第45話 それからの話 2


 星焔のリハビリは困難を極めた。まず退化した喉と肺の筋肉を鍛えるために喋ること。それから、足や腕、体を動かすトレーニング。表情筋も退化しているという事だったから、日々のリハビリは過酷を極めると思われたが、何より大変だったのが、リハビリを拒否する星焔の説得だった。


「なんだいなんだい寄ってたかって人を病人みたいに扱ってさ。私は見ての通り元気のかたまりさ。リハビリなんて必要ないね」


 彼女は駄々をこねにこねて、頑としてリハビリを行わなかった。その駄々のこねっぷりといったら茹でたらコシが出るであろうと思われるほどのこねっぷり。そうして、リハビリのリの字も完遂せぬままに病院から脱走してしまったのである。


 僕が迂闊うかつだった。


 星焔は密かに体を動かす練習をしていたのか、僕達が病院から帰る時を狙っておばさんの運転する車に乗り込んで、そのまま家に帰りついてしまったのである。


 当然みんなで病院に帰そうとしたが、星焔はあの手この手で僕達の邪魔をして、これだけ動けるのならリハビリの必要も無かろうと医者でさえも匙をなげてしまい、結局僕達でリハビリを行う事になった。


「実際、病人みたいなもんだろう……。リハビリもまともにせずに、しかも学校に来るだなんて……」


「まったくですよ。ようやく支えなしで歩けるようになったけど、少しは周囲の迷惑を考えてください!」


 意外にも星焔のリハビリを買って出たのは相良さんであった。聞けば、将来は理学療法士になりたいのだと言う。そのための練習としてうってつけだと考えたらしい。星焔は星焔で「君の世話になるくらいなら、可愛い女の子に世話してもらった方がいい」と言い出して、なんと、この1ヶ月は星焔の家に泊まり込みなのであった。


「そんな事を言われてもねぇ、ほら、見てご覧よ。もうマジックが出来るくらいには回復したぞ」


「それは、イタズラというんじゃないのか……?」


 星焔が指さした先にはテーブルに置かれたカツラがあった。パーティの罰ゲームなどでよく使われる禿頭のカツラであるが、いまはなぜかふさふさの髪の毛が生えている。しかしよく見れば、髪の毛は後から付け足したような不自然さがあった。


「野球部の歓迎会用グッズを拝借してきたよ。もっとも、彼らが気づくことはないだろうけれどね」


「登校していきなりもめ事のタネを作らないでくれるか……?」


 しかし、星焔は学校に順応しているようであった。


 クラスメイト達は瑞星と星焔の問題に驚いたようだけど、彼らはそもそも、天渡星焔はよく分からないヤツだと認識していたらしく、今まで接していたのが妹の瑞星であったと知っても、「ふぅん、まあ、浅葱くんよろしく」という感じで、すぐにいつもの教室に戻っていった。


 相良さんと一緒のリハビリは星焔にとっても楽しいらしく、入院したころとは打って変わって積極的に取り組む姿勢が見られる。このぶんなら星焔の方は大丈夫だろう。


 しかし、問題なのは瑞星の方であった。


 彼女こそ今までいなかった人間なのである。一応いまは2年生として在籍しているけれど、今回のテストの件もあり、本当に相良さんと同じ学年に移動する事も考えられた。というか、顧問曰く、そうなるらしい。


 今までと違う環境。今までと違うクラスメイト。それは瑞星にとってだけではなく、彼女と過ごすことになるクラスメイト達も同じ問題に直面する。2学期も終わりというタイミングで突如として編入してきた瑞星を受け入れてくれるのだろうか?


 僕は一抹の不安を抱えながらもその事を瑞星にそれとなく伝えた。すると、瑞星と相良さんはパッと顔を輝かせて手を取り合った。


「やったやった! ゆあちゃんと一緒のクラスだ!」


「やったね! みずほせんぱ……じゃないか、みずほちゃん!」


「あはは、同い年なんだって。もうせんぱいなんて呼んじゃやだよ?」


「ごめん~~~、くせなんだよぅ」


「変なくせ~~~」


 ……なるほど、相良さんがいれば問題は無さそうだ。


 女子2人はきゃいきゃい喜びあって、もう僕の話なんて聞いてくれそうにない。相良さんの事だから他のクラスメイトにも上手いこと話してくれるだろう。


 となると、残った問題は…………


「………………」


「……なんだよ、無言で袖を引っ張るなよ」


「別に引っ張ってなどいないさ。手を拭く布を探していたら君の袖を掴んでしまったんだよ」


「あっ、そう」


「うん」


 星焔が何だか物欲しそうな顔をしているのである。なんだろう、彼女のこんな顔は初めて見る。マジックが思うように出来ないのが悔しいのだろうか? それとも、どこか行きたい場所があるから連れていって欲しいのだろうか? いずれにせよ、いまは僕が相手をするしかなさそうだ。


「………………」


 しかし、星焔は無言で袖を引っ張ったまま俯いてしまった。


「なんだよ、もじもじして君らしくもない。言いたいことがあるならハッキリ言えよ」


「……うん、私らしくないね。………なら、伝えることにしよう」


「君らしく……?」


 どこか2人になれる場所に行きたいと星焔が言う。僕は肩に手を添えると、2人きりになれる場所などあるだろうかと考えた。


「……はぁ、シチュエーションが必要だなんて私らしくもない」


「なんだ、そんなに大切な用なのか?」


「……まあ、そうだね。大切というか、再確認というか」


「……………?」


 僕はゆっくりと歩き出した。星焔は少し歩けるようになったとはいえ階段は辛いように見える。同じ階にあって、2人きりになれる場所。


「多目的室のとなりに屋上に出られる通路がある。そこから屋上へ行こう」


 星焔が何を伝えたいのかは分からないけれど、きっと、僕達にとって大切な事なのだろう。


 星焔は、「そこに行こう」と言った。なんだか思い詰めたような顔をしていた。


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