第10話 姉小路五郎丸

 そして、六月に入って間もなく、ついに幕府の捕り方がやって来た。三木佐三邸を厳重に取り囲み、その中の十数名が、沢が隠れる離れに踏み込んで来る。捕り方の中にはあの赤衣丹兵衛も加わっていた。

「沢卿は御在宅か。生野の変の嫌疑けんぎに付き吟味ぎんみ致したく存ずる。御同行を願いまする」

 役人の一人が玄関で大きな声を上げた。

「旦那様、どうしましょ。わたしら、捕まってしまうんじゃろか?」

 結衣が不安げに沢に語り掛ける。

「捕まえに来とんのやから、そうやろな」

 沢は他人事のように答える。

「捕まるんはいやや」

 結衣は、沢にしがみついた。

「わしもんなじや」

 結衣を抱きしめながら言う。

「居られることは分かっておりまする。出てきてそうらえ」

 玄関で何度も大きな声で叫ぶ。やがて、

「御免」《ごめん》

 の一言とともに大勢が土足で上がって来て、抱き合って座っている二人を囲んだ。結衣は赤衣がいることに気が付いたが、赤衣は気が付かない。

「沢卿と受けたまわる。さる生野の変事の件に付き吟味致したく存ずる。御同行ごどうこう願いそうらえ」

 役人の一人が、そう言うと、おもむろに十手じゅってを差し出した。

 沢は、取り囲んでいる捕り方の侍たちをゆっくり見まわすと静かに立ち上がった。そして、その中の頭目と思われる一人をにらみつけると、

ひかえい下郎ども、我を誰と心得る。先の中納言、姉小路五郎丸あねのこうじごろうまるであるぞ。えーい、が高い。控えおろう」

 甲高い声が、響き渡った。

 あまりの声の大きさに頭目の役人がたじろぎ、その場で正座をすると、そのほかの者たちもそれにならった。

「よりによって、我を沢の馬鹿息子と間違えるとは、あきれてものが言えぬわい」

 沢は、おもむろにふところから扇子を取り出すと、頭目の役人の首を軽く叩き、側の赤衣のあごしゃくった。

「その方ら、先の中納言に縄目の屈辱を与えて只で済むと思うてか。人間違ひとまちがいいで済む話ではないぞえ。この首も胴に何時まで付いておるであろうかのう。いや、それで済めばよいがのう。妻も子も一族郎党いちぞくろうとうに至るまで無事で済むはずはなかろうぞよ」

 頭目の役人と赤衣は、目を見開いた。確かに絶対に本人と決まった訳ではない。写真も映像もないこの時代では本人確認の方法は、見知った者の証言以外にない。もし人間違ひとまちがいということにでもなれば、この目の前の男の言うことは、おおよそその通りになろう。

「………」

 沈黙が続いた。そして、沢は、頃を見計らって、

「よいよい、その方も役目の事でもあろう。じゃが、我も縄目の屈辱を受けたとあっては、死んでお上にお詫びするせかないわいな。どうじゃ、今日のところは引き下がってはくれぬか。我も先の中納言、姉小路五郎丸、逃げも隠れもせんわいな」

 扇子で頭目の肩を軽く叩き、笑いながら語り掛ける。

「………」

頭目は、躊躇ちゅうちょし始めた。

「どうじゃ」

沢は、笑みを含んで云った。

「分かり申した。今日の無礼、ひら御容赦ごようしゃを」

 頭目は、そう言い残すと、役人たちを連れてすごすごと引き下がった。


「旦那様、さすがにござりまする。あの堂々としたお姿、先の中納言様の貫禄でござりまするなあー」

 結衣が懐に抱かれながらささやいた。

「いや、先の中納言は兄者あにじゃじゃ。わしは沢家の婿養子や。何の官位も官職もない。いや、従五位じゅごいとかがあるわいな。低い官位やけどな」

「………」

「逃げも隠れもせぬとは、ご立派な」

「いや、逃げる」

「でも、どうやって?」

「これから考える」

 実際、沢に逃げる算段はなかった。

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