第25話 報酬

 神殿の場所はわかりきっているはずなのに、セイリオスは軍用車を直行させなかった。彼はナイアに対して何も告げることなく軍用車を止めると、そのままふらりと車外に出て行く。さすがに無防備過ぎると思ったナイアは、彼の背中に向けておい、と声をかける。


「こんな夜更けに、どこへ行くつもりだ。お前、一応指揮官だろ」

「大丈夫、皆には織り込み済みさ。それよりナイア、君は外に出たくないのかい?」

「は? なんでオレが……?」

「君に渡したい……というか、付いて来て欲しい理由があってね。車内にいたいなら無理強いはしないけれど、せっかくこんなところまで来たんだ。気分転換も兼ねて、少し話さないかい?」


 なかなか良い夜だよ、とセイリオスは歯を見せて笑う。着用しているのが軍服ではなく若者らしい普段着だったなら、今より幾分か爽やかに見えたことだろう。

 セイリオスの行動に対して全面的に肯定できる訳ではないが、どうやら彼は自分に向けて何やら用意しているらしい。それを無下にできる程ナイアも鈍感ではないので、促されるままに外へ出ることにした。同乗しているソルセリアの軍人たちからは呆れと同情の入り交じった目で見られたが気にしない。彼らは普段から破天荒な指揮官に振り回されているのだろう。

 南部に行く程暑いと聞いてはいたが、夜の平原は予想していたよりも遥かに涼しかった。上着を置いてきたことを後悔していると、おーい、と然程遠くないところからセイリオスの呼び声が聞こえる。


「こっちこっち! もう準備できてるよ」


 ぱちぱちと炎が爆ぜる音、そして可燃物が燃えて焦げ落ちる臭い。

 ナイアが振り返った先には、焚き火の前に腰を下ろすセイリオスがいた。彼は大きく手を振って、ナイアを呼び寄せようとする。


「そんなところで突っ立ってたら始めるにも始められないよ! こっちに来て座ってくれ!」

「……もっと火勢を強くできないのかな……」

「聞こえてるぞー! 良いかいナイア、こういうのはひっそり燃えてるのが良いんだよ。二人っきりで焚き火を囲むのにキャンプファイヤーみたいな勢いだったら、逆に気分が萎えちゃうと思わない?」

「そうかなあ……」


 大抵のものは強勢である方が良いのでは、と僅かながら反発心を覚えたものの、今は早いところ暖を取りたい。ナイアは唇を少しだけ尖らせつつ、セイリオスの向かい側へと座った。

 柔らかな草に覆われた地面は案外座り心地が良い。地べたに座るのは久しぶりだが、これなら体の各所を痛めずに済みそうだ。

 そう感じていた矢先、ふわりと上から何かを被せられる。ふと見上げると、セイリオスが自らのジャケットをこちらに羽織らせていた。


「寒いんだろ? そういう目をしてたぞ! 一応草木はあるけど、この辺りの気候は砂漠に近いからね。夜間は寒さへの対策をしないと風邪を引いてしまうよ」

「……お前は寒くないのか」

「ヒューマノイドだからね。ある程度の体温調節はできるようになってる。それに、君と違って疾病にかかる可能性はない。だったら俺の方が薄着に向い、て……へくしっ」

「結局寒いんじゃないか……」


 最初から鼻の頭や頬を赤くさせておいて、強がりも良いところだ。ずず、と洟を吸い込みつつ、ナイアはお互い様だと視線で訴える。

 抜け目ないヒューマノイドたちの長であり、ソルセリアの軍人たちを従えるだけの立場とそれに見合った実力を兼ね備えるセイリオスではあるが、その実どうにも子供っぽいというか、前述の特性を持つ上位存在にしては少々足りないのでは? と首をかしげたくなる一面も持ち合わせている。隙があるのかないのかわからないのが一番厄介だ。──尤も、セイリオスはそういった隙を敢えて演出しているのかもしれないが、それはナイアの知るところではない。彼女にできるのは、この身を以てソルセリアの破滅を止めることだけ。

 できることなら早くルクィムの神殿に到着したいところだが──セイリオスは何を考えたか、あらかじめ焚き火の周りに設置していた串を一本取り上げた。そして、笑顔でそれをこちらに手渡してくる。


「はい、焼きマシュマロ。君、好きだろう?」

「……なんで知ってる? お前に好物の話をしたことはないはずだが……」

「ははは、俺は万能ヒューマノイドだからね! ソルセリア国民のことなら、なんでも知っているのさ!」


 嘘くさい。……が、いちいち言い返すのも面倒なので、ナイアは黙してマシュマロを頬張った。甘くて美味しい。

 焼いたマシュマロは昔からの好物だった。家の暖炉で、よく母が作ってくれたのを覚えている──五年間、忘れていたけれど。

 セイリオスが外に出た理由はか。しょうもないと思わない訳ではなかったが、好物を食べられるのなら悪い気はしない。それに、大の男が大量のマシュマロをせっせと串に刺して準備していたのだと思うと、なかなか愉快な気持ちになった。

 そのセイリオスはというと、持参してきたらしいクラッカーにマシュマロを挟んで食べている。スモア……のチョコレート抜きだ。美味しいのかどうかはわからないが、クラッカーの味によってはただただ甘いだけの代物になることだろう。アルコアといい、ヒューマノイドは健康によろしくないジャンクな食べ物が好きなのだろうか。


「言うなればね、これは前払いの報酬だ」


 むしゃむしゃとスモアもどきを頬張りながら、セイリオスは言う。指先についた粉を惜しんでいるのか、ぺろりと舐め取ってから彼は続けた。


「君には感謝してもしきれない。その小さな体で、ソルセリアの平和を守ろうとしてくれているんだ。何の報酬も与えず、命を消費するだけなんてソルセリアの沽券に関わる。せめて、こんな時くらいは好きなものを食べて欲しいと思ってね」

「……それはお前の利己心じゃないか? オレは別に食い物を恵んで欲しいなんて言ってない」


 それに、とナイアは串を折りつつ目の前のヒューマノイドを睨む。


「オレへの報酬は良いから、ちゃんと母さんの身の安全を確約してくれ。オレ個人が喜ぶかどうかなんて、些末な問題だ。母さんに何かあったら絶対に承知しないからな」

「それは勿論。フロレンティナもまた、愛すべきソルセリア国民だ。君が危惧するような事態にはさせない。……とまあ、それはそれとして」


 いつも快活な笑みを浮かべているセイリオスは、珍しくにやりと静かに口角を上げた。首をかしげるナイアの頬を、彼はつんつんと軽くつつく。


「強気な割には、良い食べっぷりじゃないか。君はまだ子供の内を出ないんだから、素直な方が可愛いぞ」

「……もらえるものはもらっておく主義なんだ。あと、可愛さなんて求めてない」

「大丈夫、今でも十分及第点だから」

「何のだよ……」


 ヒューマノイドは時折意味不明なことを言うように設計されているのだろうか。セイリオスはまともな方だと思っていたが、先の発言を加味するとアルコア辺りと良い勝負かもしれない。

 せめて元は取ってやろう、と意気込んでナイアはマシュマロを口に詰め込む。いつの間にかセイリオスが追加してくれたのか、焚き火のそばには色とりどりのマシュマロを刺した串が並んでいた。


「……ナイア。少し、話をしても良いかい」


 もぐもぐとマシュマロを咀嚼していると、妙に声を落としてセイリオスが問いかけた。こちらの様子を窺うような口振りは珍しい。ナイアは上目遣いにヒューマノイドを見つめ、無言で先を促した。


「俺は──いや、俺たちは、かな。ともあれヒューマノイドは、ソルセリアを守り、導き、発展させるために製造された。……とはいえ、俺たちにはそれぞれ差違がある。人間でいうところの個性かな。姿形は概ね似通っているけれど、性質気質までは同一といかない。だから、俺たちにとっての正しさはそれぞれで異なるし、何を以てソルセリアの正しさとするかは自分自身にしかわからない。それが一致していれば、俺たちは心から団結できるけど……相反する正義を持ったヒューマノイドがいれば、同位体はたちまち厄介な敵となる」

「アルコアの話をしているのか?」

「鋭いね。そうだよ、俺はアルコアのことが気がかりだ。あの子もまた、高性能なヒューマノイドだからね。君を止めるために全力を出すだろう」


 それを阻止するのが俺たちの役割なんだけどね、とセイリオスは苦笑する。


「思えば、アルコアにも情報を共有しておけば状況は変わったのかもしれないけれど……今となっては後の祭りだね。あの子は国民の犠牲によって得る平和を認めず、そのためにソルセリアのネットワークから自らを切り離し、独自に計画阻害のため動き出した。……まさか摘出した君の眼球を盗むとは思わなかったよ。あの子はそれだけ本気ってことだ」

「オレの眼球……」


 以前覗き見たアルコアの右目。片方だけ色が違うのは何故だろうと疑問に思ったが、あれはかつて自分の一部として嵌まっていた眼球だったのか。よくよく思い返してみれば、瞳の色は母と同じ純黒だった──今は計画のため、女神ナイアが好むという黄金色の人工眼球を用いているけれど。

 それにしても、かつて自分の一部として在ったものが今度は他人──正確には他ヒューマノイドだが──の中にあると思うとなんとなく居心地が悪い。心なしか右目が痒いような気がして、ナイアは何度も片目だけ瞬きを繰り返した。


「ともあれ、アルコアはソルセリア政府の決断を否定した。彼にとっての正義は、無関係な国民を犠牲にせず事態を解決に導くこと。俺たちとは真っ向から対立する考え方だ。……正しいか正しくないかで言えば、前者だと思うけれどね」

「お前は同位体を否定しないのか、セイリオス」

「しないよ。俺だって、なるべく犠牲は出したくない。でも、何事においても皆を幸せにするなんてのは無理だ。必ずどこかでこぼれ落ちるものはあるし、帳尻も合わせなくちゃいけない。俺はそれを受け入れなければならないと思う。皆が分け隔てなく幸福である世界があるとすれば、そこはきっとこの世じゃない。生きている限り、俺たちは不平等だ。ヒューマノイドでさえ個体差がある以上、完全な同一存在なんてある訳がないからね」

「そうなのか……。個人的な疑問なんだが、オレの体の一部を取り入れることでアルコアには何らかの恩恵があるのか? オレの居所がわかるとか」

「? 特にないよ。どうしてそう思ったんだい?」

「いや……別に……」


 なんだろう。ますますアルコアのことがわからなくなった気がする。深く考えれば考えるだけややこしくなりそうなので、ナイアはそれ以上考察するのをやめた。何とも言えない気持ち悪さだけが残った。


「とにかく、ルクィムの神殿には明日向かう予定だ。無駄に日にちを消費するような真似はしないから安心してくれ。君の覚悟を俺は信じてる。そのために、今夜は鋭気を養ってくれよ!」


 どーんと自らの胸を叩き、セイリオスは茶目っ気たっぷりに片目を瞑ろう──としたのだろうが、勢い余ったのか両目を閉じた。思わず吹き出しそうになるが、どうにか我慢する。どれだけ親しみやすくとも、相手はヒューマノイド──その中でも軍隊を動かせるだけの権力を持つ代物だ。あまり舐めた態度を取るべきではない。

 何にせよ、ルクィムへの到着が明日に決まっているのなら一安心だ。これでようやく、ナイアは本懐を果たせる。


「ルクィムまではどれくらいかかる? すぐに着くのか?」

「そうだね、軍用車で乗り込めない道もあるから、徒歩で移動することも考えれば明日の午後には到着するだろう。時々休憩も挟みながら行くけど、何日もかかる距離じゃないよ」

「そうか……それなら良い」

「それにしても、ナイア。君はどうしてそうも先を急ぐんだい? ゲノ族の報復に、明確な時限はない。何が君をそんなに急かすのか、教えてはくれないかな」


 いそいそと飲み物を準備しつつ、セイリオスが尋ねる。保温効果のある水筒から注がれるのは、恐らくココアだろう。甘い匂いがこちらにも漂ってくる。

 ナイアはほうと息を吐き、天を仰ぐ。エドワルゴではほとんど見えなかったが、人里を離れた平原では肉眼でもはっきりと星が見える。澄んだ夜空は冴え冴えとして、適度に瞬きをしなければ吸い込まれてしまいそうだった。


「価値のある人間になりたいんだ」


 ぽつりとこぼした言葉は、セイリオスに届いただろうか。

 届いていても、いなくても構わない。これは質問に対する答えではなく、単なる独白だ。


「オレは生まれてこの方、ずっと他者に……母さんに迷惑をかけ続けてきた。母さんはオレを育てるために、本来なら必要なかったはずの苦労を強いられた。口さがない連中に陰口を叩かれて、実家からも縁を切られたと聞いた。……オレを堕ろさなかったから」


 全て母から聞いたことではない。悪意を持った人々が、まだ幼かったエヴリカに吹き込んだ真偽の定かではない話。楔のように打ち込まれたその言葉は、今も彼女の心を軋ませる。

 自分などいない方が良かった。大好きな母を苦しめるだけの子供になど、価値はない。

 エレニとほとんど変わりない白さの肌はあるけれど、所詮己は混血だ。十代続けてエレニの血を継いだ混血は正当なエレニとして認められるが、それを成し遂げるためには生半可ではない資金と時間が要る。母には、またしても余計な負担を強いることになるだろう。

 役に立たなければいけない。穀潰しのまま、生温くぬかるんだ人生を完結させたくはない。母に不幸を押し付けてきたからには、何らかの形でそれを精算しなくてはならない。

 そこにやって来たのがセイリオスだった。彼は自分に機会を与えると言ってくれた──この身ひとつあるだけで社会の役に立てて、母を不幸せにしない、とっておきの方法を。


「どうせ終わるなら、価値のある人間として生を全うしたい。世の中の役に立って、ソルセリアを助けて、善いことをして終わる。そうしたら、オレの人生は価値のあるものになるはずだ。母さんも、もう苦しい思いをしなくて済む」


 だから選んだ、とナイアは締め括った。この意思を曲げるつもりなど、更々なかった。

 顔を戻し、正面を見る。金髪碧眼のヒューマノイドは、もう笑ってはいなかった。鮮やかな青い瞳と、視線がぶつかり合う。


「わかった。君の思いは、よく伝わったよ」


 ひとつうなずき、セイリオスはココアの入ったマグカップを差し出す。恐々と受け取ってみると、掌がじんわりと温かくなった。


「必ずやり遂げよう、ナイア。そのためだったら、俺も援助を惜しまない。最後まで君を補佐し、助けとなることを約束しよう」

「ありがとう、セイリオス。……もしかしたら、アルコアの他にもオレの知り合いが来るかもしれない。その時は──」

「ああ、わかってる。アルコアはヒューマノイドである以上、こちらで処分しなくてはならないけれど……君の友達は殺さない。こちらで保護し、身の安全を確保する。手荒な真似もしないと、ソルセリアに誓おう」


 全てし済ませた後のことは、残った者に任せるしかない。どのような結果に終わろうとも、その未来にナイアはいないのだから。

 だが、セイリオスならきっと約束を違えないとナイアは確信している。彼はこんな自分を常に尊重してくれる。ナイアもまた、ソルセリア国民の一人であるからだ。

 力を抜き、渡されたココアに口をつける。温かく甘やかな液体を嚥下し、ナイアはふと口角を弛めた。

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