第14話 お下がり
一通り腹を満たした後、ナイアは天形によって屋敷の内部へと招き入れられた。ちなみに男性陣は後片付けを手伝わされている。誰が一番たくさんのそうめんにありつけたのかは定かではない。
八十ヶ洲では、屋内で履き物を脱ぐのが常識らしい。靴下のみで室内を歩き回るのはナイアにとって違和感を覚えずにいられないが、郷に入っては郷に従えということで天形に倣っている。
「あまり広くはないが、気楽にして欲しい。客人とはいえ、遠慮するものではなし」
麗らかに言いつつ、天形は奥まった部屋へとナイアを案内した。方角から察するに、最北に位置する部屋だろう。和紙──いわゆる障子である──で仕切られた室内は、ぼんやりとした光しか入らない。
靴下を履いているとはいえ、慣れない畳の感触は避けられない。ナイアは居心地悪そうに足をもぞもぞとさせながら、ごそごそと
「ソルセリアに来てから、こちらの着物も幾らかいただいたのだがな。どうにも体に馴染まなんだ。そなたはわたしとも体格が変わらぬ故、どうか持っていってはくれぬか」
「服をいただけるのはありがたいが、いざという時のために何着か残しておいた方が良いんじゃないか? 何か行事に呼ばれることもあるかもしれない」
「まさか。わたしは一生ここから出られぬ。西方風の服を持っていても、永遠に仕舞われたままであろうよ。それでは服が可哀想だ」
さらりと天形は口にしたが、聞き逃すナイアではなかった。じろりと鋭い視線を向けるが、当の本人は探し物を続けるばかり。
「……一生とは、どういうことだ」
「ん? 言葉通りに受け取れば良い。わたしは軟禁されているのだ」
問い詰めたつもりが、逆に追い詰められるような形になってしまった。軟禁、という物騒な単語に、ナイアは思わず息を飲む。
気付けば、天形がこちらを向いていた。逆光の中、口元だけが弧を描いている。取り出した衣服を手にしたまま、彼は一歩踏み込んだ。
「そう驚かれると、反応に困る。コルネフォロスと同じひゅうまのいどを連れていた故、こちらの事情にはある程度通じているものと思うたが──ああいや、責めているのではないよ。むしろ、そなたが政府の手の者でなくて良かった」
呆然と立ち尽くすナイアの真正面に、天形は立つ。自分とそう変わらない背丈のはずなのに、妙に大きく見えて仕方なかった。
「八十ヶ洲はソルセリアとの出会いによって開かれた。だが、それは互いに納得して結ばれた関係ではなかった。八十ヶ洲には絶え間なくエレニが訪れ、土地という土地を奪い、これまでに目にしたことのないような税金で民の生活を困窮させている。現在の故郷が如何様な状況にあるかはわからなんだが……わたしの記憶にある故郷は、見るに堪えぬ程荒れていた」
「……では何故、お前はソルセリアにいる?」
「うむ、人質だ」
いとも容易く天形は即答した。瞠目するナイアを前に、天形は微笑みを崩さずに語る。お伽話でも語るかのような口調だった。
「今でこそ八十ヶ洲と呼ばねばならぬ状況にあるが、我が故郷はもともと
「……お前はソルセリアを憎んでいるのか? そして、己が経緯をオレに伝えてどうしたい」
「まさか。憎むなど、とうに飽いたところよ。わたしはただ、
天形の腕が伸びる。彼の手にした衣類は、皆ソルセリアでは一般的な──エレニ風の、文明的な意匠のものだ。
「先程も言うたが、わたしはもうこれを着ない。ずっと仕舞い込んでいたくもないのでな、良ければもらってはくれないか」
有無を言わせぬ空気がそこにある。問いかけの形を取っていたとしても、こちらに断る余地はない。受け取らなければと、脳裏に警鐘が響く。
帝なる存在を、ナイアは知らない。王政ならびに帝政は過去の遺物と見なされるのがソルセリアでの常識だし、何よりソルセリアは成立から現在まで君主制をとったことがない。植民地政策への反骨心から生まれた国なのだから、当然と言えば当然だ。
ナイアは一度深呼吸し、差し出された衣服を受け取った。何とも緊張感のあるお下がりだが、生地に触れてみる限り上等なものだ。もらっておいて損はないだろう。
「ふふ、ありがとう、ナイア。布も糸も喜んでいる」
こちらはそこそこ神経を張っているというのに、天形はといえばあくまでも余裕綽々だ。それがなんとなく面白くなくて、ナイアは不機嫌そうに目をすがめる。
「お前は嬉しくないのか」
「勿論、嬉しいとも。だが、何をするにも笑うしかできなくなってしまったから……本当に嬉しくても、他者にはそれが伝わらない。悲しきことだ」
そう言って、天形はまた笑う。ふわりとした、花のこぼれるような笑みで、彼は喜怒哀楽を表現する。
不気味だ、と思わなかった訳ではない。しかし、否定する気にもなれなかった。
笑顔とは一種の威嚇だ。それが感じ取れない程ナイアは鈍感ではないし、何より同じような顔をする男を知っている。
「ああ、そうそう。話しておきたいことがあるのだった」
こちらの険しい顔には目もくれず、天形はぽんと手を打つ。あまりにも呑気な仕草だった。
「そなたの連れ……イェレ、といったか? あれの知り合いを名乗る者が、先日訪れてな。名を耳にした時、ふと思い出したのだ」
「あいつの知り合い……?」
「うむ。背の高い、恐ろしげな風を装った男子であったよ。イェレという者は知らないか、とコルネフォロスに尋ねたそうだ。さすがのコルネフォロスも、相手が一筋縄でないと悟ったのであろう。その時はすぐに追い返して──」
「──そいつはどこへ向かった?」
ゆったりとした口調で話していた天形だが、その言葉は途中で遮られた。
見れば、逆光を背負ったイェレが背後に立っている。いつの間にここまで来たというのだろう。普段浮かぶ人の好さそうな笑みはどこにもなく、かつて秘密警察と対峙した時と同じ顔をしていた。
天形はゆるりと顔を移ろわせ、わからぬ、と頭を振る。
「どこへ向かう、とは口にせなんだ。少なくとも、わたしが盗み聞きした限りでは行き先を告げてはいなかった。コルネフォロス──いや、ソルセリアはわたしを外界から隔てたい故、外に出してはくれぬのだ」
ただ、と天形は言葉尻に含みを持たせる。
「そなたの向かう場所は大方予想できる、と言うておったな。この先で待ち伏せしているやもしれぬが──あれはそなたにとって、喜ばしい存在ではないのだろう?」
「当然だ。仲良しだったらこんな顔をしていない」
「それもそうだな。あれはアルソニアン共和国の手の者だろう。わたしもよく知っている──八十ヶ洲北部へ不法に入り浸り、現地で物資の略奪や人拐いを繰り返す者たちだ。あれとソルセリアならば、後者の方が幾分かましに見える」
ほんの一瞬ではあったが、天形の眼差しが陰りを帯びる。ネウナ大陸のみならず、八十ヶ洲においてもアルソニアン共和国の名は悪い意味で轟いているらしい。イェルニアといい八十ヶ洲といい、何かと厄介な立ち位置に置かれているようだ。
当事者ではないので、ナイアは聞き役に徹するしかできない。だが、アルソニアン共和国という国が、何をもって世界の敵という肩書きを貼り付けられそうな行いを繰り返しているのかがわからなかった。
「……そろそろ行こう、ナイア。あいつがどこで待ち構えているのかはわからないけれど、長居は良くない」
イェレに促され、ナイアはおとなしくその後を付いていくことにする。屋敷の主である天形は、その場から動く様子なくこちらを見つめていた。
「……色々とありがとう、天形。そうめんとやら、美味しかったよ」
「こちらこそ。そなたたちは良い暇潰しになった。わたしは恐らく、いつでも暇をもて余しているだろうから──また来てくれると嬉しい」
イェレと共に踵を返したナイアには、天形の表情はわからない。
凪いだ、穏やかでいかにも平和的な声色。だが、きっと天形が心から笑っていることはないだろうと確信しながら、ナイアは後ろ手に障子を閉めた。
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