第13話 流しそうめん

 コルネフォロスに案内された先は、ソルセリアの一般住宅とはかけ離れた造形をした屋敷だった。

 天辺が水平な瓦の敷き詰められた、曲線に近い等辺を持つ三角形の屋根。屋敷の外壁は開閉可能となっているようで、所々で見慣れない床材の敷かれた室内が奥まって見える。外側を囲む石垣と屋敷の間には池を中心とした異国情緒漂う庭園が設えられていた。

 朱塗りの橋をおっかなびっくり渡りつつ、ナイアは五感で今までに見たことのない文化を受け止める。池に浮かぶのはいわゆる蓮だろうか。遠くネウナ大陸の東部では神聖の象徴とされているらしい──という話を聞いたことがある。どこで誰から聞いたかは、残念ながら忘れてしまったが。


「ただいま、テンケー! お客様、連れてきましたよー!」


 庭先に佇む人影が見えた瞬間に、コルネフォロスは勢いよく駆け出す。重量のアル彼が踏みしめる度、木製と思わしき橋がぎしぎしと軋んだ。

 コルネフォロスが駆けていく方向を、ナイアは目で追う。

 そこには、ナイアとそう歳の変わらないであろう少年が佇んでいた。前開きの長着を帯で締め、その上から似たような形状の上衣を羽織っている。艶やかな黒髪とつるりとした黄味がかりつつも白い肌、つぶらな瞳と彫りの浅い顔立ちがよく目立つ。エレニでも先住民、その混血でもない、これまでにナイアが目にしたことのない容貌をしていた。

 彼はコルネフォロスが声を上げたのに気付いたのか、ゆるりと振り返って柔らかく微笑んだ。そのまま体全体をこちらに向けると、愛嬌を感じさせるが品のある仕草で小首をかしげる。


「おかえり、コルネフォロス。本当に客人まろうどを連れてきてくれるとは……そなたには、感謝してもしきれぬなあ」

「いいえ、たまたまですよ! でも、これで張り合いが出ますね。せっかく準備したのに今年も二人っきりでやるなんて、やっぱり寂しいですから!」

「ふふ、いつも苦労をかけてすまぬな。まずは客人の方々にご挨拶をしなくては」


 袖口で口元を隠しつつ微笑んだ少年は、コルネフォロスとは対照的な足取りでこちらへと近付いてくる。長い裾と、底に突起のある木製の履き物──いわゆる下駄だがナイアは名称も存在も知らない──が、彼に走行を許さないのだろう。

 少年はゆっくりとした歩みでナイアたちの前まで近付くと、にこやかな表情はそのままに立ち止まった。履き物を抜きにしたら、ナイアとは背丈もそう変わらない。むしろ、あどけなさが残る丸顔であることから、年下なのではないかとさえ思えてくる。


「こんにちは。わたしの館へようこそ」


 歯を見せずに微笑み、少年はそう切り出した。距離を詰めたからか、彼からはふわりと芳しい香りが漂ってくる。衣類の内側に、何か香を焚きしめているのだろうか。嗅いだことのない、涼やかで甘い芳香だった。


「わたしは天形てんけい。十年程前から、この地で暮らしている。八十ヶ洲やそがしまの生まれ故、こうした館を融通していただいた。慣れぬ場所かとは思うが、どうか寛いでいって欲しい」

「八十ヶ洲……?」

「ネウナ大陸の東端、そのさらに東に位置する弧状列島から形成される国家だ。二十年前まで外交は近隣国家のみに留められていたが、ソルセリアと修好条約を結んでからは徐々に国を開きつつある」

「おや、そこな男子おのこはコルネフォロスと同じか。そなたは物識りなのだなあ、偉い、偉い」


 所々にたどたどしい発音を交えながら、天形はアルコアを前に目尻を弛める。年若い見目に似合わぬ、どこか大人びた表情だった。

 彼からナイアに対する差別感情やおそれは感じられない。慣れている、というよりは、イェレやへスペリオスといったエレニもそれ以外も関係なく客人として括られているように見えた。へスペリオスとはまた異なる平らかなものの見方──と形容すべきだろうか。


「こちらこそ、突然押しかけてすみません。おれはイェレ、こいつがへスペリオスで、こっちの子はナイアといいます。ヒューマノイドの彼はアルコアという個体名だそうです」


 先程までの刺々しさはどこへやら、すっかり余所行きの顔になったイェレが代表して一同を紹介する。しばらく付き合ってきてわかったことだが、今の彼が浮かべる笑顔は強張って硬さを帯びている。完全に張り付けた笑いだった。

 イェレ、へスペリオス、ナイア、アルコア。それぞれの名前を復唱した天形は、もう一度、穏やかに微笑んでみせる。


「うむ、うむ。遠路はるばるご苦労であった。そなたたちをここに招いたのは、全てわたしの我が儘が故。先に言わせてもらうが、どうかコルネフォロスを責めてくれないで欲しい」

「あー……はい、それは……」

「目が泳いでんぞ、イェレ」

「うるさいな、お前は黙ってろ」


 常人にはあらざる速度で追いかけっこをした結果力ずくで止められたので仕方なく付いて来ました──などとは口が裂けても言えない。それはイェレも同じようで、余計な茶々を入れようとしたへスペリオスは脇腹に肘を入れられることとなった。効いているのかいないのか、当のへスペリオスは涼しい顔をしていたが。


「と、とにかくおれたちは気にしてないんで! どうかお構いなく!」

「左様か、そう言うてくれると嬉しいぞ。わたしの故郷では、この季節になるとある催し物をするのだが……毎年コルネフォロスと二人きりで行うものだから、今年はちと異なる趣にしたいとわたしが申し出たのだ。故に、コルネフォロスはわたしを気遣ってくれた。ありがたいことだ」

「えっへへへ、良いんですよ! 俺は国からあなたの護衛を仰せつかってる身ですから、このくらい当然です! じゃ、早速準備してきますね!」


 照れくさそうにはにかんだコルネフォロスは、びしっと敬礼をするとすぐにどこかへ走り去ってしまった。どこまでも慌ただしいヒューマノイドだ。

 こうして、その場にはナイアたち一行と天形が残された。相手がやんごとない空気を放っているからか、知らず皆の口数は減る。何をどのように切り出したら良いのかわからないのだろう。


「その……催し物っていうのは?」


 天形はそうでもないようだったが、イェレは沈黙に耐えきれなかったようだ。しどろもどろとした口調で、当たり障りのない質問を投げ掛ける。

 答えはすぐにやって来なかった。一度目を細めてから、天形はある方向を指差す。


「流しそうめん、と言うてな。あれなる竹のといに、小麦でできた麺を流す風習があるのだ。ちょうどこの季節になると故郷よりそうめんが届く故、その消費も兼ねて行っている。端的に言えば、暇人の道楽だ」

「ま、違いないね。しかし麦、麦かあ……ううむ……」

「へスペリオス?」


 いつも余裕ぶっている彼が、眉間にしわを寄せるとは珍しい。見慣れぬ表情に、ナイアは思わず名を呼んだ。


「いや、大したことじゃないんだがね。地元での知り合いに、麦と関わりの強い奴がいてな。そいつとは浅からぬ縁があるというか、まあ色々あったんで、不本意にも思い出したってだけさ」

「ふうん……お前にそんな顔をさせる奴がいるんだな。誰に対しても同じような態度なのかと思った」

「姫さんから見た俺が強者なら嬉しいんだが……それだけじゃあないだろうな。まったく、皆俺のことをなんだと思っているんだか……」

「疫病神」


 天形が少し顔を逸らした隙を見計らってか、イェレが間髪入れずにぼそりと呟く。なかなか失礼な発言だが、ヘスペリオスは慣れているのか肩を竦めただけだった。

 そうこうしているうちに、ざるに山盛りのそうめんを乗せたコルネフォロスが戻ってくる。どうやらあれが今から流すもののようだ。


「流しそうめんは誰かと成績を競うものではない。ただ流れてくる麺を掬い、味わえば良いだけだ。上手く掬えず取り落としてしまった麺も、最終的にはそこの笊に溜まるから──確実に食したいのなら、掬うよりも待つ方が良い」


 各々に箸とめんつゆを配布しながら、のんびりと天形が説明する。要するに、上から流れ落ちてくる麺を取って食べれば良いのだろう。

 何度か箸を上下に動かして挟む動きを試していたナイアだが、普段使わない道具なのでなかなか上手く扱えない。こんな細長い棒状のもの二つで、どうやって麺を掬い取るというのだろう。

 他の面々を見てみれば、イェレとヘスペリオスも箸に慣れていないらしく、こちらと同様に苦戦しているようだった。アルコアだけは表情ひとつ変えていなかったが、彼は無表情が標準デフォルトなので、いまいち信頼できない。


「じゃあ流していきますよー!」


 試行錯誤しているうちに、コルネフォロスがそうめんを流し始めていた。水と共に、細い麺が流れてくる。


「はっ! ……無理だ……」

「はん、いつになく不器用だなイェレ。俺は一本引っかけたぜ」

「俗に言う、どんぐりの背比べだな」


 案の定、イェルニアの二人は大苦戦している。ちなみにこう言っているアルコアも箸の扱いには慣れていないようで、どのような掬い方をしているのか知らないが服に相当な水しぶきがかかっていた。

 ナイアも失敗することはわかりきっているので、失敗を甘受するつもりはない。早々に下流へと移動し、皆が掬えなかったそうめんをいただくことにする。成功する確率の低い挑戦よりも、確実に食べられる方がずっと良い。


「おや、仲間がいる」


 どうにか箸の先に引っかけられないかと試していると、横から雅やかな香りがした。見れば、天形がにこにこしながらこちらを見つめている。

 何と答えれば良いかわからず、ナイアは戸惑いながらうなずいて首肯した。こういった系統の人間と接するのは初めてなので、どのように振る舞ったものか悩みどころである。


「そうめんの中にはな、色のついたものもあるのだ。せっかくだから、そなたが食べると良い。どれ、どこに隠れているか……」


 掬えなかったそうめんの溜まった笊を、天形はゆるゆるとかき回す。しばらく探し物をしていた彼は、ある時点でおお、と控えめに声を上げる。


「あった、あった。ふふ、赤色か。縁起が良いな、そなたにぴったりだ。さあ、どうぞ」

「ああ、ありが──」


 ありがとう、と礼を言いつつ受け取ろうとしたナイアだが、伸ばした箸は空を切る。もう少しで届くというところで、天形がそうめんを掴んだ箸を引っ込めていたからだ。


「すまぬ、意地悪をしたい訳ではないのだ。だが、それはいけない。箸渡しは、今するには相応しくない」


 そっと眉尻を下げた天形は、酷く申し訳なさそうに見える。故に悪気はないとわかったが、ナイアには何が彼をそうさせたのか理解できない。

 状況が飲み込めず困惑していると、天形はこちらが手にしているガラスでできた器に色つきのそうめんを入れた。赤色と彼は言ったが、目視では桃色に近い。手持ち無沙汰なので掬った他のそうめんに混じると、あっという間にわからなくなった。


「八十ヶ洲において、お互いに箸を持ったままものを受け渡しするのは限られた場のみと決められているのだ。故に、平生は同じ行動をしてはいけない。こちらの風習を押し付けるようですまぬが……どうかわかって欲しい」

「いや、大丈夫だ。何も知らないままでいるよりは良い。それで、限られた場というのはどういったものなんだ?」


 これ以上しょんぼりした顔の天形を見たくなくて、ナイアはどうにか話題を変えようと努める。知らぬ土地の文化や風習は興味深いし、世間知らずなままでいるよりはずっと良い。ソルセリアの叡知を下に見ている訳ではないが、どうしてもソルセリア本土やエレニア地方にばかり焦点を当てられてしまうため、普段触れない地域の人間と話すのも有意義に思えた。

 話を振られた天形はというと、須臾の間きょとんとしていた。──が、すぐに眉尻を下げ、困ったように笑う。イェレの浮かべる表情にどことなく似ている、とナイアは誰にでもなく感じる。


「気を悪くさせたのなら、申し訳ないが……箸渡しはな、骨を拾う時に行うのだ」

「骨を……?」

「『大いなる神』を信ずる者は、土葬こそ正道とするのだろう? それはわたしも解しているよ。だが、八十ヶ洲における葬送は今や荼毘だびが一般的だ。決して死者を蔑ろにしたい訳ではないよ」


 あくまで穏やかな天形の語り口を、ナイアはどこか他人事のように聞いていた。

 『大いなる神』の信仰において、人は死した後──すなわち世界が終わるその時に、神の審判を受けるという。善なる者は幸福を、悪しき者は苦しみを与えられる。それゆえに、人は清く正しく在らねばならず、神より賜った肉体も丁重に扱わなくてはならない。葬送の折には、五体全て揃っているのが最善とされる。最悪体の一部が残っていれば良いという解釈もあるが、厳格な信徒はそれを許さないだろう。

 ナイアは『大いなる神』を信奉している訳ではない。どの信仰にも傾いていない、というのが的確な表現だと自負している。

 この身は女神ナイアの現身だが、女神そのものを崇める気持ちはない。ただ現身としての役割を果たす。それだけのために関わっている存在と言っても過言ではない。

 だから、申し訳なさそうな顔をしている天形に対して思うことなど皆無に等しい。強いて言うなら、何故わざわざ遺体を焼くという過程が一般化したのか気になるところではあるが──食事中にする話ではないのでやめておこう。

 

「お前の故郷では、『大いなる神』の信仰はないのか?」


 代わりに、別の質問を投げ掛けてみることにした。遠い異国である八十ヶ洲のことは素直に気になる。

 喪という忌み事から話題が逸れたからか、天形の表情はほんの少しだけ和らいだ。ちゅるちゅるとそうめんを啜りながら、彼は首を横に振る。


「ない、という訳ではない。だが、唯一の教えでないというだけだ。八十ヶ洲では、余程危険な思想でなければ大抵の信仰が罷り通る。他者に迷惑をかけないのなら好きにせよ、といった感じだな」

「国教は定められていないのか?」

「明確にはない。だが、八十ヶ洲の成立神話も含めた多神教や、山門衆の教えが根強いな。とはいえ民に信仰を強要することはないし、外来の教えを信仰するのも自由だ。八十ヶ洲にいた頃は、それが普通だった」

「そうなのか……。異なる信仰の間で、争いが起こったことは?」

「あるにはあったのではないか? だが、戦に発展したという話は聞いたことがない。問答ならば、史書に残っているものもあるが……数えきれぬ程の神性を古より受容してきたお国柄故、外つ国からやって来た教えを取り込むことに抵抗がないのやもしれぬ」


 当然のように天形は答えたが、ナイアにとっては予想外の連続だった。

 あらゆる信教が許され、受け入れられている世界。信仰を巡った争いが起こることは滅多になく、唯一の神によって他が排斥されることも、蹂躙されることもない。

 アルティマ大陸とは大違いだ。外来からもたらされた教えと侵略者によって拓かれ、彼らにとって文明を強いられ、かつてあったものをすべからく異端として破壊された悲しみを、極東の島々は回避できた。

 それを思うと、羨ましいような、悔しいような、物悲しいような……何とも言い難い、複雑な感慨に襲われた。どうして自分たちはもっと上手くやれなかったのかという、今に生きる者にしか考えられない、傲慢な後悔が押し寄せてくる。


「そなたとの語らいは楽しいな」


 そんな中で、天形の態度は変わらない。きっと、こちらの内心を知るべくもないだろう。和やかな空気をかもし出しながら、先程よりも幾分か声色を弾ませた。


「わたしは訳あって、ここから出られぬのだ。そなたたちのような客人も、滅多に来ぬ。コルネフォロスはずっといてくれるが、やはり張り合いがなければ寂しくてかなわぬ」

「十年間、ずっと独りで……?」

「左様。故に、こうして他者と話せるのは代えがたい喜びだ。そなたたちには感謝している」


 目を細め、天形はすいと顔を近付ける。なめらかな肌、特に頬は仄かに朱を帯びていた。


「そなたにお礼がしたい。これが終わったら、ちと時間をもらえるか?」

「それはありがたいが……良いのか? オレは大したことをしていないのに、お礼をもらうというのは……」

「案ずることはない。わたしがお礼をしたいだけなのだから。悪いようにはせぬよ」


 それなら、とナイアは首肯する。無理矢理連れてこられたようなものだが、もらえるものがあるのなら受け取っておいた方がお互いに良いだろう。

 ナイアの肯定を確認した天形は、嬉しそうに表情を綻ばせる。無垢さと物寂しさを湛えたそれに対して、ナイアは心から笑い返すことができなかった。

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