泳げないプール 第17話
田中ゆずは、レモンイエローの薄手のロゴTに、デニムのショーパンを履いていた。
帰宅しているわけだし、そもそもびしょ濡れになったんだから、制服のわけがないか。夏らしい、涼しげなファッションだ。その後ろ姿に、わたしと凛はついていく。
ひとんちの匂い。外の気温と比べたらもちろん暑くはないんだけど、かといって、とりわけ涼しいわけでもなかった。いや、贅沢言わない。家の中に上がれただけでも、ありがたく思え、わたし。
リビングには、壁に固定された扇風機がブゥーンと低く唸りながら、首を振っていた。なるほど、クーラーではなく扇風機を使っていたから、そこまで涼しさを感じなかったんだ。ソファには、恰幅のいいおばあちゃんが座っていて、テレビを観ていた。
液晶テレビに映っているのは、お昼にやっているトーク番組。液晶、憧れる。うちのはまだブラウン管だ。日頃から両親に買い替えを迫ってるんだけど、なかなか首を縦に振ってくれない。
おばあちゃんはわたしたちの姿を見るや、
「あら、すずのお友だちかい?」
と人当たりの良さそうな笑顔を向けてくれる。田中ゆずは、若干の太眉をひそめた。
「おばあちゃん、だからわたしはゆずだってば」
ちょっと咎めるような言い草。
「お姉ちゃんは、まだ学校」
すると、おばあちゃんは朗らかな顔で、
「ゆずだったかい。ごめんねぇ。あんたたち、本当にそっくりだから」
「……うん」
田中ゆずは、小さく頷いた。日常的に、姉と自分とを間違われているのかもしれない。
タイミングを見計らったように、凛が挨拶する。丁寧に頭を下げて、
「おじゃまします」
慌てて、わたしも倣う。
「あ、おじゃまします」
「はぁい。いらっしゃい」
そう微笑んで、またテレビに向き直る。
「あの」
田中ゆずが、わたしたちをちらっと見る。それから、階段もちらっと見る。声のボリュームを落として、控えめに言った。
「うちには、客間とかないので……必然的に、わたしの部屋なんですけど」
願ってもないことだった。どうやって部屋に上げてもらおうか考えあぐねていたから、まさしくこれ幸いだ。軽々しく、第二関門を突破。
田中ゆずとおばあちゃんの他に、家族の姿は確認できない。ご両親は、不在のようだ。リビングを横切って、狭い階段を上がる。田中ゆずを先頭に、わたし、凛の順で一列に。踏むたびに、ぎしりと軋む音がした。
二階に上がると、左右に伸びる廊下の突き当たりを、右に曲がった先に田中ゆずの部屋はあった。一番奥の部屋だ。
さして広いわけでもないけど、三人いてもたいして窮屈さは感じない。五畳半くらいだろうか。洋室だ。年頃の女の子らしく、カーペットにはぬいぐるみやクッションが転がっている。これまた女子らしく、壁際のラックや本棚には上から下まで、少女漫画の赤い背表紙がずらっと。あ、『11人いる!』とか『地球へ…』もある。昔、お母さんのおさがりで読んだな。
壁にはまたまた美術部員らしく、いろんな絵が飾ってあった。なんだか、「〇〇らしく」のオンパレードだ。額縁の中の絵は、自分で描いたものなのか、プロの画家が描いたものなのか判別がつかない。中には、子供の落書きみたいなぐちゃぐちゃした感じの絵もあった。こういうのって、なんて言うんだっけ。……抽象画?
「おしゃれな部屋だね」
凛が軽く賛辞を送ったけど、田中ゆずは無視した。なんの反応も示さない。見た目はそっくりだけど、性格は姉とは真逆みたい。すずの、これまで人生で一度も人見知りなんてしたことがなさそうな、あの日本人離れしたフレンドリーさは、妹のゆずにはまったく感じない。こうなると、姉の部屋はどんな内装なのか気になってくる。
カーテンは閉まっていた。二箇所あって、二箇所とも。窓から、高校が見えるのかな。部屋は電気の明かりで、暗くはない。
室内は、クーラーがガンガンに効いている。設定温度はかなり低そうだ。すぅっと、汗が引いていく感覚。わたしは嬉しいけど、凛にはちょっと寒いかもしれない。どっちみち、手短に済ませるつもりだ。
わたしと凛は、カーペットの床にぺたんと腰を下ろした。俗に言う、女の子座り。普段はデニムのパンツばかり履いていて、家ではたいていあぐらをかいてるんだけど。ここは人の家だし、だいいちいまはスカートだから、遠慮する。鞄は、体の脇に置いた。
田中ゆずもベッドを背にして、座り込む。ちょっと距離を空けて、わたしたちと向き合った。クッションを手繰り寄せ、胸に抱きながら。
「それで……」
田中ゆずが言いかける。しかし、それで、のあとが出てこない。「それで、話ってなんですか?」って言いたいんだろうけど、下を向いて黙り込んでしまった。気まずい沈黙が続く。やがて、田中ゆずはやっとの思いでという感じで、声を絞り出した。
「訊きたいことって……なんですか?」
……向こうが勇気を出して、訊いてくれたんだ。焦らしたり、もったいぶったりする必要なんてない。そうだね。ここは前置きなしで、
「単刀直入に言う。プールの水を抜いたのは……あなたね?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます