第四話 大戦前夜②

暗闇の狭い空間の中で、ユーゴは1人横になっていた。両腕と両足、そして腰は金具で固定されており、動かすことはできない。ヴーーーという鈍い音が先ほどから響いている。時折暗闇の中に閃光が走る。目を閉じているユーゴにもわかるほど、強い光だ。どれくらいの時間、こうしているのか。あとどれくらい、こうしていればいいのか。ユーゴの頭は、嫌でもネガティブな想像をしてしまう。そして、唐突にその時は訪れた。


「はい、終わったよ。すぐに出すからね」


ユーゴの足元から、眩い光が差し込んだ。ウィーンとユーゴが横たわってる台がスライドしていき、それと同時に体についていた金具も外れた。一学院の保健室とは思えない設備である。10分ぶりに自由の身となったユーゴを横目に、白衣を着た女性は機械から出てきた紙を見つめている。


「お疲れさん。…うん、問題なさそうだね。尿検査は問題なかったし、血液検査はこれからだけど、まぁ大丈夫でしょう。昏睡剤をぶち込まれて、片腕もがれたって聞いた時は驚いたけど、流石だね。健康そのものだ」

「しーっ!弥生ちゃん、そういう事大きな声で言っちゃダメだって…痛っ!」

「だれが弥生ちゃんだ」


ユーゴの額にデコピンを入れる白衣を着た女性。名前は九条弥生くじょうやよいという。赤い縁の眼鏡に緑色の髪。右側にピンと飛び出たアホ毛は本人曰く、絶対に治らないとのこと。


「怪我人に暴力ふるう医者なんて、聞いた事ねーよ」

「安心しなさい。これ以上ないってほど健康。ホラ、もう帰っていいよ」

「ええ…。数か月ぶりの再会なのに、なんか冷たくない…?」


まぁそれはさすがに冗談なんだけど、と言いながら弥生は席を立った。そして、奥に立てかけていたカバンの中身を漁っている。ユーゴはテーブルに置かれていた、コーヒーの入ったマグを取り、ゆっくり口に運ぶ。


「ユーゴを襲った2人組の話だけど」


弥生はカバンの中身を漁りながら切り出した。あまりにも突然本題に入ったので、ユーゴはむせてしまう。コーヒーが気管に入り咳き込むユーゴには構わず、弥生は話を続けた。


と名乗った。そういう話だったね」


ユーゴはむせながら頭を縦に振った。弥生はカバンから複数の新聞を取り出し、ユーゴの前に置いた。それぞれの新聞に、黄色いマーカーで1つの記事を囲っていた。大きく囲っているものもあれば、下の方に小さく囲まれているものもある。だが、肝心の内容はユーゴには分からなかった。なぜなら机に広げられた新聞に、日本語で書かれたものはなかったからである。


「…あの~弥生ちゃん。読めないんだけど」

「誰が弥生ちゃんだ。それによく見て。一番上のコレは英語!あと…コレも。コレも」

「いや…、英語の新聞なんて読めないって」

「嘘でしょ!?まったく、最近の学生は何してんの…」


断っておくが、魔術特区の一般的な高校一年生は、英字新聞など読めない。それは彼女が学生だった頃も然り。彼女は15歳の時点で日本語に加えて英語、中国語、フランス語を読み書き出来た。本人曰く、話す聞くは苦手だが、世界中の学者と交友関係を持ち、国際学会での発表経験を持つ時点で、高度な嫌味にしか聞こえない。有り体に言えば、彼女は勉学の世界において天才であった。


「まぁいい。とりあえず、この写真付きのを見て。これとこれと、あとこっちも」


弥生は束になった新聞の中から写真付きのものだけを取り出していく。そうして5つほどの新聞記事がユーゴの前に並べられた。


「“〇〇研究所爆破テロ事件。死傷者多数。現場に残されたΩマーク”、“××魔術研究センター火災。放火か。Ωインターネットにて犯行声明”、“国立△△魔法技術博物館無差別テロ。一般人も犠牲に。Ωの旗を掲げた4人組が現在も逃走中”。残りも似たような感じね」


ユーゴは広げられた新聞の1つを手に取った。写真には燃え上がる建物と、そこから逃げ惑う人々が写っている。新聞を掴んでいる彼の手は震えていた。


「なん、だよ…これ」

「で、ユーゴは会ったのは、この2人で間違いない?」


弥生は2枚の顔写真をユーゴの前に置いた。1人は男で、1人は女。男の方は、まさしくユーゴが先日電車内で遭遇した長身の男だった。事件の後、ユーゴは2人の外見的特徴、声、どんな話をしたかなどを詳しく聞かれていた。


「こいつ…!」

「そうだった。女の方は見てないんだったわね。男の方は…間違いなさそうね」


真っ白な肌に、ブロンドの髪。青い瞳。映画俳優だと言われれば、信じてしまいそうになるほどの整った顔立ち。ユーゴは彼との邂逅を昨日のことのように思い出せた。そして、自分が見たものも。ユーゴは、胃から上がってくるものを感じ、口を抑える。弥生はユーゴに水を渡した。


「嫌なことを思い出させたね。ごめんなさい。だけど、これは君にとっても必要な情報なの。少し時間を置いてもいいけど…」

「…いや、大丈夫。教えて欲しい。こいつらが、何者なのかを」


ユーゴは弥生に貰った水を一気に飲み干すと、前のめりになって弥生に向き直った。弥生はそんなユーゴを見て、一呼吸おいてから話し始めた。


「まずこの男だけど、名前はジョゼフ・ランベール。フランス出身。テロ活動の指揮、そして実行犯としての容疑多数。女はリラ・メルクーリ。ギリシャ出身で、ジョゼフと行動を共にしていることが多いみたい。自身の分身体を複数作り出す魔法を使うようで、凜華からも似た証言があったし、この女で確定ね。どちらも国際指名手配中。そして、こいつらが名乗っているグループが、Ω(オメガ)。この名刺サイズの紙が何よりの証拠ね」


弥生が手にしている透明な袋の中に入っていたのは、ユーゴがあの日、あの男から渡された(正確には渡されていないが)血だらけの紙だった。大きく銀色でΩのマークが入ったその紙は、部屋の明かりを反射して、薄気味悪く光っている。この紙に魔力は施されていないことは確認済みとのことだが、ユーゴはそれを近くで見る気になれなかった。


「Ωは繰り返すテロ行為の目的を、“世界浄化”だとしている。構成員数やリーダーは不明。問題なのは、この2人が、この魔術特区に侵入し、ユーゴに接触してきたということ。この意味は、わかるわよね」


“君と、同じ存在だよ”


長身の男がユーゴに発した言葉の意味。自身の置かれている状況を理解できないほど、彼はバカではない。


「Ωの構成員、全員ではないけど、かつて各国で生み出された人造人間であることは、ほぼ確実。もちろん各国は認めていないけどね。フランスもギリシャも然り。彼らがユーゴに接触して、最終的にどうしたいのかまではわからないけれど。…まぁユーゴにとっては、しばらく面白くない日々になるかもね」

「え、それってどういう…」


その時、ユーゴの耳に入ってきたのは足音だった。今学院は講義中のはずだ。学生が来ることは考えにくい。走って近づいてくるのがわかる。ユーゴも弥生も、体の動きを止めて、音の行方を伺う。その足音はどんどん近づき、この部屋の前で止まった。

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