泳げないプール 第15話

 十分後。嘘の理由をでっちあげてなんとか訊き出した住所に、わたしと凛は立っていた。衝撃の事実を、味わいながら。

 見つめる先にあるのは——金物屋。

 まあまあ年季のある建物だった。昭和の時代からあるのかもしれない。

 店の軒下には、ホウキやデッキブラシ、熊手といった掃除用具が出ている。くすんだ窓ガラスの奥は、薄暗い。光量の弱い蛍光灯の下で、ありとあらゆる工具や金物が、無理やり詰め込まれているのがわかる。天井にまで届きそうだ。ひとたび店に足を踏み入れれば、絶対ホコリっぽいと思う。見たところ、店内の広さはコンビニよりひとまわり小さいぐらいか。ただ、建物は二階分の高さがある。

 二階に相当する部分に窓はない。代わりに錆の浮いたトタン板に、『工具・道具・金物なんでもあります』、『鍵の修理・水まわりの修理・網戸の張り替えなんでもお任せください』と看板が。塗装の剥げかかったペンキで、宣伝されている。

 そして、その中で一番目立つ位置にでかでかと、〈田中金物店〉の大きな看板。

 隣で、凛の驚いた声が聞こえる。

「ここって……すずちゃんの家じゃない」

「みたいだね」

 わたしは苦笑交じりに応じる。つまり、

「美術部部長の田中ゆずと、新聞部部長の田中すずは、姉妹の関係だった。すずとゆずとで響きが似てるし、学年が一緒だから、まず間違いなく双子だよ」

 梢がぽろっと口にしていた、「妹の方は、真面目でいい子なんですけどね」という言葉を思い出す。きっと、田中ゆずのことを言っていたのだろう。クラスが一緒とかで、知っていたのかもしれない。それなら、姉はすずの方か。

 唖然とした凛の表情。驚きのあまり、丸い目がさらにまん丸に。至近距離で見ると、綺麗なビー玉みたいだな、なんて思ったりした。凛が声を漏らす。

「すっごい偶然……」

 凛の驚きは止まらない。

「だって、すずちゃんが『号外に取り上げる!』って予告した『プールの水がない事件』。要するに、その犯人は双子の……」

 姉か妹のどっちか迷ったのか、凛が言い淀んだので、

「たぶん妹。梢がちらっと言ってた」

 とわたしは助け舟を出す。

「あっ、そうそう。確かに言ってた。妹だ。そう、記事に載せる事件の犯人が、双子の妹だったなんて……」

 すると、凛はなんとも言えない酸っぱい顔になって、

「すっごい皮肉じゃない?」

「ほんとにね」

 わたしは肩をすくめた。

〈田中金物店〉は、浜野高校のすぐ近くを通っている片道一車線の道路沿いにあった。

 この道を南に行けば、角に部活帰りに凛たちとよく通った駄菓子屋がある。〈まなつ商店〉だ。真夏おばあちゃんが営んでいる、まなつ商店。駅に行く方角にある。何度も歩いた道だし、何度もこの店の前を通り過ぎているはずなのに、思った通り、この金物屋は記憶になかった。

 部活を引退してからはめっきり行かなくなった、〈まなつ商店〉が建つ方向に目をやると、道の先に美容室や郵便局、自転車屋の看板が見える。この時間帯、人通りはあまりなく、車もほとんど走っていない。でも、静寂にはほど遠い。民家の庭の立木から、セミが元気いっぱいに鳴いているから。学校で聞こえていた、ミンミンという鳴き声とはまた違う。こっちはアブラゼミかな? どっちにしろ、うるさい。

 雲の合間から日が射し込んで、真夏の光を浴びているわたしと凛。相変わらず、腹が立つくらいじりじりとした暑さだ。じっとりと汗が滲んでいる。

 顔を前に戻す。田中すずの、「自分の家と学校は目と鼻の先」という言葉を裏づけるように、店の奥には浜野高校の校舎が見えた。本当に近い。いいなぁ。まあわたしの場合も、家から学校まで、列車と電車を乗り継いで三十分足らずだけど。

〈田中金物店〉の、薄暗い——悪く言えば陰気な店内に目を向けたまま、凛に訊く。

「凛、気づいた?」

「え、何が?」

 視界の端で、凛がこっちを向いたのがわかる。わたしも凛を見返す。

「ほら、ここならなんでも揃ってると思わない?」

「うん。実際、『なんでも揃っています』って書いてるけど……」

 店の看板を見上げて、自信なさげに言う。何が言いたいのかわからない、と言いたげな困惑した横顔。でも、察しの早い凛だ。すぐに気づいたようで、

「あっ、そっか。マンホールの蓋!」

「そう」

 わたしはこくりとする。

「ここなら——蓋を開けるための工具を、調達できるはず」

 店の中は、棚から溢れ返らんばかりに、さまざまな工具や金物が陳列されている。見るからに品揃えが良さそうだ。田中すずも、「なんでも揃ってるんで!」と強調していた。なんでも揃ってそうだ。わたしは中を覗くようにしながら、

「ここなら、お目当ての商品も入手できるはずだよ」

 これで、水を抜くことを思いついたはいいが、どうやってマンホールの蓋を開ける手段を確保するのか、という問題はクリアできる。店側の人間なら、目当ての工具は簡単に手に入れられるはずだ。きっと、親に黙って持ち出しのだと思う。学校はすぐ近く。家に工具を取りに行って、すぐまたプールに戻れる。犯人であろう田中ゆずにとって、面白いぐらいに有利な状況だった。凛も同じことを思ったようで、

「条件が整いすぎだね」

 と苦い笑顔。

 店の裏手には、二階建ての家が隣接して建っている。こっちは新しくも古くもない、普通の一戸建てだ。白い外壁に、オレンジ色の屋根。ここに田中一家が住んでいるのだろう。帰宅しているとするなら、田中ゆずは店ではなく、奥の家にいる可能性が高い。そもそも店の中は、さっきからひと気をまったく感じない。

 在宅だと、いいんだけど。間違っても、責めるつもりはない。怒るつもりもない。ただ本人の口から、話が聞きたいだけだ。

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