第13話

 

 時は台正(たいしょう)時代。


 明示(めいじ)の動乱も人々の記憶の彼方に去り。


 斜陽に向かう士族や華族を尻目に、帝都はかつてない活気に満ち溢れていた。これからの時代の主役は、明らかに庶民に移っていると言えるだろう。台正とはまさに、そんなロマンあふれる時代である。



ちりんちりん。



 ほら、そんな時代の主役のひとりが、愛車に乗って勇ましく駆けてきた。


 束ねた髪に赤い大きなリボンを結んで、袴のすそからブーツをのぞかせたこの元気な女の子が、常盤(ときわ)まひる。海軍少将、常盤無間(ときわむけん)の長女で、近所でも有名なおてんばだ。


 近いうち、有力士族の伊達家に嫁ぐなんて噂もあるが、本人にはそんな気がカケラもないことは周知の事実。常盤少将も娘の事では頭を抱えていると聞くから、稀代の名将も人の親なんだと街の人々が面白がるのも無理はない。


 まあ、そんなところもまひるの人気の秘密かもしれない。



「う~ん、いい天気っ! お日様が遊びに行けって言ってるね、間違いなく。よし、海に行こう」



 強引なローカルルールによって学校をサボる事に決定したまひるは、荷台にお弁当をくくりつけた自転車のタイアを海の方角に向けた。



「ちょ、ちょっと待ってください。勝手に学校をサボったりしたら、私が少将に叱られてしまいます」



 声をあげてまひるを止めるのは力王(りきおう)だ。


 常盤少将にほれ込み、隠れ里を出てわざわざ帝都までついてきた物好きな忍者である。もっとも、この台正の世に忍者の活躍する機会などめったにないので、ついてこられて処遇に困ったのが常盤少将。


 しかたなく、ボディガード代わりにまひるのお目付け役を命じたのだ。


 力王本人はこの処遇にひどく不満を持っていた。


 それでも敬愛する少将に「頼むぞ?」と肩を叩かれれば、うなずくしかない。



 そんなわけで隠れ里のラストニンジャ力王は。155センチ50キロの筋肉質で小柄な身体を翻し、日夜まひるのイタズラや気まぐれの尻拭いに奔走しているのである。



「だったら力王はこなくていいよ。私ひとりだって大丈夫だから」



 俺だって本当はそうしたいよ、と小さくつぶやきながら、力王は無言のまま、まひるの後について走ってゆく。まひるがどれだけ自転車を飛ばしても平気な顔のまま走ってついてくるところは、さすがに忍者の末裔(まつえい)である。




 海岸は閑散としていた。まだ春先なのだからあたりまえだが。


 海岸に沿って歩いてゆくまひるは、冷たい潮風を心地よく感じていた。自転車でかいた汗があっというまにひいてゆく。その後ろには影のように力王がついている。こちらはもとより汗のひとつもかかずに、あたりを警戒しながら歩いてゆく。



「そんなに緊張しなくても、危ない事なんかあるわけないじゃない。まったく、心配性なんだから」


「いや、そうでもないようです」



 振り返ってみると、力王は前方を睨んでいた。


 まひるがあわてて前に向きなおると、なるほど前方に人影がある。


 近づくに連れ、その輪郭(りんかく)がハッキリしてきた。海を眺める老人と、その横でこちらを睨んでいる若者のようだ。若者はまひるたちが近寄ってゆくと、警戒した表情を見せる。力王がまひるの耳元でささやいた。



「相当な使い手です。まひるさんは下がっていてください」



 それを聞いて肩をすくめたまひるは、若者には目もくれず老人に向かって叫んだ。



「おじいさーん。何が見えるの?」



 その声に振り返った老人は、傍らの若者が何か言いかけるのを制すと、にっこりと微笑んだ。見る者を心の底から安心させる、優しい笑顔だ。



「うむ。ちくと疲れたきに、海を見にきた」


「あれ? おじいさん土佐の人?」


「ははぁ、わかるかよ」


「うん、友達にね、土佐から来た子がいるの。転校初日に土佐弁を馬鹿にされていじめられていたから、私がそのいじめっ子達を引っ叩いてやったのよ。それから仲良くなったんだ」


「ははは、そりゃ同郷の者が世話になったぜよ。代わりに礼を言わせて貰うぞな」


「その子の代わりにお礼を言うの? へへへ、なんか変なの。おじいさん面白いね」



 すっかり世間話をはじめた二人に、お互いの付き人は毒気を抜かれ、それでも警戒しながら立っている。その様子を見ていた老人は、護衛の若者に声をかけた。



「菊島ぁ、そげん気ぃ張ってたら、疲れるじゃろ? おまんもこっち来て、海でも見りゃあええが」


「いえ、私は……」


「そーだよ、菊島君。いっしょにお話しようよ。私の名前は常盤まひる。そっちの目つきの悪いのは力王って言うんだよ。私のお守をさせられているから、だれにでも突っかかるの。ごめんね? 根はいい人なんだけど、ちょっとカタブツなのよね」



 まひるのセリフに、菊島と呼ばれた青年は思わずふき出してしまった。


 力王に向かって頭を下げると、にっこりと笑う。



「力王さん、失礼しました。私もこのお方の護衛をしているので、用心深くなってしまいまして」


 菊島の言葉にあいまいな顔でうなずくと、力王はそのまま黙って立っている。あくまでボディガードとしての立ち位置を崩す気はないらしい。



「さぁ、菊島君。そんな無愛想な男は放っておいて」



 まひるがそう言っても、菊島はニコニコとうなずくばかりで、ちっとも近づく気配を見せない。こちらも護衛としての職務を全うするつもりなのだろう。


 呆れたまひるは処置なしと言った体(てい)で肩をすくめる。


 そして老人に近寄ってゆくと、そばにぺたりと座り込んだ。



「疲れたから海を見に来たって言ってたね? おじいさんはまだお仕事してるの?」


「まひるさんちゅうたかの? わしゃあ、海が好きじゃき、往生(おうじょう)すると海ぃ見に来るンぜよ」


「へえ、なんか困ってるんだ?」


「ああ、往生しちゅう。わしゃ馬鹿べこのかぁじゃき頭ぁ使うんは苦手なんじゃが、なかなかそうも言っちょれん。こんなじじいでも頼ってくる奴がおりゃあ、力になってやりたいがやき」


「ふーん、さすが土佐っぽ、男気があるじゃない」



 まひるが感心したように言うと、後ろに立っていた菊島がたまりかねたように笑い出す。


 それを見て、老人はにっこりと笑う。



「菊島ぁ、おまん、そげな笑顔も出来たんじゃの? わしゃぁ、はじめて見たぜよ。しかめっ面して額にしわを寄せてるよりも、そのほうがよっぽど男前ぞね」


「うん、なかなか可愛い顔してるよ?」



 ふたりに攻め立てられ旗色が悪くなった菊島は、助けを求めるように力王を見た。


 力王はふいと横を向いて知らん振りを決め込んでいるが、その口元は笑っている。もちろん意地悪な意味ではなく、老人とまひるに振り回されている姿に、自分を重ねて同情半分と言ったところだ。



 と、老人が笑いながら言った。



「まひるさん、あんたぁ噂じゃエライおてんばじゃ聞いちょったが、なんの、なんの。実に可愛らしいご婦人じゃ。わしゃ、おまんが気に入ったぜよ。おかげで元気が出た」


「え? おじいちゃん、私のこと知ってるの?」


「お父さんとは友達じゃき。今日は楽しかったぜよ。ほたらバイぜ」


 まひるがびっくりしているうちに、老人はひょいと立ちあがる。


 菊島青年はまひると力王に向かって頭を下げると老人の後に続く。


 ふたりは風のように去ってしまった。



 その後ろ姿を目を丸くして見送ったまひるは、くるりと振り返ると力王に向かって笑顔で言った。



「ね、力王。面白いおじいさんだったね。お父さんと友達って言ってたけど本当かなぁ?」



 力王は肩をすくめて大げさに嘆息すると、あきれたといった様子で苦笑いをする。



「まひるさん、本当に判ってなかったんですね?」


「え? なにが?」


「あのご老人のことですよ。友達もなにも、少将が今日の話を聞いたら、びっくりしてひっくり返りますって。もっとも、あのご老人も自分の事がわからないまひるさんに驚いたと思いますがね。菊島とか言う男も笑っていたじゃないですか」


「なによ、力王。あのおじいちゃんが誰だか知ってるの?」


「みんな知ってますよ」


「え~? だれなの?」



 たぶん、久しぶりにいち私人として、変な気を使われずに話せた事が、国政に疲労したあの老人を慰めたのだろうな、と思いながら力王は答えた。



「今はもう引退なさって、政治顧問みたいな事をなさってますがね。間違いありません。あの方は初代内閣総理大臣、坂本竜馬先生です」




 

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