泳げないプール 第18話

 わたしは、目の前の謎に対して考えを巡らせて、推理をすること自体は好きだ。

 必死に頭を働かせて、真実にたどり着くあの爽快感は、よく冷えた清涼飲料水を飲んだときや、夏の冷たいプールで思いきり泳いたときのあの感じに似ている。

 それでも、導き出した推理を、犯人と思われる人の前で披露することは、好きじゃない。というか、嫌いだ。

 そういうのは、警察や探偵のやる仕事。わたしは、あくまでもただの女子高校生。ごく普通の、市原生まれ・市原育ちの十八歳。生粋の千葉県民。

 高校生のようなただの一般人が、犯人に対して推理を披露し、罪を認めさせる——そんなのは、画面や本の中だけで充分だ。そんなことを現実でやるのは、浅ましいとすら思える。いくら、誰かが間違ったことや悪いことをしたとして、そしてその真相を見抜いたからといって、わたしは、犯人を追及してやろうって気は、ぜんぜん起こらない。

 偽善かもしれない。それでも、誰も傷つかない、穏便な解決が一番だと思う。それに今回の場合、誰か明確に傷ついた被害者がいたわけじゃない。水泳部としては被害は被ったけど、でも、致命的なやつじゃない。

 できることなら、こんなことはしたくない。それでも——人生にはやりたくなくても、どうしてもやらなくちゃいけない瞬間がきっとある。それも、一回や二回じゃない。何度だってある。いまだって、そうなのかもしれない。だからわたしは、腹をくくって訊いた。「犯人は、あなたよね?」と。

 田中ゆずの表情には、明らかに動揺が走っていた。丸いレンズの奥の目が、おどおどと泳いでいる。目が合うと、たちまち逸らされる。だけど……シラを切られた。

「プールの水? なんことですか……?」

 本音を言えば、認めてほしかった。これ以上、追及を続けるのは、こっちも心苦しい。だけど、始まってしまったんだ。そして始めたのは、このわたし。こうなれば、あっさりやめるわけにもいかない。

 姿勢を正して、正座に変える。両手をももの上に乗せて、背筋を伸ばした。冷静に、繰り返す。

「浜野高校のプールの水が、今日の昼、抜かれているのを発見した。そしてそれを抜いたのは……わたしは、あなただと思ってる」

 田中ゆずは何も言わない。黙ってはいるけど、動揺は隠せていない。顔色は青ざめて、目はしばたいている。顔は伏せられがちだ。クッションを、ぎゅっと強く抱きしめている。カバーの生地に、大きくしわが寄る。ためらいつつも、わたしは続ける。

「……なんの根拠もなしに、決めつけてるわけじゃない。いくつか、そう思う根拠があるの」

 言って、一呼吸分空ける。

「前提として、美術部は夏の展覧会に出展する予定の、夏をテーマにした絵を描くことになっていた。そしてその題材の中に、プールも含まれていた。浜野高校のプールね。それを選んだのは——部の中でただ一人。部長の、あなたよ。副部長さんから、さっき教えてもらった」

 証言してもらった、とは言わない。教えてもらった、という柔らかい表現を使う。

 さっきの、親しみやすいツインテールの女の子は、副部長だった。最後に、肩書きと名前を名乗ってくれたのだ。「来月の展覧会、よかったら来てくださいね」とも笑顔で言ってくれた。心が痛かった。

 変わらず、田中ゆずは口を閉じている。固く。そして耐えかねたように、顔を床に向けてしまう。表情が、見えなくなる。クッションを抱きかかえる体勢は変わらない。自分の身を守るかのように、大事そうに抱いている。

 いつの間にか、両手はプリーツスカートをつかんでいて、拳にはぐっと力がこもっていた。そっと、グーをパーに変える。わたしはできるだけ、きつい口調にならないように気をつける。

「あなたは、プールサイドで絵を描いていた。そして副部長は、こうも言っていた——あなたが部室に戻ったとき、なぜかびしょ濡れだったって。そして、ひったくるようにして鞄を取って、何も言わずに帰っていったって」

 様子がおかしかったのは……それぐらい切羽詰まっていたのだろう。仲のいい友達とまともに会話できないほど、精神的に余裕がなかった。

「わたしは、こう考えてる。あなたは、絵を描いている際、何かの弾みでプールに落ちてしまった。だから、濡れてしまった。そして落ちたのは、あなた自身だけじゃなかった。画材道具も、一緒に落ちてしまった——パレットや、バケツなんかが。そうすると、何が起きるか……プールの水は汚れる。あなたは考えた。汚したことを隠さなきゃ、と。水を抜くことによって」

 返答はない。だけど少し、顔が上がる。田中ゆずは少しふっくらとしたくちびるを、ぎゅっと引き結んでいる。声を出さないように、必死に押し留めている感じ。

 深呼吸をしたいぐらい、部屋は重苦しい。凛は黙っている。田中ゆずも黙っている。わたしだけが、喋り続けている。

「でも、水を抜くことは容易じゃない。あのマンホールの蓋は、専用の工具がないと開けられないから。だけど幸いにして、あなたの実家は金物屋。そういう工具が、簡単に手に入る。それも学校から家までは目と鼻の先だから、すぐに行って戻ってこれる。

 そしてあなたは、実行した。プールの水を、抜いた。

 だけど、あなたは気づかなかったかもしれないけど、いくつかミスを犯してる。そのひとつが、スタート台の上に付いた青い塗料の点々。プールに落ちたとき、その弾みで絵の具付きの筆が付いちゃったんだと思う。……スタート台は白だから、その上に絵の具の白を使って塗り重ねたりしていれば、もしかしたら、気づかなかったかもしれない」

 もうひとつのミスの方は、言わない。これは、田中ゆずが認めなかったときの、やむを得ない最後の手札。できれば、切りたくない。

 でも、田中ゆずはやっと言葉を発したかと思うと、声を震わせながら、

「やってません……。何も、知りません。わたしじゃ……ありません」

 部屋の外でどこかむなしく聞こえる、セミの合唱にかき消されそうなほど、消え入りそうな声だった。それほどまでに、弱々しかった。田中ゆずは目を伏せている。わたしも、ちょっとうつむき加減になってしまう。

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