第14話
常盤少将は驚いていた。
前内閣総理大臣であり、今は日本の政治顧問。海軍軍人にとっては神様みたいな、いや神様である坂本竜馬先生に呼び出されたのが今日。
驚きながらもおっとり刀で駆け付ければ、その生ける軍神から聞かされたのは。
娘を自分のところに預けてみないかと言う話だった。
卑俗な意味で若い娘を欲しがるような人物ではないから、どう言う意図があるのだろうといぶかしく思っていると、なんと『先日、海でおまんの娘と偶然出会ったんじゃがの、あらぁ実におもしろい女子じゃの』などと聞かされたのだからたまらない。
返事を保留して慌てて娘に電話で詰問すれば、なんと事実だというではないか。
竜馬の元へもどった常盤少将は慎んで申し出を受けた。憧れであり先達(せんだつ)であり軍神である坂本先生に言われた事であれば、彼にとっては何より優先する。
そして了解した後に竜馬の話を詳しく聞いた少将は。
今度こそ本当に安心して娘を彼のもとへ預ける事を快諾した。
その話の詳細は後に。
とにかくまあそんな経緯で、その週末、まひるは坂本邸にいた。
目の前にいるのが日本をすくった立役者のひとりと聞いても、まひるの態度にそう変化はない。「教科書に乗ってるような人と喋れるなんて、なんか面白いじゃない」くらいのものだ。
その竜馬の隣には先日の若者、菊島十太夫円心(きくしまじゅうだゆうえんしん)の姿が見える。
若くして古武術、捕手神明菊島流(とりてしんめいきくしまりゅう)の総領をつとめる大変な使い手なのだが、まひるには普通の若い男にしか見えない。「そんな武術の達人には、とてもじゃないけど見えないなぁ」と言うのが正直な感想であった。
どうも周りが騒ぐほどすごい人に見えないふたりの前で、まひるは一応大人しく座っている。
もちろんおかしなことを言われれば、即座に席を蹴って立つ構えだ。
父親がなんと言おうと、まひるはまだ17歳。
色んな事に挑戦してみたい、年頃の女の子なのである。
「まひるさん、わざわざ呼び出してすまんちや」
「おじ…じゃなくて坂本先生。一体どういうご用件なんです? 父から言われてとりあえずここまでお伺いしましたけれど、もし……」
「まぁまぁ、そう構えんで。常盤君がおまんを伊達家に嫁にやるちゅう話していたのを、ちくと耳にはさみよったき、ここに呼んだンぞね。わしンとこに呼ばれた聞きゃあ、伊達も煩(うるさ)い事ぁ言えん。こないだ楽しい思いをさせてもらった礼ぜよ」
まひるは唖然とした後、ぷっとふき出した。
「なんだ、そう言うことだったんですか。それはありがとうございます、坂本先生。あの縁談には本当に困っていたので助かりました」
「時にまひるさん、おまんは卒業したら何になるつもりじゃ? なんか、やりたい事でもあるがか?」
まひるはちょっと考えてから、竜馬の目をしっかりと見据えて答えた。
「今は何もありません。それを探しに学校へ行くと言うのじゃ、ちょっと情けないですか?」
「そんなこたぁあらんが、もしよけりゃ、わしンとこで政治を学んでみんかね? わしぁ、おまんはものを斜(はす)に見んき、面白い政治家になる思うちょるんじゃが。どうぜ?」
竜馬の意外な言葉に、まひるも菊島十太夫も驚いて二の句が告げない。
そんなふたりの様子を見て、竜馬は面白そうにニコニコしている。
老いたりとは言え、彼の子供のような性根(しょうね)はちっとも変わっていないのだ。
「女が政治家ですか?」
驚いた十太夫に、竜馬は真顔で向き直ると、厳しい声で言う。
「女が政治をやって、いったいなんがいかんちや? なぁ菊島ぁ。わしゃ常々言っとろうが? 仕事に男も女もないぜよ。大切な仕事は、力のある者がやりゃあええんじゃ」
十太夫は頭を垂れて竜馬に詫びた。その様子を見ていたまひるは、急に大きな声を上げる。
「うん、面白そうですね。ちょっとやってみたいです。それに世の中の男は、今の菊島君みたいに何かって言うと女がとか、女のくせにって言いますからね。それをひっくり返してみるのも、痛快で面白いかもしれない」
すると今度はまひるに向かった竜馬が、優しい声音で話し出す。
「それは違うぜよ、まひるさん。やられたことが気に喰わんちゅうて、ひっくり返して同じ事をするちゅうんじゃ、いつまでたってもなんも変わらぞな。男だ女だ、こまい事にこだわっちょらんで、日本人すべてのことを考えないかんぜよ。それが政治家の仕事じゃ」
まひるははっとして竜馬を見る。
それからしばらく考え、やがて深くうなずいてにっこりと笑った。
「はい、仰ることは判りました。確かにやってやられてでは、いつまでも同じ繰り返しです。先生、私に政治を教えてください。私、今以上に住みやすくて、力のある人が男女関係なくきちんと評価される、そんな日本を造ってみたいです」
「日本を造る……」
まひるの口から出た言葉に、十太夫は驚きつつも感心していた。
「あなたは、日本を造ってゆくつもりなのですね? 変えるとか守るとかじゃなくて。明示維新からこっち、政治家でさえ今の構造の安定化を図ったり、細かい修正を考えていると言うのに、あなたは日本を造ってゆくと言うのですか?」
「だって、今のまま固まっちゃったら、困るのは私達だもの」
竜馬は嬉しそうにまひるを見たあと、十太夫に向かって微笑んで見せた。
「菊島ぁ、わしの目はまだまだ曇っちょりゃせんじゃろが? この子は男だ女だの前に、まっこと政治家向きの『人間』だぜよ。別に欲しくもなかったが、せっかく持っちょる力じゃ。わしゃぁそいつを使って、この子を早いトコ政治家にしちゃるぜよ。どがいぜ、面白くなってきたろうが?」
十太夫は竜馬の前に膝をつき、凛とした様子で一礼した。
何事かとびっくりしているまひるの前で、張りのある声が話し出す。
「先生、先日から仰っていた話の真意が、このぼんくらにもようやく理解できました。先生の仰る通り、私は本日只今をもって先生の護衛役をご辞退させていただきます」
「菊島君、辞めちゃうの?」
問うたまひるに正座のまま身体を向けると、十太夫は晴れやかな顔で笑った。
そのとろけるようなまぶしい笑顔に、まひるの心臓がどくんとひとつ、波を打つ。
「常盤まひる殿。これから先、この菊島十太夫円心は常盤まひる殿をお守りする刀になります。あなたは後顧の憂いなく、政治道に邁進なさってください。この菊島が、何者たりともあなたを傷つけさせません」
真摯な顔で語る十太夫の言葉は、聞き様によっては愛の告白にも聞こえた。
びっくりしつつ真っ赤になったまひるは、なにやらごにょごにょと口の中でつぶやいている。
小さく「政治道に邁進って、相撲取りじゃないんだから」などと言っているようだが、十太夫の真っ直ぐな目と晴れやかな笑顔の前では、語尾が小さく消えかかってしまうのも致し方ないところであろうか。
もちろん竜馬は、その様子を見ながらニヤニヤと笑っていた。
政治的な話とは別に、こういう魂胆もあったのだ。
それがあればこそ、娘の先を思う常盤少将も竜馬の話を快諾したのだろう。没落寸前の士族と竜馬の側近。常盤少将がどちらがいいと判断したかは聞くまでもない。
もっとも、竜馬の真意が娘を政治家にする事だと知ったら、今度は違う頭痛の種が増える事も間違いはないのだが。
「というわけじゃ、まひるさん。おまんは今日からここに住んでわしの付き人じゃ。もちろん、学校にも行ってしっかり勉強すること。サボって海に行くのは、もういかんぜよ?」
急に素敵に見え出した十太夫。
政治家になれという竜馬の言葉。
いっぺんに色んな事が錯綜して、まひるの頭の中はめちゃくちゃにこんがらがっていたが、それでもふたりに向かって元気よく頭を下げた。
「よろしくお願いします」
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