第5話 蛍

 追手が迫っているとはいえ、不眠不休の運転は体に毒だ。イェレは三徹程度なら耐えられるよ、などと苦笑していたが、それで倒れられては元も子もない。ナイアとヘスペリオスの反対により、三人は日暮れに入ったマーブルフォードという街で一夜を明かすこととした。


「……車を停める場所を探す間、宿を探してくれとは頼んだけどさ。だからといって、若い子連れてこんな……明らかにいかがわしい宿はないだろ」


 そして現在、宿探しを任されたナイアとヘスペリオスは明らかに恋人が睦むためのダブルベッド──しかも総じて桃色である──の上に座って説教されていた。

 二人の前には、腰に手を当てて仁王立ちするイェレがいる。個人契約が大半の中で、流れ者でも使える駐車場探しには苦労したようだ。……それを抜きにした心労もあるのだろうが。


「落ち着けよ、これにはちゃんとした理由がある。俺だっていかがわしい目的で軽はずみな行動には出ねえよ」


 ここで弁明に出ようとするのはヘスペリオスだ。ベッドの上にどっかと胡座をかいた彼には、まず反省の色がない。先程までの説教も、きっと右から左へと聞き流していたことだろう。


「良いか、俺たちはただの旅人と違う。その原因は間違いなくお前だよ、イェレ。アルソニアンからの追手がいるお前を上手く隠すには、そんじょそこらの宿じゃ駄目だ。第一、アパートメントは割れたんだろ? だったら普通の宿なんてご法度だ。記録を漁ればすぐに気付かれる」

「おれは車中泊でも良いって言ったよ。お前が止めたんだろう」

「おっと、俺だけに責任を押し付けるつもりか? 車中泊に反対したのは姫さんもだぜ。なあ?」


 ヘスペリオスから目線を向けられて、ナイアは力強くうなずいた。こればかりはイェレが反論しても引けない。

 二対一となるとさすがのイェレも不利を感じずにはいられないようで、一度は不本意そうに口を閉じる。しかし不満は抑えきれないのか、もごもごとこもった声を出した。


「二人の言い分はわかったよ。旅を危険にしてるのは、紛れもなくおれだし……あいつがすぐに諦めるとも思えないからね。上手く撒き続けるか、あいつを完膚なきまでに破壊するしかない」

「そのことなんだが、以前乗り込んできた男は一体何者なんだ? アルソニアン共和国の者のようだが……」


 思えば、アパートメントの脱出以降ゆっくりと話す機会などなかった。この辺りで情報共有はしておきたい。

 アルソニアン共和国の存在こそ知っているナイアだが、それ以外となるとさっぱりだ。そもそもネウナ大陸のこともよくわからないので、この機に色々と聞いておくのも良いかもしれない。

 例の男を思い出したのか、イェレは一瞬顔をしかめる。しかし、すぐに困ったような苦笑を浮かべて答えた。


「あいつは、アルソニアン共和国の秘密警察でね。斥候や殺し屋、詰まるところ表向きには言えないような仕事をまとめて請け負う役職さ」

「秘密警察……」

「政治警察って言う方が、ソルセリアでは馴染み深いかもな。ま、こっちでは市民受けもある程度考慮してるだろうが、アルソニアン共和国ではそうもいかない。あっちじゃ人権なんてほぼ無視して監視、諜報が行われてる。暗殺や拷問も日常茶飯事だ。治安維持のためならなんだってやるような連中だよ」


 ベッドから降り、部屋中をうろうろと歩き回りながらヘスペリオスが補足する。彼は室内に置かれている性具が気になるらしい。

 何はともあれ、イェレは国家権力に狙われている身と考えて良いだろう。いくら世間知らずと言えど、ナイアにも事の重大さは理解できた。いきなりアパートメントに乗り込んできたのもうなずける。


「イェレ。お前、地元で何かやらかしたのか?」

「げっほ」


 疲れきった様子でソファに腰かけ、駐車場からの帰りに購入したと思わしき水を飲もうとしていたイェレは、ナイアからの悪意なき問いかけに思いきりせた。


「や、やらかしたって……誤解を招くような言い方はやめてくれよ。そんなやんちゃしてた訳じゃない」

「それなら、どうして秘密警察なんかに追われているんだ? まさかアルソニアン共和国は移民すら許さないのか」

「……そのまさかなんだよなあ」


 はあ、と溜め息をひとつ、イェレは項垂れながらぽつぽつと語る。


「アルソニアン共和国は、これまであった王政を打破してできた国なんだけど……万民平等を謳いながら、一部の人間が利権を独占している状態だ。特に人種差別はソルセリアに負けず劣らずで、併合された地域の人々は農奴と変わらない。死ぬまで国に税金を納め、戦時となれば若い男が徴され、もともとあった国の文化や風習を捨てさせられる。アルソニアン共和国から出ることができるのは、裕福な特権階級だけだ」

「ならば……他国に移ることすら罪なのか?」

「そういうこと。アルソニアン共和国に生まれたからには、祖国で一生を終えなければならない──っていうのが、御上おかみの言い分だ。だからアルソニアン共和国に場所の民は、自らの帰属意識を奪われ、一生搾取されながら人生を終える。それを普遍として受け入れるよう強要される。おれみたいにかつての面影を残すような名を持つ人は、改名しなければ国に対する忠誠義務に反したとして投獄される。酷ければ極地に送られて、死ぬまで開発に従事させられる。……おれたちは移民というより、難民に近いんだ」


 そこまで語ると、イェレは胸元からシガレットケースとライターを取り出す。箱から一本煙草を取り出して火をつけると、苦虫を噛み潰したような顔で煙を吸い込んだ。お世辞にもうまそうに吸っているようには見えなかった。

 移民という名の難民。ナイアは、先程のイェレの言葉を胸中で反駁する。

 きっと、故郷を出るだけでも命懸けだっただろう。父祖の地を捨てなければ、普遍的な自由を得ることすらできない──たとえソルセリアにたどり着けたとしても身の安全が確定する訳ではなく、現にイェレは秘密警察から狙われている。故郷から遠く離れた異国でも、安穏とした生活を手に入れたとは言い難い日々を、眼前の青年は送っている。


「──詰まるところ、こいつはイェレを捨てなかったからおっかない連中に追われてるのさ。それだけが理由じゃないだろうが、大きな理由のひとつはわかったろ?」


 押し黙ってしまったナイアの背中がぽんぽんと叩かれる。振り返ってみれば、いつの間にか隣に戻っていたヘスペリオスがにやりと意味ありげな笑みを向けていた。こちらに触れていない片手には、明らかに普段使いはしないであろう蛍光色を帯びた桃色の粘液が入った小瓶がある。使い勝手については知りたくないので、ナイアは見て見ぬ振りをした。


「とりあえず……例の男は並大抵の相手じゃないんだな? 銃で急所をぶち抜いてもぴんぴんしていたし、もしや人間ですらないのか?」

「いや、一応は人のはずだ。アルソニアン共和国に限ったことじゃないけど、あれは人体実験の賜物さ。体の一部を機械化することで、常人にはない強度と身体能力を手に入れる……まあ、有り体に言えば改造人間だね」

「へえ、最近はそんなものが流行ってるんだな。俺からしてみれば、人の醍醐味は脆さと儚さ、あとはそれらを含めてしぶといところだと思うんだが──誰も彼もが俺の目線には立てんか。どっかの誰かさんは、せっかく人命を手早く最小限の労力で奪える手段を持ちながら物理攻撃を選んでいたがね」

「……仕方ないだろう。使い方がわからなかったんだ」


 銃という武器の存在は無論存じ上げているが、その使用方法をナイアは知らなかった。イェレのホルスターから抜き取って一通りいじってはみたものの、動作不良や暴発の危険性、そして素人による命中率を考慮して投擲という手段を取った。……形状が若干だが飛去来器ブーメランに似ているので投げやすいと思った、などとは口が裂けても言えない。好戦的な女神が口外しないことを祈るばかりだ。

 閑話休題。ひとまず、件の男が相当な脅威であることはわかった。秘密警察、そして改造人間となれば、こちらの常識の枠組みを蹴破って来ることなど想像に容易い。今後も警戒するに越したことはないだろう。


「とにもかくにも、だ。あいつを警戒するのは当然として、まずはルクィムの場所を突き止めなくちゃいけないね。パンデスまでの道のりで情報収集ができたら良いんだけど……」


 先程よりも幾分か表情を弛めて、気を取り直すようにイェレが切り出す。彼は早速二本目の煙草に火を点し、流れるような動作でそれを口に運んだ。


「ナイア、ルクィムの神殿について、何か他にわかることはない? どんな些細な情報でも良い、手がかりはひとつでも多く確保しておきたいからね」

「ルクィムの、神殿……。伝承ばかり聞かされてきたから、具体的な場所は、よく……」

「姫さんにくっついてる女神なら、本拠地のことも知ってそうだがねえ。イェレはあれをなるべく呼び出したくないんだろ?」

「……当たり前だろ、この子の命に関わるかもしれないんだ。ルクィムの場所は、おれたちだけで突き止める。口寄せなんて時代遅れな手段は使わない」


 鋭い睥睨がへスペリオスを射抜く。……が、彼はこなれた様子でそれをいなした。


「ったく、いつにも増して意固地だな。わかったからまずは考えようぜ、あと煙草を吸うなら換気ぐらいしな」

「お前だって喫煙のひとつくらいするだろ」

「俺は愛煙家、お前はヘビースモーカーだ。こっちは時と場合を考えられるし、ガキの前では慎みを持てる。お前とは違うんだよ」

「……二人とも、少し静かにしてくれ。今頑張って思い出そうとしてるんだから」


 イェルニアの男二人の言い争いは、瞑目して記憶の糸を手繰り寄せるナイアによって一次休戦した。……とはいえ、お互いに目線で火花を散らしてはいたが。

 そんな外野を余所に、ナイアは神官から聞かされてきた伝承を思い起こす。ずっと伝承の口伝ばかりして過ごしていた訳ではないので、鮮明に記憶しているとは言えないが──それでも、朧気に覚えていることはある。


(伝承にいわく……女神ナイアの神殿は地下にある。その特徴として──壁面が発光するのだと、神官は言っていた)


 ゆっくりと瞼を開き、ナイアはイェルニアの男たちを見つめる。急な凝視に耐えかねたのか、イェレの喉が上下した。


「二人とも、自然発光する鉱物について何か知っていることはないか? ルクィムの神殿は、地下にありながら壁面が発光するらしい」

「発光する鉱物──っていやあ、蛍石フローライトか? 地下にあるなら少量の紫外線しか入らないから、恐らく亜種だろうが──ソルセリア南部じゃ蛍石がよく採れるって聞いたことあるぜ」


 真っ先に答えたのはヘスペリオスだ。いつの間にかほどいていた髪の毛を指に絡めつつ、楽しげに笑みを深める。


「……随分と詳しいんだな。お前、鉱物に関係あったっけ?」

「何、ただの趣味さ。せっかく手に入れた自由なんだから、活用しなきゃ損だろう?」


 イェレから訝しげな目で見られても、ヘスペリオスの様子は変わらない。からからと笑いながら、ナイアに顔を近付けてくる。何かしらの香料を身に纏わせているのだろう、ナイアの鼻先を初めて体感する匂いがくすぐった。

 そういえば、ヘスペリオスの目をまじまじと見る機会などなかった。ナイアは瞬きも忘れ、鋭利なその目元を注視する。

 先程話題に上がったのは蛍石だが、ヘスペリオスの瞳は黒真珠に似ている。光の加減によって純黒にも白銀にも見える色彩は、無機質だが美しい。

 いつまでも見つめ合うつもりはないので、ナイアはすぐに顔を背ける。ずっと間近で見ていたら、自分自身がへスペリオスの瞳に吸い込まれてしまいそうで怖かった。


「ひとまず、蛍石の名産地や亜種の存在について調べる必要がありそうだね。幸い、パンデスまでの道のりの中に有益な情報を得られそうな都市がある。ここからもそう遠くないし、次の目的地はそこにしようか」


 ナイアの心境を察してか、イェレが微笑みを浮かべながら提案する。そこ、とおうむ返しに首をかしげれば、彼はこちらの無知を笑うことなく解をくれた。


「学術都市レイマック。ソルセリアにおける名門校が一堂に会する学都にして、プロキオン州の州都だよ。国内最大級とも言われる図書館は一般市民でも入館可能だから、情報収集にはぴったりなんじゃないかな」

「レイマック……」

「州こそ跨ぐけど、レイマックは車で半日もかからない距離にある。明日の朝に出発すれば、日中には着くと思うよ」

「学術都市、ねえ。退屈はしなさそうだな」


 地理に疎いナイアに反論が思い付くはずもなく、大人しく首肯する。情報収集を抜きにしても国内最大の図書館は気になるし、レイマック以上に適した場所はないと思う。

 そうと決まれば、後は休息をとるに限る。余談だが、体の大きさを考慮した結果、イェレとへスペリオスがベッド、ナイアがソファで眠ることになった。ナイアとしては快適な睡眠環境だったが、ベッドで共寝した二人は揃って苦々しげな顔をしていた。その理由はあまりにも単純だが──先に熟睡したナイアは知る由もないことである。

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