第26話 すやすや
イェレたちがルクィム周辺に到着した頃には、既に太陽が中天から西に傾いていた。アルコアいわく、神殿の周辺は車両の進入が難しいという。そのため、途中からは徒歩での移動を強いられることになりそうだった。
「ま、そういう訳なんで! うちは攪乱を担当するよ。どーせ車はここで降りるんだし、大人数で移動してたら目立っちゃうじゃん? だったら手分けして動いた方が効率的じゃんね?」
森林周辺で車を止めたターダスは、二手に分かれて行動することを進言した。理由は前述の通りである。加えて、彼の射撃能力の高さも単独行動にはうってつけだ。車には麻酔銃も積んできているので、付き従っていると思わしき軍の兵士を戦闘不能にする程度は可能だろう。さすがのターダスも、軍人の殺害はまずいと考えたようだった。
個人の能力から鑑みれば文句をつける理由はないが、イェレはすぐに表情を曇らせた。周囲からは、あーあやっぱりな、とでも言いたげな雰囲気が醸し出される。
「なんだよ、文句あんのかー? ここはソルセリアなんですけど。王族の血を引いてるとか、今更そんな文言を持ち出すつもり?」
「いや、まあ……うん、その通りなんだけど……でも、いくら適材適所だからって危険過ぎるよ。君一人で囮になるなんて……」
「その点に関しては心配ご無用なのです! ポポカもいっしょに別働隊をやりますから!」
予想されきっていたイェレの反論に応じたのは、元気よく挙手をしていながら指名される前に発言し出したポポカだ。昨晩すやすやと熟睡していた彼女は、もともと寝起きが良いのか絶好調である。四六時中鬱々とした表情のフロレンティナが、すっとポポカのいる方向から距離を取った。賑やかな人間は不得手のようだ。
勢いに押されるイェレを前に、ポポカはえっへんと胸を張る。そして、明らかに隠密行動には不向きな声量で説明した。
「良いですかイェレさん、わたしの強みは何と言っても敏捷性です! この義足がある限り、わたしは人並み以上の速度で走り回ることができます。つまり攪乱にはもってこい、さらにターダスさんの射撃と組み合わせれば怖いものはありません!」
「あーうん……なるほど……。ターダスが前線に立たないのなら、まあ……」
「あっ、さてはわたしだけなら危険な目に遭っても無問題とか思っていますね! ポポカはそれで良いのです! わたしは闘争の中にあってこそ真価を発揮できる生き物ですから! それに、ターダスさんはフロレンティナさんみたいに狙いを外しませんし! そこはちゃんと信頼してくださって大丈夫ですよ!」
「あら……聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするわ。帰りは徒歩で帰宅なさいね」
失言のせいでフロレンティナから直々に所有車への出禁を宣告されたポポカだが、気にしていないのかはたまた人の話を聞いていないのか満面の笑顔で拳を掲げて見せた。どのような結果に落ち着くかはわからないが、ポポカの帰宅難易度が急上昇したことは確かである。義足のおかげで人よりも脚力に自信があるというポポカだが、その行く先や如何に。
「ともかく、うちに関しては大丈夫! なんかあってもこっちの責任だから、イェレは気にしなくていーからね。ま、俺はこの先祖国を復活させるんで、こんなところでくたばるつもりはねーけどな!」
「ふふ、寝言なら寝てる時に言いなよ」
「その言葉、そっくりそのままお返しするし! お前こそ、せいぜい野垂れ死なないよう気を付けるんだな!」
べっと秘密警察に向けて舌を出してから、ターダスは一行が向かうべき方向とは微妙に離れた道へと進んでいく。神殿の位置関係は事前にアルコアから説明されているので、迷子の心配はない──と信じたい。ターダスはともかく、ポポカはかなり不安だが──まあ、彼女なら持ち前の明るさでどうにかするだろう。
そうと決まれば、こちらも行動に移らなければならない。既に歩き出しているアルコアの背中を、イェレは小走りで追いかける。
「ルクィムの神殿は地下にある。先史時代は、建造物としての神殿も存在しただろうが、偶像と見なされるものは渡航してきたエレニによって破壊された。この先の洞窟が出入口になっているから、まずはそこを目指そう」
抑揚のない声は相変わらずだが、アルコアの歩く速度は平生よりも速い。ほぼ競歩の域と言っても良いだろう。
それだけナイアのことが心配なのだと思うと微笑ましいような気もするが、事態は一刻を争う。ほっこりしている時間はない。
──が、今のうちに聞いておきたいことがある。
「……お前さ、誘拐やらかした時、ナイアに変なことしてないだろうな?」
小声で告げつつ秘密警察を睨むと、顔に傷のある大男はこてんと首をかしげた。その仕草に少なからず焦燥感を覚えるが、理性でどうにか抑え込む。
「へんなこと? へんなことってなあに? ぼく、よくわかんない」
「惚けやがってよ……。要するに、乱暴してないかって聞いてんだよ」
「乱暴なんてしてないよ。ナイアは大事な人質だったんだもの。むしろ優しくしてあげたよ? 塩の湖に連れて行ってあげたし、気持ち悪そうな時は吐かせてあげたし、喉が渇いてるって時にはちゅうしてあげたんだから」
イェレやアルコアが反応を示す前に、銃声がこだました。見れば、額に青筋を浮かべたフロレンティナが引き攣った笑顔で秘密警察に銃口を向けている。秘密警察の男の肩口から細く煙が上がっている辺り、命中はしないが当たりはしたようだった。
「痛いなあ。もう、だめじゃない。敵でもないひとに銃口を向けちゃいけないんだよ?」
「あら、ごめんなさいね……。不埒な話に驚いて、照準が狂ってしまったわ」
「次から気を付けてね。今回はソルセリアのヒューマノイドを泣かせるのに集中したいから見逃すけど、次はお仕置きしちゃうからね」
「ええ、気を付けるわ。ところであなたもただの人間ではないのかしら」
「あはっ、わかっちゃった? ぼく、弱い人たちよりもちょっとだけ丈夫なんだよねえ。だから、撃たれたくらいじゃ死なないよ? 物理的に、人の形を留めない程に破壊されなきゃ死ねないんだ。つまり、おねえさんじゃぼくを殺すなんて無理だよ」
「そうなのね……別に良いわ。死んでしまっては元も子もないもの。反省してくれるなら死ななくても結構よ」
「わかったから銃口は降ろそうな。こいつはともかく、誤射で俺たちに被弾したら堪らん」
「……それもそうね。弾がもったいないですし。今のところは見逃してあげます」
それから気安く触らないでくださるかしら、とフロレンティナはやんわりと銃口を降ろさせたへスペリオスの手を振り払った。口調こそ淑やかだが、娘に降りかかった受難を前にご機嫌斜めのようだ。イェレからしてみれば致し方の亡いことだが、流れ弾は怖いのでここはおとなしくしていてもらうに越したことはない。
「フロレンティナ。照準を安定させたいなら片手撃ちは控えるべきだ。反動で脱力し照準がぶれる。見栄えよりも命中率を重視するのだな」
そして先を行くアルコアは追い討ちという名の助言をくれた。ポポカといいアルコアといい、何故相手の傷を抉るようなことを平然と口にするのだろう。本人たちに悪気がなさそうなのが余計厄介だ。
今度こそ発砲しなかったものの、フロレンティナの目からはさらに光が消えた。深淵の如き真っ暗な瞳が、今度はアルコアに向かう。
「貴重な助言をありがとう。でも、次からは要りません。お互い気分を損ねる可能性があるわ。皆好きなようにやるのが一番よ」
「そうか、では次回より自重しよう。当機の意見が実戦で役立つと良いのだが」
「なるべく来て欲しくない状況ではあるけどね……」
ソルセリア国軍は陸海空共に精鋭揃いと聞いている。戦禍より離れた地域といえど、彼らは列強の植民地主義に対抗して成立した国に生まれた軍人だ。数でも質でも、一行に勝っていることは言うまでもない。
加えて、あちら側にはヒューマノイドであるセイリオスが付いている。彼の戦闘力は未知数だが、少なくとも並ではないだろう。一般人のフロレンティナを連れているこちらが圧倒的に不利である状況は変わらない。
そうした現状からイェレはぼやいた訳だが、言霊になってしまったのだろうか。直後にアルコアが口を開く。
「ならば皆には悲報となるが──現在囲まれている。どうやら捕捉されたようだ」
「何ッ……⁉️」
言うが早く、周辺から軍服の兵士たちが飛び出す。今の今までずっと身を隠していたというのか。情けないことだが、全く気付かなかった。
「走るぞ!」
アルコアのかけ声と共に、一同は一斉に駆け出す。相手もこちらを逃がすつもりはないのだろう、待て、と鋭く声を上げて追随する。
だが、それよりも早く行動に転じた者がいた。
「待つのはそちらです!」
場違いに明るい声が響いたかと思うと、周囲が灰色の煙に包まれる。煙幕弾が投げ付けられたことは一目瞭然だった。
煙の中に、細長い影が浮かび上がる。俊敏に動くそれは、兵士たちを的確に蹴り抜いていく。
「ポポカの地元は火山の真下──故に煙には慣れているのです! つまり、ここではわたしが捕食者ですよ! 覚悟、決めてくださいね!」
「ポポカ──!」
「わたしのことは気にしないでください! 早く行かないと、間違って兵隊さん以外もぶっ飛ばしちゃいそうなので!」
声の主──ポポカの姿は見えない。だが、こちらの援護をしてくれているのは明らかだ。
お世辞にも良いとは言えない視界の中、イェレは唇を噛んで走り出す。ここにはいない同郷の人間の無事を祈りつつ、旧き神の神殿を目指した。
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