第12話 門番


「やっぱり最高だったよ、クラリッサの歌声は! この俺の期待を裏切らないどころか、さらに上を行く女とは恐れ入った。あいつの演じてた役──カエキリア、だっけ? あれの顛末は割とありきたりだが、クラリッサが演ることによって唯一無二になってる感があったね。いやあ、何度も言うがあいつは至高の歌姫だよ。クラリッサがいなくなったら、歌劇界は大荒れだろう。あいつにはそれだけの価値がある」


 身振り手振りを交えながら、観劇後のヘスペリオスは上機嫌で語る。どうやら彼は昨日のうちに入場券を手に入れることができたらしく、無事に歌劇の鑑賞を果たしたようだ。クラリッサ本人に頼めば優待券のひとつでも融通してくれそうだが、昨夜のナイアはそれどころではなかったし、イェレにそういった考えがある訳でもなさそうだったので、結局ヘスペリオスの実力に託された。何事もなく目的を達成できたようなので何よりである。

 感想を口にすること自体は何も悪くないのだが、何度も似たような文言を聞かされてはさすがに飽きる。運転席のイェレは明確にうんざりした顔で、煙草を咥えつつ切り出した。


「……で、お前はいつまでおれたちに付いてくるつもりだよ。パンデスに着いたら別れる予定じゃなかったか? お前、ルクィムに用ないだろ」

「愛想のないことを言うなよ。俺にだって情はある。ここまで世話になっておいて、目的が達成されたらそれでおしまいだなんて、薄情が過ぎると思わないか?」

「別に、おれはお前に対して情とかないから」

「……お前たちって、同郷の間柄じゃなかったか? どうしてそんなにも険悪なんだ」


 隣に座っているアルコアの口に絶えずクリスプスを突っ込みつつ、ナイアは前方にいるイェルニアの男二人を白眼視した。アルコアはヒューマノイドながら経口摂取が可能らしく、クラリッサと出会ったことを口外しないようこうして口封じをしている。前もって注意しても、口を滑らせる可能性を否定できないが故の措置だ。アルコアはジャンクフードが好きらしく、飲み込んでは口を開けて催促し、を繰り返している。

 とにもかくにも、イェレとヘスペリオスの関係性は前々から気になるところだった。以前に他人以上、友人未満とナイアは推測したが、詳細なところはどちらからも語られていない。いつヘスペリオスが置いていかれるかわからないので、今ここで明らかにしてしまおうという魂胆だった。

 案の定、イェレは苦々しげな顔をした。お世辞にも友好的とは言い難い反応である。


「そんな顔をするなよ、イェレ。顔をしかめたいのは俺だって同じだ。お前がさっきから煙を流してくるんでね」

「なら降りろよ」

「これじゃ堂々巡りだな。まあ良い、俺とこいつはわかりやすく言えば遠い親戚みたいなものでね。こちら側の事情って奴で、こいつは俺に苦手意識を抱かずにはいられない。心の底から嫌悪されてる、って訳じゃない──と俺は思いたい」

「……だいぶざっくりしてるけど、そんな感じ。とりあえず、意見の相違とかで暴れたりはお互いないと思うから安心して欲しいな」

「あったら困る」


 真っ先にヘスペリオスを殴った身で言えたことではないが、大の大人が本気で殴り合うとなったら話が違ってくる。巻き添えは食らいたくないので、二人には節度を持って対立して欲しいものだ。


「ところで、ヘスペリオス。お前が観てきた歌劇はどういった内容だったんだ? そこまで絶賛されると、寄り道したいとまではいかないが気になってしまう」


 女神を起こさないように心掛けつつ、ナイアは尋ねる。

 これ以上イェレとへスペリオスの関係について詮索したら運転手の機嫌が悪化する一方だし、ただ故郷を同じくする間柄でないことはよくわかった。二人が明確に敵対し、旅程を乱さないのならそれで良い。

 それに、クラリッサとは語らうことこそできたものの、彼女は自分自身についてほとんど語らなかった。職業柄、一般人に口外できないことも少なくはないのだろうが、あれだけ迷惑をかけておいてクラリッサのことは何もわからないまま、というのも口惜しい。せめて彼女が演じたカエキリアのことくらいは知っておきたかった。

 自身の趣味について問われたのが嬉しかったのか、へスペリオスの纏う空気は一瞬にして弾んだ。明らかにうきうきとした声色で、彼は饒舌に語る。


「俺が観てきたのは『清廉にして高潔の女傑カエキリアによる凱旋』っていう演目でな。『大いなる神』への信仰が興る以前のネウナ大陸に伝わる伝説を戯曲にしたものだ。古の王国において貴族の娘として生まれたカエキリアって女が婚約者である隣国の貴族の騙し討ちによって父を喪い、領土まで掠め取られそうになるんだが……カエキリアは武装し、民と祖国を守るために立ち上がる。結局カエキリアは戦死して国も侵略されちまうんだが、奴の勇姿は民によって語り継がれ、百年の後に再び独立する……って話だよ」

「……悲劇なのか喜劇なのかわからないな」

「そりゃそうさ。たったひとつの出来事で何もかも上手くいく訳がないし、何もかも台無しになることもまた然りだ。物事ってのは、多数の人とその思惑と、その他諸々が混じり合ってようやく形を為す。ただ発生するだけじゃ、そりゃ単なる事象だ。その上、特別な一人によって全部決まるってのもおかしい話だろ。もしもそんな無法が罷り通るなら、そいつは土台が出来損ないってことになる」

「……このご時世にそんな演目を演るってことは、要するにアルソニアン共和国に対するアジテーションだろ。歌劇団の主催であるヒュリアも、そしてこのソルセリアも……アルソニアン共和国とは険悪な状態が続いてる。おれの憶測に過ぎないけれど、今回の演目は世情に阿った部分が多かれ少なかれあるんじゃないか? 世の人々に対して、侵略と蹂躙を繰り返すアルソニアン共和国は絶対的な悪だと植え付けたい、誰かの思惑が」


 上機嫌なへスペリオスの語り口に横槍を入れてきたのはイェレだった。彼は前を向いたまま、淡々と話す──ように心掛けているようだったが、その言葉尻には隠しきれない敵意がある。イェルニアを奪った侵略者──アルソニアン共和国に対しての、だろう。

 申し訳ないことだが、ナイアにネウナ大陸のあれこれはわからない。ただ、平生から温和でお人好しなイェレにここまで鬼気迫る表情をさせるとなると、並大抵の言葉では言い表せない過去なのだろうとも思う。

 果たして彼と同じようにソルセリアが侵略された時、自分はこうも憤りをあらわにできるだろうか。ソルセリアのことを己にとって無二の故郷として愛し、縋り付きたいと思うだろうか。


「──会話中にすまない。ひとつ良いだろうか」


 意識が思案に沈みかけていた時、隣席から声が上がった。反射的に顔を向ければ、そこには空になったクリスプスの袋を細く折り畳むアルコアがいる。しばらく静かにしていたのは空気を読んでいたからではなく、クリスプスの残りを黙々と食していたが故のようだ。

 同乗者三人の返事を聞くまでもなく、アルコアは口を開く。機械的な口調は変わりないが、普段よりも早口に聞こえた。


「イェレ。速度を上げてくれ。厄介なものが接近している」

「えっ? それってどういう……」

「──おーーーい‼」


 イェレが疑問を口にするよりも先に、は声を発していた。

 はっとしてナイアは窓を開け、後方に目を向ける。声の調子からして、それなりの距離は空いていそうだが──住宅もまばらな郊外の一本道、しかも対向車や後続車がない中で人の声がするのは変だ。何せこの辺りは別荘が大方を占める土地柄であり、一つ一つの家の敷地が大きく集落の形成にはあまりにも不向きなため、大抵の近隣住民は車を使うことが予想される。声だけ聞こえるというのは、いくらなんでも不可解である。


「君っ、もしかしてー! 俺と同じ、ヒューマノイドじゃないですかー⁉」

「あ……はあ⁉」

「うっそだろ、あいつ、走って追いかけてきてんのか⁉」


 凄まじい速度で追い上げてくる足音。駆け寄ってくる人物のものとは思えない、朗らかな声。

 ナイアの視線の先には、両手に買い物袋を提げた状態で、こちらのジープを追いかける青年の姿がある。身一つで車両を追いかけることそのものが無謀ではあるが、この青年に関してはそれどころではない。何と、自らの足でこちらとの距離をぐんぐん詰めてくる。

 同じように窓を開けたへスペリオスは、ひゅうと他人事のように口笛を吹いた。そうしている間に、運転手は躊躇いなく加速器アクセルを踏み込んでいる。


「何が何だかさっぱりだけども、とにかく撒くよ! かちで追いかけてくる上に付いてこれるなんて、正気の沙汰じゃない!」

「あれは恐らく護衛・監視型のヒューマノイドだ。州の管轄ではないから、個体名までは把握していないが……要人警護を主とする機体だろう。自治体から独立した存在であり、単独行動と戦闘機能に特化している。目を付けられる前に退避して欲しい」

「いや、目を付けられてるのはお前だろうが……っ⁉」


 見たところ追いかけられる要因になっているアルコアを白眼視しようとした──ところで、ナイアの体は前方に大きく傾く。イェレが思い切って速度を上げたのだと気付くよりも先に、前の座席へと額をぶつけていた。


「おいおいイェレ、お前存外に飛ばすな? くそっ、こんなことなら後ろ髪もまとめてくるんだった! これじゃ髪という髪が全部前に来て何も見えやしねえ!」

「文句言う暇があるんなら窓くらい閉めろよ! それができないなら黙って強風を享受してろ!」

「姫さんだって窓全開にしてるだろうが!」

「ああもう、おれは運転に集中したいんだよ! ちょっと静かにしててくれる⁉️」

「是非集中してくれ。ちなみにこの先交差点があるぞ」

「わかったよ! 皆、舌を噛みたくないなら歯ぁ食い縛ってて!」


 イェレの無謀な運転により、しばらく続いた一本道は終わりを迎えようとしていた。未だ額の痛みに呻いているナイアを、さらなる衝撃が襲う。

 あっと声を上げる間もなかった。ジープは凄まじい速度を維持したまま交差点を右折する。イェレに減速という考えはないようで、実に思い切りハンドルを切った。

 車体の勢いに合わせて右に傾く一同。ナイアも例外ではなく、避けることもできずにアルコアへと激突した。ナイアの口からはぐええ、と情けない呻き声が漏れたが、いつまでも衝撃に打ちのめされている暇はなかった。


「待ってください! 俺はあんたたちを捕まえようとか思ってません!」

「うわあああああ⁉️」


 車内に響くのはイェレの絶叫。なんだよッ、と次いでヘスペリオスが声を上げたが、すぐに彼も同様に叫ぶこととなる。


「うおおっ⁉️ なんだこいつ、なんで並走してるんだよ⁉️」

「言っただろう、それは戦闘に特化したヒューマノイドだ。膂力も常人のそれとは違う」

「いえっ、たしかに仕様スペックは戦闘員のそれと同様ですが、俺はしがない門番です! 前線の同位体とは比べるべくもありません!」

「走りながら相槌を打つな! アルコアといいお前といい本当になんなんだよ、もう!」


 なんと、先の青年が爆走するジープと並んで走っているのである。しかも会話に入り込んでくるものだから、ナイアは思わず閉めようとしていた窓から怒鳴り付けてしまった。

 だが、青年が気分を悪くした様子はない。むしろ爽やか過ぎる笑顔を浮かべながら、こんにちは、と挨拶してくる始末だ。


「良かった、ちゃんとお話しできた! 似たような波長を感じたんで、もしかしたら同位体かなって思って追いかけてきちゃったんです! ちょうどお使いの帰りだったんですよ、運が良い!」

「やめろ! 世間話するつもりはない!」

「大丈夫です、うちの家主はいつでも来客を待ちわびていますから! せっかくですし、うちに寄っていきませんか? この辺りを通る人ってなかなかいないですし、なにより俺の同位体です! この機会、逃しませんよ!」

「話を聞け‼️」


 ナイアは心から叫んだが、ヒューマノイドの青年は当然のように聞く耳を持たない。今尚安全運転にあるまじき速度で走り続けているジープをいとも容易く追い抜くと、何を考えたか真正面で仁王立ちする。


「はあ⁉ 何のつもりだよあいつ……!」


 目を剥いたのは皆同じだったが、わかりやすく反応したのはイェレであった。彼は今までにない苛立ちをあらわにしたかと思うと、減速することなくヒューマノイドに突っ込んでいく。


「イェレ! イェレ! 頼むお願いだ止まってくれ! オレは法律とか詳しくないけど、国家の所有物をひき逃げするのはまずいって!」

「国家所有のヒューマノイドを破壊した場合、禁固刑または罰金の支払いが課せられるが……故意でなければ減刑されるし、そもそも見付からなければ良いだけのこと。映像記録は当機で改竄可能だ、思い切りやると良い」

「お前少しは止めろ! へスペリオス、お前運転は……」

「悪いが俺がハンドルに触れたらもっとヤバいことになる! 諦めるんだな姫さん」

「ああああ、どいつもこいつもー!」


 ナイアの悲痛な叫びは儚くもかき消えた。一定の重量を有する二者が激突する振動がジープごと一同に襲いかかる。

 終わった。諦観を胸に、ナイアは目を瞑る。

 一秒、二秒、三秒。──そこから先は数えていない。


「……あれ?」


 恐る恐る目を開いたナイアは、まず自分が五体満足であることを確認する。外傷はない──強いて言うならぶつけた額がじんじんと痛むくらいだ。

 そっと周囲を見回してみれば、ハンドルに突っ伏しながら肩を上下させるイェレ、髪の毛が乱れに乱れて怪奇映画の怪物……というよりは幽霊じみた風采になっているへスペリオス、そして変わらずきちんと座ったまま、瞬きひとつしないで固まっているアルコアを視認できた。皆酷い有様だが、幸いなことに怪我人や死者はいなさそうだ。


「──ふう、今回はなかなか堪えました! 少し大きいとはいえ、普通の車でここまで押し込まれるのは初めてです。俺もまだまだってことですね!」


 ──が、肝心の厄介事はまだ解決していない。

 フロントガラスに映るのは、爽やかに汗を拭うヒューマノイドの青年。見たところ彼にも怪我や損傷はなさそうだ。むしろ不安感を覚えそうな程度にはぴんぴんしている。

 位置関係から察するに、青年は己の膂力のみで迫り来るジープを止めたのだろう。いつイェレが制動機ブレーキを踏んだかにもよるが、何にせよ彼が自力で車を押し止めたことに変わりはない。


「……おまえは何がしたいんだ。当機一機で済む問題ならば、手短にし済ませよう」


 おもむろに口を開いたのはアルコアだった。ずれた眼鏡を押し上げ、平生よりも幾分か苛立ちの感じ取れる声色で問いかける。

 こちらの声はしっかりと聞こえていたのか、ヒューマノイドの青年はアルコアの座席側にある窓の横に移動した。そこから覗くのは、あまりにも屈託のない微笑み。


「そんなに大層な話じゃありません。同位体を見付けて嬉しくなったというのと、俺の勤め先に客人を呼びたかっただけです。久々に通りがかる車を見て、気分が高揚してしまいました。本当にすみません」

「……車両の損傷は?」

「それはもうばっちりです! ちゃんと加減しましたから、もともとがたが来てなければ普通に動くはずです。もし不具合が見付かったら、気兼ねなく言ってくださいね! 俺名義で弁償しますから!」

「その時は当機がおまえを処分する。覚えておけ」


 さらりと相手を脅迫してから、アルコアは平然と顔を向ける。


「このように、こいつは完全に我々を客人として招くつもりでいる。これ以上の面倒事を避けるには、素直に従った方が良いと判断するが、どうする?」

「お、オレに聞かれても……。別にオレは構わないが、二人はどうだ?」

「…………」

「あー、そろそろ休憩が欲しかったところなんでね。ちょっくら寄らせてもらうとするか」


 うつ伏せのままうなずくイェレと、前述のように告げたへスペリオス。行き先はヒューマノイドの勤務先ということで決定したようだ。


「それじゃあ決まりですねっ! 俺はコルネフォロス、この先の屋敷で門番をやってます! どうぞよろしくお願いします!」

「門番なのに外出してるのか……」

「大丈夫です、屋敷にある監視機器とは、映像を共有してますから。さ、道案内するので付いてきてくださいね!」

「……疲れた……」

「まあまあ、あっちで目一杯休ませてもらえよ。車ごとぶっ潰されるよりはましだろ?」


 門番を自称する割にその役割を果たせているのかわからないコルネフォロスは、意気揚々と前を行く。鬱屈とした目でその背中を見るイェレの肩を馴れ馴れしく小突いたへスペリオスは、案の定ご機嫌斜めなイェレから頭突きという名の八つ当たりを食らっていた。

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