第9話 肯定

 一行がパンデスに到着したのは、翌日の夕方だった。橙色に色づく空を背景に、ヘスペリオスは勢いよく車から飛び出す。


「そういう訳で、だ! 俺は入場券を獲りに行ってくる。後で合流するから、勝手に出てくような真似だけはしてくれるなよ!」


 そのまま凄まじい速度で駆け出したものだから、彼に声をかける余裕は誰にもなかった。

 ひとまず宿を探そう──ということになったが、歌劇を目当てにした人々でほとんど埋まっており、とても素泊まりできそうな状況ではない。アルコアからは、比較的治安の良い地域のまともな宿は全滅だと宣告を受けた──できれば探す前に言って欲しかったが、いちいち注意する気力がないのでナイアは横目で睨むのみに留めておいた。疲れていたこともあるし、先の急接近で距離感を測りかねていたことも大きい。とにかく、アルコアとはなんとなく会話しづらい気分だったのだ。

 そんな中で、基本的に自分を気遣ってくれるイェレはこう言った。


「ずっと走り回ってるのも辛いだろうし、二人は先に夕ごはんにしなよ。その間、おれが泊まれそうなところを探すから。八時になったら、街の中央にある噴水広場に集合しよう」


 そうして、ナイアは不本意ながらアルコアと二人きりにされてしまった。イェレを追おうとも思ったが、彼はこちらの追随を許さずに人混みの中へと滑り込んでいったので、どうしようもなかったのだ。

 暮れゆく残照に頬を照らされながら、ナイアは夕飯用に買ったパンを見下ろす。腹は減っているはずだが、どうしてか食べる気が起きない。

 イェレは、何故あのような──逃げるような足取りで姿を眩ませたのだろう。自分たちに気まずいと思う事情があるのだろうか。もしくは、無意識のうちに彼に距離を置きたいと思わせるようなことを仕出かしてしまったか──。


「……この先は移民の集合住宅が密集する地域だな。やはり故郷の共同体コミュニティに行く可能性が高いか」


 隣で呟くアルコアに、ひとつうなずいて返す。声はなるべく抑えて話すつもりだが、なるべく会話は避けたい。

 端点に言おう。ナイアとアルコアは現在尾行している──先程別れたイェレを。

 後ろめたい気持ちはない。むしろ、彼の真意を確かめなければすっきりしない。アルコアへの気まずさよりも、イェレに対する疑問の方が勝った──その結果がこれだ。

 それらしさを求めたつもりはないが、ナイアは菓子パン、アルコアはコーヒーを片手に尾行を続けている。現在、二人は移民の多い──あまり治安が良いとは言えない、大通りからはだいぶ離れた──地区へと足を踏み入れていた。


「パンデスは比較的内陸にあるのに、移民が多いんだな。交通の便は悪くないだろうけど……」


 イェレに気取られないよう辺りを警戒しつつ口にすると、すぐにアルコアの解説が返ってきた。


「内陸部だからこそ、だ。移民のほとんどは公共事業に駆り出されている。海岸部は既に開発されきっているが、内陸といくとそうもいかない。安く多くの人手が必要な重労働にこそ、移民は用いられる。この辺りに住んでいるのは、労働者の妻子だろう。子供であれば、後々作業場に送られるだろうが」

「そうなのか……。全て機械でどうにかできれば、負担の多い作業を強いられることもなさそうだがな」

「人が請け負う仕事を残すのも時として必要だ。でなければ、移民はすぐに排斥すべき存在となる。部外者に居場所を与えるとはそういうことだ」


 それ以上言葉を交わす気にはなれず、ナイアは黙してイェレの背中を眺める。

 故郷を奪われ、縁もゆかりもない異国に逃げ込み、そこでは負担の多い重労働しか与えられない。ほうほうの体で国を捨ててきた者なら、尚更過酷な道を歩むことになるだろう。

 先住民の扱いも散々なものだが、エレニの中にも苦難を背負っている者がいる。そう考えると、一概に略奪者と呼ぶのは申し訳ないような気がしてきた。

 イェレも、こちらには明かせない苦悩があるのだろうか。儀式のために不可欠な材料とはいえ、言葉を交わし行動を共にすれば気にかかることもある。ナイアは目を伏せ、うつむいて彼の姿から目を逸らす。


「──君たち、二人揃ってなーにしてんのさ。見るからに怪しいぞ?」


 背後からかかった声。ヘスペリオスのものでも、秘密警察のものでも──況してやイェレのものでもない。透き通った伸びやかなそれを、ナイアは初めて耳にした。

 知り合いとはいえ、尾行している身というのはなかなかに後ろめたい。どうにか挽回しなくては、と思いつつ、ナイアは振り返る。アルコアもほぼ同時に動いたようだった。


「別に、通報しようとか考えてないけどさ。疑惑を持たれるような行動は慎んだ方が良いぜ? 君たちはまだ若いんだから、怪しまれるような真似は控えなよ」

「……いや、その言葉、そっくりそのまま返させて欲しい」


 声の主。それは、一人の女性だった。

 ナイアとそう変わりない身長の彼女は、輝く金髪を高く結い上げていた。それ自体に問題はないのだが──彼女の装身具を見過ごすことはできなかった。


(この女──夜になろうかという時間帯に、わざわざ色眼鏡をかけている……?)


 女性の目元を隠す色眼鏡。昼間ならば日除けとして成り立つそれだが、この時間帯で装着しているのはさすがに怪しい──とナイアは判断した。


「……おまえに敵意はないようだが……夜間に色眼鏡というのは不審だな。怪しすぎる」

「馬鹿お前、わざわざ言わなくても良いのに……!」

「そうなのか。失言だった」


 言わなくても良いことを直球で口にしたアルコアを、ナイアはがくがくと揺らす。それでも彼の顔色は変わらないのだから、反省を求めるのは野暮な気がしてきた。

 怪しんでいた相手から逆に怪しさを指摘された女性はというと、無言で色眼鏡に触れる。そして、直後に口角をつり上げた。


「それはそう!」

「ええ……」


 まさかの肯定である。潔いのか流されやすいのか、いまいちわからない。

 ただ、彼女の機嫌を損ねた訳ではなさそうなのは確かだ。馴れ馴れしくアルコアの肩に手を置きつつ、女性は朗らかに続ける。


「いや、ね? 日差しがないのに色眼鏡かけてるなんて、自分でもどうかと思う訳よ。声かけといてなんだけど、この絵面だと完全にあたしが不審者じゃない? 致し方なかったとはいえ、失策だよねー。顔隠さなきゃいけない時点で詰みだけど」

「おまえには、顔を隠さなければならない事情があるのか? 見たところ、現在の指名手配犯におまえの顔はないが……」

「指名手配ィ⁉️」


 よく通る声で復唱してから、女性は声を上げて笑う。気分を害するどころか爆笑である。


「あっはっはっは、ちょ、さすがのあたしも指名手配されるような真似はしないって! てか君、指名手配犯の顔は全部把握してるのにあたしのことは知らないのかい? なんだかちぐはぐ! ひいぃお腹痛い……」

「あの……大丈夫か?」

「腹痛ならば近隣の内科か胃腸科を紹介するが」

「アルコア、お前少し黙ってろ」


 放っておけばずっとずれた受け答えをしそうなヒューマノイドに釘を刺し、ナイアは女性が落ち着くまで待ってやった。

 どうやら彼女は笑いのツボが浅いらしく、一頻りひいひいと苦しそうに笑っていた。それだけおかしかったのだろうと思うと、なんとも言えない気持ちになる。


「あー、笑った笑った! こんなに大笑いしたのは久しぶりだよ。うんうん、最近は人嫌いが加速しそうだったけど、こうして見るとやっぱり捨てたものじゃないね! ありがとう少年!」

「……? 当機を人間に分類するのは不適当だ」

「あっ、もしかして君、巷で噂の機械人間? さっすがソルセリアは進んでるねー、こんな人そっくりにできるんだ。わっは、意外と頬っぺた柔らかいじゃんか」

「………………???」

「……その、そろそろやめてやってはくれないか。嫌がってはないと思うけど、突然停止フリーズされたら困る」


 唐突な接触スキンシップに混乱しているのだろう。目を白黒とさせるアルコアと、彼をつついて楽しんでいる女性の間に入り込んでナイアは提案する。

 別に、アルコアを庇った訳ではない。このまま雑談に興じ続けていてはイェレを見失ってしまうし、騒いであちらに気付かれるのも厄介だ。可能ならここで女性とは離れて、イェレの追跡を再開したい。

 そんなナイアの意図を察したのか、女性はアルコアから離れて口角を上げる。色眼鏡の奥にある瞳が、子供っぽい輝きを宿した。


「だいじょーぶ、悪いようにはしないよ。君たちの邪魔もしない。見た目はこんなのだけど、あたしは愉快犯じゃあないからね」

「そうか、それなら──」

「だから、ちょっと同行させてもらうよ? 煙草臭いお兄さん」


 女性の視線の向かう先──それが自分の背中、その向こうと理解した瞬間に、ナイアは弾かれるように振り向いていた。

 案の定、そこには人の好さそうな苦笑がある。先程から追いかけていた青年──イェレがいつの間にか立っていた。


「聞きたいことはたくさんあるけれど……とりあえず、そこの君。おれの連れに変なことはしてないよね?」

「やだなあ、人聞きの悪い。あたしは挙動不審なこの子たちを心配して声をかけた謎の美女だよ? 美女でもお姉さんでもなんでも良いけど……多分呼んでくれないよね。ノリ悪いなあ」


 真面目過ぎる男はもてないぞっ、と嘯き、女性は歌うような声で言葉を連ねた。


「こっちにも事情があるんでね。あたしのことは、ツェツィーリアとでも呼んでくれよ。今はその名前が一番それっぽいからさ」


 胡乱な女性──ツェツィーリアを前に、ナイアは静かに目をすがめた。

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