泳げないプール 第7話

「盗撮魔!?」

 凛が素っ頓狂な声を出した。わたしもたまらず、眉を強く寄せて訊き返す。

「なに、盗撮魔って? なんのこと?」

「あれ、OGのお二人は知らないんですか」

 と、意外そうに目を丸くする田中すず。

 わたしはばっと梢に顔を振り向かせて、無言で説明を促す。凛も問いたげに梢をじっと見ている。

「いやあ、えっとー……。その、えっとですねえ……」

 なぜか梢は言いにくそうにしたが、わたしたちの「説明して」という無言の圧力に耐えかねたのか、すぐに心を決めたように話し始めた。声を落として、

「今月に入って、すぐぐらいですかね。水泳部の部活中、あっちのフェンスで、部員たちに目撃されてるんですよ」

 梢の指した「あっち」とは、公園やお寺がある住宅街側のフェンスの方。方角で言えば北。わたしの視線も、自然とそちらに流れる。

「カメラを構えた、男の人らしい姿がです」

 声を低くした梢の説明に、再び向き直る。

「でもあそこ、木が茂っていて、その茂みに隠れるようにして撮ってるから、いまいち姿がはっきりとしないんです。それに顔の前には、カメラがあるし。で、部員の誰かがそいつを見つけると、すぐにその場からいなくなって。小動物みたいに、そさくさと。だから、どんなやつなのかはわからなくて。けど、どう考えても、練習中のわたしたちを盗撮してることは明らかなんです」

 腕を組んで、吐き捨てるように凛が言う。

「女子高生の水着狙いってことか。気持ち悪いね」

「ね、最悪。ちょうど、いまの水泳部は女子しかいないし」

 と、わたしも合いの手を入れる。神妙に頷いて、腹立たしげに梢が言った。

「それが、これまでわかっているだけで二回。二回も盗撮されてるんですよ? どちらも夕方の、日暮れの時間帯です。……夏になると変質者や不審者が増えるって聞きますけど、それってマジみたいです」

「盗撮魔の事件のこと、ハマコー新聞の、七月号でも特集してるんですよ」

 と、変に得意そうに田中すずが割って入る。というか、新聞部が毎月発行してるあれ、ハマコー新聞っていうんだ。初めて知った。浜野高校だから、ハマコー新聞……。うん、安直だしちょっとダサいかも。

「初めて盗撮の騒ぎがあってすぐに、わたしたち新聞部がさっそくその件を記事にしたんです。一番目立つ、一面に大きく載せたんですよ」

どこか楽しそうに話す田中すずを、恨めしげな目つきで、梢が黙って睨んでいる。

「それで、七月号を出してから二週間あとの、夏休みが始まる数日くらい前にも、また盗撮事件があって。いまのところ、それが最後だよね、河村さん?」

「そう」

 田中すずに見向きもせず、ぶっきらぼうに梢は返す。梢の態度で、なんとなくわかる。記事にしてほしくなかったらしい。無理やり新聞部が特集に組んだんだろう。仏頂面で、梢が言う。

「さすがに二回も同じことがあると、部員みんなが警戒するんで。もしまた盗撮魔が現れたとすれば、もう見逃すことはないと思います。必ず、誰かが発見するかと。なので夏休みに入ってからは、一度も現れていません」

「警察には? 通報したの?」

 案じるように凛が訊くと、

「もちろん、しました」

 梢が素早く答えた。苛立ちの言葉がつらつらと出てくる。

「一回目に目撃した時点で、すぐに通報したんですけど、数日間、学校周辺のパトロールを強化するくらいで……ほんっとに、それだけです。二週間後にまた現れて通報したときにも、同様の対応をされる感じで……。捜査なんて、ろくにしてくれなかったです」

「じゃあ」

 と、腕組みしたままの凛。

「盗撮魔の事件はまだ解決されてないって、さっきすずちゃんが言ってたけど、犯人はまだ捕まってないってことか」

「捜査されてないわけですからね、当然ですよ」

 どこか諦めの滲んだ、梢の皮肉っぽい一言に、ちょっと妙な間が空く。

 真夏の太陽が輪郭のはっきりとした白い雲に隠れて、日が陰った。うんざりするほどの熱気に包まれていることに変わりはないが、それでも直射日光が遮るのは助かる。雲はずいぶん大きいから、また日が射すのにしばらく時間がかかりそうだ。

 沈黙を破ったのは、わたしの浅い溜め息だった。どうしても、問い詰める言い方になってしまう。

「なんで、このこと黙ってたのよ」

「すみません」

 申し訳なさそうに言うと、梢は少し視線を落とす。

「先輩方は受験生だし、余計な心配をかけるわけにもいかないから、言わないでおこうと、みんなで決めていたんです——一回目の、盗撮があった時から。それで、今回のプールの水が抜かれた件をお願いする時も、盗撮魔のことは黙っていようと、その方針は変わりませんでした」

 ああ、だからちょっと言うのをためらったのね。わたしたちが受験生だから、気を遣って。

「プールの件とは、関係のないことですし。それに」

 一呼吸あって、目を上げる。梢の口角が、意味深に上がった気がした。

「どうせ氷室先輩も苅谷先輩も、新聞部の記事なんか読んでいないと思ったから。先輩たちは受験勉強で忙しいだろうし、あんなの読む暇もないでしょうし。実際、予想通り読んでいなかったようで、それは本当に好都合だったんですけどね」

 鼻で笑うような梢の態度に、田中すずがてきめんに不機嫌な顔になった。

新聞部部長に対する日頃の不満を、ここで軽く晴らした感じなのかな。だけど意外にも、田中すずは梢にひと睨みしただけで、何も言い返さない。

 にしても、プールの水は抜かれるわ、期待のエースは交通事故に遭うわ、変質者に二度も盗撮されるわ……。何? うちの水泳部、呪われてるの?

 ……盗撮魔、か。盗撮なんて、看過できない卑劣な行為だ。そして部活の後輩たちを不安にさせる輩は、絶対に許せない。

 でも、わたしたちはあくまでも「プールの水が抜かれた事件」の犯人を捕まえるために、ここにやってきた。盗撮魔のことも気がかりではあるけど、いまは一旦、脇に置いておこう。目の前のプールが空になってしまった真相を突き止めることが、最優先。

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