第23話 静かな毒
「ナイアとはぐれたぁ⁉️」
その報せがもたらされた瞬間、ちびちびとコーヒーを飲んでいたイェレの顔面は一瞬にして青くなった。妥当な反応だが、そのまま気絶しなかっただけましだ。しっかりと睡眠はとれたと見て良いだろう。
彼はぐいっとコーヒーを一気に飲み下すと、勢い良く立ち上がって戻ってきた面々──ヘスペリオス、ターダス、ポポカ──のもとへと大股で歩み寄った。顔面のあらゆる筋肉がひきつっているのか、ぴくぴくと見ている側が不安になりそうな動きをしている。
「いつ、どこではぐれたの⁉️ 周辺とか、ナイアが行きそうな場所は探した⁉️ セイリオスさんに連絡は⁉️」
「あーあー、気持ちはわかるが落ち着けよ。順繰りに話すからまずは座れ」
どうどう、と馬でもなだめるかのような仕草でヘスペリオスに肩を押され、イェレは渋々といった様子で椅子に戻った。すとんと着席してから、じろりと白眼視して先を促す。
「時間は……そうだな、今からちょうど二時間程前か。場所に関してはさっぱりなんで、そっちに任せるぜ」
「中央通り二番街ね。エドワルゴじゃ中心的な繁華街だよ。で、そこでしばらく探して、警察なんかにも顔出したけど全然駄目。一応セイリオスさんにも連絡はして、今探してくれてるみたいだけどそれ以降の返事はなし。どうしようもないから、お前のところに戻ってるんじゃないかと思ってこっちに来たって訳。理解できた?」
ヘスペリオスから事情の説明を任されたターダスはつらつらと語り、イェレに向かって目配せする。要点をついた説明に文句はつけられなかったのか、イェレはおとなしく首肯した。
「……とりあえず、何があったかはわかった。残念だけど、こっちでナイアは見かけてないよ。電話もかかってきてない」
「そっか……。予想はできてたけど、こうなってくると心配だね」
「ナイアさん、正気じゃなかったですもんね! 新鮮な生贄とか探してたらどうします?」
「正気じゃなかった……って、女神が前面に出てたのか! それで迷子とか、嫌な予感しか……というか、君たちあの状態のナイアといっしょに観光してたの⁉️」
ますます顔色を悪くしたイェレを前にしても、ポポカの笑顔は崩れない。はいっ、と過剰なくらい元気良く応じる。
「詳しい事情は存じ上げませんが、アルティマ大陸の旧い神様なんだろうな~とは思ってました! 道中生贄の話などで盛り上がったのですが、ふと目を離した隙にお姿が見えなくなってしまって……」
「何の話してんだよ……」
「俺は聞かれたから説明してただけだぜ? 生贄にノリノリだったのはお嬢さん方だ」
「それもそれで嫌すぎる……」
何にせよ、イェレの心痛は変わらないようだ。がっくりと机に突っ伏しながら、彼はくぐもった声で愚痴る。
「まったく……ただでさえアルコアがやらかして行方不明なのに、ナイアまで迷子になるなんて……。こんなことならおれも付いていくんだった……」
「呼んだか」
えっ、と誰かが声を上げるよりも早く、何故か洗面所の扉が開く。
わあっ、と誰が先だったかは知らないが、ともあれ一同は驚愕から声を上げた。平均などとうに越えているであろう巨体が、ゆらりと逆光を受けて揺らめく。
「あ、アルコア……と──」
「なんでお前がここにいんだし!」
呆気に取られるイェレの言葉を継いだのはターダスだった。人影を指差し、敵愾心を剥き出しにして叫ぶ。
「ひどいなあ。お友達の恩人に対して、ありがとうのひとつもないなんて」
「襲撃や拉致という前科が災いしたな。当然の反応だろう」
巨体の主は、これまでも何度か対峙してきたアルソニアン共和国の秘密警察だった。その肩に平然とした顔のアルコアが担がれている。
何とも因縁深い面々が集まってしまった訳だが、今はそれに加えてナイアの失踪まで連立している。ひゅう、と他人事のように口笛を吹くヘスペリオスを、イェレは疲れきった目で睨んだ。
「いくつか聞きたいことがある。なんでお前がアルコアといっしょにいる? それにアルコア、君は国立の研究所を爆破させて逃亡したそうじゃないか。一体どういうつもりなんだ?」
「研究所の爆破は致し方のない処理だった。あそこには研究用ヒューマノイドしかいない。死人は出していないから安心しろ」
「ヒューマノイドの破壊は殺人に入らないんですか?」
「法律では国家の所有物として扱われているから、器物破損で受理されるんじゃないか? まあ、ヒューマノイドは一人の人間の遺伝子より人工的に受精卵を培養して造るから、見方によっては人間に分類されるのかもしれないが……」
「あーうん、その辺りのややこしい話はまた後でね。うちらとしては、アルソニアン共和国の秘密警察とつるんでる方が気になるんですけど」
「初対面だが、おまえはアルソニアン共和国に対して敵対的なようだな。話せば長くなるが……第一に、ナイアがセイリオスに連行された」
「「ナイアが⁉️」」
先程までの話題がとんぼ返りして戻ってきた。イェレとターダスは思わず身を乗り出して同じ文言を叫び──気恥ずかしかったのかお互い同じ
「おいおい、セイリオスって俺たちを保護したヒューマノイドだよな? なんであいつが姫さんを連れていくんだ? 俺たちのもとに返してくれるってんなら、ありがたい話だが」
ヘスペリオスが目をすがめながら問いかける。しかしその問いに対する答えは否であった。
「おまえたちはナイアを探していたのか。それなら悲報だ。セイリオスは彼女をルクィムに連れていき、そしてソルセリアのための人柱にするつもりでいる」
「は? 人柱?」
「当機はナイアを保護するため向かったが、物量差は埋められなかった。そこで駄目元で自爆しようかとも思ったんだが……ちょうどこいつが現れてな。間一髪で撤退し、排気ダクトを通ってここまで来たというのがこれまでの経緯だ」
「このヒューマノイドがイェレといっしょにいたのは知ってたし、何よりソルセリアは気に食わないからね。敵の敵を助けてあげるのも良いかなって思ったんだあ。セイリオスとやらには、塩湖の底に沈められた恨みがあるし」
「そのまま沈んどけよ……」
ターダスの恨み言が聞こえたが、秘密警察はにこにこと笑うだけだ。彼といいポポカといい、ずっと笑っているだけというのもなかなか不気味である。
「でも……なんでセイリオスさんはナイアをルクィムに連れていったんだろう。人柱って、一体どういうこと?」
真っ先に疑問を呈したのはイェレだ。彼は意図的に秘密警察から目線を逸らしつつ、アルコアへと問いかける。
これまで友好的だったセイリオスがナイアを連れ去った。そう言われてすぐに信じられる理由がイェレたちにはない。ましてや人柱などという物騒な単語まで出てくれば、理由を明らかにしない限り先には進めない。
アルコアも質問は予期していたのだろう。返答はすぐに与えられた。
「きっかけは一人の子供だった。ゲノ族に誘拐されたという彼は命からがら逃げ出し、ゲノ族がソルセリアに対して災厄という名の報復をもたらそうとしていることを明らかにした。……その子供は満身創痍だったからか、その後すぐに亡くなったそうだが」
「……先住民による誘拐事件、か。噂では聞いてたけど、本当にやってる連中がいたとはね」
眉をひそめるイェレの脳裏に思い浮かんだのは、パンデスで出会ったハリナの姿だった。彼女はナイアを見るなり警戒心をあらわにしていた──先住民がエレニの子供を誘拐するという噂を信じて。
根も葉もない噂話だとしても胸がつかえるような話題だというのに、ゲノ族は実際に事を起こしていた。そのせいで罪のない先住民や、その血を引く人々に偏見の目が向かっていると思うと、やりきれない気持ちになる。
イェレの心中を察したかは定かではない。アルコアは特にその話題を広げることなく次へと進む。
「ソルセリアの為政者たちは、これを快く思わなかった。何としてでもゲノ族の目論見を止めなければ──そうして彼らはひとつの結論に至った。ゲノ族に毒を盛ろう、と」
「毒ですか? 難しくないです?」
「何も直接的な話ではないよ。要するに、獅子身中の虫を使ってゲノ族の居どころを炙り出し、事に及ばれるよりも早く奴等を殲滅する。ナイアはそのために生まれた。生来持っていた色を、臓器を、そして記憶を奪われた──色々あって彼女は失われた記憶こそ取り戻したものの、変わらずルクィムに向かおうとしている。そうすることが、正しいのだと信じているからだ」
「ちょっと待て、ルクィムに行けば儀式が完成するんじゃないか? そのために姫さんは旅をしてたはずだが」
「いや、ナイアがルクィムに行くことこそに意味がある。放置することで儀式が中途半端な状態になる可能性はあるが……ソルセリアは不穏分子を残しておきたくはないだろう。ルクィムの神殿ごと、徹底的に破壊するにちがいない」
「あっ、ポポカわかりました! ナイアさん、完全な生身の人間じゃないんでしょう?」
ぽん、とあまりにも呑気な調子で手を打ち、ポポカはアルコアを見る。当たっているか気になるのか、そわそわと視線が動いた。
さすがのアルコアも、相手の言動が不釣り合いだと判断したのだろう。いつもより心なしかじっとりとした目でポポカを見る。
「……喜ぶところではないが、概ね正解だ。ナイアの臓器は機械化されている──女神への供物が欠けたるものであれば、成功率は格段に下がるからな。最後の保険、といったところか」
「へえ~。たしかに、久しぶりの生贄だと思って齧ってみたら中身が機械だった──なんて、拍子抜けにも程がありますよね。ちなみにポポカはハツが好きです!
「うーん、しばらく
明らかに今すべきではない話題が持ち上がった気がするが、ターダスが軌道修正したことで事なきを得た。生贄の話をしている時に食べ物を持ち込んではいけない。
何はともあれ、一同は選択を迫られている。セイリオス──ひいては国家権力が背後に控えているとなれば、首を突っ込んだが最後だろう。
「おれはナイアを追いかけるよ。相手が誰だろうと知ったことか。あの子はイェルニアの男を求めていた──その理由を知ることなく何もかもを投げ捨てるのは、何か違う気がする」
口火を切ったのはイェレだった。彼以外の視線が向かう中、深い緑を湛えた瞳が鋭く光る。
次点で口を開く者があるまで、一定の時間を有した。室内が静寂に包まれる中、あはっ、と場違いな声色が響く。
「イェレなら、きっとそう言うと思ってた。ぼくの好きなイェレだね。ソルセリアよりもイェレの方が好きだから、ぼくもいっしょに行くよ?」
「は? 何言ってんだお前」
「そのままの意味だよ。じゃなきゃヒューマノイドなんて助けないし、狭い道を通ってなんか来ない。ほんとうは寄り道するなって上司に言われてるけど、今回は特別。ナイアを助け出して、ソルセリアにぎゃふんと言わせるんだあ」
あどけない笑みを浮かべながら、秘密警察がイェレとの距離を詰める。勢い余って担いでいるものの存在を忘れたのか、アルコアがどずんと音を立てて床に落ちた。
「……こいつといっしょに行動なんて虫酸走っけど、ものの道理を無視する理由にはなんねーからね。しかも人柱なんて、イェルニアの民として許せる訳ないし。愛すべき祖国、その一端のお供くらいさせてくれよ、イェレ」
「……ターダス」
「うふ、イェルニアじゃなくてアルソニアン共和国ね? みんなやっぱり気にしてるんだねー、百年近く前のこと。そんなに嫌だった? ユスティーナのこと」
「あ? しばくぞ」
一触即発の雰囲気が流れる中、はいはいはーい、とあまりにも元気が過ぎる声と共に手が挙がる。
「どうせならわたしも連れていってください! 例の女神様は興味深いですし、皆で何かひとつのことに挑むって初めてですから! せっかくなのでごいっしょさせてください!」
「あのなあ、お嬢さん。危険が伴うって言ったよな? 遊び半分で向かうような場所じゃねえんだ」
「とか言いつつ、おじさんも行くっしょ? 一度絡んだ相手のことは放っておけない
「執念深い男は嫌われるよー?」
謂わば呉越同舟、完全な連帯とは言えないが、ひとまず皆の心は決まったと見て良さそうだ。床に落とされたアルコアは関節を鳴らしながら立ち上がり、一同を見回す。
「そうと決まれば、余計な時間を食っている場合ではないな。早速だが重要な報せがある」
「?」
首をかしげる面々を他所に、アルコアは出入口まで歩を進める。内側から鍵を開け、ゆっくりと扉を開け──。
眼前にいたヒューマノイドを、躊躇なく殴り飛ばした。
「すまないが、恐らく位置情報は割れている。追手を粉砕しつつ目的達成を目指そう」
「そういうのは先に言ってくれない⁉️」
イェレが嘆いたがもう遅い。客室の前には十名前後のヒューマノイドが集っている。
殴っても立ち向かってくる同位体に肘鉄を食らわせつつ、アルコアは抑揚のない声で告げる。
「幸いにして、出入口はここだけだ。大勢での力押しは難しい。一機ずつ倒していけば勝ち目はある──ただ」
「ただ?」
「当機は壊れかけだ。このまま戦闘を続ければ、恐らく長持ちしない」
「なんで率先して出ちゃったかな⁉️」
壊れたら終わりだろ早く戻りなよ、とイェレがアルコアを止めに入り、ターダスはぼうっと突っ立っている秘密警察の背中を蹴飛ばした。お前が出ろ、ということだろう。
えー、などと言いながら抵抗している秘密警察を尻目に、鮮やかな赤毛が横切る。そのまま長い義足が空を切り、侵入を試みたヒューマノイドに回り蹴りを食らわせた。
「うーん、セイリオスさんやあなたと比べて
義足がちかちかと点滅する。向かってくる敵対存在の顎を、頚を、腹を蹴り抜き、倒れ伏した頭を踏みつける。最後に聞こえるのは、ばきり、と音を立てて頭が割れる音。
呆気にとられる一同を、ポポカは笑顔で見据える。威嚇にも似た笑いに、イェレの喉が低く鳴った。
「皆さん、今のうちに荷物をまとめてください! 大丈夫、時間稼ぎならわたしが請け負います! この間に窓から脱出を!」
「いや……気持ちはありがたいんだけどさ、ポポち。ここ十八階だから、飛び降りたら確実に無事じゃ済まねーんだわ」
「そういえばそうでした! ターダスさんは生身ですもんね。ではヒューマノイドを全滅させる路線で──」
笑いながら物騒な路線変更をしようとしたポポカだが、何を思ったか突然扉を閉めた。その直後に、三回の銃声。
何事かと戸惑う一同を他所に、ポポカは再び扉を開ける。そして目の前で辺りを見回していたヒューマノイドの首根っこを掴んで壁に叩き付け、ぱっと表情を華やげた。
「皆さん! どうやら援軍がいらっしゃったようですよ!」
「援軍?」
「はい! あっ、あと一体残ってるのでこいつだけぶっ飛ばして──と」
残存していたヒューマノイドに飛び蹴りをお見舞いしてから、ポポカは部屋の外へと出る。若干不安は残るが、いつまでも一ヶ所に留まっている訳にもいかない。イェレはターダスと目配せしてから、そっと室外に踏み出した。
ポポカが向かう先、非常用出入口の扉が開いている。そこから、女性のものと思わしきほっそりとした影が覗いた。
「先程は威嚇射撃をありがとうございました! あれで相手が怯んだので、ひとまずヒューマノイドを殲滅できました!」
「そう……威嚇ではなくて、本当に当てるつもりだったのだけれど……」
「あっ、なるほど! つまり全弾当たらなかったってことですね!」
「やめてやれよ……」
悪気はないのだろうが容赦なく傷を抉るポポカを見ていられなかったのだろう。悲しげな顔をしながら、ヘスペリオスが彼女の口に飴を突っ込む。
先程の話を聞くに、扉に銃弾を当てたのはこの人物らしい。帽子を被っていてもそうとわかる程整った顔立ちをした女性だ。どことなく荒んだ雰囲気を纏っているように見えるのは、お世辞にも良いとは言えない顔色や憂いを湛えた表情故だろうか。
何となく居たたまれない空気が流れたが、それをものともせずにアルコアが女性へと駆け寄る。その眼差しには僅かな安堵があるように見えた。
「フロレンティナ、どうしてここに」
「どうしてって……決まっているでしょう。娘を取り戻したいの」
密かにポポカへと銃口を向けていた女性──フロレンティナは、柔らかく微笑みながら何事もなかったかのように返す。そして、ぐるりとその場の面々を見渡した。
「こんばんは、皆さん。私はフロレンティナ……エヴリカの──ああ、あなた方はナイアと呼んでいるのだっけ。どちらでも構わないわ。あの子の母です」
どうかごいっしょさせていただけるかしら、とフロレンティナは陰りを帯びた目を細めた。
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