第14話 エピローグ

 沢宣嘉さわよしのぶは、維新後、要職を歴任し外務卿となる。不平等条約改正に着手したが、間もなく志半ばにして病没する。享年三十八の若過ぎる死であった。不平等条約改正の仕事は、榎本武揚えのもとたけあき、岩倉具視、陸奥宗光へと引き継がれることになる。

 黒川易之進は、陸軍省に出仕し陸軍中将にまで上り詰める。薩長閥が幅を利かせる中において小藩出身の軍人としては異例の出世であった。西南戦争において北上する西郷軍を熊本郊外でくい止め政府軍を支えた戦功により、後に男爵に列せられ、東宮武官長とうぐうぶかんちょうになる。

 池原利三郎は、女子教育に情熱を注ぎ、小松実用女学校を設立する。現在の愛媛県立小松高校の前身である。

 喜多川鉄太郎は、後にプロテスタントに改宗し、小松初の教会を設立する。

 その他の者たちの消息は明らかではない。

 

 明治十八年、新島襄にいじまじょうの弟子で、プロテスタントの伝道師として松山に派遣されていた二宮邦次郎くにじろうのもとを乾物商の妻で重松テイと名乗る三十半ばの婦人が訪ねて来る。重松テイは、学問がしたいので女子も通える学校を創って欲しいと二宮に懇願した。かねてより女子教育の必要性を痛感していた二宮は、早速行動に移し、小松教会で知り合いになった喜多川鉄太郎に援助の依頼をする。喜多川鉄太郎はこれを快く引き受け、私財を投げ打って女学校創設を助ける。そして、一家をあげて松山に移住し、娘、喜多川トクを一期生として入学させることを約束する。喜多川みずからは無報酬で幹事を引き受けた。

 明治十九年、重松テイと喜多川トクのたった二人の新入生を迎えた松山女学校の創立式典が行われた。現在の松山東雲まつやましののめ学園の前身である。松山女学校はすぐに評判を呼び、一年後には四十名にまで生徒は増えていた。

 創立一周年記念の式典で、生徒代表として遠田とうだステが答辞とうじを読んだ。遠田ステ、夏目漱石著「坊っちゃん」で、遠山とうやまの御嬢さん、マドンナとして登場するその人である。


                                  完

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小松勤皇党顛末記 かわごえともぞう @kwagoe

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