第28話 方眼

 洞窟はしばらく下り坂が続き、やがて拓けた場所に出た。道がこれ以上続いていないところを見るに、ここが最奥で間違いなさそうだ。

 岩壁は所々発光し、薄暗い内部をぼんやりと浮かび上がらせる。蛍石が採れるという話は真実だったようだ。


「……ナイア」


 突き当たりに設えられた、石造りの祭壇。その真正面に立つ背中に向けて、イェレは声をかける。

 振り返ったそれは、予想していた通り見知った顔だった。数日顔を合わせていなかっただけで、随分長い間離れていたかのような錯覚を覚える。

 女神の現身を名乗っていた少女──ナイアは、ほんの少し残念そうに眉尻を下げてから口を開く。少し見ない間に、酷く大人びたように見えた。


「イェレか──どうして来てしまったんだ。お前は関係ないのに」

「……関係、あるよ。イェルニアの男が必要だって、君が言ったんじゃないか」

「ああ……そうだ。たしかにオレは──ゲノ族の神官は、イェルニアの男が必要だと言った。だが、今となっても、その意味はよくわからない」


 どうしてなんだろうな、とナイアは薄く笑う。その口振りからして、本当に知らないようだった。

 だが、今は自分が必要だった理由などどうでも良い。イェレは踏み込み、ナイア、と呼び掛ける。


「帰ろう。お母さんも心配してる。君には帰る場所がある──こんなところで終わって良いはずがない」

「そうよ。あなたはエヴリカ、私の娘。女神に捧げられる生贄なんかじゃない。あなたはただそこにいるだけで、生きているだけで良いの。さあ、エドワルゴに戻りましょう」


 イェレに続き、フロレンティナが前へ進み出る。彼女はすがるように手を伸ばしたが、ナイアはふるふると首を横に振った。


「それはできない。オレはこの命を以て、ソルセリアに降りかかる災厄を取り除く。誰に何を言われようと、今更やめるつもりはない」

「ナイア、君は……どうして、そこまで」

「ずっと昔に決めたことだ。お前には関係ない」

「──いい加減にしてくれ!」


 背を向けようとしたナイアは、急に上がった声にびくりと肩を震わせた。瞠目したまま、視線だけがぎこちなく動く。

 大きな声を出したのは、意外なことにアルコアだった。彼は眉をつり上げ、肩を怒らせながら、とナイアを睨み付けた。


「何故そこまで、ソルセリアを救うことにこだわる。きみでなくても、同じ役割は担えるはずだ。ソルセリアの上部にとって、きみは体よく使われるだけの捨て駒に過ぎない──英雄を気取りたいだけなら今すぐに帰れ。きみはただの生贄だ。こんなことに命を使ったとしても、何の意味もない」

「言っただろう。オレは誰かの役に立ちたい。価値のない人生をだらだらと生きるよりも、一時だけでも有用な人生で終わらせたい。何度言わせればわかる」

「価値がない、なんて……そんなこと言わないで。エヴリカ、あなたは私の希望なの。私の、たったひとつの宝物。それさえも、あなたは否定するの?」

「そうだよ。きみは健康だし、ちゃんと動く手足だって持ってる。頭もそんなに悪くないでしょう? ソルセリアに居場所がなくたって、アルソニアン共和国にならあるよ。役に立つ方法なら、まだいっぱい──」


 あるよ、と続けようとした秘密警察は、途中で言葉を切って勢い良く振り向いた。彼の大きな右手が、ぱしりと何かを掴む。


「あは、きみって不意討ちとかするんだね。正義の味方みたいな顔しておいて、卑怯な手も使うんだ?」

「……これ以上、ナイアの決意を踏みにじるような真似はやめてくれるかい」


 からん、と秘密警察の手から落ちるのはアーミーナイフ。どうやら背後から投擲されたそれを間一髪のところで掴み取ったようだ。

 軍用ブーツが地面を擦る。一同の背後から現れたのは、アルコアの同位体──ナイアを連れ去ったヒューマノイドこと、セイリオスだった。

 明朗快活な若者はもういない。セイリオスは冷徹な指揮官の顔で、その場にいる面々を見渡す。


「彼女は全てを承知してここに立っている。自らの意思で、ソルセリアを守ると誓った──その思いを侵害する権利なんて、誰にもないはずだ。特に、人を人とも思わない扱いをしている国の尖兵にはね」

「へえ、それって自分のことを言ってるの? 今時生贄なんて流行らないよ」

「ナイアは生贄じゃない。勇気あるソルセリアの民を侮辱しないでくれるかい」

「おまえは──!」


 叫ぶと同時に飛び出したのはアルコアだ。だん、と蹴られた地面が抉れ、気付いた時にはセイリオスとの距離を詰めている。

 そのままアルコアは同位体に向けて拳を振り上げたが、黙って殴られるセイリオスでもない。回避することなく真正面から相手の拳を受け止め、両足に力を込める──みしり、と地面が軋んだ。


「アルコア、君の正しさを否定するつもりはないよ。君は間違っていない。国民の命は何よりも尊く、そして愛おしいものだ。その気持ちは俺も変わらない」

「おまえ──どの口でそんな世迷い言を……!」

「けれどね、ソルセリアが選んだのは俺の掲げる正しさだった。君は淘汰されるだけだ」


 ぐ、とセイリオスの全身に力が漲る。イェレがあっと声を上げる暇もなく、アルコアの体は岩壁に叩き付けられている。既に手負いの彼は、為す術なく地面へと崩れ落ちた。

 ひとつ息を吐き、セイリオスは何事もなかったかのようにナイアへと向き直る。彼は微笑み、祭壇の真下にある石棺を見た。


「君一人でその蓋を開けるのは難しいだろう。俺が手伝うから、その後に、」


 だが、セイリオスの言葉は遮られる。銃声は洞窟の内部で反響し、イェレに耳鳴りをもたらした。


「ねえ、なんでぼくのこと無視するの? ぼく、きみに会いたくてここまで来たんだよ──ソルセリアのヒューマノイド」


 無邪気な声。それと同時に大きな影が目の前を横切り、須臾の間だが風邪を起こす。

 言うまでもなく、動いたのは秘密警察の男だ。彼は一直線にセイリオスのもとへと向かい、外套の内側から大ぶりの散弾銃を繰り出す。

 しかしセイリオスも黙って銃弾を受け止めることはない。すぐにナイアを突き飛ばすと、。おおよそ常人には不可能な芸当だが、彼の腕は確かに銃弾を弾いた──へスペリオスのように、銃弾そのものを無効化できる訳ではないようだ。


「部外者が、ソルセリアの行く末に首を突っ込まないでくれるかい? 特にアルソニアン共和国──悪逆を正当化するろくでなしの国が入る余地なんてどこにもない!」

「あは、口だけは一丁前だね。成立してからたった百年、それまで植民地の地位に甘んじていた国がえらそうな顔をして……ずっとずうっと気に食わなかったんだ、ソルセリア。中枢たるヒューマノイドは、特にね」


 秘密警察は立て続けに発砲したが、セイリオスはその全てを打ち払った。歯を食い縛り、彼は勢いを付けて突進する──近接戦闘に移行するつもりなのか。

 こちらとの距離が空いた隙を見計らい、イェレは起き上がろうとするアルコアのもとへと駆け寄った。傷だらけの彼に肩を貸し、どうにか身を起こしてやる。


「アルコア、大丈夫? 君、平気なふりをしていたみたいだけど……相当無理をしてるだろ」

「当機は問題ない……今は、ナイアを」

「動いちゃ駄目だ、その状態じゃ損傷が悪化する。ナイアのことはおれに任せて、君は安全なところに──」

「──その必要はないわ」


 ひとまずアルコアを避難させようとした矢先、妙に落ち着いた女の声が割り込んできた。

 嫌な予感がする。イェレが振り返った先には、あまりにも穏やか過ぎる微笑み。


「エヴリカ、あなたの覚悟はわかったわ。邪魔立てはもうしない。──その代わり、私もここでおしまいにする」

「なっ──」


 イェレの目に映ったのは、自らへと銃口を向ける母親──フロレンティナの姿。

 ナイアが瞠目する。セイリオスに突き飛ばされ、銃撃を避けながら石棺に向かおうとしていた彼女は、母親の暴挙を前に動きを止めた。

 母さん、と少女の唇が動く。母親に迷惑をかけることを何よりも厭い、社会の役に立とうとした彼女は──ここに来て二つの支柱、その取捨選択を迫られた。


「母さん……何を」

「あなたのいない世界になんて、いる意味がないわ。あなたを犠牲にして幸福を得る国家なんて知らない。だから私もここで終わらせる。ソルセリアの礎となることがエヴリカの幸せなら、私はそんな光景を見ずにいたいわ。だからもう、手段は選ばない」

「やめて、母さん。オレは、母さんに死んで欲しい訳じゃない」

「いいえ。あなたが命を捨てるのといっしょ。私は、あなたに先立たれたくはないの」


 フロレンティナの指が引き金へと伸びる。躊躇いのないその動きに、いち早く反応したのはナイア──ではなく、青い目をしたヒューマノイドだった。


「フロレンティナ! やめてくれ、君が命を捨てる必要はない!」


 彼──セイリオスは、血相を変えてフロレンティナへと詰め寄る。誰よりも速く、あまりにも焦った様子で。

 セイリオスはソルセリアとその国民を守るヒューマノイドだ。どれだけの個体差があるのか、イェレの知るところではないが──少なくとも彼は、ナイア以外の犠牲を出したくはなかったのだろう。秘密警察との戦闘を放棄し、フロレンティナの自傷を阻止することを優先した。

 すかさず秘密警察はセイリオスの頭部に照準を定める。──が、先に攻撃したのは彼ではない。


「ああ──あなた、随分単純だこと」


 己に向けていた銃口をセイリオスへと向け直したのはフロレンティナだった。彼女はうっすらと笑みさえ浮かべながら、今度こそ引き金を引く。

 放たれた弾丸はセイリオスに当たらなかった。だが、彼の動きを鈍らせることには成功した──彼女にとっては、それが狙いだったのかもしれない。

 フロレンティナは拳銃をくるりと回転させる。銃床部が開き、そこから現れたのは短いが営利な白刃。


「まるで愚かな善人ね、ヒューマノイド。機構を名乗るくらいなら、他人の区別なんてできない方が良いのよ──方眼の画面モニター上に映るただの標的くらいに思わなければ、いつまでもあなたたちは人を出し抜けないわ」

「──!」


 憐れみに満ちた眼差しを送りながら、フロレンティナはヒューマノイドの目に向けて刃を突き出す。人間の激情を前にしたヒューマノイドは瞠目したまま、眼球で攻撃を受け止めた。

 セイリオスの動きが止まる。すかさず秘密警察の男が彼へと飛びかかったが、ヒューマノイドはすんでのところでかわした。左目から流血しつつも、セイリオスの動きは鈍らない。組手で襲いかかる秘密警察と対峙し、彼は開いている右目を見開いて応じる。

 呆然とその様子を見つめるしかないナイアには申し訳ないが、これは好機だった。イェレは飛び出し、ナイアの視線の先──石棺の前に立ち塞がる。彼女がここに入りたいというのなら、全力で阻止するだけだ。


「だ──駄目だ、イェレ! 君がそこに行ってはいけない!」


 てっきりナイアを呼び止めるものかと思っていたが、セイリオスは何を思ったかイェレの名を呼んだ。背後から殴りかかる秘密警察をかわし、何故か必死の形相でこちらに向かってくる。

 何がセイリオスを焦らせるのか。わからないイェレは首をかしげた。女神の現身はナイアのはずだ。イェレは、そんな彼女に必要とされただけの部外者で──


『 見つけた──我が神体 』


 ずるり。

 閉まっていたはずの石棺。その蓋が、ひとりでに持ち上がる。

 重々しい音にイェレが振り返った隙を、は見逃さなかった。今まで助走をつけていたのかという速度で飛び出し、ずれた石棺の隙間へと飛び込む。


「え──エヴリカ!」


 甲高い声でフロレンティナが叫ぶ。イェレはすぐさま石棺に駆け寄ろうとしたが、金色の残像が先んじて彼を押し退けた。


「おまえは近付いてはいけない。故に当機が共に行く」

「アルコア──⁉️」

「この中は空洞だ。おまえが墜ちれば、儀式は完成してしまう──イェルニアの男、神代の産物を宿すものよ」


 待て、と追いすがる前に、アルコアはナイアに続いている。石棺の縁に足をかけて飛び込んだ彼の体は、瞬く間に内部へと吸い込まれた。

 状況把握がままならないながら、とんでもないことが起こってしまったことはわかる。その場にへたりこんだフロレンティナも心配だったが、まずは飛び込んだ二人の安否が先だ。イェレは恐る恐る石棺に近付き、僅かに空いた隙間から中を覗き込む。


「なんだ……これは」


 人一人がやっと入れるかどうかの石棺。その内部に光はなく、炭を塗りたくったかのような黒だけが続いていた。

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