第15話
その日は、まひるにとって特別だった。
坂本竜馬の没後、その政治理念を引き継いだまひるは外務大臣に就任。
それと同時に、第一次世界大戦となるべき未曾有の世界危機を防ぐと言う快挙を達成した。
類(たぐい)まれなる外交手腕と強力な国民の支持のもと、かつて薩長同盟成立に奔走した師匠よろしく世界を飛び回り、ついにその危機を回避すると言う離れ業をやってのけたのだ。
これによって内外からも圧倒的な支持を受けたまひるは。
今日、正式に党首就任が決定する。
本邦初の女性(次期)内閣総理大臣は、ご飯と味噌汁、漬物と焼き海苔、それに焼き魚と言う、きわめて一般的な朝ご飯を食べながら、迎えの車を待っていた。
やがて力王の運転するクルマが、まひるの家の前に到着した。
それを受けて十太夫はまひるにその旨を伝える。
二人はまるで夫婦のようにクルマの後部座席に乗り込み、群がる報道陣を掻き分けてクルマは走り出す。
しばらく走っていると、突然、まひるのクルマの横に大型バスが現れた。
窓をすべて鉄板でつぶしたそのクルマは、装甲車のような不気味な雰囲気をかもし出している。
「菊島さん」
「ああ」
力王と十太夫の間で、短いやり取りが成される。
と、次の瞬間、まひるを乗せた車は急ブレーキをかけてバスをやり過ごす。
数十メーター先に慌てて停車したバスから、ばらばらと人が降りてきた。手に手に獲物を持った男たちの目的は、もちろんわかっている。まひるが総理大臣に就任する事を面白く思わない輩(やから)が放った刺客たちは、あっという間に車を取り囲む。
総勢10名だ。
「10人か。菊島さん、俺たちずいぶんと舐められたモンじゃないか?」
「とりあえず俺が行く。力王はまひるさんを守ってくれ」
力王の軽口には取り合わず、十太夫は引き締まった顔で車外に出る。
その後ろにまひるが声をかけた。
「十太夫さん、気をつけて」
十太夫はにっこりと微笑み返すと、男たちに向かって歩き出した。
十太夫が充分男たちをひきつけたところで。
力王は突然アクセルを踏み込むと、そのまま全力で走り出す。
「力王! どうして?」
「俺たちの仕事は、まひるさんの安全ですから。こんな事は菊島さんとの間で何度もシミュレートしました。まひるさんは心配しないで、菊島さんを信じていればいいんです」
「でも」
心配そうにそう言ったまひるへ向かって。
前を睨んで高速で車を飛ばしながら、力王が背中で答えた。
「好きなんでしょう? 菊島さんが」
「な、なに言ってるの? こんな時に」
「好きなんでしょう? 俺はずっとまひるさんの傍(そば)にいましたからね。誰よりも判ってるつもりです。首相になってひと段落したら、菊島さんと祝言を挙げるといいですよ」
「力王!」
複雑な表情で答えたまひるに、力王はちらとだけ振り向いて笑いかけると、優しい声で続けた。
「他の奴ならともかく、菊島さんなら俺にも異存はありません。それに放って置いたら二人とも、全然そんな話になりそうもないですからね。まあ、最初で最後のおせっかいですよ」
もちろん力王もまひるの事が好きなのだ。
だからこそ力王は、まひると十太夫について、だれよりもやきもきしていたのである。
まひるを守りながらいつもいっしょにいるうちに、力王は十太夫の男っぷりにも惚れ込んでいた。なんとしてでも、このふたりには幸せになってもらいたい。それが力王の本音であった。
セレモニーの会場には、たくさんの人間が集まっていた。
まひるをそこまで送り届けSPに後を任せると、力王はやっとひと心地つく。
それからクルマにとって帰ると、十太夫を下ろしたところまで全開で走り出した。
ものすごい勢いでふっ飛ばしたのだが、力王がついたときには刺客を全員拘束した十太夫が、のんびりとタバコを吹かしながら力王の迎えを待っているところだった。
力王は小さく「さすが」とだけ言うと、十太夫を乗せてまたも走り出す。
「菊島さん、まひるさんにも言ったんだが……」
先ほどの話を告げると、十太夫は真っ赤になって驚いた。その様子はとても10人を瞬時に片付けた武道家とは思えない。しどろもどろになってナニゴトか言おうとする十太夫を制し、力王は苦笑しながら言った。
「なに言ってもだめですよ。祝言(しゅうげん)の段取りは俺がつけますからね?」
ふたりが会場へ駆けつけると、すでにセレモニーは佳境を迎えていた。
まひるが内閣総理大臣に就任する事を承諾したときには、会場に訪れた人々だけでなく、周りに集まった民衆までが喝采の叫びを上げる。その最前列近くにまひるの父、常盤無間の姿を見付けた力王と十太夫は、そっと近くまで寄っていき、祝辞を述べた。
いまや元帥に昇進し、日本の守護神たる常盤無間は、目に涙をためながらふたりに何度も謝辞を述べる。この二人がいなければ、まひるはこれほど走りつづけてはこられなかっただろうと言う事を、だれよりも彼が理解していたのであった。
その場所から三人で、まひるの晴れ姿を眺めていた。
力王は元帥に先ほどの話を耳打ちする。驚いた元帥は、十太夫に気持ちを問い正した。
「菊島さん、あなた本当にまひるを貰ってやってくれますか?」
「そんな、元帥。私の気持ちなどより、まひるさんがどう思っているかではないですか」
「ははは、菊島さん。まひるの気持ちなど聞かなくても判っていますよ。あの子はたまに帰ってくると、ずっと菊島さんの話をしていますから。で、菊島さんの気持ちはどうなんです?」
十太夫は照れながら、しかし胸を張ってまひるを愛していると答える。
その言葉に元帥も力王も、心からの喜びを覚えた。
「元帥閣下、これは早速祝賀の用意をせねばなりませんよ? まひるさんの総理就任にくわえて、婚約発表までする事になるのですから。いやぁ、楽しくなってきたな」
「こら、力王。そう、はしゃぐんじゃない。それよりおまえはどうする気だ? さすがに、新婚家庭にいっしょに暮らすわけにはいかんだろうが?」
それでも嬉しそうにそう言った元帥に向かって、力王は真面目な顔で向き直ると、真摯な口調で話し出した。
「元帥閣下、私はあなたに惚れて里を出ました。ずいぶんと長い間、まひるさんのお世話をしていましたが、これからは菊島さんひとりに任せてよろしいですよね? 私は元帥閣下の傍で、閣下の力になりたいのです」
常盤元帥はその言葉を聞いてまた涙を流した。こんどは娘のためにでなく、自分をこれほど慕ってくれる力王の男気に泣いたのだ。十太夫も二人を見ながら胸を熱くしていた。
これだけ長い間、常にまひるを見つづけ、守りつづけた男たちが、三人同時にまひるから目を離したのは、おそらく初めての事だったろう。そのため三人は、その男の不穏な空気を見逃してしまった。
最初に気付いたのは力王だった。
ほとんど同時に十太夫も気付く。
十太夫が気付いたときには、すでに力王が走り出していた。
招待客にまぎれていたその男は、すばやく壇上に駆け上がると、隠していたプラスティックナイフでまひるに襲い掛かった。SPが気付いて壇上に上がるより早く、力王はひとっ飛びで舞台に跳ね上がる。
155センチの小柄な体躯が、風のように走った。
暴漢のナイフはまひるに届く寸前に目標を見失う。力王がまひるを突き飛ばしたのだ。突き飛ばした力王の身体は、当然まひるがいた場所を通過する。プラスティックナイフの鋭い刃先は、力王の身体にするりと刺しこまれた。
ほとんど同時に十太夫が、男を瞬時に捕縛する。
ようやく駆けつけたSPに刺客の身柄を渡し、十太夫は力王に駆け寄った。
「力王! 力王!」
腹から大量の血液を流しつつ、力王は笑っていた。
「へへ、ドジ踏んじまったよ、菊島さん。まひるさんのこと、頼んだよ?」
「喋るな。じっとしてろ! おいっ! 救急車! 救急車だっ!」
万が一のために用意されていた救急隊が駆けつけ、力王の身体をタンカに乗せる。
そのころになってようやく放心から解けたまひるは、悲鳴をあげながら力王にすがりつく。
「力王! 力王!」
力王はまひるに向かって優しく微笑むと、か細い声でつぶやいた。
「ねえ、まひるさん。菊島さんと結婚して幸せになってくださいね? 俺の最後のお願いですよ?」
「わかった! わかったから! だから力王、死なないで! 約束するから! 力王! 力王!」
すがりつくまひるを、十太夫が引き剥がす。
力王は嬉しそうににっこりと笑うと、十太夫とまひるを見ながら運ばれてゆく。
「よかった。これで安心して……」
「力王ぉ!」
まひるの悲壮な叫びが、静まり返った会場に響き渡った。
神式の美しい墓地にて。
墓の前で拍手を打った後、手を合わせて祈っていたまひると十太夫は、後ろからやってくる人の気配に気付いた。二人同時に振り向くと、そこにはまひるの父、常盤元帥が立っている。手にした花束を墓前に添えると、一升瓶の栓を開けて墓石に注いだ。
「この間、綾瀬で見つけた絶品の地酒だ。きっと喜んでくれるだろう」
常盤元帥の言葉に、ふたりは無言でうなずいた。
三人の心の中には、それぞれの思いが去来しているのだろう。
だれも言葉を発しないまま、しばらく時が過ぎる。
やがて常盤元帥が、墓を指しながらまひるに向かって問うた。
「何を話したんだ?」
まひるは優しい微笑を浮かべながら答える。
「あなたに恥ずかしくないように、日本を世界で一番素晴らしい国にしてみせるって」
「そうか……菊島君は?」
問われた十太夫は、凛とした顔で答えた。
「まひるは日本の国を造ります。私はまひるを守り通します。それだけです」
常盤元帥は深い理解と共に、ふたりにうなずいた。
それから空を見上げて、大きく伸びをすると、穏やかな笑顔で言った。
「力王、どうしているかなぁ」
二人も空を見上げて微笑んだ。
すると、丁度その時。
三人が見上げた先に立つ建物…………国立病院の窓が空いて、中から男が顔を出す。
竜馬の墓前に集った三人に気付いた力王は、こちらに向かって大きく手を振った。
間一髪、命を取り留めた力王は、退院したがるのを元帥によって無理やり病院に押し込められている。そうでもしないとこの男は、まひると十太夫の結婚式を取り仕切りたくて仕方ないのだ。
「どうやら、元気なようですよ?」
十太夫の答えに、ふたりは大声で笑った。
真っ青な空に、とんびが美しい円を描いている。
まひると十太夫はどちらからともなく寄り添うと、力王に向かって大きく手を振った。
閑話/了
冬一郎参上 @hiroto-fujimura
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