第22話 賑わい

 フロレンティナの抱擁は存外に強かった。しかし逃れられない程の力ではない。

 ナイアはそっとフロレンティナの胸を両手で押し、彼女と距離を取った。混じりけのない黒い瞳に、疑問の色が宿る。


「エヴリカ……?」

「ごめん、母さん。オレは行けない」


 そのまま一歩、二歩と後退する。フロレンティナに抱き締められていた箇所は、まだ熱を持っている。それもじきに消えてなくなるだろう。

 どうして、とフロレンティナが震える声で呟いた。だが、それよりも前に、アルコアが前へと踏み出している。


「何を言っている、ナイア。セイリオスの言葉に従えば、きみは間違いなく助からない──それでも良いのか」

「初めから覚悟は決めていた。封じていた十二年間を取り戻した今も、それは変わらない。オレはゲノ族を、女神ナイアを止める。その細工はもう済んでいる」


 見ろ、と短く告げて、ナイアはシャツ、そして肌着をたくし上げた。ひっ、とフロレンティナが息を飲み、口元を押さえる。

 ナイアの胴体を、幾つもの手術痕が縦断している。暗がりでもその存在感は絶大で、一度その体が切り開かれたことは確かだった。


「オレの内臓は既に取り出され、機械化されている。女神ナイアは人の血肉を供物とするからな。それを人工物にすげ替えれば、儀式の手順が狂う──ソルセリアへの報復は成立しない」


 たくし上げた衣服を戻し、ナイアは二人へと向き直る。青白い顔をさらに青くしているフロレンティナとは対照的に、アルコアの表情は変わらない──ように見えて、太い眉毛が苦しげに寄せられていた。

 顔が同じなので当然のように思えるが、あの時のセイリオスと似たような表情をしている。平静を装っているようで、苦痛を隠しきれない顔付き。内に秘めたるを、隠そうと努めているように見える。


「オレは本気だ。これは強要されて、渋々承諾したことではない。オレは取引を持ちかけられた時から、首を縦に振ると決めていた。だから誰であってもオレを止めてくれるな。オレはこの身で、ソルセリアの役に立って見せる」

「馬鹿を言うな」


 ナイアの言葉に被せるようにして、アルコアが声を張る。叫ぶとまではいかなかったが、彼にしては大きな声だった。


「セイリオスから何を吹き込まれたのかは知らないが、冗談も程々にしろ。あいつが本当にお前一人の命で何もかもを解決する算段だと思っているのなら、その認識は今すぐに改めるべきだ」

「……何が言いたい」

「セイリオスはきみを餌にするつもりだった。きみの臓器を機械化したのもそれゆえだ。探知機を内部に仕込んでおくことで、ゲノ族の居どころを突き止められる。ゲノ族もろとも空爆すれば、いちいち手間をかけなくても良い。ソルセリアの脅威を取り除くことが、連中の目的だから」

「──それでも良い!」


 それでも良い、とナイアは繰り返す。衝動的に大声を出したのが恥ずかしくて、ナイアはついうつむいた。しかしすぐに顔を上げ、構わないんだ、と続ける。


「オレは誰かの役に立ちたいんだ。その方法がどのようなものであれ、オレがその一助となるのならなんだって──」

「──いい加減にして!」


 二の腕がかすかに痛む。見れば、フロレンティナがこちらにすがり付いていた。


「ねえ、どうしてそこまでしようとするの? あなた、死んでしまうのよ? あるかどうかもわからないソルセリアへの報復のために、何故あなたが死ななければならないの? あなたは何も悪いことなんてしていないじゃない。もしあなたが悪いことを……罪を犯していたって、こんな目に遭う必要なんてないはずよ。体を切り刻まれて、髪の毛の色も、肌の色も、目の色まで変えられて、記憶まで弄られてしまうなんて──あなたが一体何をしたというの? もうあんまりよ、ここでおしまいにすべきよ。エヴリカ、あなたは幸せになって良いの。ソルセリアの役に立てなくたって、私はあなたがいればそれだけで良いのよ……!」

「……ありがとう、母さん」


 目を伏せ、ナイアは微笑む。視界が霞み、喉が震えた。

 フロレンティナは、きっと本気で自分を止めようとしてくれている。どういった経緯でアルコアが彼女のことを知ったのかはわからないが──こうして、再び会うことができて良かった。


「でも、オレはやる」


 減速器ブレーキが地を擦る。その音にフロレンティナがおののいた隙を見計らい、ナイアは彼女の拘束を逃れた。

 待て、とアルコアが手を伸ばす。無論、彼の追撃も予測済みだ。済んでのところで開かれた掌を回避すると、駆けつけた軍用車の前まで逃げる。


「……まさか君たちが繋がっているとはね。俺たちに隠し事をしているのは、薄々勘付いていたけれど──一体どういうつもりだい、アルコア」


 軍用車から降りてきた、同じ顔のヒューマノイドたち──その中心に立つセイリオスが、ナイアを守るように前へと出る。これは有事として認識されているのか、彼は塩湖で会った時と同じソルセリア国軍の軍服を着用していた。

 名を呼ばれたアルコアはというと、やはり険しい顔で同位体を睨み付けている。セイリオスの他にも多数のヒューマノイドが同様に対峙しているが、眼鏡の奥の瞳が見据えるのはセイリオスだけだ。他の同位体には一瞥もくれてやらない。


「どうもこうも、単純なことだ。当機はおまえの計画を認めない。たった一人の人間が犠牲になることで均衡を保つ国家など馬鹿げている」

「やれやれ、まさかヒューマノイドにも反抗期があるとはね。五年前から様子がおかしいのは察していたけど、ここまで無鉄砲で向こう見ずだとは思いもしなかったよ。君に今回の計画を記録しなかったことが気に入らないのかい?」

「いや、当機がおまえの立場ならば、きっと同じようにし済ませていただろう。記録媒体に一度でも保存しておけば、その情報はいつどこで漏れるかわからない。混血の子供を生贄にしてソルセリアを守るために先住民を虐殺する、などと知れようものなら、国民……いや各国からの非難は避けられないからな。エヴリカの真実は危険性の少ないヒューマノイドと、この計画を立案した者たちしか知り得ないだろう」

「当たりだよ。不具合が生じても同位体だから、共有から阻害していても考えることはいっしょだね」

「尤も、当機は生贄などという手段は使わないがな」


 ふんとアルコアが鼻を鳴らすと、セイリオスの片眉が跳ね上がった。冷静さを保とうとはしているようだが、今の発言に対する不満は我慢しきれなかったようだ。

 ずるり、と電線を引きずりながらアルコアは続ける。


「当機に記録を残さずとも、研究所や各施設、軍備の利用履歴は残る。当機が違和感を抱いたのも、研究所ラボ利用状況ログを確認したのが契機だった。そこからエヴリカ・エスカランテの行方不明に繋げるまで、それなりの時間を有したが……フロレンティナに行き着けば、推測するのは容易かった。事件発生件数が多いとはいえ、エスカランテ家の所在地は比較的治安が良く誘拐事件も発生していない住宅地だ。目撃証言がないどころか、捜索活動がほとんど民間事業者で行われているのも不可解だった。やるのならば、もう一芝居打つのだったな」

「何にせよ、結果は変わらないよ。彼女はルクィムに行く。いずれ彼女がヒューマノイドと接触した時、それとなく場所を伝えるよう遠隔操作しておくつもりだったんだけど……その前に君が教えちゃったからね。まあ、差し支えはなかったけど」

「当機を緊急停止させたのもおまえだな、セイリオス。当機とナイアの接触を長引かせるのは本意じゃなかったのだろう。そんなにゲノ族の報復が怖いか?」

「怖いさ。過去の記録が実証していることだからね」


 君は根も葉もない迷信だと思っているようだけど、とセイリオスは前置きする。


「ソルセリアは開拓以後、様々な天災に見舞われてきた。火山噴火、山火事、嵐、竜巻、豪雨、旱魃、冷夏……これらはゲノ族の儀式が行われた時期と一致する。彼らが書き残した儀式の記録が、先の戦争が発生した際に流出したようでね。各災害の時期と示し合わせたら、偶然とは思えない確率で一致したんだ」

「……故に呪術が有効である、と?」

「たとえただの偶然だったとしても、ソルセリアの危機を誘発するおそれがあるのなら取り除かなければならない。ソルセリアの賑わいを、発展を、国民の営みを守り、これを恒久のものとする。それがアピン型ヒューマノイド──俺たちの責務だ。ソルセリアの建国に尽力した勇士、メテオライト・プリーアディーズの分枝系クローンである、俺たちの使命だ」


 そこまで言い切ると、セイリオスは一度だけナイアへと振り返った。先程までの神妙な表情を消し、笑顔で告げる。


「ナイア。記憶の復元及び再取得は予想外だったけれど、君の決意は変わらないようだね。俺たちは君の意思に敬意を表する──さ、邪魔が入らないうちに乗るんだ。君のお母さんは傷付けない。ソルセリアが責任を持って保護する」

「……一応聞くけど、アルコアは」

「残念だけど、アルコアは廃棄しなければならない。彼は研究所を爆破した挙げ句、俺たちの計画を阻止しようと妨害行為に出た。これは決して許せないことだ。彼はソルセリアの脅威に値する」

「そうか。仕方のないことだ」


 共に旅をしたアルコアが廃棄されるのは悲しかったが、ソルセリアがそう決めたのならばナイアに逆らう余地はない。首肯し、傍にいたヒューマノイドから促されるままに軍用車へと向かう。


「エヴリカ! 待って、行っては駄目!」


 フロレンティナの悲鳴が頬に刺さる。すぐに後ろを向いていて良かった、と誰にでもなく思った。

 優しい母。草花の好きな母。寝物語を聞かせてくれた母。たった一人で子を育て、その苦労をこちらに見せずにいた母。

 良い子で待っているのよ、と留守番する自分によく言ってくれたことを思い出す。彼女にとって『良い子』になれたかはわからないけれど、それでもせめて総括する人生では良い子と言われる存在でありたい。


「さようなら、母さん」


 そっと囁き、ナイアは軍用車に乗り込む。フロレンティナの声が遠ざかると共に銃声が響いた。その後もかすかに母の声は聞こえていたから、彼女が撃たれた訳ではないだろう。そうであって欲しいと思いながら、ナイアは発進する軍用車の揺れに身を任せた。

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