第4話 触れる


「──で、お前は通りかかったずぶ濡れの姫さんを心配して声かけて、そのまま脅迫されてアパートメントに連れていったら本国の追っ手に見つかったからとりあえずいっしょに逃げて、その先に運良く俺がいた……ってことか。相変わらず波瀾万丈だな」


 ドライブインで購入したホットドッグを齧りながら、ヘスペリオスはしみじみと評した。もう片方の手にはコーラがあり、氷嚢の代わりとして頬に押し付けられている。

 現在、ナイアたちはジープでパンデスを目指している真っ最中だ。運転はイェレ、助手席にヘスペリオス、そして後部座席にナイア。錆びた自転車は、途中のごみ捨て場に置いてきた。無事に回収され、再利用されることを祈ってやまない。


「仕方ないだろ、何もかもが成り行きだったし……それに、あの状況で自分だけ逃げるとかあり得ないから」


 この場で唯一運転免許を持っているというイェレは、煙草を咥えながら至極不機嫌そうに答えた。穏和そうな見た目の彼だが、意外にもヘビースモーカーの気があるらしい。車内は誤魔化しようのない煙たさに満ちている。

 後部座席でマフィンを頬張りつつ、ナイアはちらりとルームミラーを見遣る。そこに映るイェレの顔は、いつになく険しい。


「にしても、先住民たちの報復、ねえ……。これまでなくはなかったんだろうが、ふるき神の意を仰ぐってのはなかなか興味深いな。しかも相手は本物の現身と来た。これはさすがにソルセリアもヤバいんじゃないか?」


 ヘスペリオスはこう言うが、口調はいたって軽快だ。第三者ならではというべきか、あくまでも他人事として楽しんでいる感がある。

 女神ナイア。ナイアの意識を時折乗っ取る、血塗られた女神。

 まなうらに返り血まみれの女を夢想していた矢先、ナイア、と呼び掛けられる。声の主は、ハンドルを握るイェレだった。


「昨日は途中で邪魔が入ったから、最後まで聞けなかったけれど……。ナイア、君の目的とは一体なんだ? 女神ナイアの力を使って、君はソルセリアをどうしたいんだい?」


 口に含んでいたマフィンを嚥下し、ナイアは暫し沈黙する。何度か言葉を選んでは唇を閉じを繰り返して、やっとそれらしい切り出し方に至る。


「……わからない。ただ、女神ナイアの本拠とされる、ルクィムの神殿に行けばわかると……そう、神官は言っていた」

「そりゃ具体性に欠けるな。姫さんはそれで納得できたのか?」

「納得するも何も……そうしなければ、オレの命がなかった。それ以外の選択肢は死しかない。故にルクィムを目指す。それだけだ」

「へえ、ゲノ族の連中からそう焚き付けられたのか? 大願だなんだと言いながら、随分と他人任せなんだな」


 喉を鳴らすように笑ったヘスペリオスを、ナイアは背後から睨む。


「奴等はオレに全てを背負わせた、その事実は変わらない。だが、他人任せとは違う」

「ほう?」

「ゲノ族は本気だ。本気で、略奪者への報復を望んでいる。その覚悟の結果、オレを除くうからは全てこの手で葬った──女神ナイアに捧げる生贄として、そうなることを奴等が肯定したんだ。ただ一人の反対意見もなく、全会一致でな」


 車は止まらなかったし、誰も声を上げなかった。だが、イェレが息を飲むのはわかった。

 現代の価値観からすれば野蛮にあたるということを、無論ナイアも理解している。故に、多かれ少なかれ引かれるのは覚悟していた。

 だが、イェレはともかくヘスペリオスは涼しい顔をしている。陰惨な過去を恐れるでも、異民族の蛮行を蔑むでもなく、ただかのように淡白な目で聞き役に徹するばかり。

 不思議な男だ、とナイアは思う。初手で攻撃しておいて何だが、ここまで平らかな態度の略奪者──もといエレニは初めて見た、ような気がする。白い肌を持つエレニたちは、皆言動の根底に文明人であるという自負と、そうでない人々への蔑視やおそれがあるものだ。


「それで、姫さんは引くに引けなくなったって訳か。責任重大というか──贄にするったってもっと効率的なやり方があっただろ。皆が皆感情的になる程溜まってたってことで良いのかね」


 自分の方に漂ってくる紫煙が煩わしかったのか、流れるように窓を開けて換気しながらヘスペリオスは嘯いた。生贄に効率を求めるのはどうかと思うが、そこに偏見がないのはわかるのでなんとも言えないところだ。


「これはオレが望んで受け入れたことだ。オレはオレのやりたいようにやる──今できることと言えば、女神ナイアの機嫌を損ねて殺されないよう努めることくらいだな」


 何にせよ、当初の目的は変わらない。イェルニアの男を伴い、ルクィムの神殿へ行く。その結果何が起こるのかは、ナイア自身にもわからないけれど──まあ、なるようになるだろう。悩むのは困難に当たった時で良い。

 ナイアは自らの胸──心臓があるべき位置へと、服越しに触れる。

 いつ如何なる時も規則正しく動き続ける、ナイアの心臓。これが拍動を停止する時、全てし済ませられるのだろう。


「……大方の事情はわかったよ。全面的に肯定できる内容ではないけれど……おれも追われてる身だしね。できる範囲なら協力するよ」


 イェレの言葉に顔を上げる。背中を向けている彼の表情は窺い知れなかったが、その口振りは初対面の時と同様に優しかった。どうやら、ナイアに対してはまだ敵意や嫌悪を抱いていないようだ。

 ルクィムの神殿に行けば死ぬかもしれないのに、つくづく呑気でお人好しだとナイアは思う。それがイェレという青年の、決して直しようのない個性なのかもしれないが。


「そういう訳だから、ルクィムの神殿がどこにあるかを教えてくれる? 多分ルクィムっていうのは、ゲノ族にとっての呼称だろうから」


 直線上の道だからか、イェレの運転には余裕がある。ルームミラーに映る横顔は穏やかで、先程の険しさは微塵もない。

 ナイアはそのことに一瞬安心してから、ゆるりと頭を振った。


「それがわからない」

「……えっ?」

「南方にあるとは聞いていたが、それ以外はさっぱりだ。正直オレも誰かに聞きたいと思っていた」

「ええ……」

「あっはっは、なるほどそう来たか。良いね、面白くなってきた」


 言葉を失うイェレと、傍観者の立ち位置を譲らないヘスペリオス。車内はなんとも言えない複雑な空気に包まれる。


「ま、行き当たりばったりの旅ってのも良いじゃないか。こうなったら楽しもうぜ、イェレ?」

「うるさいよ。どうせお前とはパンデスで別れるんだ、余計なことしたら即降ろすからな」

「喧嘩はやめてくれ。お互いむしゃくしゃしてるなら、潔く殴り合いで決めろ」

「姫さんの場合は一方的だったけどな?」

「う……………」


 事実を突き付けられてはぐうの音も出ない。険悪な雰囲気を少しでも緩和しようとしたものの、逆に気まずくなってしまった。

 それ以上の反論ができなくなったナイアは、眉根を寄せながらマフィンにかぶり付く。前方でヘスペリオスがからからと笑ったが、癪だったので無視したのは言うまでもない。

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