泳げないプール 第21話

 まるで予想だにしていなかった、新たに降りかかった謎。

 わたしは、右手をあごに当てていた。考えるときの、定番ポーズ。

 それから自分でも気づかないうちに、正座を崩して、どっかりあぐらをかいていた。やっぱりなんだかんだ、この座り方が一番落ち着く。少し前かがみの姿勢になって、右肘はももの上。せっかくなので、いまの体勢を維持させてもらう。

——白いシャツ。男。黒髪。青いカバン。それだけの情報じゃ、充分な手がかりとはいえない。犯人を絞るのは、さすがに難しい。

 それに、絶対に性別が男だとは限らない。田中ゆずは、後ろ姿しか見ていない。それも、一瞬だ。さらに言うなら、ぼんやりと。これ以上、先入観には囚われないよう、ここは慎重になる必要がある。

 たとえば日向みたいなベリーショートだと、たとえ犯人が女でも、男だと見間違うこともあるかもしれない。後ろ姿だけなら、なおさらだ。角度の関係で、下半身は確認できていない。

 なら、もしスカートを履いていたとしても、それが見えなければ男だと思い込んでしまうことも、あるにはある。それと考えづらいけど、男装をしていた、という可能性だって捨てきれない。犯人は男だと信じ込ませるための、女の犯人による手の込んだ策、みたいな。

 結局は、男なのか女なのか、迂闊には判断できないということね。性別のことは、一旦後まわし。

 そもそもは、なんで田中ゆずはプールに突き落とされた? なんの目的があって、そんなことをした? どんな理由があれば、そんなことができた?

やっぱり悪質な、悪質すぎるただのいたずら? いや、何か、何かはっきりとした理由があるんじゃないか……。なんの理由もなく、果たしてそんなことをするものだろうか? 

 考えろ。考えろ、わたし。他に手がかりになりそうなのは——落とされる前の、直前の行動。……田中ゆずは、なんて言ってた?

——デジカメで、何枚かプールの風景を撮影して。

 デジカメ……? デジカメに、何かヒントがある? 撮影されては何かまずいものが、そこには写ってしまった? だから、犯人は水没させる目的で、カメラごと田中ゆずをプールに突き落とした……? 可能性として、ありえるかな?

 いや、仮にそうだったとして、カメラは水の中にザブンだ。まず間違いなく、水没してる。ちょうど、同じことを凛も思っていたようで、

「それにしても、災難だったね。デジカメまでプールに落としちゃって……。水没、しちゃったわけだもんね。ほんとに、つらかったよね」

 慰めの言葉を、田中すずに優しくかける。でも、田中ゆずが返した言葉は、

「いえ。カメラは防水タイプなので。それに関しては大丈夫でした」

 防水。だからカメラは無事……! つまり、撮影した写真を確認できる。その事実を知ると、自分でもちょっと引くぐらい声が大きくなった。

「ねえ! プールの風景って、具体的にどっちの方向撮ったの!?」

 当然、田中ゆずを困惑させてしまう。が、それでもちゃんと答えてくれる。

「え、えと……。住宅地がバックになるように、撮りました。お寺とか、公園とかがある方向です。方角で言えば、北……」

 もちろん次のわたしの言葉は、これだった。

「カメラ、見せてくれない!?」


 田中ゆずが、机に置かれていたデジカメを持ってくる。〈オクトパス〉の、メタリックブルーのデジカメだった。高そうだ。わたしたち三人はカーペットの床に座りながら、カメラの液晶を覗き込む。お互いの肩に触れるくらい、距離が近い。

 田中ゆずがカメラを操作する。

 真っ暗だった画面が立ち上がり、数秒後には写真が表示された。画質は綺麗だった。さっきまでわたしたちがいた、浜野高校のプールの写真だ。

 構図は俯瞰でも煽りでもなく、水平。それから、長方形のプールが平行にではなく、斜めになるように撮られている。バックには、フェンスの外側の、茂みの先に住宅街。撮影者である本人が言った通り、お寺や公園も写っている。右下に、『2006/07/26』の日付。

 画角とアングルからして、出入り口から見て左端、「1」のスタート台付近から撮影したらしい。ぱっと見、異状は見当たらない。普通の、夏らしいプールの写真だ。ちゃんと水も張ってある。

 田中ゆずが小さい声ながらも、説明してくれる。

「これが、一番最新の写真ですね。撮ったのは十枚ほどで、ぜんぶ、同じ構図なんですけど」

 撮影された写真に目を落としながら、

「遡っていってくれる?」

 とわたし。

「あ、はい」

 十字キーのうち、左矢印のボタンが押された。ピ、という操作音。要求通り、次の写真が表示される。これが、一番最後から二枚目の写真。同じ構図で、同じプールの写真。ううん……見た限り、これも異状はなさそう。わたしは言う。

「次、お願い」

 三枚目。これも、異状は見られなかった。……そうして四枚目、五枚目、六枚目……と、どんどん遡っていく。

 同じプールの写真が、九枚目に達したときだった。何か、写っている。人影、のようなものが、かすかに見える。フェンスの奥の、茂みに隠れるようにして立っている、ような。そのすぐ背後には、公園。田中ゆずが、早くも次の写真に切り替えようとした。

「待って」

 鋭く言って、田中ゆずの、親指の動きを止める。わたしの人差し指が、例の人影をさす。

「ここ、人写ってない?」

 すると、何か苦いものでも噛んだような、凛の声。

「え、やだ、心霊写真?」

「では、ないかな」

 そう苦笑いしながら、指の先は液晶に向けたままで、

「拡大できる?」

「はい」

 田中ゆずが、素早い手つきで十字キーを操り、画像をズームアップさせていく。ピ、ピ、ピと、単調な操作音が鳴り続ける。と同時に、指示した部分が、どんどん拡大されていく。その分、画像は粗くぼやけていくものの、それでもわかった。充分だった。フェンスの向こう側、落葉樹の茂みの中に立っているその姿が、みるみる露わになる。このデジカメ、最新型なのかな。とにかく、画質の良さに救われた。

 ぼんやりとではあるけど、切れ長の目の下の、泣きぼくろまで見える。向かって、右目の下にぽつりと。男子にしてはやや長髪で、優男っぽい顔立ち。そして胸の高さで一眼レフを構えながら、なぜか驚愕の表情を浮かべているのは——藤田だった。同じクラスで、さっき会ったばかりの藤田聖也。かっと目を見開き、口をあんぐりと開けている。

「あ!」

 と声を上げたのは、凛だった。

「これ、藤田くんじゃない!」

 わたしはこくっとする。

「うん。どう見ても藤田だよ、これ……」

「なんで、こんな驚いた顔してんだろ……?」

 凛の疑問は、もっともだった。わたしの目は液晶に向いたままだから、凛の顔は見えていないけど、たぶんその整った眉はひそめられている。

 そしてわたしには、藤田の表情の理由がわかる。藤田が、ひどく驚いているワケ。でも、そう思うに足る確証は得られていないから、あえて答えない。まだ、推測の域を出ない。疑惑を、確信に変える材料が欲しい。何かないか……。

「あの……誰ですか?」

 と、田中ゆずの戸惑った声。

「うちの三年。わたしたちと同じクラス」

 答えながらも、わたしは画面に目を走らせている。……ん? この、藤田の白シャツの肩に入っている、青の縦線はなんだろう……あ、これ、バッグのショルダーストラップか! 

 そう気づいたときだった。突然、気持ちいいぐらいに、すとーんと腑に落ちる感覚があった。かっこよく言うなら、氷解?

 とにかく、ようやく顔を上げたわたしは、自信を持ってこう言えたのだ。

「凛、ゆずちゃん、学校行くよ!」

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