第12話 タイの智謀

 翌朝、タイは、いつものとおりかごを背負い、幕府の捕り手が囲む垣生はぶの三木佐三の屋敷に向かった。籠の中は魚貝ぎょかい類の下に百姓が着る野良着のらぎが二着隠してある。

「おはようさまでございます。おつとめご苦労様でございます」

 見張り番に声をかけると、見張り番は何の疑いもなく門を開けた。いつもの商いだとの疑いはない。


「早くこれに着替えて、床下の隠し部屋にひそんでくださいませ」

 沢と結衣にそう告げると、急いで二人を野良着に着替えさせ、髪をほどいて百姓髪ひゃくしょうかみに結い直させた。そして、二人が床下の隠し部屋に入ったのを見届けると、二人の脱いだ着物をたたんで籠に詰め、頃合ころあいを見計らって外に出て門まで行くと、        

見張り番に、

「今日は、お二人ともお出かけかのーえー、中に誰もおらんのじゃけんどのーえー」

 とぼけた顔で尋ねた。 

 上を下をの大騒ぎが始まった。屋敷の中を家探やさがしするが二人の姿はない。やがて、裏庭の塀に立てかけられている梯子はしごが見つかった。タイが機転を利かして、剪定せんていに使う梯子はしごを塀に立てかけておいたのだ。それを見た幕府方の役人は、「逃げた」と判断した。タイは、騒ぎのすきを見て抜け出し、二人の着物の入った籠を外で待機していた大工の小吉と兄の源三に手渡し、また、屋敷内に戻った。屋敷の中は、予想通り誰もいない。逃げた二人を追って皆引き払ったのだ。

「そろそろよかろうかと思いまする」

 タイは、隠し部屋の戸を開け、上から声をかけた。

「うむ、分かった」

 沢と結衣が上って出てきた。百姓姿の二人が見張りのいなくなった門を出る。

「なんと見事な。タイの知恵には、かの孔明も及ばぬわいのう」

 沢は、しきりに感心する。

「沢様、油断は禁物でござります。これより垣生の船着き場に参ります。これをお二人で運んでもらいまする」

 タイの指さしたのは、大八車であった。荷物が載せてありむしろが掛けてある。

「この荷は何じゃ」

「死体にございます」

「なんと」

 沢卿は後ずさりをした。

「死んだふりをしておりまする。御安心を」

 タイは、そう言うと含み笑いをした。

 こういう場合、沢と結衣を荷台に隠して運ぶというのはありがちな状況だが、それではいかにも分かりやすい。反対にした方が、はるかに騙しやすいと考えたのだ。荷台には、顔や体に墨を塗り,痩せこけた若者が横になっている。黒川易之進の末の弟、黒川邦衛くろかわくにえである。背は高いがぎすぎすに痩せているので適役てきやくとなった。

「いざという時は、我らが命に掛けてお守りいたします。後ろより腕利うでききの者たちも付いて来ておりまする」

 タイの見る目の先には、五十間ほど離れて、喜多川鉄太郎、黒川易之進とその次弟、黒川精一郎くろかわせいいちろうの三人がいた。

「これを運ぶのじゃな」

「はい、垣生の船着き場まで。船着き場はお分かりでしょうか」

「知っておる。半里ほど先じゃのう。何度も散策して行ったことがあるわいな」

 タイの指示通り、沢が前で車を引き、結衣とタイが後ろを押す。

 しばらく行くと、役人らしき数名に呼び止められた。

「しばし待てい」

 大八車は止まった。

「荷を改める」

 と言うや否や、むしろをはぎ取った。

「うわー」

 役人たちは、驚きの声を上げた。まさか死体とは思ってもみなかったのだ。タイはすかさず、

「兄者のむくろにございます。コロリにかかって先ほど身罷みまかりましてございます。屍骸しがいからはコロリの毒が巻き散るとの事ゆえ、海に捨てよとの御達ごたっしで、早速、海にほうむりに参っているところにございまする」

 役人たちは、飛び散るようにその場を離れた。この二年ほど前にこのあたりでコレラが流行り数百名の犠牲が出た。役人たちもその時の記憶が生々しく残っているのだ。

「もうよい。行け。早く行け」

「お役目ご苦労様にございまする」

 タイは、そう言うと、また大八車を押し始めた。

 その時、

「逃げた。山に逃げた。お前たち、そんなところで何をしておる。これから山狩りじゃ」

 役人が駆けてきて叫んだ。

 タイの口元が緩んだ。いたずらをして笑いを噛み殺している十四歳の少女に戻っていた。兄の源三と大工の小吉に沢卿と結衣の着物を渡し、これを着て山に逃げるよう指示していたのだ。見慣れぬ着物を着た二人が山に逃げ込むのは村人何人もが目撃することになる。村人たちの話を聞いて山に逃げ込んだと考えるのは自然の成り行きだ。今頃二人は、着物を脱ぎ棄て川で水浴びでもしているだろう。

「兄さま、お手柄じゃ」

 タイは、小さな声で兄を誉めた。


 垣生はぶの船着き場の沖には、すでに神通丸が回送されていた。漁師船に沢と結衣を乗せ、タイが舟を操って神通丸まで運んだ。神通丸には、田岡俊三郎と高橋甲太郎も乗り合わせていた。たまたま、備前あたりで商いをしている時に手紙を受け取り、おおよその事を理解し、備前玉島びぜんたましまに潜伏中の二人を乗せてきたのだ。船頭の寺内宗助と荷主の村上嘉助むらかみきすけ機転きてきであった。

「頭の良い方ではないとは失礼な」

 タイは、池原がぼやいて言った言葉を思い出して独り言を発した。

「何か言ったか」

 寺内宗助がタイに聞く。

「この度の機転、お手柄でございます、と申しましたのです」

「そうかそうか、そう思うてくれるか。池原様からお褒めの言葉もあるかもしれんのーえー」

 寺内宗助、村上嘉助、二人ともすこぶる上機嫌である。

 船は、帆を高々と上げると静かに動き始め、やがて、折からの東風を満帆に受け長州を目指して燧灘ひうちを滑るように走り去った。


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