僕のおばあちゃんは認知症
所沢常時
ぼくのおばあちゃんは認知症
いつからだろう。僕のおばあちゃんが認知症になったのは。
僕はどこにでもいるような高校生だ。何をやっても中途半端だが、僕にはものすごく大切な祖父母がいる。家が近いということもあり、保育園からそのまま家に行ったり、週に一回泊まりに行ったりと、小さい頃からたくさんお世話をしてもらった。夏の夕方に自動販売機のところまで散歩してジュースを買ってもらったことは今でも忘れないし、小学生の時には、祖父が毎年夏休みに私を水泳に連れて行き、水泳が苦手だった私を泳げるように克服してくれたり、目標の距離を泳げたらアイスを買ってくれたりもした。そんなことを思いながら祖父母の家で夕飯を食べなた後に少し寝るという大好きな日課。
しかし、そんなしっかりとしていた祖父母は今ではもう何が何だかわからなくなってしまっていた。いわゆる認知症というやつだ。さっき言ったことを忘れる、ご飯を食べたかどうかわからない、散歩に行ったかわからない、などの物忘れが激しい。祖父母どちらも認知症だが、祖母の方が症状がかなりひどい。
認知症というものはその日からいきなり始まる、というわけではなく少しずつ少しずつ症状が悪化していくものらしく、気付いた時には既に重度の認知症になっていた。それに気付いたのはおそらく中学2年生のコロナが始まったタイミングだっただろう。認知症になる前までなら、祖父母の家に行き、祖母の作ってくれたご飯を食べていた。しかし大好きだったカレーももう今では食べることができない。段々とご飯が作れなくなっていき買い物で済ますようになった祖母。最初は私の好きなものを買ってくれていたのでどちらかと言うと喜んでいる私がいた。
しかし、訳のわからないものを買ったり、一回の買い物で10000円使ったり、買っただけで食べれずに残したりが増えていき、流石に母も黙っておらず、注意をしたり、ご飯を買わなくて済むようにご飯を作って持って行くようになった。それでも全然治る気配がなく、それがいつまでも続いていおり、どんどんボケてくるし、どんどん弱っていっていた。この前なんかレンジの中にほうそうされたままのインスタント麺をレンジしていた。本当にあぶない。流石に母も大変になっており、ヘルパーを頼むことにした。その時に祖父母は認知症テストを受けたのだが、点数は悲惨で30点にも満たなかった。そこまで認知症が進んでいるとは思っておらず、祖父はヘルパー達に対して
「僕は大丈夫だから。」
と言っていた。祖父は昔から上に立つ人で、とにかく頑固で、介護されたりして、''何もできない人''という感じがとにかく嫌だったのだと思う。また、祖父は目がほとんど見えておらず、ずっと祖母に頼っていたのに、その祖母が介護施設に日帰りで通う日を作る。となった時は母も説得するのがとても大変だったらしい。祖母はと言うと、一気にことが進みすぎて何が何だかわからなくなっていた。一旦介護が決まって、ひと段落したかと思えば、大事な書類がない。とずっと騒いでいる祖父がいた。母がまとめてカバンに入れているはずなのになくなるわけがない。と思い鞄を見てもやはりなかった。祖母は何も知らないの一点張り。それなのにずっと探していると祖母のリュックの中から大事な書類が全て入っていた。自分が持っていたことを覚えていないし、なぜそんなことをしたのかと聞いても何もわかっていない。過去に何度もこのような経験があり、母もストレスが溜まっていた。何回も怒っていた。でも祖母は何回言われてもずっと同じことを繰り返していた。外に1人で出歩くなと言われても勝手に出て行き、たくさんものを買ってくる。そのお店のカートを持って帰ってきた時は流石に驚きを隠せなかったし、近所の人に見られていたら恥ずかしい。と母も言っていた。祖父はというと、その時一緒に祖母に怒るけれど、なんだかんだ言って買い物に行かせているのは祖父だったりもする。
「お寿司を買ってこい。」
と言ったら祖母はお店に行くし、余分なものも買ってくる。そして母が怒り祖父も怒る。この繰り返しだった。
大体祖父が健康のために日課にしている1日散歩で一万歩、という時にこのようなことが起こる。まぁ最近は弱って全然歩いてないが。
ある日のことだった。僕が学校から祖父母の家に寄って祖父母の散歩を待っていた時のこと。3時間たってもなかなか帰ってこなくて、流石に心配した。事故してないか、倒れてないか不安が駆け巡った。そしたらガチャっとドアが開き、急いで駆け寄ると、そこには顔に大怪我をした祖父と祖父を支える祖母がいた。僕はパニックになり何もわからなくなった。とりあえず母に電話をかけて母に来てもらった。祖父は目があまり見えておらず散歩中にこけて、道路に頭を思い切りぶつけたらしい。目の上には大きなこぶができており出血もしていた。まるでボクシングでズタズタにされた選手のような顔をしていた。それから間も無くして母が来た。母は祖父に病院に行くことを提案したが、祖父は病院が嫌いということもあり頑なに断っていた。流石に心配なので僕からも病院を勧めると渋々だが病院に行くことに同意してくれた。病院に車を止め、同行者を1人だけということで、母と2人で行っている間1人で車の中で待っていると祖父が置いて行ったスマホに祖母から電話がきた。心配をしていた。大丈夫ということを伝え電話を切るとまた少したって電話がきた。よほど心配だったのだろう。しばらくして祖父達が戻ってきた。幸い、打っただけで何かあるわけではなかったが、数ヶ月か経っていきなり喋れなくなったり後遺症が残ったりする。という可能性があるということだった。祖父は自分が目が見えなくてこけてしまってもうダメなんだと落ち込んでいた。するといきなり警察から電話がかかってきた。
祖父が出ると、間違い電話だと言っているのに何度も電話がかかってきて知らない名前を言ってくるので詐欺ではないか。と相談があったそうだ。電話をかけているのは普通に考えて祖母しかおらず、母も祖父も怒っていた。祖母は自分は知らない電話番号にはかけていないの一点張りだった。よくよく考えると、前に叔母が電話番号を変えたから、その電話番号がその人に繋がっているのではないか、となり一件は終わった。このこともすぐに忘れている。そこから祖父母、母、姉と自分で叔母の別荘に行くことになった。とても良いところで満足していたが、祖母がまた色々とやらかしていた。起きて自分がどこにいるかわからなかったり、食べもしないパンをどんどん焼いたりと手を焼くことばかりだった。悪行を挙げていても何もならないが、とにかくこのようなことがたくさん続いていた。母が毎日世話をするが、親戚からは大変そうで片付けられ、本当の大変さを知らない。こんなことを言っていいのかわからないが、祖母は母が小さい頃から全然宗教のようなものではないがそれに似たようなものに夢中で、祖父も社長をやっており忙しく、あまり愛情を注がれていなかったそうだ。でも祖父母の世話は怒りながらでも頑張っている。その度祖母はありがとう、ありがとうと言っていたり、母が先に帰る時、母を追うように腰が悪い祖母が父がつけてくれた手すりを頑張って立ちあがろうとし、母が帰ったと同時にそこに着く。そこで母への感謝の言葉を言っていた。僕はその光景をみると何か複雑な気持ちになる。祖母はこの前その団体を抜けた。正確には抜けさせられたの方が正しいかもしれない。会場に行くために車で送り迎えをしてくれる親戚がいるのに、違う人の所の車に乗せてもらおうとしてその人の家までわざわざ歩いて行った。前まではその人にずっと乗せてもらっていたが、最近はずっと親戚の車に乗せてもらっていた。しかし、いきなりそんなことをされたら抜けさせざるを得ない。その時が夜だったこともあり、余計に抜けさせることになった。僕も小さい頃から連れて行ってくれたことがあったのであそこにいた親切な人たちに会えなくなるのは寂しいが、その判断でよかったのだと思う。
そんなことを考えながら祖父母の家で夕飯を食べ終え、眠りにつこうとしている。これからもこの大好きな日課は変わらないままだろう。
僕の祖母は認知症だが、大きな出来事は覚えているし、たくさんの愛情を注いでくれている。そんな祖母に腹が立つこともよくあるが、祖父も含め、ずっと大好きだし、これからも大好きでいる。
僕のおばあちゃんは認知症 所沢常時 @joocsato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
記憶/@m1231
★2 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
精神障がい者の日記/羽弦トリス
★54 エッセイ・ノンフィクション 連載中 505話
コロナ体験談/鴉
★24 エッセイ・ノンフィクション 連載中 15話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます