最終話 天才手品師 天渡星焔


 空を見上げると一番星が瞬いていた。太陽が沈み終わるころと見えて、真っ白い粉雪が舞うさまも星々が降ると見紛うごとく。僕は星焔の首にマフラーを巻いて、一緒に屋上へと出た。


「幽霊のような体になってからずっと君のそばを離れずにいたけれど、いまが一番近くに君を感じるよ。……いや、出会ってから一番と言うべきかな。不思議なものだ」


「まあ、文字通りくっついているからな。寒いなら中に戻るか?」


「いや、いいよ。ここがいい。君の暖かさをよく感じられるからね。……不思議だ。本当に不思議だ。私でも舞い上がる事があるんだね。あの粉雪みたいに心が軽いよ」


「今度は溶けていなくなる気か? 勘弁してくれ……」


 星焔はくすくす笑った。白い息が空に溶けていった。


 七星戯曲として接していたときに比べてずいぶん素直になったものだと思う。あのときはあのときで星焔の冷たい部分を詰め合わせたようであったけれど、今はそれと真逆の星焔の暖かい部分が掘り起こされたようであった。まるで冷たい雪の中から掘り出した温かく柔らかい物を抱きしめているようで、強く抱きしめたいけどすぐに壊れてしまいそうな気がした。


「瑞星の事はごめんね……」


「あん? 別に謝るようなことじゃないだろう」


「いや、拒絶反応の事を知っていたのに、無理やり引き起こす真似をしてしまった」


「ああ、あのことか」


 それは、思い返せば一か月前の事。瑞星が僕の記憶喪失芝居に疑問を抱いてその真偽を確かめようとしたとき、反対に星焔によって彼女のストレス障害があばかれたのだった。星焔が何をしたのか改めて語ることはしないが、結果だけを見れば、彼女のおかげで瑞星が戻ってきたと言える。僕はいまさら気にしていないけれど、星焔の心にはずっと残っていたようだ。


 星焔は長い息を吐いた。悲しみに目を輝かせてうなだれた。


「一歩間違えば瑞星の心が壊れていたかもしれない。ひどい事をしたものだ。謝ろうにも瑞星自身が覚えていないし……」


「誰かに許して欲しいって話か?」


「うん。誰も気にしていない。……というよりも、君しか分かっていないのは知っているけどね。あのときの私の心がどうしても許せないんだ」


「心……?」


「嫉妬、していたんだよ」


 僕が驚いていると、星焔は甘えるように小さく笑う。


「意外だろう? 怖かったんだ。瑞星に居場所を取られてしまうようで、私が帰られなくなるようで、小さな子供みたいだと笑わないでくれよ? 私は私で必死だったんだから。……姉として情けないよ。妹の前ではいつも余裕を見せていたかったんだけどね、あのときばかりは出来なかった。なんでだろうね」


 怖かった。と、星焔は言った。僕は、それは無いと言ってやりたかったし、実際そのために行動していたつもりだった。星焔の不安は子供のように可愛いものだったけれど、それは当人にとっては宝石のように大切な想いである。あのときの決意に満ちた瑞星の顔を見たら不安に思うのも仕方が無いのかもしれない。


 星焔はまた「あるいは、失敗したマジックを見せられるのがつらかったのかもしれない」と言った。


「失敗したマジック?」


「そう、君に初めて披露したあのマジックは大失敗だった。ほら、私はあらかじめ胸ポケットの中にトランプを隠していただろう?」


「ああ、そういえばそうだったな」


「あれね……本当はハートのエースを隠していたんだよ。君がハートを選ぶもんだとばかり思っていたから。なのに君はスペードを選んだ。だから私はうやむやにするしかなかったんだよ」


「なんで、僕がハートを選ぶと?」


「なんでって……そりゃ……その……私なりに意味があって、君とは通じ合っていると思っていた………から」


「……はあ?」


「ああもう、うるさいうるさい! やり直すぞ! あの日のマジックをぜんぶ!」


 星焔は顔を赤くして腕をめちゃくちゃに振り回した。


「危ないなコイツ! 今が一番子供っぽいぞ!」


「うるさい! だいたいトランプを4枚も用意したから君が変なのを選んだんだ! 初めからトランプ2枚でやってやる!」


 そう叫んだ星焔の手にはいつの間にかトランプがあった。人差し指と中指で挟むように持っているがしかし、なぜ2枚なのか? 僕が訊ねる前に星焔が説明を始めた。


「今回はちょっとしたアレンジを加えるよ。ハートのエースが君のトランプ。ハートの2が私のトランプだ。これを一瞬のうちにあるべき場所に戻して見せよう」


「あるべき場所。トランプケースか?」


「んなわけあるかい。まあ、見てなよ」


 星焔はそう言って手のひらをくるんと回した。手のひらを上に向けてパーの形に開いた時、もうトランプは無かった。


 星焔の雰囲気づくりが凄まじいことは何度も語ったけれど本家はやはり格が違う。校舎の明かりが充分届く場所にいたというのにトランプが消えるところすら見えなかった。僕が見入っていると星焔は何を思ったのか僕の胸元に手を伸ばした。


「その黒いのを脱ぎたまえ」


「は? いきなり何を言いだす?」


 僕はとうぜん一歩下がった。「淫らな目的では触らせないぞ」


「淫らって、おい。違うよ。その下のワイシャツにトランプがあるんだよ」


「そんな事があるわけないだろ。君は僕に触れてもいなかったんだぞ。制服の下に着ていたワイシャツのポケットにトランプが瞬間移動するわけが…………」


 ところが、あった。ハートの2のトランプが初めからそこにあったかのように収まっていたではないか。


 星焔の指が無遠慮に胸元からトランプを取り出す。


「私の心のメタファーなんだから、君のそばにあって当然だろう?」


「メタファー……はあ、恋人なんだから心を受け入れていて当然ってことか」


「受け入れて、くれないのか?」


「そんなことは……」


 僕は胸が詰まる思いがした。恋に濡れた女の子の瞳で見つめられては……いささか僕も困ってしまう。普段は無表情なくせにこういう時に可愛い表情をするのは卑怯では無いのか? 瑞星のように好意全開なのはもちろん可愛いが、星焔のようにたまに見せるデカいインパクトの方が男心には大きな衝撃なのである。


「……それで、君のハートのトランプだけれど」


「……あ、まさか」


「……………………」


 恋に濡れた瞳のまま制服に手をかける星焔。どこか面映おもはゆいようなくすぐったいような心地がするが、もじもじと、星焔に似合わぬ煮え切らない様子でボタンを外していく姿は……下腹部に熱いものを感じてしまうようだった。


 そして問題のトランプであるが、やはり胸ポケットにあったのだった。


「……………………」


「……………………」


「…………君がとれよ。君のハートだ」


「……やっぱりそれが目的だったんだろうが」


「私は、君の心を受け入れているぞ?」


「……………………」


 失敗したマジックをやり直すと言うのはやはりただの口実に過ぎなかったらしい。


 私なりの伝え方をするという言葉の方が、むしろ大事なのではないかと思う。


 星焔なりの想いの伝え方――それすなわちマジックで伝えるという事。ハートのトランプを心に見立てたり、それが互いの胸元にあったり、もはや彼女が伝えたい事など明白ではないか。


 好きだと伝えたいのだ。瑞星に感じた嫉妬がそのせいならば、今の星焔が特別に可愛いのも同様である。


 恋をしていると僕に伝えたいのだろう。


 そのことに気づいたとき僕の胸には爽快な風が吹いたような、「なぁんだ」と笑ってしまいたくなるような、そんな朗らかな気持ちが起こった。


「やっぱり、私じゃダメ……かな」


 口をつぼませて俯く星焔の肩をそっと抱いた。


 こういう時はやっぱり男の方から言ったほうが示しがつく。


 僕はこの日をずっと待っていたのだろう。星焔の隣にいられる日を、あの日からずっと待っていたのだ。ダメなんて、とんでもない話である。


 僕はハートのトランプを取り出すよりも確実な言葉を、耳元でそっと囁いた。


「好きだよ」


「――――――――ッ」


「君が好きだ。星焔。君じゃなきゃダメだ」


 いつか伝えた言葉だけれど、星焔が必要だと言うなら何度でも言おう。


 事故に遭ってからずっと離れ離れになっていた。星焔が帰ってくる事を信じて待っていた。いまようやく取り戻せるのなら、僕は何度でも伝えよう。


「この2年間、ずっと君を待っていたんだ。七星戯曲でもない、瑞星でもない、君を待っていたんだ。星焔。君のマジックはすごい。僕はいつも驚かされるし、心奪われてしまう。だけどね、君だから僕は楽しむことができるんだ」


「うぅぅ……やめろやめろやめろ! なんでそんな恥ずかしい事をすらすらと言えるんだ! 淀みないならまだいいが、君はまさか言いなれているんじゃないだろうな! そうやっていろんな女の子を手籠てごめにしてるんだ!」


「んなわけないだろ……。ずっと我慢してたからだろうな。いまが大事だと分かってるから、むしろ、まだまだ伝え足りないくらいだよ」


「―――ッ もういい!」


 星焔はそう言って僕の胸に顔をうずめた。


「もういい……これ以上は、心がもたないよ……」


「ごめん、言いすぎたかも」


「嬉しいんだよ、私は。……前はどんなに言われてもくすぐったいだけだったのに、今は君の一言ひとことが重い鉛のように胸にのしかかる。これが恋をするってことなんだね……厄介だ」


「……まったくな」


 なんだか星焔に甘えられると調子が狂う。でも、これもまあいいかもしれない。


 ずっと同じ関係なんてありえないのかもしれない。人が変われば関係も変わる。それは抗いようのない事である。けれど、互いの想いが変わらなければ関係が変わっても変わらない想いがある。僕はそう思いたい。


「ところで、このまま私を押し倒しても構わんのだぞ? 私は療養を要する身。男の力に抵抗する術なんか無い………きっとあんなことやこんなことをされてしまうんだろうな」


「んなことするか! だいたい、そういうことは互いの合意があってこそ成り立つものであってだな。決して押し倒したり無理強いしたりするようなものではない」


「ちっ」


「舌打ち!?」


 こういうところは変わってほしいものだと、僕は切に願うのである。


     ☆☆☆


 ところで、長々と僕と星焔に関する騒動を語ってきたけれど、これはあくまで序章に過ぎないのである。


『天渡星焔。貴女の大切な物をいただきに参る』


 そのふみが届いてからマジック部は大変な動乱に見舞われるのであるが、それはまた別の機会に語るとしよう。


 天才マジシャンの幼馴染が手品を使って迫ってくる件については、これにて閉幕とする。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天才マジシャンの幼馴染が手品を使って迫ってくる あやかね @ayakanekunn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画