第11話 神通丸

 物々しい警戒をしている屋敷を見続けている少女がいた。背にアワビやサザエを満載した籠を背負っているタイである。タイの聡明そうめいな頭脳は既におおよその事態を把握していた。門前に来ると、

「魚売りでございます。中に通しておくれんかのーえー」

 と声をかけた。

 見張り番は、タイの姿をめるように見ると、

「商いは早々に済ませるように」

 と言われ、中に通した。

「タイか。よいところに来た。やんぬるかな、このような仕儀しぎ相成あいなった。どうすればよいかのー。そなたの知恵を借りたいのじゃが、頼まれてくれんかの」

 沢は、この魚売りの少女が、人並み外れた知恵の持ち主であることは、何度も話をしているうちに分かっていた。魚を売り歩いてこのあたりの土地勘もあるタイにすべてをゆだねることにしたのだ。

 タイはしばらく考えていたが、やがて、

御安心ごあんしんなされ、必ずのがして差し上げます」

 と言うと、白い歯を見せて微笑ほほえんだ。

「それは、それは、頼もしいわいのー。頼りに思うておるぞよ」

 沢には、この十四歳の少女が百万の援軍のようにも思えた。

「今日、明日にも船が帰りまする。それまでは何事もなかったのようにしておいて下され。また来まする。では」

 タイはそう言い残すと、空になった袋を担いでまた出て行った。


 タイは走った。喜多川鉄太郎の元に全力で走った。着物の裾をまくり上げ、白い足を交差させながら街道を畦道あぜみちを飛ぶが如く走った。タイの報告を聞いた鉄太郎は、すぐさま池原利三郎に知らせ、早速、小松勤皇党の面々が招集された。源三の漁師小屋に集まった者たちは、それぞれに意見を述べるがラチが明かない。時間だけがむなしく過ぎてゆく。

「とにかく、神通丸じんつうまるが帰ってこないうちはどうしようもない」

 池原は苦り切っていた。

「いや、帰ってきたらすぐにでもお逃がせできるよう準備しておくべきでしょう」

 喜多川鉄太郎が答える。

「分かっておる。準備はできておった。だが、事態が違ってきた。タイの報告によると、あの屋敷はすでに取り囲まれてしまっておる。あそこから如何に脱出させるかが問題なのじゃ」

 池原は頭を抱える。

「それにしても、手紙は届いておるのか」

 黒川易之進が声を荒げる。

「届いておったとしても、分かったかどうか」

 喜多川鉄太郎が気を揉む。

 手紙には「急ぎ戻れ」という文言しか書いていない。それですべてが解るとの前提のものだ。だが、買いかぶりすぎたのかもしれない。

宗助そうすけ嘉助かすけも頭の良い方ではないけんのう」

 池原がぼやく。

船頭の寺内宗助てらうちそうすけも荷主の村上嘉助むらかみかすけも馬鹿ではないが頭脳明晰ずのうめいせきという方でもない。「急ぎ戻れ」という文言で事態の急を理解するのは無理かもしれない。誰も席を立たぬまま、夜が更けてゆき、やがて夜明けとなった。眠りこけている者、宙を見続けている者、それぞれが疲れ果てて時をむなしく過ごしていた時、漁師の源三が駆け込んできた。

「帰ってきた。神通丸が帰って来たぞ」

 源三の声に、皆飛び起き外に出た。神通丸は帆をいっぱいに張って海をすべるように岸に向かっている。

「よし」

 池原は頷いた。だが、改めて皆を見ると、

「沢卿をあの屋敷から逃さねばならん。誰ぞ良い知恵はないか」

と問いかけた。

「いっそのこと、小松勤皇党、全員そろうて討ち入りをして、沢卿を連れ出すというのはいかがか」

 黒川易之進の提案に、、

「そうじゃ、そうじゃ」

 賛同が相次いだ。だが、池原は無視をした。訊くに足る意見ではないことは明らかだからだ。

「誰ぞほかに知恵はないか」

「………」

 誰もが押し黙った。その時、

「あのー、話してもよかろーかのーえー」

 隅に座っていたタイが遠慮がちに声を発した。

「よい、考えがあるなら言うてみい」

 池原は、タイの頭の良さは知っている。むしろ、こちらから聞いてみたいとも思っていた。

 タイの話す計略に、皆、ひざを叩いて賛同した。

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