第18話 占い
「お断りするよ」
先のポポカの問いかけに対し、男は間断なく返答した。投げて寄越すかのような、素っ気ない口振りだった。
彼がポポカの申し出を拒否することは目に見えていた。今までの言動や行動方針を見る限り、彼はぽっと出の見知らぬ相手に罪を咎められたところで反省するような人物ではない。むしろ真っ向から認め、相手を拒むような男だ。
男の答えを予想していたのか否か──それはポポカ以外に与り知らぬことだが、何にせよ拒絶されたことには変わりない。ポポカはふうむ、と顎に手を添えながら思案する様子を見せた。
「困りましたね、それではこちらの目的が達成されません。ここでナイアさんを引き渡してくださったのなら、あなたはお咎めなしで本国に帰還いただく手筈なのですが」
「言ったでしょ? ぼくはこの子を渡す気なんてない。この子は大事な交渉材料だからね。見ず知らずのきみが首を突っ込んでいい訳ないでしょう」
「なるほど、そうおっしゃるのならこちらもやり方を変えなくてはなりませんね! はいかいいえでお答えください!」
男からは傍にいるナイアですら寒気を覚える程の殺気が醸し出されているのに、ポポカには臆した様子がない。平然と真正面から受け止めるばかりか、新たな問いを投げ掛けようとしている。
「アルソニアン共和国の秘密警察さん。あなたは、ナイアさんを餌にイェルニアの男を、」
ポポカが最後まで話し終える前に、男は動いていた。
ナイアを押さえていない右腕には、いつの間にか
男は一切の躊躇いを瞳に映すことなく、銃口をポポカへと向ける。長い指が引き金にかかり、眼前の女を撃ち抜かんと力がこもる。
「──⁉」
だが、それよりも前に別の発砲音が響いていた。弾けた先は、男のこめかみ。
ぐらりと男の体勢が揺らぐ。その隙を見逃すナイアではない。力の弛んだ腕を振り払い、男の拘束から逃れることに成功した。
だが、相手は銃撃されただけではくたばらない改造人間。こめかみから琥珀色の粘液を流しつつ、左手はナイアへと伸び、そして右手で引き金を引いた。
しかし、放たれた弾丸はひとつではない。硬質なものがぶつかり合う音と共に、突撃小銃が宙へと舞い上がる。そしてナイアに向けて伸ばされた手首にも風穴が空いていた。
「ナイアさん、こっちへ!」
ポポカが声を張り上げる。崩れ落ちそうになる両足に力を入れて、ナイアは彼女のもとに向かって走る。
「ナイア! ぼくたちを──ヒューマノイドを捨てるんだね⁉」
背後から、鬼気迫った男の叫びが聞こえる。未だジープに取り残されているアルコアのことを思い、振り返りたい気持ちが飛来しなかったと言えば嘘になる──が、今はせっかくの好機を逃したくない。
ポポカはただこちらの到来を待ち続けるだけの人物ではなかった。両手を伸ばしながら駆け寄ると、ナイアの腰をがしりと掴む。
「緊急避難です! ちょっとふわっとしますけど、我慢してくださいね!」
「えっ? えっ?」
「そおい‼」
何が何だかわからず当惑するナイアを、ポポカは渾身の力で投げた。
宙空を舞うナイア。あらがえない浮遊感に思わず目を瞑ると、何やら網のようなものに全身を包まれる感触があった。少なくとも、打ち身や挫滅による痛みはない。
「あーあ、ポポちってば、こんな時まで力業なんだから。ま、そーいうところもポポちらしいと言えばらしいんだけど」
エンジン音と共に頭上から降ってくる声。ポポちというのは、もしやポポカのことだろうか。
恐々と目を開けてみると、自分は移動する物体──恐らく大型車両だろう──に取り付けられた救命用ネットに受け止められているのだとわかった。そして、声の主は車両の天板に立っているのだとも。
「よう! 気分はどう? 驚いた? 安心しなって、うちらは正真正銘の味方だぜ!」
こちらに向けて投げ掛けられる声のする方向を見上げると、相手も自分を見下ろしていた。ばさばさと衣服のはためく音がする。
顔を上げた方向にいたのは、一人の若者だった。華奢な体格だが、ナイアよりは背が高い。
何よりナイアを釘付けにしたのは、その目──翡翠を思わせる深緑の双眸。
間違いない。この瞳は、イェレと同じ色をしている。
「お──お前は誰だ⁉️」
相手に聞こえるよう声を張り上げれば、若者はにっと口角を上げた。そして負けじと大声で返してくる。
「うち? うちはねー、タデーウシャス! 気安くターダスって呼んでいーよ!」
「じゃあ、ターダス! お前、どうしてここにいるんだ⁉️」
「それは勿論、お前を助けるためよ! 大丈夫、うちらは怪しい者じゃないし! これね、ソルセリア国軍の軍用車なんだわ!」
「ソルセリア国軍……⁉️」
「そ! とりあえず上がんなよ、お前元気そーだし!」
頭上から伸ばされた手を、ナイアはしっかりと掴む。助けてくれた上に味方を自称する相手だ、ある程度は信用しても良いだろう。
ターダスの力は存外に強かった。そのまま引っ張り上げられ、ナイアは天板の上に立つ。どうやら軍用車の上部はデッキになっているらしく、すぐ傍にハッチが見えた。
ある程度の揺れはあるが、立っていられない程ではない。足裏に力を込めつつ、ナイアは改めてターダスを見る。
「その……助けてくれたことには礼を言いたい。だが、なんというか……お前たちはどこまで事情を知っているんだ?」
「んー、どこまでって言われると答えにくいけど……ま、要するにお前と連れはあっちのデカブツに誘拐されたんでしょ? それで通報が入って、何故か国軍が出るってんでうちも便乗させてもらった訳。ポポちの占いいわく、ここで出たら良いことあるって言ってたかんねー。あ、言っとくけどうちは軍人じゃないんで、お気軽にどーぞって感じ」
「そうだ、アルコア……!」
色々なことが立て続けに起こって忘れかけていたが、ジープにはアルコアが取り残されているのだった。しかもあそこには爆弾まで仕掛けられている。いつ秘密警察が起爆装置を起動するかわからない以上、放置してはおけない。
「助けてくれ! 連れがまだ車に取り残されているんだ。車内には爆弾も仕掛けられてる、早くアルコアを……連れを保護してくれ!」
「わわ、いきなり飛び付いてくんなし! 落ち着けって、車両の有無は通報で把握してる。そっちには別動隊が行ってくれてるよ。今うちらが対処しなきゃなんねーのは、連れの保護でも爆弾処理でもないって」
すがり付いてきたナイアを受け止めつつ、ターダスは鋭く前方を見据える。つられて同じ方向を目にしたナイアは、思わず瞠目した。
「おまえ……どこに逃げたかと思えば、こんなところにいたんだね……」
頭部から琥珀色の粘液を流すだけではなく、左腕と両足が素人目にも折れている状態で、秘密警察の男は軍用車に向かってくる。弾き飛ばされたはずの突撃小銃はもうないが、彼の手には新たな小銃が握られていた。こちらは銃剣としての機能を兼ね備えているらしく、バレル下部から白刃が覗いていた。
「ターダスさん、気を付けてくださーい! 秘密警察さん、どれだけ
そしてその後ろでは、これまた凄まじい速度で追い上げるポポカの姿がある。全力疾走しながらこれだけの大声を張り上げられるとは、彼女の肺活量はどうなっているのだろうか。
ちらりと横顔を覗き見たが、ターダスに狼狽えた様子はない。ふうん、と喉を鳴らし、両手に自動式拳銃を構えた。
「まあそうだろうねー、こいつただの人間じゃねーし。大事なのは、相手の戦意を如何に削ぐかってところだけど──うち、目の敵にされちってるからなあ。難易度たっかいぞー、これは」
「お前──あいつと知り合いなのか?」
「知り合いっつーか、因縁の相手? あいつ一人で何もかも奪った訳じゃねーけど、一応祖国奪われた身なんでね。気合い入れてやりますか!」
お前は落ちないように踏ん張っとけよ、と茶目っ気たっぷりに片目を瞑り、ターダスは秘密警察に両の銃口を向ける。男は憎々しげに頬を歪めてターダスを見上げた。
「おまえみたいなのがいるから、ぼくたちはいつも困ってるんだよ? ソルセリアにいるなら、ソルセリア人になっちゃえばいいのに──諦め悪くてやんなっちゃう」
「それはこっちの台詞だっつーの!
「今イェレは関係ないでしょう!」
二人が発砲したのはほぼ同時だった。お互い弾が飛んでくることはないから、きっと弾丸同士でぶつかって相殺されたのだろう。銃を投擲武器にしかできないナイアには想像もできない技巧だ。
二人は以後も発砲を続ける。こちらに銃弾が飛んでこないところから見るに、互いに撃ち落とし合っているのだろう。相手の隙ができたら、そこに必殺の一打を与える──ターダスと秘密警察の銃撃戦からは、そうした気迫が感じられた。
「あはっ、おまえ、今でもそんな旧式の拳銃使ってるの? そっちではどうだか知らないけど、アルソニアン共和国では威嚇射撃にしか使ってないよ? ちゃんと当たるの、それ?」
「当てるさ、お前と違って物持ちいいし、腕前も違うかんね。そっちこそ古くさい銃剣なんか使って、当てるの諦めた?」
「まさか、効率性を大事にしてるだけだよ。旧い夢にすがってるおまえといっしょにしないでくれる?」
「げえ、変なところで気が合うね。俺も、お前みたいなのと同類って思われんのは超勘弁なんですけど!」
「わはははは、全ての言葉がポポカに刺さります! 心当たりしかない煽り合い、今のところ第三者に一番打撃を与えてるのではー⁉️」
静かに銃撃戦をしている訳ではなく、ナイアの目の前ではこうした舌戦も繰り広げられている。思い当たる節が端々にあったのか、軍用車によじ登ってくるポポカが涙目でやけくそのように笑っていたが今は見ないふりをしておこう。
(それよりも、ターダス──あいつはもしや、イェルニアの出身なのか?)
戦闘に参加できない以上半歩後ろで成り行きを見守るしかできないナイアは、これまでのやり取りを鑑みてそう推測する。アルソニアン共和国に併合された国がイェルニアだけとは限らないが、イェレの名前が出た以上無関係とは言えないだろう。
何故イェレの存在を知っているのか、後でターダスに確かめなくては。そう思っていた矢先のことだった。
「君たち! いつまで終わらない銃撃戦なんて続けてるつもりだい⁉️ せっかく国の軍備が使えるんだから、遠慮なんて水くさいじゃないか!」
明朗な声と共に開くハッチ。反射的に目を向けたナイアが見たのは、堂々と仁王立ちする人影。
「ソルセリアの敵なら、容赦しないぞっ! 我が国の技術力を思い知らせる良い機会だ! 食らえッ、ソルセリア製
「おい待て、お前っ……!」
ナイアが止める間もなく、人影は肩に担いでいた対戦車擲弾発射器を発射する。射出された砲弾は真っ直ぐ秘密警察のもとへと飛んでいき、そして着弾した。
「うっそお……」
朦々と立ち上る砂埃──ならぬ塩煙。一秒たりとも気の抜けない銃撃戦を繰り広げていたターダスは、ただ呆然と立ち尽くすばかり。
一体この乱入者はなんなのだろう。そう思って目線を上げると、鮮烈な藍紫色が飛び込んできた。
「やあ、こんにちは! 君はナイア、だね?」
輝く金髪。精悍な顔立ち。筋肉質な体つき。
それらはナイアのよく見知ったものだ。だが、彼とは初対面──だと、思う。
「さっきの悪者は塩湖の奥深くに落ちていっただろうから、もう安心さ! アルコアもこっちで無事に保護した。君の連れ──イェレとへスペリオス、だったっけ? 彼らもソルセリア国軍が責任を持って預かってる。何も怖がることはないんだよ」
「お前は──ヒューマノイド、か?」
恐る恐る問いかけると、アルコアと同じ顔の造形をした青年は、にかっと快活に歯を見せて笑う。
「そうさ! 俺はセイリオス、現在ガクルックス州の州都であるエドワルゴに駐在しているヒューマノイド。ソルセリアの平和と幸福を守る一員として、君を歓迎しよう!」
大きく無骨な手が差し出される。こちらを焼き焦がしそうな程眩しい笑顔を直視できないまま、ナイアはセイリオスと握手を交わした。
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