第19話 爆発

 軍用車で高速道路ハイウェイを飛ばせば、エドワルゴは目と鼻の先だった。とはいえ窓はついていないので、景色を楽しむことはできなかったが──車酔いしなかっただけましだろう。疲労の方が勝ったからか、ナイアが目を覚ましたのは車両がエドワルゴ入りした後のことだった。


「ナイア! 良かった、無事だったんだね……!」


 ソルセリア国軍エドワルゴ支部にて、イェレとへスペリオスは保護されていた。待合室にナイアが足を踏み入れるや否や、イェレが駆け寄ってきて両肩をがしりと掴まれた。


「大丈夫? 怪我とかしてない? 乱暴はされなかった? セイリオスさんからの通信できみの安否は聞いていたけど、ずっと気が気でなくって……」

「オレなら平気だ、イェレ。強いて言うなら、肩が痛い」

「ああっ、もしかして凝ってる? 変な体勢で長時間拘束されてたのかな。あんまり酷いなら整体に……」

「おいおいイェレよ、肝心な時に鈍感でどうするんだ? 姫さんはお前の力が強すぎるって言ってるんだよ」


 へスペリオスが指摘してくれなければ、ナイアの肩にはくっきりと痕がついていたかもしれない。それだけイェレは狼狽していたし、ナイアの身を案じていたのだろう。支部の待遇が良かったのか彼の身なりこそ清潔だったが、瞼の下には隠しきれない隈が浮かんでいる。普段から寝不足なイェレだが、此度は一睡もしていないようだ。

 心配をかけてしまったのは事実なので、すっかりやつれたイェレの姿を前にすると申し訳ない気持ちになってくる。しかし謝罪すればそのさらに上を行く謝罪で返してくるのがイェレという男なので、ここはぐっと堪えて応じる。


「とにかく……無事に合流できて良かった。アルコアは──」

「ああ、あいつなら整備メンテナンスが必要だとかで国立の研究所ラボに連れて行かれたぜ。あいつ、なんでか知らんが緊急停止しちまったんだろ? 人そっくりだがあいつはヒューマノイドとやらなんだし、不具合があれば直すのが当たり前なんだろ。そんなに人と変わらないんだな、ヒューマノイドってやつも」


 離れたイェレを椅子に追いやりつつ、へスペリオスが説明する。他人事めいた口振りだが、本当に他人事なので何とも言えない。

 何はともあれ、アルコアも無事らしいということがわかり安心した。秘密警察の男によっていつ破壊されるかわからない状況はナイアに絶えず切迫感を与え続けていたので、肩の荷が下りた気分である。

 こうして無事に事が済んだのは、紛れもなくソルセリア国軍のおかげだ。通報してくれたであろうイェレとへスペリオス、そして現場に駆け付けた人々には改めて感謝しなくてはならない。


「おーっす、様子見に来たよん。ど、お連れさんとは合流できたー?」


 そう考えていた矢先に待合室の扉が開き、ターダスとポポカが顔を覗かせた。二人とも軍用車から降りてそのままやって来たのか、服装は初対面の時と変わらない。


「ああ、おかげさまでな。助けてくれて本当にありがとう。セイリオスは──」

「セイリオスさんなら、報告や事後処理があるとかでしばらくかかるそうですよ。とにもかくにも、皆さん無事に再会できたようで何よりです! お役に立てたようでポポカも嬉しいです、るんるん」

「ポポちは任務にやりがい感じる系だからねー。ま、きちんとお礼が言えるのは良いことじゃんね。ナイアのお母さんはちゃんとした教育を施してくれ、」


 くれたんだろうね、とでも続けたかったのだろうが、ターダスは皆まで言えなかった。その前にイェレが立ち上がり、眼前まで歩み寄っていたからだ。

 虚ろな眼差しで、イェレはターダスを見つめる。乾いた唇が震え、目の端がたわんだ。


「──ユスティーナ?」


 そして紡がれたのは、ナイアには聞き馴染みのない名前。

 イェレはおろおろと手を伸ばそうとして、結局ターダスに触れることはなく両手を宙空でさ迷わせた。ターダスの顔を凝視したまま、彼はなんで、と掠れた声で呟く。


「なんで、あなたがここに……おれは、おれはあなたに、会う資格なんて……」

「──いや、しっかりしろー!」


 ていやっ、とかけ声ひとつ、ターダスがイェレの額を指で弾く。どれだけの力が込められていたのかはわからないが、イェレはぐらりとよろめいて数歩後退った。


「なーに寝ぼけたこと言ってんのさ、イェレ! ユスティーナはうちのばあちゃんのばあちゃん! 俺はターダス、タデーウシャス・ベンヌ・ロムヴァシウス! お前とも会ったことあるはずなんですけど!」


 腰に両手を当て、ターダスは額を押さえているイェレにびしっと指を突き付けた。近くで見ると童顔なこともあってか、ターダスの表情は酷く幼く見える。

 イェレはしばらく混乱しているようだったが、やがて正気を取り戻したのだろう。目を白黒とさせながら、どうにか顔を上げてターダスを見た。


「た──ターダス。まさか、きみがソルセリアにいるなんて……」

「生憎、アルソニアン共和国から指名手配されちゃったからね。亡命って形でソルセリアまで逃げてきた訳。イェレ、お前も色々忙しくて俺のことなんて考えられない状況だったんだろうけど……百年近く前の人と間違えるとかあり得ないし」

「ご、ごめん……」

「別に良いよ、うちは心が広いかんね。それより、こっちからも聞きたいことがあるんだけど」


 すっかりたじたじになっているイェレに、ターダスはずいと詰め寄る。


「お前さ、何も言わずにイェルニアから出てったの、どういうつもりなんだよ。別に出て行くなとは言わねえけど、せめて誰かに何か言伝とかしとけよ。置き手紙とか知らねえのかよ。俺含めたイェルニアの人間がどれだけ心配したか、考えたことあんのか?」

「それは……たしかに、悪いことをしたとは思ってるよ。けど、今更おれなんかにすがってどうなるっていうんだ? むしろ不幸になるだけなんじゃないのか。アルソニアン共和国に、イェレは不要だ」

「不要な訳ねえだろ!」


 がん、と床が強く踏み付けられる。ナイアは思わず身を震わせ、壁に背中をつけた。

 怒鳴りつけたターダスは、苦しげに歯を食い縛りながら、諦念の混じった顔をしたイェレを睨み付けていた。握り締められた拳は未だ震えているが、振り上げられることはない。

 不要な訳ねえだろ、とターダスは譫言のように繰り返す。先程よりも静かで不安定な、消え入るような声だった。


「お前は、自分のこと好きじゃないかもしれないけどさあ……俺たちはお前を愛してる。愛さずにはいられない。己の定義であり、自己を確立させる支柱のひとつであり、替えのきかない故郷であるお前を、要らないなんて思えるもんか」

「愛ですか! わたしにははっきりと説明できないもののひとつですね!」

「あのな、さすがに俺でもわかるぜ、野暮だって。ちょっと静かにしときなお嬢さん」

「もごもご、飴ちゃん美味しいす」


 途中で横槍を入れてきたポポカは、純粋な感想として述べたのだろうか。悪気がないのだとしても間が悪すぎる。

 さすがにいつも冷やかしてくるへスペリオスでさえまずいと思ったのか、ポポカの口にロリポップが突っ込まれた。彼女は甘党らしく、美味そうに頬を弛めながら舐めている──当分は口を挟まないでいてくれそうだ。


「……皆に心配かけたことは、おれもよくわかってる」


 ターダスから目を逸らしたまま、イェレは沈んだ声色で言い返す。言い返す、という程の覇気はなかったが。


「でも、それ以上に、おれは皆が苦しむ姿を見たくない。ずっと、ずっと……ここ最近は、耐えてばかりじゃないか。男も女も、老いも若いも、皆苦しみながら、それでもって足掻いてる。そんなの、おれはもう見たくない。消費されて、踏み付けられて、見捨てられていく人たちなんて、少ない方が良いに決まってる」

「……そりゃそうだろうよ。そういう理不尽を打破するために戦ってる奴がいる。より良い明日を求めて試行錯誤する奴もいる。そこにお前がいなきゃ意味ねえだろうが」

「そういうのが、おれにはもう無理なんだよ……」


 ぐしゃりと髪の毛を片手で崩しながら、イェレはうつむく。陰のかかった目元がどのような色を宿しているか、ナイアには見えなかった。


「おれじゃ無理だ。おれなんかが、イェルニアを幸せにできるはずがない。ずっと、祖国の希望に相応しいことを為そうとやってきたけど、おれなんかじゃ程度が知れていた。結局のところ、数多の血が流れ、民は疲弊し、そして彼らの故郷は奪われた。今も尚、イェルニアは消されようとしてる。……イェルニアがある限り、人は苦しみ続ける」

「それは違う、イェルニアがあるからこそ俺らは立ち上がれるんだよ。お前は何もしなくったって良い、ただ存在してくれるだけで良いのに、なんでそんな消えるみたいな真似をしたのかって聞いてるんじゃん」

「消えられるなら消えたいよ、おれは。おれよりもずっと尊くて慈しむべき命が失われるのなら、おれがいなくなる方がずっとましだ。期待してくれていた皆には悪いけど、おれなんて、生まれてこなければ──」

「ちょっと良いかい? 大変なことが起こったんだ」


 大変深刻な雰囲気が流れる中で、突如待合室の扉が開く。

 誰もが顔を上げ、出入口の方を見た。若干気まずい空気が流れる中、新たな入室者はきょとんとした顔で一同を見渡す。


「あれ、何か大事な話でもしてたのかい? だったら手短に済ますけど」

「……いや、大丈夫です、セイリオスさん。少し世間話してただけですから」

「そうかい、なら良いんだ。あまり時間は取らせないから、心配はご無用だぞ」


 明らかに世間話をしていた空気感ではないのに、イェレの見え見えな嘘はあっさりと受け入れられた。セイリオスのやり過ごす能力が高いだけなのか、単に自分本位なだけなのかはわからないが──この際どちらでも良い。居心地の悪さを緩和してくれるならそれだけでありがたい。

 これなんだけど、と言いながらセイリオスは手にしていた遠隔表示装置モニターを傍にあった机の上に置く。本来、持ち歩くなら両手に収まる大きさの表示装置が一般的なのだが──セイリオスが持ってきたのは胴体程の大きさはある長方形の大型装置だった。こういうのって管制室に置いておくものでは? と思わないでもなかったが、もしかしたらナイアの偏見かもしれない。持ち運ぶ大きさにしては規格外なのは否めないが、何事も否定から入るのは良くない──と思う。


「これを見てくれ。皆には何が見える?」


 一同の視線を集める表示装置は、つい先程送られてきた動画を再生しているようだった。砂嵐と共に輪郭が浮き上がり、それがおおよそ地上十階はあるだろう建設物であることがわかる。

 ──と同時に、その一角が爆発した。

 立ち上る噴煙。割れて光りながら落ちていくガラス。音までは記録されていないようだが、想像に難くはなかった。

 唖然とするナイアの肩が、ぽんと叩かれる。見れば、セイリオスが太めの眉を下げながら背後に立っていた。


「結論から言わせてもらうとね、アルコアが脱走した。しかも研究所を爆破して行方を眩ませたんだ」

「なっ──に、やってるんだあいつ……!」


 一体誰がこんなことを、と思っていた矢先に知り合いの名前が出たものだから、ナイアは思わず頭を抱えた。セイリオスの言葉を全面的に信じるかと言われれば必ずしもそうはいかないが、相手は国家のヒューマノイドである上にアルコアが研究所にいることに対しても筋が通っている。何を考えているかわからないアルコアが爆破及び脱走しないとも限らない。


「それで……おれたちはどうなるんです? こっちの身柄は……?」


 何にせよ、知り合いがやらかしたという事実は変わらない。イェレもそれを危惧したのか、恐る恐るといった様子でセイリオスを見た。

 そのセイリオスはというと、ぱちくりと瞬きした後、笑顔で親指を上に立てた。眩しい。


「安心してくれ、君たちが関与してないってことは俺たちもわかっているからね! 身柄を拘束するような真似はしないとも。君たちはエドワルゴでゆっくり羽を休めてくれて構わないよ」


 ただ、とセイリオスは付け加える。


「現在行方を眩ませているアルコアが、君たちに接触する可能性は高い。もしも彼を見付けたら、俺や周囲の人に知らせてくれ。それから、エドワルゴでも児童の誘拐事件は度々発生してる。君たちが犯人だとは思ってないけど、住人の中には勘違いをしている人も多い。彼らに何かされたら、遠慮なく申し出てくれ。何も起こらないに越したことはないけどね」

「わかった。気を付ける」

「ま、うちとポポちもいるんだし? 案内なら任せちゃってよ! せっかくエドワルゴまで来たからには、快適に過ごしてもらわんとね!」


 すっかりもとの調子に戻ったターダスが、馴れ馴れしく肩を組んでくる。何かと身体的接触の多い人だ。

 アルコアの件は心配だが、ここは専門家に任せるのが得策だろう。これ以上やらかしてはくれるなよ、と内心で祈りつつ、ナイアはこくりとうなずいた。

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