強者を演ずる弱者

三鹿ショート

強者を演ずる弱者

 私が住んでいる集合住宅の部屋の壁は、薄い。

 隣室から毎日のように怒鳴り声が聞こえてくるため、性質の悪い人間が住んでいるのだろうと考えていた。

 だが、それは私の家族も同様である。

 ただでさえ素面の状態で暴力を振るってくる父親は、酔っ払うと手が付けられないほどに暴れ回っていた。

 ゆえに、私は傷が絶えず、毎日のように己から流れ出る血液を目にしなければ不安になってしまうほどだった。

 加えて、学校へ向かえば弱者を虐げることに快楽を得るような人間の標的にされているため、私の気が休まる時間など存在していなかった。

 人生に絶望しているために、自らの手で生命活動を終えた方が幸福だろう。

 しかし、そのような道を選べば、私を虐げる連中に完全に敗北したようなものである。

 自身の未来を途絶えさせないことは、私にとって唯一の抵抗だった。


***


 学校から自宅へ向かっている途中、私は物陰で数人の男性に囲まれている少女の姿を目にした。

 男性たちが下半身を丸出しにして情けない声を出していることから、どのような行為に及んでいるのかなど、想像するに難くない。

 果たして、彼女は目に涙を浮かべながら、男性たちの欲望の捌け口と化していた。

 その表情から、彼女が現状を望んでいるか否かなど、阿呆でも分かることである。

 人間として、彼女を救い出すべきなのだろうが、相手の人数を考えると返り討ちに遭うことは目に見えている。

 それでも、理不尽な目に遭わされている彼女を放っておくことができなかった。

 ゆえに、即座に逃亡することが可能となるように、私は彼女たちから少し離れた場所で、助けを求めるような大声を発した。

 大通りへ飛び出し、人混みに紛れて様子を窺っていると、先ほどの男性たちが慌てた様子で逃げていく姿を目にした。

 男性たちの姿が消えたことを確認すると、足早に彼女のところへと向かった。

 彼女は泣きながらも着替えている最中だったため、私は手で目を覆いながら声をかけた。

「今後がどうなるかは不明だが、この場だけでも逃れることが出来て良かった」

 その言葉から、私が男性たちを遠ざけたのだと気付いたのだろう、彼女は震える声で感謝の言葉を口にした。


***


 話を聞いたところ、彼女は私と同じように、両親や同級生から虐げられているらしい。

 偶然はそれだけではなく、彼女は隣人の娘だった。

 あの集合住宅は問題のある人間を集める魔力でも持っているのかと考えながらも、初めて同じような境遇の仲間を得ることができたために、素直に嬉しく思った。

 だが、彼女は自分を救ってくれた私を弱者だと考えていないらしく、頼りになる年上の人間として認識しているようだった。

 私の多くの傷も、彼女と同じような人間を救ったことによるものだと考えているらしい。

 正直に話すべきなのだろうが、向けられたことのない尊敬の眼差しに、私は酔ってしまっていた。

 ゆえに、私は彼女の相談に乗る良き人間として振る舞うことを選んでしまったのである。

 隠す必要も無いのだが、真実を語ってしまえば、唯一の味方である彼女を失ってしまうのではないかと恐れてしまい、私は襤褸を出さないように気を付ける日々を過ごすことになった。

 幸いにも、彼女は物事を深く考えるような人間ではなかったため、真実が露見することはなかった。

 しかし、何時までこの偽りの関係を続けなければならないのだろうかと、私の心労が増えることになってしまったことを考えれば、どうするべきなのかは明らかである。

 だが、私のことを尊敬する彼女の心情を利用し、彼女を恋人としてしまったために、話す機会を自らの手で潰していたのだった。

 恋人を裏切っているという後ろめたさと、彼女から向けられる深愛の眼差しの板挟みとなり、眠れない夜が続いていたのである。

 真実が明らかとなれば、彼女は私を軽蔑し、捨てるのだろうか。

 そのことを考えるだけで、私は胸が張り裂けそうになった。


***


 街中で私を虐げている連中と遭遇してしまったために、物陰で殴られ、蹴られ、そして金銭を奪われる羽目になった。

 衣服の汚れを払いながら立ち上がった私は、此方を見つめている一人の少女に気が付いた。

 それは、彼女だった。

 おそらく彼女は、自分が想像していたものとは正反対の現実を目の当たりにしたことだろう。

 そして、私に対する信頼や愛情を失ってしまったに違いなかった。

 金銭を奪われたことよりも彼女に真実を知られてしまったことに対する衝撃が大きかったためか、私は涙を流してしまった。

 ここまで情けない姿を見せれば、たとえ彼女では無かったとしても、二度と顔を見たくは無いに違いない。

 そう考えている私に、彼女が手巾を差し出してきた。

 何事かと彼女に目を向けると、彼女は口元を緩めながら、

「たとえあなたが困っている人間を救う英雄ではなかったとしても、あのとき私のことを救ってくれたことに、変わりはありません。同じような立場なら、互いの気持ちも理解することができますから、これからの私たちは、今までよりもさらに親しくなることでしょう」

 そう告げられ、彼女は私が想像していたよりも強い人間だったということを悟った。

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強者を演ずる弱者 三鹿ショート @mijikashort

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