第6話 アバター

  学術都市レイマック──百を越える大学から成立するこの都市はプロキオン州一の人口と規模を誇り、学生の街としても名高い。一つ一つの大学が学部並みとも言われ、ソルセリアだけでなく世界各国から才を持つ者たちが集う。

 近年はエレニ以外の権利──主に混血たちの活動によって表面化したものである──が主張されていることもあってか、往来を歩いていてもナイアに対する奇異や差別の目は比較的薄いように思える。海外から留学生を募っていることも理由のひとつだろうが、何にせよ歩いているだけで難癖を付けられないのは良いことだ。


「──入館制限?」


 ……が、どこに行っても障害はつきもの。

 ナイアたち一行は、現在禁帯出書架の前で足止めを食らっている。出入口前に立つ司書らしき青年は、申し訳なさそうに太めの眉毛を尻下がりにした。


「悪いけど、市民証明書を持っていないと禁帯出書架への入場はできないんだ。最近は移民も多いし、なんだかんだ情勢も不安定だからね。ここの資料を悪用される危険は避けるべしと、上から指示が出ているんだよ」

「ふうん、そりゃ大変だ。要するに、証明書を出せってことだな」


 今日は三つ編みの気分らしいヘスペリオスは、至極つまらなそうに髪の毛をいじりながらそう相槌を打った。今まで楽しげな声色ばかり聞いていたから、目に見えて不機嫌なのは珍しい。

 市民証明書、とナイアは胸中で反芻する。世間知らずな彼女でもよく知っている、ソルセリアではあって当たり前の存在だ。

 多民族社会を形成しているソルセリアでは、外部から流入する人間がどうしても多くなる。それに伴い増加する不法滞在者やならず者を取り締まり、かつ国民の安全を確保するために生み出されたのが市民証明書だ。ソルセリアで出生し、行政機関によって住民登録された者、そして正当な理由と手続きを踏んでやって来た移民に、それは発行される。

 しかし、たとえ生まれ育ちがソルセリアであっても、役所で手続きができなければ意味がない。そのため、下層階級の人々のほとんどは市民証明書を持っていないし、ひっそりと隠れ住んできた先住民や奴隷を先祖に持つ者は尚更難しい。市民証明書とは、ある種の特権なのだ。

 詰まるところ、プロキオン州──いやソルセリアは、国家の危機を招き入れるような真似はしたくないのだろう。万民に開かれた叡知はほんの一部、子供の教育に必要な最低限のみ──といったところか。

 ナイアは静かに連れを見た。イェレは困ったな、と柔らかく苦笑している。


「おれはこの通り、移民だからね。証明書は発行できていないんだ。薦めた身で迷惑をかけて、申し訳ない」

「……いや、大丈夫だ」


 まだ、などとイェレは宣うが、恐らく彼は身一つで故郷を飛び出してきたのだろう。ソルセリアにとって法外な存在であるということは、このやり取りでナイアにも理解できた。

 一応ヘスペリオスにも視線を送ってみたが、彼はむすっとした顔で肩を竦めるだけ。期待しても無駄なのは一目瞭然だ。

 嘆息し、ナイアは懐に手を突っ込む。首から下げたパスケースを表に出し、司書の青年に見せた。


「ならばオレが行ってくる。二人は入場可能な区域で調べてくれ」

「へえ、姫さん、証明書とやらを持ってたのか。抜け駆けだな」

「いきなり饒舌になるな。イェレに構ってもらえ」

「え、嫌すぎる……」


 突然絡んできたヘスペリオスと絶句するイェレを他所に、市民証明書を提示された青年はぐいと眼鏡を押し上げる。瞬きせずにしばらく見つめた後、うん、と朗らかにうなずいた。


「ありがとう、間違いなく正規の証明書だ! どうぞ、入って大丈夫だよ」

「ありがとう。じゃあ二人とも、また後で。良い子で待っていてくれ」


 ひらりと手を振り、ナイアは禁帯出書架へと足を踏み入れる。背後では、司書がポールチェーンで出入口を塞いでいた。

 さて、とナイアは気を取り直す。ここからは一人でルクィムの場所を突き止めなくてはならない。手始めに鉱物学か、もしくはソルセリアの一次産業に関する書籍か。ルクィムという地名そのものが記された資料があれば願ったり叶ったりなのだが、先住民に関する情報は規制されているだろう。あまり期待はしないでおいた方が良さそうだ。

 柔らかく埃っぽい絨毯を踏みながら、ナイアはぐるりと辺りを見回してみる。周囲の利用者は音を出さないようにと努めているようで、ちょっとした動きで音を立てようものなら視線の雨に晒されそうな雰囲気があった。ナイアもなるべく気配を消そうと努力するつもりではあるが、完全な無音というのは難しいものだ。

 天井まで届きそうな程の書架を見上げ、目に入った車輪付きの踏み台を引っ張る。同年代の同性に比べたら長身な方に入るナイアだが、手を伸ばせば何にでも届く訳ではない。一手間かかるが、背に腹は代えられない。


「おい」


 背後から突如声がかかったのは、合計で三段ある踏み台の一段目に足を乗せた直後だった。片足だけ少し高い位置に置いたまま、ナイアは訝しげに振り返る。

 背後にいたのは、イェレよりはほんの少し背が低いものの、彼よりも分厚く、服越しにもわかる程度には筋肉質な体つきをした一人の青年だった。ぼさぼさの金髪は無造作に結われ、手入れを怠っているのであろう前髪は長い。おまけに眼鏡をかけているから、目元は鮮明さに欠けた。

 彼は見事なまでの無表情で、ナイアの顔を見下ろした。その間、瞬きはない。真一文字に引き結ばれた唇が動くまで、二人の間にあったのは沈黙と視線の交錯のみであった。


「何故ここに入れた?」


 青年の手が伸びる。そのまま肩に置かれそうになったそれを、ナイアは流れるように回避する。──が、踏み台についた車輪が滑り、彼女の体勢はぐらりと傾いだ。

 転倒する。手も足も間に合わないことを悟ったナイアはすかさず受け身を取ろうとしたが、その前に青年がこちらの体を受け止めていた。背中に回された腕には力が込められているとわかるが、目の前にある青年の表情は微動だにしない。


「何故ここに入れた?」


 そして、先程と同様の質問。今しがた起こったことなど眼中にないかのような物言いをされては、さすがのナイアも良い気がしなかった。


「市民証明書の提示は済ませた。司書からも許諾をもらっている。お前に咎められる道理はない」


 だから離せ、と続けて身をよじらせるが、青年に解放する気はないらしい。ふるふると首を振り、そういうことではない、と彼は否定する。


「きみは市民登録されていない、だというのに証明書が存在するとはどういうことだ、プロキオンが通したのなら偽物ではないはず──いや、あるいはプロキオンに欠陥エラーが生じたのか、あるいは──とにかくきみはソルセリアの市民として我々の中に登録されていない状態にある、これは一体──」

「……何を言っているんだ、お前は」


 こちらを凝視したままぶつぶつと独り言をこぼし始めた青年を前にしては、ナイアも不快感より薄気味悪さの方が勝ってきた。じっとりと白眼視しながら問いかけると、青年の挙動、その一切がぴたりと止まる。


「…………何を言っているのだろう、当機は」

「質問に質問で返すな。……それと、いい加減離れてくれ。公共の場だぞ」


 ぱち、と瞬きをひとつ。背中に回された手に押され、崩れた姿勢が立て直される。

 幸いながら、特に注目された様子はない。青年はいかにもいそうなエレニといった容姿をしているが、残念ながらこちらは違う。できることなら衆目に晒されたくはない。

 そんな青年はというと、相変わらず眼前から退くつもりはないようだ。じ、とナイアを見下ろし、一切変わらぬ表情で言う。


「先の距離はきみに羞恥をもたらすのか。理解した」

「誤解を招く言い方はやめろ。大した用がないのなら、もうオレに関わるな」

「待て」

「なんなんだよ……」


 今度は接触こそなかったものの、こう何度も引き留められるとうんざりせずにいられない。意図せず砕けた口調が飛び出たナイアを、青年はしかと見据える。


「きみは市民証明書を有している。それは紛れもない事実だろう。現にプロキオンはきみを認証し、問題のない市民としてこの場に入れた。それは当機も否定しない」

「……何が言いたい」

「悪いが先程から当機はきみを観察していた。きみの市民証明書、ナイアという名義で発行されているようだな」


 言い切る前に、青年は再び手を伸ばしていた。今度は回避させる隙も与えられず、気付けばナイアのパスケースは表へと引きずり出されている。

 掌大の証明書に刻印された、Naiaの文字。姓はなく、ただその名前だけがぽつんと

 青年は一度だけ、短い文字列に目を向けた。だがそれは須臾の間のことで、彼の藍紫色シアンをした瞳はすぐにナイアへと戻っていた。


「紹介が遅れたが、当機の個体名はアルコア──このソルセリアにおける平和維持機構、国家によって形成されたヒューマノイドだ」

「ヒューマノイド……」

「きみの名はかつてソルセリアにあった部族、ゲノ族によって信仰されていた女神のそれと一致する。化身アバターではないが、何らかの繋がりはある……といったところか」


 青年──アルコアが一歩踏み込む。ナイアの上から影が落ち、次いで抑揚を感じさせない低い声が降りかかった。


「ナイア。きみは市民証明書こそあるものの、ソルセリアには存在しない市民だ。当機は、きみの正体を明かすもの──きみ自身を証明するため、ここにいる」

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