。

 最初は、宿題が出ていたことすら忘れていることを信じられなかった。

「忘れるくらいなら、ノートにでも書いておけばいいのに」

 と友達に言われて、

「そうね。そうする」

 と言って、

「宿題がある」

 とノートに書いていた、

 しかし、やはり翌日になって学校に行くと、

「えっ、またやってないの? ノートは?」

 と言われてノートを見ると、そう書いてある。

 えりなの致命的なことは、せっかくノートに書いても、そのノートを見るという習慣がないことだった。

「癖をつけないといけないみたいね」

 と友達に言われて、何とか癖をつけようとしたが、これに関しては、すぐに身に付くものではなかった。

 何とかノートを見て、宿題を忘れなくなったのは、ノートに書くようになってから、かなり経ってからのものだった。

 えりなには、そのこともトラウマとして残っている。自分が忘れっぽい性格だという意識を持ったのも、この頃からで、いったん忘れてしまうと、思い出すことができない。普通であれば、人から指摘されると、思い出すことが多いのだろうが、えりなの場合は指摘されても覚えていない。

 忘れてはいけないことだという意識は最初からあるのだろうが、そう思えば思うほど、覚えていないというのは、皮肉なことなのだろうか。

 しかし、夢の中のえりなは、今大学生なのである。昨日中学生だったとしても、今のえりなは昨日のえりなではない。そう思うと、覚えていなくても、それは仕方のないことだと思った。

――まさか、中学時代の私は、前の日の自分と、次の日の自分が違う人間になってしまっていたのだろうか?

 とも思った。

 宿題があったということをまるで夢のことのように思えた。宿題は毎日のように出されていたのに、やっていないというのは、本当のことである。

――ひょっとして、寝ている間に宿題をしていたのかも知れない――

 とも感じた。

 夢の中で宿題をしたことで、自分の中での満足が、元々宿題がなかったという発想に転嫁されたのかも知れない。いわゆる責任転嫁の範疇なんじゃないだろうか?

 あまりにも突飛であるが、夢の中にいる自分がもう一人の人格を持った自分だと思えば理解できなくても、納得はできるかも知れない。理解できないのに納得できるというのはおかしな発想だが、それが夢の世界の特徴だと思うと、分からなくもなかった。

 そういう意味で、中学時代の夢を見ている自分は、鏡を見た時だけ今の自分で、学校に行くと、中学生の自分である。しかし感覚は大学生になっている自分がいて、中学時代にできなかった何かを遡ってやってみたいという発想から、中学時代の夢を見るのではないかと思うと、大学生の意識がなくては、夢の世界は存在しないと思えたのだ。

「鏡って、不思議よね」

 えりなは、知らない友達に対して、そう切り出した。

 相手を知らないと最初は感じたが、馴染むまでにはそれほど時間が掛かったわけではない。相手を知らないはずなのに、

――この子達とは、以前から知り合いだったような気はする――

 と思えた。

 具体的にはまったく分からないが、自分の感覚がそう教えるのだ。錯覚なのかも知れないが、夢の中の錯覚は、夢の中の真実ではないかと思うと、やはり理解はできないが、納得はできた。

――夢というのは、理解できないことでも、納得できてしまう世界なのかも知れないわ。だから、普段では信じられないことを、平気で見るのかも知れないわね――

 と感じた。

 先ほど感じた、夢が百パーセント以上という感覚は、えりなに別の思いを抱かせた。ハツカネズミを見た時を思い出し、自分がいたちごっこを繰り返す運命にあることを思い出していた。

――夢の中でくらいは、いたちごっこではない自分を見てみたい――

 という思いが、百パーセント以上の自分を演出しているのではないかと思うと、夢には発展性があるような気がしてきた。

 もし夢の中で見たことが現実になるのだとすると、自分は発展性に乗ることができるかも知れない。ただ、見たことが現実になるという発想ではかなりの無理があるが、編実にあったことを夢で見て、夢の中で発展させるという発想は無理があるだろうか?

 夢には限界があって、現実世界で深い印象を受けたことであったり、忘れられないようなことを夢に見ることはあると思う。しかし、それは本当に素直な夢として見ることができるものなのだろうか。若干、歪んだ形で夢というのは、見せるものではないか。

 ただ、

――夢に見たかも知れない――

 と感じても、目が覚めるにしたがって忘れていってしまうのだから、本当に歪んでいたのかどうか、定かではない。

――そうだわ、宿題を覚えていないのも、宿題を出されたという意識が夢の中での意識と交錯してしまったことから覚えられないのかも知れない――

 そう思うと、その感覚はえりなにだけあるものではなく、しかも、人によって対象が違っているのではないかとも思えた。

 えりなにはそれが、

――宿題を覚えていない――

 ということであって、他の人は違うことを覚えていないのだろう。

 宿題を忘れてしまうことは、すぐに公表されることなので、目立ってしまうが、他の人は目立たないところで忘れているので、自分から公表しないと誰も分からないことであれば、えりなに分かるはずもない。

 特にこういう忘れっぽいという性格は、なるべくなら人に知られたくないと思うのが当然であろう。

 また、忘れてしまいそうな話を夢に見るというのも皮肉なことだ。えりなが宿題を忘れてしまう夢を見るのは、実は中学を卒業してからのことだった。中学卒業前にはすでに宿題を忘れるということはなくなっていたが、今から思えば宿題を忘れていたという時期に、本当であれば何かがあってもしかるべき時期だったように思う。それを知らずに過ごせたというのはえりなにとって幸いなことだったのかどうか、すでに中学を卒業してしまったえりなには分からなかった。

 ただ、中学時代のことをいまだに夢に見るというのは、何かがあったはずのその何かを探そうという思いが無意識に芽生えたからではないだろうか。中学生の頃には、えりなはまわりの友達と無邪気に笑い合っていた印象が強いが、皆何かを隠していたように思えてならなかった。

 考えてみれば、えりなが宿題を忘れてきたことを、大げさに吹聴したのは、まわりの皆だった。そんなに大げさに騒ぎ立てることなどなかったはずなのに、そのせいでえりなの中で、自分への疑念が湧きあがっていたのだ。

 それも、まわりが自分に疑念を持たれないようにするために、えりなを自分の殻の中に押し込めようとしたからなのかも知れないと思うと、理解できないこともない。ただ、おおっぴらにやってしまうと、成長期のデリケートな精神状態、えりなが鬱状態にでも陥ると、そのそばにいる自分たちにもその影響があり、鬱になってしまうことを恐れてのことだと思うと、少し怖い気もする。

――皆、そこまで本当に考えているんだろうか?

 と感じたからだ。

 一つの大切なことを隠そうとすると、まず考えるのは、

――たくさんの中に紛れ込ませることだ――

 という思いであろう。

「木を隠すなら、森の中」

 ということわざもあるし、

「一つのウソを隠すには、九十九の本当の中に紛れ込ませればいい」

 という話も聞いたことがあった。

 それこそ、心理学の世界の話のようだ。

 えりなが心理学を志したのは、漠然とした思いの中で、出した結論だと思っていたが、果たしてそんな中途半端な気持ちだけだったのだろうか?

 ここにも夢が絡んでいたように思えてならない。どうしても、夢が絡んでくると、大切なことであっても、忘れてしまっていることが多い。

 いや、大切なことだからこそ、忘れてしまっているのかも知れない。

 そんな思いがえりなの中にあり、時々自分が箱庭の中にいて、その上から誰かに見られているような錯覚を感じることがあった。

 しかも、箱庭を見ているのは自分である。交互に箱庭の中にいて見つめられている自分と、箱庭を覗いている自分を感じることができる。

 えりなは、本当はそんな器用な人間ではない。子供の頃に親がえりなにピアノを習わせようとしたことがあったが、えりなにはピアノの才能はなかった。才能以前に致命的な欠点があったのだが、それが、

――左右の手で、別々の指の動きをすることができない――

 というものだった。

 つまり、平衡感覚によるものなのだろうが、左右で同じ動きをしないとついていけないことを自覚してしまったのだ。

 いったん自覚してしまうと、意識することでそれ以上の上達はありえない。ピアノは断念するしかなくなってしまった。

 だが、夢の中でえりなは、ピアノを器用に演奏することができていた。それを見た夢の中の母親が実に満足そうな顔をしたので、えりなはピアノを夢の中でも演奏することはなかった。

――どうせなら、現実世界でお母さんにあんな顔をしてほしかった――

 という思いから、夢の中であっても、ピアノを弾くことはなくなってしまったのだ。

 えりなの夢の中はそんないろいろな思いが渦巻いていて、

――私の夢は変わっているんだわ――

 と感じさせた。

 しかし、夢の世界とはそういうもので、他の人も同じようなことを感じながら夢を見ているのではないかと思うようになった。

 それでも、一部では、

――夢というものを本当に皆見ているんだろうか?

 という思いもあり、他の人と同じでは嫌だというえりなの中の本質が、夢の中では出てこないように思えていた。

 夢を見ていて感じることで、

――夢には、色も匂いもない――

 ということがある。

 実際に、夢に色があったり匂いがあったりという思いをした覚えがないので、人から言われると、その通りだと思うのだった。

 しかし、匂いも色も本当にないのだろうか?

 もし、色や匂いがないのだとすれば、色がなければ、目の前にバラがあったとして、それをバラだと認識できるだろうか? えりなはそれほど植物に詳しいわけではない。赤い色をしているからバラだと思うのであって、白黒の世界で、本当にそれがバラだと認識できるのかと言われれば自信がなかった。

 匂いにしてもそうである。香水の匂いを感じたという意識を持った夢を覚えていることがあったが、それも匂いを感じたから覚えていたのであって、無味無臭であれば、色もなければ匂いを感じることなどないのではないだろうか?

 ただ、先入観というものはある。その人がいつも同じ香水をつけていて、意識の中に、その匂いが残っていたのだとすれば、香水の香りを感じたと思い込んだとしても無理もないことだ。それが潜在意識として夢を見せたのだとすれば、夢の中に色や匂いがないという感覚になったことも頷ける。

 何よりも夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくという前提となる意識があるからだ。

 えりなが忘れっぽいと思っているのは、

――夢がその間に入り込んでいるからなのかも知れない――

 と感じたことがあった。

 確かに、夢を見ている時、

――今、夢を見ているんだ――

 と感じることもある。

 夢というものを意識していたのだという思いだけが、忘れてしまった夢とは別に記憶として残っていたりする。実に不思議な感覚なのだが、その思いが、中学時代の夢を見た時、他の人は社会人なのに、自分だけが中学生だったり、その逆に皆が中学生なのに、自分だけが社会人だったりという意識を生むのではないだろうか。そう思うと、夢は妄想であり、現実ではないことを前提として見ていると感じる。

――夢を見る時ほど、冷静な気持ちになっている時はない――

 とえりなは感じていた。

 夢の世界が妄想だという思いは他の人も持っているだろうが、夢を見ている時が一番冷静な自分であるということを意識している人が果たして他にもいるだろうか? えりなはそのことを確かめるのが怖い気がした。

 大学生のえりなが、社会人になっているという夢を見たことがあったが、それは未来の夢ではなかった。高校を卒業して進学せずに、そのまま就職した時の発想であり、今の自分とは別の次元の世界の話だった。

 社会人になったえりなは、ずっと学生気分が抜けないでいた。実際に社会人になったことなどないのだから、それも当然のことだが、そのことを高校時代から意識していたような気分のまま夢を見ている。

 社会人になったえりなはなぜかモテた。先輩社員から言い寄られることも多く、他の会社の営業の人で、訪問してくる人の中にもえりなの「ファン」がいたりした。

 えりなは、そんな言い寄ってくる男性を軽くいなしていた。

――どうしてこんなに平気にいなせるのかしら?

 と考えた時、

――そうか、これは夢なんだ――

 と感じる。

 モテたことのない自分がモテてていることでこれを夢だと思ったのではなく、冷静にいなすことのできる自分を感じたことで、これが夢なのだと感じたのだ。

 途中で夢だと感じる時というのは、それまで意識しなかった色や匂いを感じた時、

――これは夢だ――

 と感じるのだと思っていた。

 夢には色も匂いもないという話が自分の中で納得のいくものではないと思った時、逆に色や匂いを意識した時に夢だと感じるというのも、逆転の発想としてはありではないかと思えた。

 実際に、現実世界で色や匂いを必要以上に感じることはない。なぜなら、色や匂いがあるのが当たり前だと思うからだ。それを無理にでも意識させようとするのは、色や匂いを否定する世界に自分がいるのではないかと感じたからだ。

 心理学を専攻するえりなにとって、逆転の発想は、自分の考えを冷静に持っていくことのできるものとして、いつも心がけているものだった。

 自分の中にある二つの世界を足して、百パーセントを超えているという発想を夢の世界に抱いたことがあったが、それは夢が一つの次元で構成されているのではないかという思いにいたるものであった。

――同じ時代を平行して見ることができるのが夢なんだ――

 と思った。

 それが中学時代の夢を見ながら、自分だけが社会人なのに、まわりは中学生だという夢を見せるのだろう。

 その証拠に、友達と会話をしているところを夢に見ることはないし、出会うというわけでもない。しかし、中学生の教室に、社会人の自分が混じっていても、別に誰も不審に思わない。まるで当たり前のことのように時間が流れ、その時間が平行した別世界だという意識は夢を見ている間にはないのだ。

 不思議だと感じないからなのだろうが、それも究極の冷静さが、違和感を抱かせないからなのかも知れない。

 えりなが夢を見ている時に感じることは、正直目が覚めてから覚えていることはない。見た夢を断片的に覚えている内容から、想像して夢を思い出すのであって、ところどころ繋がっていないので、見た夢が納得できるものではないはずなのに、なぜか夢を形成している時がある。

――偽りの記憶――

 それは重々分かっているのだが、偽りの記憶の中には、きっと忘れてはいけない記憶が混じっているのだと思うと、数少ない覚えている夢が、現実世界の自分に、何か影響してくるのではないかと思わせるのだった。

 しかし、覚えている夢のほとんどは怖い夢ばかりだった。それは断片的な記憶を継ぎ接ぎだらけになるのを分かっていて、敢えて?ぎ合わせようとするからなのかも知れない。

 えりなあh、百パーセント以上の夢の中に、重なった部分があるわけではないことを知っている。それは、

――決して交わることのない平行線――

 だということを示していて、見た目には重なっているように見えるが、断面から見れば、その距離は想像以上に離れているという意識を持っている。まるで宇宙に思いを寄せているかのようだった。

――そんなことばかり考えているから、いたちごっこから抜けられないんだわ――

 とえりなは思っている。

 その時に思い出すのは、ペットショップのハツカネズミだった。必死になって前に進もうとするのに、それ以上進むことができない。人間だったら、ストレスから精神異常をきたすかも知れない。

 ハツカネズミだから、大丈夫なんだろうか?

 いや、ひょっとすると、ハツカネズミも精神異常をきたしているのかも知れない。ただ、彼らは何も言わず、訴えることもできない。ただ、それは人間が見ていて、気付かないだけで、人間以外の動物が見ると、その悲しい運命を分かっているのかも知れない。

「人間はなんて残酷な生き物なんだろう?」

 と、人間以外の動物が囁いているのが聞こえてくる。

 考えてみれば、人間ほど傲慢な生き物はいない。

 人間だって動物の端くれなのに、他の動物とは違う「人間」として、特別扱いをしている。

 また、宇宙的な発想でも同じで、中学時代にクラスメイトの男の子たちの会話を思い出していた。

「前に見た昔の特撮ビデオにあったセリフなんだけど、地球人と侵略してきた宇宙人との会話に面白いものがあったんだ」

「というと?」

「そのお話は、地球を征服しようとしてやってきた宇宙人が、武力で侵略するのではなく、欺瞞から相手を油断させる方法を取っていて、自作自演のガス攻撃で、それを自分たちの科学力がそのガスを排除したという話から始まるんだけど、これって、彼らの科学力のすごさで半分は威嚇しているようなものなんだけど、そこには子供向けの番組なので、敢えて触れていなかったんだ。でも、なぜか地球人は、彼らの科学力のすごさに、彼らを信じてしまう。これもおかしな話なんだけどね」

 少し話が脱線していたが、彼はまた続けた。

彼らは、自分たちが地球人の兄弟だというんだ。しかも、それが地球人がまだまだ未開の弟で、自分たちは文明を持った兄だとね」

「地球にもありえることだよね。先進国と、発展途上の国への皮肉のようなものだよね」

「俺は、それも一つの真理だって思うんだ。確かに先進国と発展途上の国を差別するのはいけないことなのかも知れないけど、現実的に、下等民族というのはいるもので、彼らが先進国の民族に支配されるのも、一つの運命としてはありなんじゃないかってね」

「差別なんじゃないか?」

「そんなことはないと思うよ。自由主義の世界だって、所詮は競争世界じゃないか。競争に敗れた者は『負け組み』として、最低の人生を歩むことだってある。それを誰が差別だっていうんだ? 実力だって言われるかも知れないけど、実際には親の七光りだったり、自分の実力以上のものを持っている人は、持って生まれた運命を盛っていたりするんだよ。それは誰にも曲げることはできない。そう思うと、それらだって差別と言えるんじゃないか?」

「なるほど、確かに究極ではあるけど、そうかも知れないな」

 少し話がまた脱線したようだが、

「ところで、その宇宙人に対して地球防衛軍の参謀が、謙遜からなのか、『君たち宇宙人は』という言葉を使ったんだ。その時、その宇宙人は、『おいおい、君たちだって宇宙人じゃないか』といさめたのが印象的だったんだよ」

「それは謙遜からというよりも、地球人が他の宇宙人とは明らかに違った優秀な人種だという驕りが溢れた言葉になるんだよね。それを当たり前のように使っている地球人は、それこそ傲慢だという話に聞こえて、俺はその言葉が頭に残っているんだ」

 と言っていた。

「考えてみれば、地球侵略にやってくる宇宙人というのは、なぜ日本ばかりに来るんだろうね? これは日本人が制作しているから当たり前のことなんだろうけど、それを見ている人は誰も何も言わないというのも面白いよね」

「やはり、人間というのは、自分中心に考える癖を持っているんだろうね」

 その話をえりなは思い出していたが、犬や猫のように鳴き声がある動物は、人間には分からない波長で話をしているのではないだろうか。それは一般的に言われていることだし、えりなも依存はない。ただ、それが人間の傲慢さから考えると、それを当たり前のことだとしてそれ以上意識しない。

 動物を研究している人は、動物の鳴き声から、何を言っているのか研究しているグループも存在する。

 イルカの言葉を研究しているという話はよく聞く。これは昔からのことで、それがなぜかというと、

「イルカは、頭のいい動物で、人間の幼児くらいの知能がある」

 と言われているからだという。

 要するに、人間に近い高等動物だから、人間になら分かるだろうという発想である。

 ただ、イルカの知能がどうしてそんなに高等なのかというのはどうして分かったのかという疑問が浮かんでくる。

 その答えとして、

「イルカは、自分たちで信号を出して、会話しながら行動している。その行動パターンが人間に近いから、知能が高いと言えるんだ」

 という、どこかの教授の話を聞いたことがあった。

 つまりは、言葉のようなものを持っているから知能が高いという発想なのに、知能が高いイルカだから、人間にならその言葉が理解できるかも知れないという思いに繋がっているのだろう。

 その考えは一見、間違っていないように思うが、どこかがずれているような気がするえりなだった。

――この考えは、どうも人間の傲慢さを浮き彫りにしたようなものだわ――

 と感じた。

 そう思うと、前に聞いた宇宙人の話が思い出されて仕方がなく、その時に一緒に思い出すのが、檻の中で走り続けるハツカネズミの姿だった。

 えりなは、自分が見ている夢を一度棚上げして、他の人が見ている夢は、

――人間の傲慢さが見せているものではないか?

 と考えていた。

 どうして自分の夢を棚上げするのかというと、

――私は、夢に対してある程度の考えを持っている。冷静に見ているのが夢だということを理解しているからだ――

 だが、この思いこそ中学時代に特撮の話をしていた発想に近いのではないか。

 つまりは、えりなほど、人間の中で傲慢な人はいないと言えるかも知れない。それでも、そのことを意識しているとすれば、それはすでに傲慢ではないと言えるのかも知れないと思った。

――これこそ、いたちごっこだわ――

 と感じたのだ。

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