第13話 激動と小松勤皇党の解散
これより歴史は激動に入る。
小松勤皇党は、この前後に黒川易之進とその弟二人を脱藩させている。先に脱藩した飯塚亀五郎の誘いに応じたのだ。飯塚亀五郎は、名を
間もなく、第一次長州征伐が始まり、長州の全面降伏という形で終わる。神通丸で長州に逃れた高橋甲太郎も討死する。全国的にも旗色は勤皇派にすこぶる悪く、ここ小松藩でも赤衣丹兵衛率いる佐幕派が
だが、藩を上げての佐幕と言うことにはならなかった。沢卿から時折送られてくる書状で長州をめぐる情勢が刻々変化していることを小松藩は掴んでいたのだ。やがて、薩摩と長州が裏で手を結んだらしいという情報をいち早く知ることになる。さらに瀬戸内を行き来する船の船乗りたちの口コミが薩長同盟の存在を確信させるに至った。船乗りたちの間で長州から大量の米・麦が薩摩に向けて輸送されている事、反対に、薩摩が長崎で買い付けた大量の武器が長州に向けて送られている事が噂されていたのだ。
翌年、慶応元年、第二次長州征伐が始まったが、長州の実権を握った
やがて、慶応四年、鳥羽伏見の戦いで幕府が破れ、天下の情勢は
小松に残った小松勤皇党からも池原利三郎、喜多川鉄太郎、元山源太、小吉らが加わる。元山源太は十八歳以上という兵士募集に年齢を一歳偽って応募したのだ。慶応四年六月、出陣を見送る領民たちの中にタイがいた。タイの目の先には、喜多川鉄太郎と元山源太がいた。
京の旧会津藩邸が、京での宿となった。大軍の中の一小部隊にすぎなかったが、沢卿はじめ、脱藩組の飯塚亀五郎や黒川三兄弟らが何かと世話を焼いてくれ、他の藩の部隊よりもはるかに待遇はよかった。池原は、以前黒川知太郎が話した「担保」という言葉を思い出していた。
部隊は、長岡、新潟、会津と転戦して、慶応四年十一月下旬に小松に帰って来る。会津の戦線で銃弾を受け戦死した元山源太の遺骨を携えての
明治元年の師走、源三の漁師小屋に小松勤皇党の面々が集まっていた。元山源太の位牌を持ったタイもいる。池原利三郎が立ち上がり、懐から書状を取り出すと読み始めた。
「小松勤皇党解散の辞。わが小松勤皇党、文久三年に密かに結成し、以来足掛け五年余り、勤皇倒幕を旗印に戦って参ったが、諸君の奮励努力の
小松勤皇党は解散した。他言無用の約束は固く守られ、今日までその存在が明らかになったことはない。
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