第20話 甘くない

 エドワルゴはソルセリア南部において最大の都市と謳われる。日が沈みきった現在も各所でネオンの明かりが煌々と輝き、眠ることを知らないかのような活気が息づいている。

 人混みの中を、先導役であるターダスとポポカはすいすいと進んでいく。二人がいなければ、新参者であるナイアとヘスペリオスは何度人とぶつかっていたか知れない。

 ちなみにイェレはというと、セイリオスが手配してくれたホテルにて睡眠をとっている。ターダスからお前は寝てろ、と叱責され、言い返すことができなかったのだ。先程は言い争っていたが、基本的にターダスには頭が上がらないようだった。


「ターダスの坊っちゃん、だったか? お前の格好にケチをつけるつもりはないが……その服ってお前の趣味か? それとも、俺の知らん間にイェルニアの流行りが変わってたとか?」


 珍しく前髪を上げたヘスペリオスが、眉間に皺を寄せながら問いかける。難色を示している──というよりかは、ただただ困惑しきっているようだった。


「これはうちの趣味と、あとは偽装工作だねー。ほら、さっきの秘密警察みたいにアルソニアン共和国の奴と鉢合わせしたら、指名手配されてる身としてはやべーっしょ? だから可愛い格好カッコをしてるのさ。似合うんで無問題ってことで良くね?」

「……ああ、そうだな」

「こら、露骨に目を逸らすなー! これだからおじさんは……」

「おじさん⁉️」


 これまで付き合ってきた中で一番の反応を見せたヘスペリオスだが、ナイアとしても彼の気持ちはわからなくもない。

 私服に着替えたターダスとポポカ。ポポカは何故かスーツを身に付けていたがまだ許容範囲である。

 ターダスは黒を基調にした服でまとめ、黒のキャミソールに革のジャケット、光沢のある素材でできたホットパンツに薄手のニーハイソックス、編み上げサイハイブーツといった出で立ちだった。スカートを履いている訳ではないが、中性的な見た目と相まって性別が迷子だ。声の調子からして、生物学的には男性なのだろうが──色々とややこしそうなのでナイアは考えるのをやめた。もし何か言うよう求められたら前髪を下ろしているので印象が違うな、くらいの感想にとどめておこう。


「ええと……ポポカはそのブーツ、ずっと履いているんだな。随分と重厚な意匠だが、特注なのか?」


 おじさん呼ばわりされたヘスペリオスは余程混乱しているのか、煙草を逆に咥えていた。さすがにいたたまれない気持ちになり、ナイアは一人軽快な足取りのポポカへと話しかけることにする。

 ポポカは初対面の時から艶やかな黒と青で彩られたブーツ──というかほぼ鎧に近い履き物を着用していた。スカートで隠れてはいるが、恐らく太腿まで覆う長さになるだろう。くたびれたスニーカーを履き潰しているナイアからしてみれば、もっと着脱のしやすそうな靴がある中でこれを選ぶ理由が知りたかった。

 問いかけられたポポカはというと、すぐににこりと笑みを返してきた。そのまま底抜けに明るい声で答える。


「ブーツじゃありませんよ! これは義足です」

「……え」

「いやあ、ちょっと前に襲撃に遭って、両足とも吹っ飛んでしまって! このままおしまいかなーって思ってたんですけど、ソルセリアが新たな代替医療に着手するための被検体が欲しいとのことで、幸運にも脚を手に入れたのです。これのおかげで、わたしは以前よりも速く走ったり、軽い力でなんでも蹴破れるようになりました。良いことずくめです!」

「襲撃、って……そんな、笑い話じゃないだろう」

「あっ、ナイアさんはソルセリア出身だから実感湧きませんか? プルマ=カクトゥシアでは割とよくあることなんですよ。狙われるのは主に公共施設で、反エレニを掲げる先住民系の人たちが爆破だったり無差別殺戮だったりをするんです。わたしの場合は学校にいた時のことで、気付いたら校舎が吹き飛んでました! わたし、一応先住民の血を引いてはいるんですけど、反エレニの人たちって中の人を見分けるとかしないで事を実行しちゃうんですよねえ。たまたま近くにソルセリアからやって来たお医者さんたちがいて、わたしは義足を手に入れたという訳です!」


 受け答えこそしてくれるものの、ポポカの顔から笑顔は消えない。楽しかった思い出でも語るように、自らの傷を他人事じみた素振りで説明し続ける。

 話が通じないとはこういうことを言うのだろうか。絶句するナイアは、相槌を打つことさえ忘却した。

 ポポカに怒りはないのか。体の一部を奪われたことに対する恨みは。文字通り身を奪われる痛みを経験して、何も思わなかったのか。エレニと同じ学校に通っていたというだけの理由で自分自身を損なったのに、体よく実験台にされただけかもしれないのに、どうしてへらへらと笑っていられるのか。


「──女」


 ずるり、と内側から侵食される感覚。久しぶりだが、来て欲しくはなかった。

 ポポカの青い瞳が、丸く見開かれる。彼女が口を開く前に、現身は言葉を連ねていた。


「お前からは煙のにおいがする火山にまつわるものか血のにおいはしない血のにおいはしない血のにおいはしないナイアの正しきとは異を行くものよお前は女であり受容し難きものだが近しささえ覚えるお前は果たして何者か」

「はい、そうなんです! わたしの地元は火山の麓で、火山そのものを御神体としているんですよー。もしかして生贄に興味あります? だとしたら血のにおいがしないのは皆火口に飛び込んじゃうからですね! 火山の奥深くには、死者の集う安らかな世界があるって言われてるんです。だから、生贄の皆さんは神に己を捧げると共に安らぎを得るという訳です! あ、それとわたしの名前はポポカです! あなたって多分ナイアさんであってナイアさんじゃないですよね? もしもうわかりきってたら流してください!」

「ポポカポポカポポカポポカポポカ覚えたぞ火山の子血を流さず身を溶かすだけの変わり者お前はルクィムの南から来たな」

「ルクィムがどこかはわかりませんけど、たしかに南からは来ましたねー。ソルセリアの人ってエドワルゴは暑い地域みたいに認識してるっぽいですけど、わたしとしては結構快適だと思います。プルマ=カクトゥシアはとにかく湿気が多いしめちゃくちゃ雨降るし一年に何回も暴風雨だの竜巻だのが起こるんですよ! じめじめしてないだけでだいぶ違いますね! まあわたしは雨の日も好きですが!」

「ポポち、ポポち。会話が楽しいのはわかるけど、立ち止まって話し込んでたら普通に邪魔だよ。歩きながら話さね?」

「わかりました! どうやらご迷惑になっていたようですね。ポポカは反省します!」

「いつでも元気なんだな、お嬢さんは」

「それがポポちの取り柄だかんねー」


 しばらく立ち話をしていた二人は、ターダスに促されて再び歩き出した。女神の現身も、今回は特に反抗することなく素直に従う。


「ナイアは命令されるべき存在ではないしかし愛い少年が言うのなら別だ特別に見逃してやるお前は我が生贄に相応しいナイアは白き肌でも厭わず食らおう」

「へー、好き嫌いしないんだ、偉いじゃん。でもうちはまだやることあるし、他所の神様に食べさせたとあっては地元の豊穣神にバチクソ怒られそうなんで、やるならうちんとこの神様と殴り合って勝ってからにしな~」

「? ターダスさんの地元って、『大いなる神』一強じゃないんですか?」


 旧き女神を相手にしても、エドワルゴの若者二人は動じない。あーそれね、とターダスは平然とした態度で答える。


「そっちのおじさんなら知ってるかもしれねーけど、イェルニアって『大いなる神』を受容するのが結構遅かったみたいで、それがきっかけで周りの国とドンパチやってたりするんだよね。それまでは自然崇拝やそれに伴った多神教が主流だったんだけど、その期間が長かったからか『大いなる神』の信仰が根差した後も影響力強くってさ。『大いなる神』の根底に、今までの多神教があるって感じ」

「へえ、それは珍しいというか、独特ですね! プルマ=カクトゥシアは、従来の文明がぶち壊されてできたようなものですから、うちの地元みたいなのは異端なんですよ。隠れてこそこそやってるからこそ成り立ってますけど、未だに生贄やってるなんて御上に知られたら、地元の村ごと消されちゃいますね! おじさんのところも現在進行形で生贄やってるんですか?」

「お兄さんな。さすがにイェルニアではもうやってねえだろ。供物を求めてた豊穣神──キトゥリノスは戦神でもあったから、今でも願掛けなんかの時にゃ祈られているがね」

「農夫ごときが戦を司るのかそれは可笑しなことだ戦をやるからには生粋の戦士を先頭に立たせるが常であろうが」

「女神さんとこではそうだったのかもしれないがね、こっちは戦と農作ってのは紙一重だったのさ。収穫の時期になれば、どこの軍勢も一旦戦いをやめる。駆り出されてたのは各地から徴兵された若い男たちだったからな。いつまでも男手を奪われたままじゃ、民の不満は募るばかりだ。何でも有力者の思い通りって程、イェルニアの民は甘くない」

「逆らう民がいれば屠るだけのことナイアは反逆など甘受しない生も死もナイアが全て支配するナイアは残滓であり記憶であり全てである」

「なるほどねー、そっちではお前が全部任されてたのか。働きすぎでぶっ倒れないか心配になるね。イェルニアでは、最高神に値する存在は三柱いてさ。生と幸運を司るセルニアス、死と災いを司るアトルス、そしてさっきも出した豊穣と戦争を司るキトゥリノス。この三柱の他にも色々な神はいるけど、現代でも特に影響が強いのはこの最高神たちだね」


 三本指を立てながら、ターダスはつらつらと説明する。


「セルニアスは『大いなる神』と同一視されてるけど、アトルスに至ってはその性質から悪魔認定されちゃってさー。今でも子供の躾なんかによく使われてるよ。『宵に一人で出歩いていたら、アトルスに魂を食われるぞ』って感じでね」

「魂を食われる? 回収するのではなく?」

「イェルニアの多神教において、あの世ってのは存在しないんだ。死とは即ち、人の魂が食べられるということ。食べ頃になった人間の命こそ、アトルスの大好物なんだ。だからアトルスに目を付けられたらほぼ終わり。アトルスは様々に姿を変えて近付いてきて、油断させたところでパクッといっちまう。特に人の顔が判別しにくい夕暮れ時に現れるっていうから、親は子供を一人歩きさせたがらないんだよ」

「ま、率直に言うなら子供に言うことを聞かせるための方便だよ。深刻に考える必要はない」

「うちは散々脅されたけどねー。もしかしておじさんのとこって放任主義?」

「さて、どうだかね」


 それよりも生贄が好きなのはキトゥリノスじゃないか、とヘスペリオスが話を継ぐ。いつの間にか話題は生贄が中心になっているらしい。


「あいつは生贄の良し悪しと戦の結果が収穫に影響してくるからな。惨敗した時なんて、落ち込んで畑以外の変なところに麦生やすんだ。威厳もクソもないだろ?」

「クソとか言ってやんなし。うちは生贄やってた頃のキトゥリノス知らないからさ、とにかく豊作にしてくれるのならそれだけ好きになっちゃうなー。一説には顔も良いらしいじゃん?」

「顔だけな。麦と揃いの金色の長い髪を靡かせる美しい男、だっけ? 見た目が良けりゃなんでもアリって訳じゃねえだろうに。あいつ、見てくれだけは神々しいが、気分が乗ったってだけで人の祭りに割り込むし、そこで気に入った人間を見かけたら心臓タマ取って行っちまうし、酔い潰れたら酒くっせえ麦生やすし、生死の周期サイクルガン無視するし、とにかくろくな神じゃねえよ。あんま調子乗らせるなよ」

「そんなことうちらに言われても……ってか、ナイアってばさっきから静かじゃん。もしかして飽きてる?」


 くるりとターダスが振り返った先に、彼の探していた存在はいない。ナイアの姿は忽然と消えていた。


「あ? おいおい、姫さんてばこんな人しかいねえ場所ではぐれやがったのか?」


 この中で最も上背の高いヘスペリオスが背伸びして周囲を見回したが、目的の人物は見付からなかったようだ。肩を竦め、やれやれとでも言いたげな顔をして一同に向き直る。


「駄目だ、俺の視界が届く範囲にはいねえ」

「ええーっ、どーすんだよ⁉️ あの子明らかに正気じゃなかったじゃん! そのまま迷子になるとか、嫌な予感しかしねーんだけど!」

「まあまあターダスさん、落ち着いてください。人間誰しも一人になりたい時ってありますよ。そのうち戻ってくるんじゃないですか? セイリオスさんのご助力をいただければ多分すぐ見付かりますよ!」

「毎度思うけどポポちは危機感が薄すぎるっつーの! イェレが聞いたら無理してでも探しに行きそうだし、あいつが起きる前になんとかしないと……! あーもう、迷子防止用のハーネスとか付けといた方が良かったのかな⁉️」

「とりあえず、このまま観光……って訳にはいかないだろうな。口惜しいが、まずは姫さんを回収するとしようか」


 ターダスは天を仰ぎ、ヘスペリオスは億劫そうに髪の毛をかき上げる。ただ一人けろっとした顔のポポカだけが、普段通りの笑顔を浮かべていた。

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